日本人論の欠片 その17 きょろきょろ論①

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2025年2月 トピックス】

学23期kz

◆きょろきょろ論

これまで私も日本人論―ジャパノロジーに興味があり、色々な機会に日本人に特有のことがらに関心を示すようになった。

日本とは何か。

日本人とは何か。

日本人は他国と比べてどこがどのように異なり、どのような特徴を有しているか・・・

そもそも、私のこうした疑問からして、まわりを見渡し、きょろきょろしているのだ。

思想家として名を成した丸山眞男が言う。

「あっちきょろきょろ、こっちきょろきょろの日本人」

要は、日本人は絶対的な指針、絶対的な規範を持っていないことを

指す。

すなわち、こうした規範や指針が日本にはなく、こうした指針を持っているのは、絶対神、唯一神を持つ国だと。

確かにキリスト教やイスラム教を信仰する国とは違い、生まれたときから宗教の習俗にも浴さず、親・兄弟や親戚からの宗教的な導きもない。

ただ人道的な教えや教訓は五万とある。

しかし、宗教がないので経典もない。

このため、規範を求めようとしたときには、きょろきょろして、自分以外の優れていると思われる他者に、また先進的と思われる他国に、規範を求めがちになるとする。

◆「流行りもの」

こうした日本にも、精神的な拠り所を一時的に、あるいは疑似的にもたらす「流行りもの」がある。

一昨年前に生誕100年を迎えた国民的な作家・故司馬遼太郎が言う。

阿弥陀様を絶対のものとする一向宗の一向一揆、切支丹、尊王攘夷あるいはマルキシズム・・・

これらがその「流行りもの」だと。

確かにこれらは、一時的に流行った時期がある。

インフルエンザのように。

しかしそのいずれも、一時期のものに終わった感がある。

なぜなのか。

なぜひと時の「流行りもの」で終わったのか。

◆定着しない「流行りもの」

この流行りものは、その時の既存の風習や固定観念を打ち砕き、新たな社会を築くかもしれない「梃子」、「起爆剤」の役割を担って、市民に迎え入れられたのだろう。

しかし日本の風土にはそうした「流行りもの」が定着したとはいえない。

まさに「ブーム」に過ぎず、実際見事に定着しなかった。

従って、ブームが過ぎると、また拠って立つ、次の新し拠りどころをきょろきょろ探すことになる。

(学23期kz)

丸山眞男

司馬遼太郎

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