三人の財界巨人 その19 久原房之介⑥

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2026年9月 トピックス】

◆黒鉱の精錬

小坂鉱山。

この鉱山の銀の産出には命脈がつきかけていた。

しかしここには無尽蔵の黒鉱がある。

何とか金・銀以外の金属が取り出せないか、模索することになる。

それには技術者が必要だ。

精錬技術が経営に大きく作用するため、藤田伝三郎は意識的に帝大出の秀才を含む技術人を小坂鉱山に集めていた。

小坂鉱山では房之介も含め、ほぼ同世代のメンバーで、黒鉱から安価に金属を取り出すことを検討していた。

外国で用いられている精錬方法を本格的に学びたいと思って試行錯誤しているうちに、房之介は大森鉱山に赴任し、鎔鉱炉に詳しい武田恭作なる人物がおり、さっそく彼を小坂鉱山に回してもらうよう申し出る。

武田は藤田組の身内だ。房之介の2歳上。

三田尻(防府)の生まれで、東京帝大工学部採鉱冶金科を首席で卒業した秀才でもある。

本部の方では、房之介の最後の悪あがきと思ったようで、房之介の要請を受け入れ、武田は明治30年に小坂に赴任させる。

精錬法の試行錯誤が続く。

ちょっとしたきっかけから、技術陣の一人、青山隆太郎が、とうとう外国にある技術「自鎔精錬法」で黒鉱から銅を取り出すことに成功した。画期的な発見と位置付けられている。

◆溶鉱三羽烏

小坂鉱山では本格的な黒鉱の精錬に入る。

武田は明治32年、東京帝大の後輩で、卒論に「自鎔精錬法」を書いた竹内維彦を推薦し、竹内は小山鉱山への入社を決める。

小坂鉱山はこの独自の精錬法により銅の生産を飛躍的に高め、小坂鉱山は復活を果たす。

「羽口炭採用、溶鉱炉による生鉱吹製錬」

・青山隆太郎

秋田出身で古川鉱業の人員整理で藤田組へ入り、房之介と同い年。

・米沢萬陸

秋田出身。房之介より1歳年上。房之介が小坂鉱山赴任時の所長だった仙石亮氏から物理や化学を学んだ。のちに日立鉱山社長になる。

・そして、房之介より5歳年下で、武田の後輩、愛媛出身で東京帝大採鉱冶金科卒の竹内維彦。初代日本鉱業社長。

この三人が溶鉱の三羽ガラスと呼ばれることになった。

竹内が入社した翌、明治33(1900)年の元日、房之介が小坂鉱山の所長に就任する。

(学23期kz)

武田恭作
青山 隆太郎
米沢 萬陸
竹内 維彦

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