◆アームストロング砲の威力
薩摩藩士だった東郷平八郎。
薩英戦争のはなし。
発砲が始まったのは文久3(1863)年旧暦7月2日(新暦8月15日から17日)正午だった。
アームストロング砲の威力はすさまじく、城下は瞬き間に火の海に化した。
薩摩の先込めの砲弾が敵艦に命中したものの、負け戦だ。
薩摩武士は文明の利器の破壊力の凄まじさを肌身で感じ、「攘夷」がいかに空虚な合言葉であったか思い知らされた瞬間だ。
◆切替え
そこからの薩摩の「攘夷」からの切り替え素早かった。
長州と同様、「攘夷」を主張するトップを走っていた薩摩が国禁を犯してまで薩摩城下を火の海にした敵国の「英国」へ学びに向かったのだ。
切り替えのアクションは思い切ったものだった。
これは長州も同様だった。
しかし、特に薩摩は長州と異なり、特有の風土が剛毅さを生む。
湿気の多く猛暑の夏、台風の秋、霜の降りる冬、桜島の噴火、地味の痩せたシラスの土壌、雨が降れば流れる土壌。
こうした荒れた風土での合言葉は、「負けるな」、「恐れるな」、「団結せよ」だったという。
特に薩摩では「恐れるな」という言葉を好んだ。
「貧しさを恐れず」、「敵を恐れず」、「死をも恐れず」。
◆青少年育成の掟
兵児(へこ・青少年)を逞しく育てるために造られた修養掟がある。
これは肥後との境にある「出水(いずみ)市」の出水兵児修養掟。
県立泉高等学校の校門に掲げられているという。
現代の大人にも通ずる、よくできた教えだ。
その教えは、以下のとおり。
士とは節義を嗜み申すべく候
節義の嗜(たしな)みと申すものは
口に偽りを言わず
身に私を構えず
心直(すなお)にして作法乱れず
礼儀正しくして 上(かみ)に諂(へつら)わず
下(しも)を侮らず
人も患難を見捨てず
己が約諾を違えず
甲斐甲斐しく 頼母しく
かりそめにも下様の賤しき物語り・悪口など話の端にも出さず
たとえ恥を知りて首刎(は)ねらるるとも、己がなすまじきことをせず
死すべき場を一足も引かず
その心 鉄石の如く また温和慈愛にしてものの哀れを知り 人に情けあるを以て 節義の嗜みと申すもの也
東郷平八郎はこうした薩摩の地で育った。
(学23期kz)


