10・8決戦(中日vs巨人)

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2023年 8月トピックス】

今季のセ・リーグは広島東洋カープが阪神タイガースを追っていますが、岡田阪神、安定した強さで逃げ切りそうな勢いです。
パ・リーグはオリックスが今年も強いですね。

10・8決戦は1994年10月8日に行われた中日ドラゴンズ対読売ジャイアンツが日本プロ野球史上初めてシーズンの勝率が同率首位で並んだチーム同士での最終戦直接決戦となった試合です。

中日は高木(守道)監督、巨人は長嶋監督でした。
私が広島勤務していた28年前のことです。
私は最終決戦を前に、地元名古屋での最終決戦となることや、巨人キラーの今中の先発が予想されるということで、下馬評も中日有利ということで、7割方優勝を信じていました。

それでも勝負事、緊張しながらも、ラジオ中継、その後、テレビ中継を食い入るように観た記憶があります。
中日が優勝したら、優勝決定後に歓楽街の広島の流川に繰り出し、思い切り祝杯に酔えると楽しみにしていたし、行きつけのスナック2店には大判振る舞いの大量のボトルキープの約束をしていた。
ところが、巨人の4番の落合にライトに先制ホームランを打たれた。
又、序盤の二塁ランナーの中村が牽制で痛いアウトになった記憶や落合が立浪の打球の捕球の際、足を滑らせて負傷退場した記憶が鮮明に残っています。
それにも増して覚えているのは、ラジオを聴いていて、中日の今中がノックアウトされて、中日の投手コーチがマウンドに向かったが、NHKのラジオ解説をしていた星野仙一さんが、「あの中日の投手コーチは何だ。マウンドに向かうのに下を向いて行っている。」との叱責であった。
その中日の投手コーチが、お付き合いがあったTさんであった。
敢えて星野さんは明治大学出身で子飼いだったTさんの名前を言わなかったのである。
打撃コーチだったKコーチ、バッテリーコーチのIコーチとも当時は広島遠征で来広の度に飲み歩いていた。
(写真2枚目の後列3人は広島・流川を飲み歩いていた頃の3コーチです。メガホン持っているのが私です。)

中日は3-6で最終決戦に敗れ、勝利の女神は微笑まずに、それから一週間は、私は会社に行っても、悔しさと意気消沈から、ほとんど死んでいた。
後にも先にも、31年間、中日を応援していてこれ以上緊張した試合もないし悔しい思いをしたこともない。
その後、10・8の屈辱を思い出しては、アンチ巨人の思いは強くなり、あの日のリベンジの日々は続いていて中日を応援しています。
私がその後、中日の監督だった落合監督を好きになれなかったのも、あの10・8の怨念かもしれない。(笑)
そうそう、広島市民球場に特注の中日のユニフォーム姿で応援に行っていた頃、試合が終わって帰る際に、ファンから高木監督に間違えられたのを思い出しました。(笑)
(頑固な風貌と重い背番号87ゆえに)
写真1枚目はドラゴンズが1999年セ・リーグの優勝を決めた翌日の横浜ベイシェラトンホテルでの写真
(学22期 Y・Y)

※コメントを宜しくお願いします。
①トピックス末尾の「コメントを残す」欄から。
あるいは
②私のメールアドレスへ
0rb6672r388367t@ezweb.ne.jp

コメントを残す