三人の財界巨人 その15 久原房之介②

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2026年8月 トピックス】

◆久原家

藤田伝三郎のすぐ上の兄・藤田庄三郎が養子に行った久原家とはどのような家だったのか。

なぜ久原家は養子をとったのか。

これには久原家の暗い過去がある。

久原家は佐々木高綱の系譜であると称し佐々木姓を名乗り、石見国美濃郡久原で石見の豪族・益田家に仕え帰農していたが、益田氏を追って山口県東北部、日本海に臨む港村である須佐に入ったという。

その時に姓を佐々木から久原に改姓した。

久原家の初代・勘平治は有能な農民で須佐転入後、役人に取り立てられ裕福な家計を築く。

第十代の半平保繁の時には士分に取り立てられ藩士籍の御船頭を務める一方、浦庄屋という役人を務め、産物から金融までを手広く扱い、家は繫栄した。

しかしこのことが裏目に出る。

不幸なことに、この半平が暗殺された。

犯人の詳細は分からなかったが、久原家の栄華を妬んだ益田の仕業ではないかと噂された。

生前、半平は嗣子がいなかったこともあり、跡取りを早めに決めていた。

こうしたこともありうべしと、早めに段取りを決めていたのだ。

先ずは養女。

義兄で萩の豪商・田村金右衛門の次女・文子を養女に迎えた。

次に養子。

萩城下の醸造業・藤田半兵衛の三男・庄三郎を養子とし、久原家11代として迎え、養女の文子を娶らせた。

後の明治の財界巨人として活躍する藤田伝三郎(藤田家四男)は庄三郎の実弟に当たる。

◆萩に転居した久原庄三郎

半平の跡目を継いだ庄三郎は、養父が不幸に見舞われた須佐を離れ萩に生活の本拠を移し、造り酒屋や醸造業を始めた。

しかし、うまくいかない。

萩城下とはいっても藩主や家臣はすでに居を山口に移しており、全盛期に10万だった萩の人口は、明治に入ると5万へ半減していた。

また、萩はもともと商人の町ではない。

侍の町だ。

侍の町は儒教の町。

そこには士農工商の序列が色濃く残る。

明治維新を成し遂げたのも侍だ。

こうした風潮が強い萩にあって、商人道を目指す者は自ずと外を向く。

ましてや長州・須佐は養父が暗殺されたところでもある。

久原庄三郎には、先に大阪で忙しく働き、手助けを求めている実弟・藤田伝三郎がいた。

伝三郎は軍部からの発注を受け、靴をはじめとした軍需物資の製造を手掛けていたのだ。

このため、庄三郎は藤田伝三郎を頼って大阪に出ることになる。

(学23期kz)

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