ジンギスカン慶彦 東京大森店

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2024年10月 トピックス】

(2022年10月15日Facebook過去投稿より)

元・広島東洋カープの髙橋慶彦さん(現在65歳)プロデュースのジンギスカン慶彦東京 大森店に行って来ました

月1回慶彦さんがお店に出られてコラボ企画をされています。

満を持し、17時開店に合わせて入店しました。

1人の為にカウンター席でした。

慶彦さんが、各テーブルやカウンター席を廻られます。

下記内容についてお話しました。

①最初の広島勤務時代にお付き合いのあった富士見町の広告代理店所長の奥様が美容室をされていて、慶彦さんが頻繁に美容室に顔を出されていると聞いていたこと。

広告代理店は美容室の隣にありました。

慶彦さんの話では奥さん同士が友達で慶彦さんは付き添いだったとか。

②私の実家の近くの団地に横溝 桂さんが引っ越して来られ、中学一年生の時に緊張して訪ねてサインを貰ったこと。

横溝さんは引退後、広島、南海、阪神で打撃コーチ、スカウト、中国放送で解説者を歴任。(現在87歳)

同じ団地には山本一義さんの自宅もあったこと。

打撃コーチ時代の一義さんは怖かったと。

③昨年5月に草加市の広島お好み焼き空島に行ったこと。

元広島カープ、庄原市出身の伊藤投手のお店で、三篠の室内練習場で、一緒によく練習されたこと。

④カープファンから慶彦さんのカープコーチ、監督就任を望む声が多いと伝えると松田オーナーとは過去に喧嘩をしたので、宇宙に行くより難しいと。(笑)

⑤昔、三滝のゴルフ練習場で、赤いポルシェの慶彦さんを見掛けたこと。

日産フェアレディZはマツダの為ダメだったとか。

⑥昨夜、慶彦さんのYouTubeで正田さんとの対談を1.5時間掛けて視たこと。長さに驚いたこと。

⑦若い時は格好良く持てたでしょうと言うと、年取った今でも持てるんですよと。

最後は慶彦さんに言わせると「お年寄り二人で仲良く」ツーショットでした。

(2時間滞在)

帰途に就く頃には予約客の行列で大混雑でした。

次回はカープファンと一緒に行きたい。

(学22期 Y・Y)

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伊藤博文公・墓前祭に参加して

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2024年10月 トピックス】

◆昨日、西大井の伊藤博文公墓所で行われた墓前祭に参加した。

墓前祭は毎年、伊藤公の命日である10月26日に行われ、今年は土曜日の開催となった。

伊藤公が倒れたのが明治42年(1909)のその日、黒竜江省ハルビン市でのことだ。当時68歳。

◆伊藤公は能吏タイプで根回しがうまかったという。吉田松陰も伊藤を「周旋屋」と呼んでいる。

名の通ったある歴史通によると、「伊藤公は大きなビジョンを持ち、企画し実行するタイプではない。当時の日本の大きなビジョンといえば開国・富国・強兵であり、こうした路線は阿部正弘-大久保利通が描いた路線だ。伊藤公はその路線の上をうまく走った。」と指摘する。

憲法を制定し、初代内閣総理大臣になり、立憲政治を定着させ、日本の近代化に貢献した伊藤公。

◆式が無事に執り行われた後に、斎主である伊藤公の生誕地・光市の束荷神社の森重宮司が、ひとこと述べられた。

「大河ドラマに伊藤公が取り上げられないのはなぜか。私なりに考えると伊藤公を取り上げたら1年の大河ドラマでは収まらないのではないか」と。

◆式に参列した女性の脚本家がいた。

その方は現在伊藤博文公の脚本を書いているところという。

山口県人ではない。

秋田の方で、高杉晋作に惚れ込んだのが山口に興味を持ったきっかけで、山口の偉人の脚本を書き、ご自身も舞台に立っているという。

日本酒が好きで、やはり秋田の酒が良いという。

「一推し」が「雪の茅舎」、次が「山本」とのこと。

近くの全国酒造組合の重鎮の「押し」も「雪の茅舎」、次が「山本」と見事に一致した。

なお、今回の墓前祭に際し蔵元から奉納された酒は、原田、貴、東洋美人、獺祭、五橋であった。

(学23期kz)

そうだったのか、上野戦争 ①主戦派

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2024年10月 トピックス】

◆上野が戦場に

薩長を主体とする新政府軍と旧幕府軍との戦いとなった戊辰戦争は明治元(1868)年の鳥羽・伏見の戦いから始まる。

戦場は江戸、北越・東北と移り、最終的には翌年5月、箱館で決着が着く。

こうした一連の戦いの中で、江戸・上野寛永寺が舞台となった内戦がある。

江戸城は無血で開城となり、新政府に引き渡されたが、旧幕府の中には無血開城を不満とする幕臣や徳川家の存続を願う勢力が燻っていた。

幕府の存続・再興に思いを寄せる彼らは、最終的に上野の寺に立てこもり新政府軍と戦う決断をする。

こうして上野の内戦で血が流れた。

それが上野戦争だ。

◆江戸城の主戦派

鳥羽・伏見の戦いで敗れた幕府軍の大将・徳川慶喜公。

軍を大阪に残したまま、海路江戸に戻る。

殿・慶喜公を迎えた江戸城では、東かは薩長の「賊軍」が上がってくるとして対応策を巡って議論が四分五裂、白熱した議論が続いたようだ。

幕臣の中で恭順派の代表は勝安房(海舟)。

他方主戦論、すなわち薩長軍への徹底抗戦派は小栗上野介順正や榎本武揚。

小栗の論拠はこうだ。

東洋一の無敵艦隊があり、フランス仕込みの陸軍伝習兵があると。

そして小栗は薩長を抑えた後、彼が理想とする「郡県制」の徳川絶対主義国家に建設の夢を見た。

ただ、慶喜公は恭順の姿勢を崩さなかった。

◆小栗の進言

西から攻め挙げてくる薩長を中心とした東征軍を相手に、殿・慶喜公に徹底抗戦を主張した。

小栗は恭順を示す慶喜公に対し再考を促し、慶喜公の袖を引いてまでも東征軍と戦うことを進言した。

血を吐くような声だったという。

しかし、慶喜公は

「・・・もうその辺でよかろう。上野、下がりおろう」と小栗を残して奥に消えた。

この時に小栗の運命が決まった。

その直後にお役御免を通告された。

榎本も頑張った。

榎本も「将軍家には腰が抜けられたか」と激しい口調で殿・慶喜公に再考を促すのに必死になった。

慶喜公はそれでも恭順の姿勢を崩さなかった。

結局榎本は江戸を離れて箱館で独立政府を構え、薩長の新政府軍と戦うことになる。

◆慶喜公、江戸城から上野寛永寺、そして水戸へ

実は慶喜公が江戸に戻った直後、1月7日には京から慶喜追討令が出されている。

慶喜公は朝敵となっていたのだ。

慶喜公は、あくまでも徳川家存続のため朝廷への恭順を示すために、慶応4年(1869)2月12日、江戸城を出て上野寛永寺で謹慎した。

4月11日に江戸城が開城した折に、慶喜公は江戸を出て父・斉昭が藩主となっていた水戸に向かう。

慶喜公が旅立って空いた寛永寺が反・薩長軍である彰義隊の本拠地となり、ここで内戦が繰り広げられた。

(学23期kz)

「日本人論」の欠片 その8

山口大学経済学部同窓会

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【2024年 10月トピックス】

◆特異な発展を遂げた日本。

数々の優れた点を有する日本。これまで世界の称賛を浴びてきた。

このため、諸外国によって日本研究が行われてきた。

近年は日本人の性癖の研究成果が対日本外交活用されているように思われる時もある。

しかし、こうした挑発にも、日本としては十分に対抗できているとはいえない場合が多い。

「誠に遺憾であり厳重に抗議する」を繰り返すのが精一杯の反応だ。

外交的に多数派工作もできる。国連、snsを使った発信もできるというのに。

また、反論するにも、事実を知らないと反論できない。こうした事事実を日本人自身が知らない場合もある。

◆知らない日本人

特に若者は歴史的な事実関係を知らない者が大宗を占めている。

先の大戦での相手国が米国であったことすら知らなくなっている。

このため、若者同士の論争でも議論にならない。

中国や韓国の若者、米国の若者も良く勉強している。

こうした仕掛けに日本人の大人はどう対応しているか。

大人も知らない。

私も十分知っているとはいえない。

◆反論しない日本人

謙譲の美徳という言葉がある。

場の雰囲気を壊すため、反論しないのか。

ここにも「和を以て尊しと為す」が入り込んでいるのか。

雰囲気を壊したくないとする日本人。

国民として、世界の常識を知らず、国民として正常な反応を示すことができない国民は、国際社会から重視されなくなる。

尊敬もされなくなる。

いくら技術に長けていたとしても。

(学23期kz)

亀山時代の経済学部の校舎等が映った写真集

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2024年10月 トピックス】

昭和30~40年代の山口市中心部を映した写真集。

経済学部が亀山にあった頃の講堂や校舎のほか、教育学部や文理学部、焼失前のサビエルの塔なども映っています。

http://1010kaku.com/YamaguchiArchive/index.html

編集したのは山口市米屋町の中華料理屋・東天閣店主。

東天閣店内のテレビモニターにはスライドショーの形で懐かしい写真が次々と映し出されていました。

鳳陽会東京支部事務局

大市商店街の中華「東天閣」 スライドショーに見る昭和時代の高商・経済学部の姿     

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2024年10月 トピックス】

◆米屋町通り・大市商店街に昔からある中華料理屋「東天閣」。

店内で会食していると店内のモニターに昭和時代の写真・スライドショーが目に入った。

その中には亀山時代の経済学部や鳳陽寮の写真が出てくる。

◆写真は昭和30~40年代が中心で、その数100枚を優に超える。

中身は米屋町や道場門前商店街、一の坂川、山口駅前、焼失前のザビエルの塔、昭和39年当時の水害の模様の他、当時の個人宅や商店街の名前が入った住宅地図もある。

山大関係では、亀山時代の大学鳥観図、経済の校舎・講堂の他、教育学部や文理学部の正門の風景の他、教育学部の第1回入学式や大学祭、大学正門を封鎖した立て看板(昭和46年3月とある)などのカットも含まれている。

http://1010kaku.com/YamaguchiArchive/index.html

◆このスライドショーを作成したのは店主の川端さん。

少しでも多くの記憶を後世に伝えておきたい。山口の古い写真が残っていれば、貸していただければありがたい、と呼びかけている。

(学23期kz)

モニターの下に置いてあるQRコードの載ったシート(持ち帰り自由)

日本橋べったら市

◆10月19(土)の狭山市での元力士の方の絵画展の後は銀座線の日本橋三越前駅に移動し、コロナで4年ぶりに開催された昨年に続き、べったら市に行ってきました。(19:00到着)

◆昨年迄は2016年に行ったのが最後でそれまでの10年間は2年に1回のペースで参加していました。
例年、曜日に関係なく、決まった10月19、20日に開催されています。
今年は土日の開催となりました。
宝田恵比寿神社周辺の日本橋大伝馬町、本町三丁目周辺です。
吉田松蔭が斬首刑に処された伝馬町牢屋敷はすぐ近くにあったようです。

◆江戸時代中期の中頃を起源とする伝統行事のようです。
日本橋本町1丁目で9年余り個人の店をやっていて、一時は職住接近の日本橋本町に住んでいました。
東京新高屋の麹のついたべったら漬の購入を毎回楽しみにしています。
3本購入し、2本は永年、苦楽を共にし、お嫁に行った栃木県塩谷郡在住の女性スタッフに送ります。
私はご飯がススんで困ります。(笑)

◆山口市ファンクラブメンバーのベアーズコーポレーションの中嶋唯雄社長のふくの鳥小伝馬町店も昨年に続き参加されていて寄ってみました。
焼き鳥3本セット(タレ500円)✕2を頂きましたが、我が人生、こんなに美味しい焼き鳥を食べたことはなく、絶品でした。 
20:00に思い出のいっぱい詰まった街を後ろ髪を引かれる思いで帰途に就きました。
今日はダブルヘッダーのイベントに参加し、自分のタフさを褒めてやりたい。
(学22期 Y・Y)

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厚木歴史講座 宝治合戦と毛利一族

山口大学経済学部同窓会

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【2024年10月 トピックス】

◆10月13日(日)の東京は晴れ、厚木毛利氏プロジェクト主催の掲記歴史講座に朝11時に大井町の自宅を出て本厚木のあつぎ市民交流プラザ迄、往復3時間かけて行って来ました。

◆12時30分に到着し、サラリーマン時代の昔、本厚木に拠点の営業所開設&立ち上げ為に6ヶ月間横浜から通いましたので、今回も営業所が入居していたビルを訪ねてみました。(写真3枚目)
今は大塚製薬が入居されているようですが。
38年前の遠い昔のことですが。

◆歴史講座は14時から2時間あり、参加者は募集定員の50名。
講師はあつぎ郷土博物館の学芸員、飯田好人氏。
冒頭、共催者の山口貴裕厚木市長のご挨拶がありました。
休憩時間に主催事務局の藤井さんと諸々お話する機会がありました。

追記)写真5枚目は15歳も年の離れた妹と言っておりますが、実は厚木市出身で大ファンなんですよ。😵💦
(学22期 Y・Y)

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「日本人論」の欠片 その7

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2024年 10月トピックス】  

◆PDCAのチェック(C)

実施段階(D)で大きく削がれた「計画」。

次の過程・チェック(C)でも大きな問題がある。

誰がチェックをするのか。

改革実施者が自らチェックしたのでは意味をなさない。

本来は第三者あるいは(第三者機関)が客観的にチェックをしなければ、有効なチェックにはならない。

しかし、実際には改革を行う当事者がチェックしている例が一般的だ。

特に行政機関の改革が官庁がそうだ。

官庁が保有している各種データ。こうしたデータには対外秘、情報公開対象外など、第三者がチェックできない場合が多い。

こうした場合、チェックはどのようにするのか。

データを保有している機関が自らチェックし、自己申告することになる。

これでは自画自賛のチェック、手前みそのチェックといわれても仕方なく、有効なチェックは出来ない。

◆少子高齢化対策の例

何十年も前から、確実に到来が予測されていた日本の人口減少問題。

日本の生産年齢人口が減少に転じたのが1995年、総人口が減少に転じたのが2008年。

経済予測とは異なり、人口動態は予測が容易。人口が減り始めることは分かっていた。

結果的には有効な改革がなされたとはとても言えない。

少子化対策でも、高齢化対策でも計画(P)は驚くほど多き出された。

また、計画に対する数値目標も意欲的なものが多い。

しかし、その実施(D)について、大きくグレードダウン、次の評価(C)については「なあなあ」のチェックに終わった感がある。

計画Pが、実施DとチェックCで骨抜きにされた場合、最後のアクション(A)はほとんど意味をなさない。

かくして、ふたたび同じ改革案が新たな装いでスタートし、大々的に発表・報道される。

「今度は違うぞ!」・・・そうした改革するにはどうすればよいのか。

解決不能で絶望的なのか、それともまだ尻に火が付いていないだけのか。

われわれの手には負えないのか。

そんなことはないはずだ。

(学23期kz)

山大・花の経済学部 その9

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2024年10月トピックス】

先輩の中には、河上先生、柴田敬先生のような学者、金子・浦上・松本先輩のような文化・芸術界に進んだ方のほか、政界、官界で活躍された先輩方もおられる。しかし、やはり実業界で活躍された先輩方が多い。

銀行・保険などの金融界、商社、各種メーカー、小売、新聞・テレビの報道界などだ。

金融機関では地銀や、第二地銀協会の会長に就任した第二地銀の頭取も出ている。

また、信金や信組でも活躍された先輩が多くおられる。

最近では第4のメガバンクを狙う新生銀行に山大・経済卒のトップ(学33期)が出た。

先輩の話を伺っていると、先輩方それぞれに、実に深く、比類なき貴重な体験を豊富に持っておられることに驚く。

鳳陽会東京支部の中で、2~3か月に一度の頻度で開催されている県人会の小ぶりな会食会がある。

この中では学10期代から30期代までが集う。その中で先輩方から昔話が出てくるが、お聞きしていると、その場にとどめておくことがもったいないような貴重な体験談がポロリと披露されることがある。

先輩方はこうした貴重な経験を地方で、東京で、そして世界で業績を積んでこられたのだ。こうした先輩方の蓄積がかつて「山大・花の経済学部」と呼ばれた所以だろう。

こうした体験を同期の仲間だけでなく後輩たちにも、また、現役の学生にも、またこれにとどまらず、山大の教職員の方々や、さらには学生諸君の父兄の間でも共有したいものだ。

(学23期kz)