私たちが駆け抜けた時代を振り返る

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2025年4月 トピックス】

学23期・藤井千敏

 歴史の専門家でない私が理解する時代の変遷は、1975年大学を卒業した時点(年齢22歳)と退職した後高齢者としての2025年時点(年齢72歳)とを比較し、この間の50年に何が大きく変化したかを語るものです。

 1975年大学を卒業する時点で私が漠然と想像していた将来の時代イメージと2025年時点で認識する時代とは、およそ似ても似つかぬものになっているというのが結論であろうと思います。

 即ち、対象となる50年間に東西冷戦が終結し、画期的なこととして東西融合が進む中、米国の覇権が確固としてきたにもかかわらず、世界の一強である米国の地位が揺らぎ始めました。その機会を捉え世界で地政学的紛争が発生していきました。このような世界情勢の下、パックス・アメリカーナの終焉を我々は近未来に目撃することになるのでしょうか。そして、米国に代わる覇権国は誰になるのか。こうした将来像を予測しかねるのが現状ではないかと思います。

 1975年大学を卒業するまでに経験した経済危機としてオイル危機(石油価格高騰)がありましたが、国家の産業政策として重化学工業を基礎に依然として産業の高次化(サービス業)を図る目標を維持していたと思います。一方で「土地神話」と言われた土地価格の高騰と当該土地を担保に成り立っていた信用創造が破綻し、信用危機が1989年に顕在化しました。これを背景に日本における金融機関間での合併統合が進んだことはそれ以前にはおよそ想像されることのないことであったと思います。これを起点に後日「失われた30年」と言われる日本経済復興の空白期間が継続しました。

また、1980年代に向けIT(Information technology)が徐々に社会に広まり、国家の産業政策として情報産業を核に産業の高度化(サービス業)を目論む方向にあったのだと思います。

 政治的には、1989年ベルリンの壁崩壊前後を起点に東西冷戦(米国とソビエト)が終結し、「グローバリズム」という名のもとに経済的に東西融合が進む状況になりました。ネットで調査したところ、グローバリゼーション(グローバル化)は地球規模で経済、情報、人の交流や移動が行われる現象とされています。

グローバリズムの背景として、①第二次世界大戦後の資本主義や自由主義の広がり、②ソ連・東欧体制の崩壊(1991年)、③情報通信技術の高度化やインターネットの普及等があったと説明されていました。

 雇用面では、大学卒業生の産業への供給は、従来個別企業の各大学別就職枠を通じて調整されていましたが、2000年代に突入したころから大学卒業生の「エントリーシート」を通じた個別企業への就職活動へと変貌し、卒業大学よりは学生の個性や情熱が就職時の評価対象となる時代に移行していきました。また、このような就職戦線の変化は従来存在した大学卒業生の大都市への大量供給という流れから、副次的にしても地方大学卒業生が地方都市に就職先を求める流れを生み出したものと思われます。

 日本は産業の高度化を如何に成し遂げるかを示す「国家の計」に基づく具体的な戦略遂行を欠いたばかりに、世界レベルのIT化に乗り遅れてしまいました。日本はIT化を国家戦略として推進することに失敗したものの、主要な国内産業の一つである自動車産業が世界市場で健闘したため世界の中で一定の存在感を発揮することができました。なお、「国家の計」とは、国家の目標を達成するため国家のヒト・モノ・カネを重点分野に具体的に集中投入し、継続的にその成果を挙げることであります。

 一方、東西冷戦終結後の米国は、経済における一強としてグローバリズムを支えてきましたが、地政学的な安全保障の危機を解決するべく対応することで国力を徐々に落としてきました。米国は最早世界の警察官の役割を果たせないところまで来てしまいました。(2013年、当時米国の大統領だったオバマ氏は「米国は世界の警察官ではない」と語っています。)

 米国は産業の高度化をITテックの巨大企業を抱えその成長により世界のIT市場を席捲しIT等のサービス業で成功する一方、製造業では開発途上国から追い上げられ比較優位を持つ開発途上国へ産業が移転し、技術や特許で余程強固に守られていない限り米国を含む先進国の産業は徐々に開発途上国に移転させられたと思われます。米国の産業政策は産業の高度化に適したものであったと評価されますが、自国の安全保障を確保する点で十分でなかったのではないかと判断されます。また、世界における覇権を維持するうえで、米国に競合する国々を経済的・技術的に追随できない位置に抑え込むことに十分配慮していたのか疑問が残ります。

米国が世界において覇権を保持する要因を、私見ですが想像するに、①米国における国家財政が健全であること、②世界において産業の高度化を牽引していること、③米国以外の国に経済的且つ技術的に追随を許さない産業の高度化の開発体制が確保できているか、④安全保障を確保する武器の調達において自国内の自立性・独立性を維持できているか、が満足されなければならないと思われます。

上記の①に関しては、米国の負う国債(債務)が最早許容範囲を超えて拡大してきました。②に関しては、現状ではまだ満たしているかもしれません。③に関しては、中国が同レベルに猛追してきており中国を看過できない状況ではないでしょうか。④に関しては、国防の基礎となる自国内での武器調達が容易ではない状況に追い込まれている可能性があります。なぜなら米国がウクライナへ供給する武器に不足が生じていました。

かくのようなパワーバランスを認識したうえで政治的に動いたのが、ロシアなのでしょう。2014年クリミアに侵攻、2022年ウクライナ侵攻は、世界の警察官が不在という機会を捉えた巧妙な軍事作戦であったと言えるでしょう。米国、欧州等の支援を受けたウクライナの対ロシア戦争はそれなりに成果を上げていますが、武器等多くの制約を受けるウクライナにとって国を守ることは非常に厳しい現実なのではないでしょうか。

また、米国と中国が演じる覇権争いは、予断を許さないものがあります。宇宙開発等の新天地に赴く上での両国の競争と違い、地球規模で直接的な影響圏争いとなるとグローバルサウスも巻き込む複雑な国際関係を生じさせる可能性があります。

トランプ政権の発足後間もなく導入された他国からの輸入品に対する関税は、米国において失われた産業の復興を目的とするのか、或は関税収入による国家財政の収支改善を図るものか、今の段階では必ずしも明確でないように思われます。しかし世界において比較優位でない産業の米国への回帰が経済的に採算に合うのか疑問が残ります。また、国家財政の収支改善に関税が有効かどうかは、今後米国との協議により決まるであろう他国の相互関税の動向を注視すべきものと思われます。

いずれにせよ、今後の焦点は世界の覇権を誰が握るのか。地球規模の意思決定を誰がなすのか。或は、世界の投資マネーをどこの国の市場が引き寄せられるのか。これらが今後の地球規模の歴史展開を大きく変えることになるのであろうと想像します。

以上

1991年10月 ホワイトハウスを背にして

                                   

就活中のみなさんへ、そして同窓生の皆様へ

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2025年4月 トピックス】

◆入社4年目に思う

2021年卒(69期)の味戸です。太平洋セメント株式会社に入社してから早四年が経ち、山口大学在学中の温かな日々が今も心に深く刻まれております。大学時代、山口県山口市平井での生活は、広々とした田舎ならではのゆったりとした暮らしと、美しい自然に囲まれて過ごすひとときの喜びを教えてくれました。将来的には、周防大島の静謐な環境で、心豊かな老後を迎える夢を抱いております。

◆在学生のみなさんへ

就職活動に奔走されている皆さんへ

私自身、福岡、広島、京都、東京と各地の説明会やインターンに足を運び、アルバイトもあまり経験せず高速バスや鈍行を駆使して就活に臨んだ厳しい日々を思い出します。特に、企業によっては交通費や宿泊費を全額負担してくれるところもある一方で、ほとんどの場合は自己負担や一律の支給金額といった実情が、地方にいる学生には大きな負担となりました。また、大学3年の冬に参加したコンサル系インターンで、半数以上の参加者が内々定を獲得していた現状を目の当たりにし、早期選考に乗り遅れた悔しさを強く感じたものです。都市部の大学では先輩や友人を通じた迅速な情報共有が可能ですが、地方ではそのネットワークの薄さが痛感されます。

このような経験から、大学3年生の皆さんには、ぜひ都心で開催される夏のインターンに参加し、新たな友人をつくりながら情報収集に努めていただきたいと願います。

◆また、先輩の皆様には、山口大学での定期的な説明会開催や、同窓会ネットワークを活用した情報共有の拡充をお願い申し上げます。私自身も転職を視野に入れ、先輩方がご活躍される企業も含めた多角的なキャリア形成を模索しております。皆さまのご健闘と発展、そして相互の成長が実現することを心より願っております。

(69期味戸)

この前旅行に行ってきたモルディブの写真です。

「にあんちゃん」(日活映画)

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2025年4月 トピックス】

「にあんちゃん」(1959年日活映画1時間41分)

2018‐4‐21Facebook投稿より引用

◆サラリーマン時代の同期のNさんが、先日、Facebookに「にあんちゃん」のことを投稿されていました。
10歳の頃の少女の安本末子さんの日記が、小学校低学年の頃、家族の団欒で話題になったことがありますが、映画化されていたのは初めて知りました。

◆早速、広島の映画マニアの大先輩がDVDを保有されているということで、借りて視聴しました。
佐賀県の小さな炭鉱を舞台にした何とも物悲しい内容ですが、4人の兄弟の絆を描いていて、最後の場面で微かな希望が見えて救われました。
今は亡き豪華キャストが登場されていて、映画ファンには堪りません。

追記)
末っ子の安本末子さんはその後、早稲田大学文学部に進学され、コピーライターになられたとか。
二男の「にあんちゃん」の安本高一さんは慶応大学に進学され、出版社を勤めあげられたとか。

監督:今村昌平

キャスト
長門裕之
松尾嘉代
沖村武
前田暁子
北林谷栄
西村晃
小沢昭一
殿山泰司
芦田伸介
吉行和子
二谷英明

(学22期 Y・Y)(永倉ゼミ)


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お骨(こつ)になってしもうた

山口大学経済学部同窓会

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【2025年4月 トピックス】


岡山支部の岡山Bさんが『魔の七歳』について投稿されていましたので、私も投稿することにしました。
(学22期 Y・Y)(永倉ゼミ)

2013-1-6mixi投稿分より引用
◆新年になって正月3日の日でした。
その日の午後、近所だった広島の幼馴染の女性から年賀状が届いていました。
「昨年、K・Y(旧姓)さんが亡くなった訃報は大ショックだった。」と書いてありました。
えっ!、兵庫県在住のK・Yさんが亡くなったと。

◆K・Yさんは44歳の時に私が世話人をした小学校のクラス会には遠方ということで出席出来ませんでしたが、以来、毎年、年賀状のやり取りはしていました。
ただ、ここ2、3年は彼女のお母さんが亡くなられたりしてやり取りは途絶えていました。

◆サラリーマン時代に海外のオーケストラを招聘しての冠のクラシックコンサートの担当者でしたので、大阪のフェスティバルホールに2度程、招待したことがあります。
その内一度は私が出張先の広島会場から大阪会場に移動し、35年ぶりに再会の予定でしたが、急遽、大阪には上司が行くと言い出し、大阪出張は没となりました。
でも、いつか姫路の郊外を尋ね再会出来ると信じていました。

◆今日は年賀状を貰った幼馴染に電話をしました。
病死だと思っていましたが、彼女は訃報を年末に貰い、躊躇していたようですが、思い切ってご主人に電話をしたら、交通事故に巻き込まれたということでしたが、それ以上の詳しいことはとても聞けなかったというのです。
幼稚園時代からの、まさに竹馬の友を失ってしまいました。

◆ネットで検索してみましたが、あまりに惨い。
賢くて几帳面で慎重な子供だったのに・・・

【交差点左折トレーラーに巻き込まれて死亡2012年4月14日付け地元紙】
13日午前10時35分ごろ、兵庫県の県道交差点で、左折しようとしたトレーラーが、自転車を押して横断歩道を渡っていた、無職、K・Tさん(61 )を巻き込んだ。Tさんは頭などを強く打ち、まもなく死亡した。福崎署は、トレーラーを運転していた会社員、N・N容疑者(24 )を自動車運転過失傷害容疑で現行犯逮捕。

追記)
・トレーラーは運転席が高く、死角となったようです。
知り合いの大型トラック運転手の方にヒアリングしましたが、同様に死角となることがあるそうです。
本人は永年、薬剤師をやり、ご主人は病院の栄養指導の責任者をされており、事故に巻き込まれなければ、長生きされていたと思うと残念で、悲しいです。
お孫さんが出来てお婆ちゃんになったと喜んでいたのに。

・小学校2年生の時にクラスメイトでわんぱくで愛嬌のあったT君が通学途中に自動車事故に遭い、亡くなりました。
事故の詳細は知らされませんでしたが、クラスメイト全員で自宅での葬儀に行った光景だけは、今でも鮮明に覚えています。
(学22期 Y・Y)(永倉ゼミ)

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京大・西村周三先生のこと

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2025年4月 トピックス】

岡山支部 岡山Bさんからの投稿

◆西村周三先生の退官記念講演(2009.03.14)に参加したことがあります。

その講演は京大のシンボルともいえる時計台の下の記念館で開催された。

西村先生は日本における医療経済学の先駆者、また今ある意味流行りと言える行動経済学の萌芽は、京大の研究室で依田先生(大学院生として)とのイエローペーパーの輪読から始まった。先生自身が84年米国留学の際、現地で出会ったのが行動経済学であった。

イエローペーパーの輪読の話は、依田先生のある本の中で紹介されていました。

その退官記念講演は、 通常挨拶と講演で終わるものですが、その会は全く違ったものであった。

西村先生は先生ご自身でまず退官記念の講演をし、後述する大竹さん、岩本さん、斎藤さんが当時研究しているトピックスをそれぞれが発表した後、シンポジウム形式で四人が対談をする。

その講演会の一番面白い点は、その4者のフリートークセッション! それを仕切るのが依田先生。


またその講演の中で、西村先生は教え子の名を「~先生」と呼び、時に学生時代の名「~君」とつい口走る。教え子でありながら、「青は藍より出でて、藍より青し」と自分自身の研究の水準を超えるかもしれない位置にある教え子をこよなく愛している様子がわかる。教え子の先生たちにフリーのトークセッションで叱られるかもしれないという弟子の成長を自身の嬉しいネタとして、自虐的に愉快にしゃべる。

◆現在のマクロ経済学を牽引している大竹先生(阪大)、岩本先生(東大)、斎藤先生(名大)、そして、依田先生(京大)。当世一流の経済学者のそろい踏みです。この方々は、元京大教授西村周三先生の教え子たちです。前者の三人は学部の 時代にほぼ同年代に一つのゼミから排出されている人材です。依田先生は学部では伊東光晴先生、大学院では伊東先生が定年退職後を託した指導教官が西村先生だそうです。
いずれにしても、前者の三人、これだけの人材が同時期に、そして一つのゼミ、西村ゼミの京大経済学部にいました。恐るべしです。

◆「もし山で・・・」、経専から学部移行時当時、山口大経済学部に鴻の峰学派なるものが存在するとしたならば、下記のような流れになるかもしれません。

山口大経済学部教官の京大の流れには、柴田敬先生(理論経済学)、岡倉伯士先生(貿易論)、浜田先生(経済政策)、鈴木先生(国際経済学)(事例でいくと、鈴木先生が来山されてからは岡倉壮士先生が学兄であり、既に山口の人となっていた関係上、鴻の峰学派の一人に数えられるとか)数々の先輩の皆さんがお世話になった先生の名前が並ぶ(名畑先生、藤原先生)。
山口大経済学部教官の神大の流れには、柴田敬先生のもとで、母校に助手として赴任した安部先生、理研(理論経済研究会)で学生として活動した山本英太郎先生、貞木先生等、理研が梁山泊であったかもしれないのは、少しだけわかる気がします。

◆スイスにローザンヌと言う田舎町がある。経済学史の中でローザンヌ学派と言う名称が今でも確固たる地位にある。

「もし山で」山口大経済学部に鴻の峰学派なるものが存在したとするならば・・・

(岡山B)

Thank you so much サザンオールスターズ ドームライブ「桜ひらり」

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2025年4月 トピックス】

37期 上野 啓

◆今年の春は、気温が乱高下し、春と冬と初夏が日替わりメニューでやってくる様な気候が続いた。桜も開花から葉桜までの期間が2週間以上と例年より長く花見を楽しめたが、気温差が激しかったせいか、満開となっても例年ほどの桜色になっていなかった様に感じた。

◆その日も肌寒い夜ではあったが、4月12日に開催されたサザンオールスターズ 「Thank you much live 」は期待通り、いやそれ以上の熱いライブとなった。

チケットは毎回、数十倍の倍率なので、我が家は全国ツアー開催地の抽選に応募して、当選した場所へ旅行を兼ねて行く事にしている。

今回は故郷の福岡 Pay Pay Dome が当選、墓参りも兼ねてのライブ参戦となった。

◆サザンオールスターズは1978年(昭和53年)に「勝手にシンドバッド」で衝撃的なデビューをして以来、実に46年にもわたって世代を超えて人々を魅了し続けている。

デビュー当時小学6年生であった私も、掃除の時間には、ほうきをギターに見立て、ララララララ ラララーと教壇の上でモノマネしていた。昭和歌謡をベースにJ Popという音楽ジャンルを作りあげたミュージシャンである。

◆私の世代(アラ還)はサザン世代のど真ん中。高校、大学時代は、まさに様々なシーンにサザンソングがBGMとして流れていた。TBSのドラマ「不揃いの林檎達」で流れる「ミスブランニューデー」や時代の流行語にもなった佐野史郎扮する冬彦さんのドラマ

「ずっとあなたが好きだった」のオープニング「涙のキッス」、映画「稲村ジェーン」の挿入ソング「希望の轍」や「真夏の果実」。そして最近では、ユニクロのCM ソングでほぼ毎日耳にする神宮外苑の再開発に一石を投じた「 Relay 杜の詩」など本当に数えきれない名曲で日本国民に愛されている。

◆詩や曲も素晴らしいが、Liveにいくとその舞台演出や照明の素晴らしさで毎回鳥肌が立つ。

(残念ながらライブ会場の写真は撮影不可)

アコースティックギターの弾き語りもあれば、セクシーなダンサーが乱舞するド派手なステージにコーラスの美声も加わり、サザンの名曲と共に5万人の観客を魅了する。

◆デビューから46年、メンバーは全員70歳間近であるが、3時間近い公演を休憩もなく演じ続ける、まさにThe Entertainer。

今回のライブは昭和、平成、令和の名曲を30曲。

周りを見渡すと、思い出の涙、感動の涙、そして観客の全員が Thank you so much と心から叫んだ素晴らしい時間。

終演後に福岡百道浜から駅に向かう道では遅咲きの桜の木から花びらがひらり舞い落ちる まさに 「桜ひらり」の 夜となりました。

さて次回はどこで参戦できるかな?

学37期 上野啓

(写真はPay Payドームと故郷宗像のイカ活き造)

逆境下の文教施策 毛利の殿様 その5

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2025年4月 トピックス】

山口大学の前身は数々の困難や存続の危機を藩主の支援のほか、地元や地元縁者の支援を受けて乗り越えてきた。

◆維新の学校制度改革

明治3(1870)年に「大学規則」、「中小学規則」が発付され、小中学校を経て大学に至る「進学」という概念が示され、小学と中学の区別が導入される。

ここで、藩校明倫館所轄の講習堂(例えば三田尻講習堂)や支藩が設立した学校、これまでの郷校が小学に移行。

他方、萩明倫館は萩中学に、山口明倫館は山口中学に改称された。

明治5(1872)年には、義務教育の確立へ向けて「学制」が発布され初等・中等教育の充実が重視されたが、制度の充実を図るに足る財源がなく、国からの財政支援もなかったために苦労する。

このため県は(前年に廃藩置県で山口県発足)県内の中学を廃止し、形が整うまで一時に「変則中学」とした。

しかし、「変則中学」の経営も厳しく、グレードダウンして「変則小学」にしたが、それでも経営を持続することは難しかったため、とうとう閉鎖に追い込まれた。

ここで毛利家の登場と相成る。

◆毛利家が学校制度再興資金の大部分を寄付し、翌年変則小学が私学として再スタート、その校舎は「鴻城学舎」と呼ばれた。
その再興から3年後、山口中学(私立)に改称されたが、毛利家経営の「私立」であった。(山口中学1校のみ)

この時の山口中学は入学資格が14歳以上、就学期間は5年。

通常の教科を学ぶ尋常中学科(3年)に続き高等中学科が置かれ、これが次の県立中学校の基礎となる。

山口県側は旧藩家や在京の県出身者、県内の有志に寄付を依頼。集まった基金で明治13(1880)年に県内に5つの県立中学を設立する。(山口、萩、岩国、徳山、豊浦)

この5つの県立中学には年限3年の尋常中学が置かれ、さらに進学希望者は他の4校からも県立山口中学の高等科へ進むこととされた。

この時にも県立中学の経営は厳しかった。

つづく

(学23期kz)

毛利氏庭園の桜(山口県観光サイト)

交通事故、「魔の七歳」

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2025年4月 トピックス】

岡山支部 岡山Bさんの投稿

◆春の交通安全週間、真っただ中。
「ピカピカの一年生」の通学も始まる。

 一方、年齢別事故率を追うと、徒歩中の交通事故で被災する七歳児が多いことが報道されていた
『魔の七歳』とその世界では呼ばれている。


◆事故の主因

①視野領域は大人の半分といわれる「視野の狭さ」

②「友達100人出来るかな」とも歌われるさまざまなデビューがあるが、その中の「ひとり歩きデビュー」

これらが主因のようだ。

◆自分自身の古い記憶の中では、最初の子の通学ルートには何度となく通学試歩をした。手を繋いで、途中気がついた事を声掛けしたと思う。

今日のニュースでは、同伴者は足を折り、目線を落とし、「子供目線」での死角を意識確認しないとリスクの低減は限定されるという…
さまざまな面での「目線」の肝要さだ。
ともすれば、自分の中の正しいと考えることが真ならず…

◆交通安全週間に、『魔の七歳』からさまざまな含蓄のあることを教えて貰った。

違った意味で、ピカピカの一年の気持ちだ。

(岡山B)

齋藤ジン著 世界秩序が変わるとき‐新自由主義からのゲームチェンジ

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2025年4月 トピックス】

(学22期 Y・Y)(永倉ゼミ)


◆サラリーマン時代の一年先輩で、広島在住のNさん(旭川生まれ、小樽商大出身)から、先週の4月5日(土)、携帯に連絡があり、齋藤ジン氏(今年54歳)の初めての著書が昨年12月20日に文春新書で発売されていてお薦めで読んでみてはと。(定価1,050円税別)

◆先週と言えば3日(水)にトランプ大統領の突然の相互関税発表で、東京市場、ニューヨーク市場を始め、世界のマーケットが歴史的な大暴落となり、今週も収まるところを知らず乱高下が続いています。
私は「無法者」のトランプが再選されることには大反対でバイデン大統領の当選を密かに祈っていました。急遽副大統領を担ぎ出したものの結果は惨敗でした。

◆大暴落に動揺し、恐怖指数におおのき、ただただ嘆いていても埒が明かないので、先日、近くの書店に行きましたが、在庫はなく、取り寄せになると。
ネットで検索し、出版社編集部の著者へのインタビュー動画(5分程度)があり、釘付けになり、経歴も異色で、こうした見方もあるのかと。
今日(4月12日)は漸く本を手にし、一気に読破しました。
トランプ大統領が公約に掲げる程の関税論者であるのを恥ずかしながら今回初めて知りました。

◆今回のトランプ政権のスコット・ベッセント財務長官は齋藤ジンさんに取ってヘッジファンドのマネージャーで顧客であり、友人であると。
3月5日放映のNHKのニュースウオッチ9にも出演されたようです。
又、自分はトランスジェンダーであるとオープンにされています。
(学22期 Y・Y)(永倉ゼミ)
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ゴルフ 何でそうなるの! ➉抜けないクセ

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2025年4月 トピックス】  

◆ゴルフのスウィングには各人それぞれ癖がある。

特にアベレージゴルファーには抜きがたい癖がある。

グリップ、スタンス、バックスウィング、トップ、切り返し、ダウンスウィング、インパクト、フォロースルー。

無くて七癖。

ゴルフもそうかもしれない。

◆ゴルフ雑誌を読み、テレビのゴルフ番組を視、ユーチューブの画面を繰り返し研究し、かなり理想的なスウィングに近づいたのではないかと思いながら、練習場でクラブを振る。

しかし、己のスウィングフォームをビデオに撮ってみると、情けない画像に愕然とする。

体重の乗せ方、右肩からの突っ込み、左肘が引ける、両手が伸びない、インパクトの時、撓屈(右手首が手の甲側に折れる)掌屈(右手首が手のひら側に折れる)。これだ。

私もこれに泣いた。いや、現在進行形だ。

ボールなしのスウィングではいいスウィングができるのに、ボールに向かうと、思うようなスウィングは出来ない。

コースに出てパートナーと一緒に回ると、どうしてもボールを打ちにかかる。

◆ドライビングレンジで打っていると、レッスンプロが生徒に教えている光景に出会う。

ここでは他人のスをは客観的に見ることができる。

レッスンプロが生徒を指導するが、生徒はその通り打てていない。

しかし、レッスンプロは生徒が出来ていなくても褒める。

とにかく褒める。

見ている私も恥ずかしくなるくらい、かなりオーバーに褒める。

褒めないと生徒がレッスンを止めるからか。

生徒が止めると「レッスン料」が入ってこない。

翌週来ても光景は同じ。生徒のスウィングにはほとんど改善が見られない。

全く変わらないスウィングが続く。

それでもレッスンプロは褒める。

◆傍からから見たら、私もそうだろう。

本番よりも練習が好きな私は、昔から自己流の変な癖がついており、癖ががなかなか取れない。

◆地方勤務をした若者がいた。

彼は2年間の地方勤務の間、レッスンプロについて指導を受けたという。

そのスウィングたるや、私の目から見て理想形に近かった。

当然スコアもまとまっている。

レッスンプロに習うコーチ料は安くはない。また、スウィングが変な癖に固まる前に、ケチらず、多少金がかかってもレッスンプロの門を叩く方が、結局は長い間のゴルフライフをエンジョイでき、うまくなる近道なのかもしれない。

鉄は熱いうちに打てということか。

悲しいかな、もう遅い。

こうなったら、自分なりのクセを磨いて大らかにゴルフを楽しむ方が、ストレスフリーで潤いのある人生につながる早道かもしれない。

(学23期kz)