日本人論の欠片 その17 きょろきょろ論②

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2025年2月 トピックス】

学23期kz

◆一神教としての「神」なき民

逆に言うなら、主だった諸外国は一神教の神を持ち、絶対的な指針が示され、規範を有す。

きょろきょろと辺りを見渡す必要がない。

戦時に挙国一致が要求される場合、そうした意識を促すのに有効な殺し文句があったのはご存じの通りだ。

「世界の常識を知らない日本でよいのか」、

あるいは

「世界の標準からこんなに遅れている」。

あくまでも基準、規範の基準を外国に置いている。

今でもこういう煽り方もある。

「バスに乗り遅れるぞ」

われわれ絶対神なき民は、この手の煽りに弱い!

とんでもなく弱いのだ。

◆山本七平がいう「空気」

もう一人、日本/日本人論に関して独自の見解を主張する山本七平がいる。

「空気の研究」で有名だ。

太平洋で大きな戦争をしておいて、誰が当事者なのか明確ではなく、誰からも「我こそが、責任をもって戦争遂行を決定した」という言葉が出て来ず、戦争責任者の確証があいまいになっている。

証拠、その証言が出てこないのだ。

膨大な決済文書に、多くの印が押されたにも拘わらず。

戦後、戦犯が裁判を受けた際には、戦犯の皆さんが一様に「私自身は戦争には反対だった」と陳述したそうだ。

何となく、何かに押されるようにずるずると戦争になってしまったと。

犯人は、場の雰囲気であり、その場の空気だとでもいうように。

これは、自分が拠って立つ明確な主義・主張がない、あるいは主義・主張が希薄ためで、ポリシーを生み出す絶対的な根拠に欠けることによる。

あれだけのことをしておいては、無責任と言われても仕方がないじゃないか。

そう、極めて無責任であり、いいかげんと言われても仕方ない。

◆融通無碍

しかし、宗教から自由であること、思想信条から自由であること、行動も自由であることは、存在なり行動が融通無碍であるということと同義だ。

考えようによって、これは愉快だ。

水のように、どのようにでも変化でき、変化に強いという言い方もできる。

災害が起きた後の復興は目覚ましく、世界の賞賛を得ているものが多い。

こうした日本の素早い復興、一心不乱の秩序立った、官民一体の復興は高い評価を得ている。

(学23期kz)

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