「襤褸は着てても心は錦」・・・80年代・・・そんな就職活動

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2026年3月トピックス】

岡山支部 岡山Bさんからの投稿

この頃は年間を通して就職活動が行われていると言う。3月は既に三年生の活動もかなり進展していて、最終面接を受けたり、最終決断を学生に迫る企業さんもいるようだ。

現役の三年生の皆さん、就職活動のご健闘を祈ります。そして、鳳陽会同窓各位はみんなで応援します。

80年代の就職活動において、「就職活動解禁日」(10月1日の設定)と言う企業側と学生との”一つの紳士協定”があった。だから、学生も4年生の6月くらいまではあまり就職活動を意識することはなかったように記憶している。(就職した先輩が帰山して、ご馳走になる絶好の機会でもあった)

かなり晩熟(おくて)の学生だったのか、友達の下宿で友が既に就職活動に動いている話を聞いて、のそのそ動き出した。本腰を入れて活動したのは8月の夏休み後半だった。(今の”情報の重要さ”をその時に知っていたら、その時点では何たる不覚か・・・)

最終的に就職する企業、採用試験の内定までは一週間ほどの最速であった。反対に言うと最終戦に無理やり参戦した状態だったかもしれない。

バブル期前頃から初期のリクルートファッションなるものが存在して、今では服の量販店も百貨店もそれなりの体制が整っている。

40年前の自分の場合はどうであったか?

二十歳の成人式というタイミングで背広を着るのが初めての機会。その背広をもって就職活動をするのが当たり前という考えであった。濃紺のシンプルな「YA体」のもの。

移動する時の書類入れは、学食の一角にあった購買で求めた青色のビニール製の袋、その一袋のみ。あと、採用試験が進み、宿泊を伴うような遠距離の旅に出るときはオレンジ色のスポーツバック。

今はリクルートファッションなるものと比較すべきもないが、何たる姿か!(笑)「襤褸は着てても心は錦」・・・そんな就職活動であった。

しかし、こんな学生は他にもいた。入社することになった企業で同期となった樽大柔道部主将はほぼ同じ様子であった。自分は時流に負け、就職してからはフレンチコートを買った。しかし、樽大出身の彼は背広の上に大学時代の薄手のジャンバーのみ。

(硬派中の硬派!しかし、冬になると北海道育ちの彼はスキー場ではヒーローとなる)

昨今の国会のやりとりの中で、ある議員が高市総理に「訪米する際は日本で最高品質の服を着て米国大統領に会ってください」と言う。高市総理の答弁は「そのような趣向をあまり持ち合わせていない。そして、物持ちがいい方で、良いものを長く着るタイプだ」と答弁する。

ある議員の質問には、米国では”出来る人は見た目が大事”という背景がありそうだ。

前期高齢者に足を踏み入れようとする今はどうか?

少しは見た目を気にするようになった。書類入れもビニール袋からそれなりのものを数種類持つようになった。鞄も何種類か持っている。

社会人生活、そして、カミさんの養いが良かったのか体格は大きくなった。背広は「YA」から「YA⇒A⇒AB⇒B⇒BB)そう、「BB体」に落ち着いてきた。(人間の盾とも言われることがある機動隊でも〇暴でも勤まる体格)

まだ吊るし物の背広でも何とかなっているから、経済的だ。(勿論、フルオーダーといった贅は尽くしていないが、セミオーダーまでは懐の紐は緩めたこともある)

そんな風に時代に流され、また一部では抗いながら生きている。

「「襤褸は着てても心は錦」」ここは変わってはいない。「一本どっこのうた」(一本独鈷)を心の中で歌い続けることとなるのであろう。

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