三人の財界巨人 その10 藤田伝三郎⑨

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2026年7月 トピックス】

 

◆衰え知らずの事業意欲

偽札事件で逮捕されるも、事業への意欲は衰え知らず。

従来扱ったことのないような様々な事業に手を広げている。

鉱山業にも進出した。

実はこの鉱山業が藤田組の中核事業のひとつとなっていく。

◆鉱業への進出

伝三郎は明治12(1879)年に福岡県・田川の伊加利炭鉱を買収して鉱業に進出する。

翌13年には愛媛県新居郡の市ノ川鉱山(アンチモニー)に投資し、経営に乗り出した。

アンチモニーは活字を作る合金の材料となる貴重な金属だ。

西洋文明の流入とともに書籍用の印字需要の高まりを見越しての投資だった。

この鉱山は小松藩(愛媛・伊予国の東部、現西条市)が開発した鉱山だが廃藩置県後の明治6年に民間に払い下げられた。

明治政府が民間払い下げを行ったのは、官営企業体は赤字体質で採掘スピードも遅かったため、民営にして開発を促進するためだ。

そこでは鉱域借区を巡り山主と紛争が続いていたという。

こうした調停に入ったのが藤田伝三郎。

伝三郎は間に入って調停を纏め上げるのに才を発揮する。

調停に際しては昔からある種、得意な才能を持ち合わせていたようだ。

ここで伝三郎が採掘業者に資金を貸与し、鉱石の売り捌きだけを引き受けて鉱山を軌道に乗せている。

伝三郎の才ゆえの事業の成功だった。

◆秋田・小坂鉱山

明治17(1884)年に藤田組は明治政府から秋田男鹿郡の小坂鉱山、十輪田鉱山(鉛山)など大小の鉱山も官業払下げを受けた。

こうして「藤田鉱業」は銀の生産で実績を築き、銅の生産で日本一の鉱山に成長する。

これがのちの同和鉱業で、2006年に持ち株会社に移行したのが「DOWAホールディングス」だ。

なお、銅採掘の歴史を遡ると、山口の鉱山にも関係なしとはしない。

8世紀の和同開珎や奈良の大仏鋳造に使われた銅は主として長門国で採掘されたという話がある。

◆事業資金問題

伝三郎が事業の間口を鉱山業まで広げていくと、問題になってくるのが資金の不足であり、そのための資金調達問題が浮上してくる。

藤田組の元気がよかったのはどうやら西南戦争前後まで。

その後は偽札の嫌疑がかかったために軍や官庁からの発注が止まった。

こうなると、鉱山に手を広げるにあたり資金不足問題が本格化してきた。

またこの当時の経済環境をみると、明治23(1890)年には日本初の経済恐慌が起き、明治30年に金本位制が実施されたことに伴う銀価格の下落も銀鉱山の経営を悪化させた要因となった。

藤田組が資金の調達に難があったのは、他の財閥のように自前の金融機関を持っていなかったことも資金不足の問題を深刻化させることになった。

では、どこから資金調達したのか・・・

井上馨候の斡旋で殿様・毛利家から借り入れをしたのだ。

つづく

(学23期kz)

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