幕末官僚の優れ者(その1) 川路聖謨②

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2024年 5月トピックス】  

◆プチャーチンの秘書官・ゴンチャロフとは

川路の人物を描写し、後世に伝えたのはイワン・アレクサンドロウィッチ・ゴンチャロフ。

ゴンチャロフがプチャーチン提督秘書としてパルラダ号に乗り込んだときはロシア大蔵省貿易局の係長であったが、当時既に文学作品も何冊か発表しており、文壇的にも認められていたという。

ゴンチャロフは母を亡くした精神的な打撃を受け、役所勤めに支障を来し、文学作品を書く筆も止めていた。こうした時に友人から遣日使節プチャーチンのために渡航記録を作る秘書を探していることを聞いた。

こうした精神的に塞いだ時期に広い海、遠い国々、見知らぬ人々。特に日本への遠征は「鍵をなくした玉手箱」であり、世界中に残されたほとんど唯一の謎の国たる日本の門を開くべき使命を持つものだ、として大いに食指が動いたようだ。

そこで秘書官に応募したところ、大蔵省在勤17年子経歴から来る該博な造詣、本格的な語学力、優れた文学的才能から直ちに採用となったという。

◆川路の評価

川路はどの任務に就いても、日本のどこで仕事をしても、評価はすこぶる高い。

勉学に長け、ウィットのある川路はどこに行っても人気があり、川路を迎える方は川路を放したがらなかった。

この時代の知の巨人であり、辛口の横井小楠をして「非常の英物なり」と言わしめた。

外国との関係については消極的開国派と位置付けられるが、幕府を背負う立場からすると、

これまでの幕府が行ってきた事、諸関係の継続性という立場からは、こうしたスタンスは致し方のないところだろう。

◆幕臣の川路、あくまで幕府と共に

しかしこうした川路も将軍継承問題で、引っかかってしまう。

それでも川路は最後まで幕臣のど真ん中に居た。

安政の大獄で閑職に左遷され、桜田門外の変で再び、外国奉行・勘定奉行につくが、卒中を患い半身不随となる。

慶応4年、江戸開城3月15日、江戸城開城を前に自宅で自害。

左半身不随のため、右手一本で割腹し、さらにピストルで喉を打ち抜いて果てたという。

幕府に命を奉げた川路らしい壮絶な最期だ。

川路聖謨を描いた小説に吉村昭の「落日の宴」がある。

(学23期kz)

ゴンチャロフ

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