トランプ劇場 その⑦交渉は正攻法で

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2025年7月 トピックス】

◆トランプ劇場

同盟国を含めた一斉関税引上げ、米国民の分断をもたらす大幅減税断行、金融政策への介入(FRB議長の進退)、大学への財政支援凍結、また国際的にはエルサレムへのイスラエル大使館移転、地球温暖化など国際的な協定からの離脱。

このほか、世界の警察官をやめモンロー主義に向かうのかと思いきや、イスラエルへの積極加担、ロシア・ウクライナ問題への介入にイラク空爆と縦横無尽な策を繰り出すトランプ大統領。

当人は気分が良いに違いない。

誰も咎める者がいないのだから。

◆いきなりパンチ

関税引き上げの例。

3桁の国を相手に関税上げを敢行した。

外交儀礼などには一切顧みることなく。

クラスメイトをいきなり殴るようなものだ。

殴った後、出方によっては交渉に応じるという非常識なスタイルだ。

非礼極まりない。

ブラフをかませた後は引いてみる。

「TACO」と言われているが、チキンアウトではない。

単なるディールに過ぎない。

最初は敢えてディールで高めのボールを投げておき、相手が了承すれば「Done!」。

そうでなければ、後にゆっくりと調整する。

朝令暮改とも揶揄されるが、この柔軟性たるやチーム・トランプの真骨頂だろう。

もともと、高めのボールを投げているのだ。

この過程はディールそのものと言っても良い。

◆交渉相手国は・・・

交渉相手の交渉スタンスはどうか。

特に我が国の交渉スタンスはどうか。

機敏に対応しているか。

相手国の主張を黙らせるような切り返しをしているか。

相手に響くような交渉のタマを用意しているか。

「●●だけは絶対に飲めない」という国内票を意識した、頑なな交渉態度でよいのか。

そもそも我が国は、政府の特別チームとして米国と交渉を行う体を成しているか。

参院選前だから動けないのか・・・

・・・このように疑問点はあまたあるが、これらについて私見を述べるのは差し控える。

◆初めての交渉マターに非ず

日米貿易赤字、特に自動車の問題については、何十年も前から交渉してきており、ノウハウも相当蓄積しているはずだ。

また、今、米国から持ち掛けられたのは、関税マターだけではなく、安全保障も含むより包括的なものだろうが、これについても日米間の安全保障、防衛問題について今回初めて議論される問題ではない。

最近では安全保障関係が流動的になっており、これを機会に再検討すべき事態になっている。

中国の東シナ海、台湾付近での軍事拡大が目立つ。

北ではロシアがおり、北朝鮮もいる。また、両者は軍事協力しているというではないか。

隙あらば数ミリづつでも迫ってくる。

こうした中での我が国の安全保障問題も考える必要がある。

日米安保で、トランプ大統領は「片務的」としているが、基地提供もしており、10年前には安保関連法成立で「片務性」の問題が解消に向かった。トランプ発言の認識不足、勉強不足を日本の公式見解をもって、なぜ咄嗟に指摘し、認識不足を正さないのか。

国際情勢は変化している。特にアメリカは変質した。

トランプ大統領が変質させたのではなく、オバマ大統領が「世界の警察官」を辞めると宣言したのだ。

ドイツもエネルギー供給国として正面対立を避けていたロシアへの認識を変え、とうとう防衛強化にを大きく舵を切った。

我が国としては、ドイツをマネしろとは言わないが、中国の軍事攻勢、ロシア・北朝鮮の動き、こうした中での米軍による防衛プレゼンス後退という状況を踏まえ、、自分のアタマで熟考する時が来たのではないか。

米国への過度な依存からの脱却について模索する話だ。

米の問題・・・米国から買う「米穀」問題も、数十年来、何度も米国から申し入れされていたイシューだ。

◆正攻法による正面突破の姿勢で

今後の対米交渉では、正面から自由貿易正の正論を主張し、トランプ政策の非を正すのはどうだ。

米国を除くG7もEUも、そしてアセアンも韓国も賛成するぞ。

中国だって賛成だ。むしろ中国はこのところ欧州と融和的になっているではないか。

もちろん自由貿易を標榜する国際機関・WTO(世界貿易機関)も諸手を挙げて賛成してくれる。

米国が頑なに自由貿易を捨て、安易で無謀な高率関税を振り回すなら、変質した米国を外して自由貿易陣営を組み立て直すというのも有力な選択肢のひとつになると思う。

こういう状態になれば、米国も関税の防御壁で身を固めることは止め、こちら側になびいてくるはずだ。

米国も単独で生きて行けないのだから。

(学23期kz)

随筆 横目で眺めた経済学 ⑩不況への対策

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2025年7月 トピックス】

◆社会人になって「経済」に関わるようになった。

私が関わったのは経済学のジャンルでいえば、マクロ経済、財政、税制、統計学、雇用、国際経済。このほか経済史や各国の地域経済にもかかわった。

もちろん経済・財政と切っても切れない関係にある金融の世界も勉強した。

◆景気対策の現場

経済には浮き沈みがあり、不況の到来は避けがたい。

かつて世界経済は大変な時があった。1920年代末から10年ほど続いた大恐慌で、「4人に一人が失業」と言われた時期だ。

日本経済も大きな荒波をかぶった時期がある。

2度のオイルショックにより物価上昇率が加速、消費は落ち込み、企業の業績も悪化し、高度成長を続けていた日本経済が戦後初めてマイナス成長となったのが1974年、昭和49年だった。

こうした事態になると、景気対策を求める声が上がる。

失業者や、業況が悪い企業から、景気を何とかしてくれとの要望が押し寄せる。

また、政治の世界もこうした事態を強く憂慮する。次の選挙が戦えないからだ。

◆政府投資

景気が悪いまま市場に任せておいても、ただちに事態は変わらない。

この時には政府の出番だ。

景気対策を打つに当たっては、各種ツールがある。

規制緩和、金融緩和などもあるが、これらが景気に与える影響は間接的であり、このため時間がかかる。

景気対策のうちで最もインパクトがあるのが財政出動、いわゆるケインズ政策であり、減税よりも公共投資の方が、インパクトが大きい。

通常は市場に任せ、不況になると財政出動で需要喚起を行う。

「市場任せ」と「政府の出番」とのハイブリッド、いわゆるサムエルソンに代表される新古典派総合の世界だ。

昭和の時代は社会資本が不足しているということも背景にあったため「ケインズ主義による公共投資」が多用された時代でもあった。

◆セイの法則を超えた失業

ケインズ理論が脚光を浴びたのは大恐慌からの脱却策が契機だろう。

需要も供給も地域的に限られ、プレーヤーが少数であるような牧歌的な時代は価格・賃金・利子率の伸縮によって経済の均衡がもたらされ、供給が自ら需要を作り出すといったセイの法則が妥当したかもしれないが、経済が急速に発展し、また機械化に伴い供給力の水準も恐ろしく高まった状況では、モノがあふれ、市場で捌けない事態が生じる。

こうした状況では、市場に任せておけば、いつまでたっても景気は戻らず、失業者は職に復帰できない。

こうした牧歌的な時代から急速に経済が発展すれば各所で目詰まりが起きる。こうした時代が20世紀に到来したともいえる。

失業というのは深刻で辛い。家族にも深刻な影響を及ぼす。

こうした長期不況、それに伴う失業は見えざる手が支配する古典的な世界からすると「不都合な真実」にあたる。

こうした事態が生じた場合は政府の出番となる。

財政出動によって景気を取り戻すことが政策的に重要になった。

日本の当局においても、経済を運営するにあたり、景気対策を講じる事態が生じた場合、経済対策の根拠、正当性を主張するために、経済・財政理論を固めておく必要があった。

つづく

(学23期kz)

令和の米騒動

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2025年7月 トピックス】

岡山支部 岡山Bさんの投稿

令和の米騒動、備蓄米の放出等で話題に事欠かない毎日ではある。

一連の米作りの作業に携わったことのない政治家が、官僚の事務方の資料に、またある筋のコンサルの提案に軽率に左右されたりすると怪しくなる。

(現場を深く知る、現場の声に耳を傾ける。セレモニーとしてでなく)

もとより、このコメ不足の時に「家には売るほどお米がある」と口にしてしまう、農水族には信頼が厚い政治家でもどうかとなる。

米作りには様々な工程がある。ある時、農機具メーカーの営業マンが言つた。

「農業はある意味”百”の才能(百人の知恵)を持ち合わせていないと上手くいかない、百姓(百人の知恵)の生業である」と。

そう言われれば、種から苗、苗から稲、機械について、天候について、肥料について、農薬について、害虫、稲の病気について、土壌、土質について、農業土木、農業会計について等々、主だったものをあげただけでも、それを個々に極めようとするとあたかも総合大学の感がある。

「壁がある!だから、いく!」の宣伝で、2018年日経広告賞も受賞した企業のホームページには、その昔の米作りの過程を上手く纏めてあったので、長くなるが後掲してみよう。

種籾の選別から始まり、お米を収穫した後の藁細工のことまで記載されており、一連の流れが俯瞰できる。

通常稲の生育は、水稲(すいとう)と言う形をとることが多い。つまり、稲は水田に田植えをし、途中の工程では、水の管理をしながら、根(株)を太らせ、稲の背丈を伸ばし、稲の穂が出て、花が咲き、成熟期、黄熟期を経て、実りの秋を迎える。

その過程で最も大切なのが水の管理であると言われている。将に水稲なのだ。

田圃一杯に水を張り、溜め、ある時期は途中で水を落としたりする。また稲の成長途中に田圃の中に立ち入り、溝切作業と言ったひと手間ひと手間を加える。

それは除草と土用干しを兼ね、またその後再び水溜をしたとき、その溝によって、水が全体の面によくいきわたるようになる。その手間は何もしない水田に比べ、何倍にも豊かな水田を保つこととなる。

(特に今年のような高温、そして水不足も懸念されるときは)

一方、籾米をいきなり水田に直播し、後の水管理もせず、籾本来の生命力に任せる栽培方法もある。育苗、田植えの省略により稲作の大規模化・低コスト化・省力化のためのキーテクノロジーとして、有望視されている技術とも言われている。しかし、昔ながらの米作りの視点からするとあまりに田圃に、稲に負荷をかけすぎているのではないか…

昭和の終わり時期に地元にいた米作りがうまいと言われていた年配の伯父さんは朝夕自転車で田圃を見回るのを日常としていた。そして、気になる所では自転車を止め、田圃の水面に手を差し出して、水の量、その温度を確かめていた。きっと、その裏には前述の百姓としての知恵で、今後の天候、雨量の予測をもして、調整していたものと思われる。手を差し出すことにより、水の量、また温度から”田圃の声”を聞いていたのかもしれない。

ここまでくると何処か人材育成にも繋がる様にも思える。

蛇足

温室育ち、また稲にとって過剰に環境を整えることが、丈夫で実りある稲の成長につながるとは言い難い。むしろ、敢えて「獅子は我が子を千尋の谷に突き落とす」

今の時代だと少し上席にある人が後進の指導に強く出ると「パワハラ!」「パワハラ!」と言われかねない時代でもあろう。しかし、後の時代での成長に必要な事項は、適宜、時には辛い判断をしながら”千尋の谷”も避けない時もありそうだ。

昔百貨店で”魚沼産のコシヒカリ”が何種類か販売されていた。同じ”魚沼産のコシヒカリ”なのに表示されていた価格には倍半くらいの価格差があった。

何故ですか?と売り場の店員さんに問い合わせると、同じ魚沼産と言っても水系(水質)によって、最上級のブランドでも米の味に差が出てくるんですとの答えだった。

農家の人がすべてそうだとは言えないが、お米作りについて、ある話を聞いた。

自宅で消費するお米は、水系は源流に近いところのもので、そして手間だけど出来れば天日干しの稲架(はぜ、また、はさ)掛けのお米を自家消費していると。

種籾(たねもみ)の選別と種まき→鍬(くわ)や鋤(すき)を使った「田起こし」→さまざまな鍬(くわ)を使った畦(あぜ)塗り→馬鍬(まんが)が活躍した「代掻き(しろかき)」→正条植えによって変化した「田植え」→桶や水車を使って行った「水の管理」→「草刈り」のために開発されたさまざまな農具→自家で作られていた施肥(せひ)→毎年、夏に行われた「虫追い」→中干し(土用干し)と稲の開花→鎌を使った手作業の「稲刈り」→天日での乾燥と稲の運搬→時代とともに変化した「脱穀」するための道具→さまざまな道具を駆使した「籾の選別」→臼を使った「籾摺り(もみすり)」→玄米をついて糠(ぬか)を取り除く「精米」→農家の生活用品になった「藁細工」→餅を供えて収穫への感謝

(筆者は、小学校時代に上記内容の「精米」の項以外は大人の真似事であったかもしれないが体験したことがある。今は田植え機による田植えは苗の田植え作業にとどまらず、一工程の中に追肥、除草材の粒剤散布により同時にこなしている)

写真解説

①溝切作業まで実施した水田 灌水をしないと水が維持できない条件の厳しい田圃
②溝切作業未実施水田 水利がすぐそばにある
③水管理が十分でない水田
 同じく水利はすぐそばにあるが水管理が足らない 

お知らせ 山口市の名産品フェア(7/18~19)

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2025年7月 トピックス】

山口県東京事務所から下記の通り、山口市の名産品フェアの開催案内が届きましたのでご紹介します。

(鳳陽会東京支部事務局)

  記

山口県アンテナショップ「おいでませ山口館」において、期間限定で普段販売されていない山口市の名産品を展示販売する「山口市の選りすぐり!名産品フェア」を開催します。
なお、期間中は、毎日先着100名様に山口ごま本舗の「有平糖」をプレゼントします。

                  
1 日時 令和7年7月18日(金)〜7月19日(土)
     午前10時30分〜午後7時まで 店頭にて販売促進活動を実施します。
     ※山口市の名産品は7月31日(木)まで、館内中央催事場にて販売します。

2 場所 おいでませ山口館(中央区日本橋2-3-4 日本橋プラザビル1階)
     TEL 03-3231-1863

3 内容 ① 山口市の名産品を販売(下記チラシ参照)
     ② 期間中、毎日先着100名様に山口ごま本舗の「有平糖」をプレゼント。

令和7年度山口七夕会年次総会・懇親会

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2025年7月 トピックス】

令和7年度山口七夕会年次総会・懇親会

◆令和7年度 山口七夕会年次総会が7月5日(土)10時30分~飯田橋のインテリジェントロビー・ルコであり、昨年に続き4回目の出席となりました。(2022年5月末入会)

◆総会第一部は議長役の秋草史幸会長の挨拶で始まり、令和6年度事業報告、令和7年度事業計画等の議事進行、会長・評議員・監査役の選任があり、本部役員・ふるさと山口本部役員紹介がありました。
(司会進行、藤井謙志本部長、申神正子本部長)
再選された秋草会長は私共が経済学部で経済史を受講した秋草実教授のご子息です。
第二部は山口市役所が担当され、新市庁舎となった伊藤和貴山口市長のご挨拶及び入江幸江市議会議長のご祝辞がありました。
山崎直和山口県東京事務所長の祝辞と続きました。
その後、山口七夕ふるさと大使の任命がありました。

◆休憩を挟んで、株式会社地球の歩き方の由良暁世編集長による講演会「地球の歩き方 山口市」制作記念講演~地球の魅力の見つけ方~が50分間ありました。
地球の歩き方は1979年にダイヤモンド社グループで始まり、今年で46年になります。
2021年1月に学研グループに事業譲渡され、続けられています。
私も30代後半に香港・マカオ、台湾に旅行した時に其々、事前に購入しましたが、大変役立ちました。
旅行者目線で日本から現地に行き、日数をかけて取材されているとか。
編集長談として「地球の歩き方 山口市」は今年の10月9日販売予定で、山口市の人口は19万人ですが、1万5千冊の購入を予定しているとか。
山口七夕会に参加した会員には10冊購入した場合は当日特典として定価2千円の20%引きとのことで、1冊1,600円となりますが、私の方で10冊纏め買いしましたので、一報頂ければ実費でお分けします。

◆関 周幹事長の司会進行で昼食懇親会に移りました。
今回は同じテーブルとなった初対面の方5名の方と名刺交換し、お話をしました。
終盤、Facebookで友達になっていただいている某国会議員の秘書の方で、実家が山口市下竪小路出身で、学生生活は仙台で過ごされ、昨年盛り上がったN氏と再会することが出来ました。
参議院議員選挙の選挙期間に入っており、今回はいくら何でも出席されないと思っていましたので、吃驚でした。
律儀な某国会議員の配慮を感じました。
山口市ふるさと納税のご案内、おいでませ山口館“市町フェア”PRと続き、大変な盛り上がりの中、山口市総合政策部岡村萬利雄部長による中締めとなりました。

◆山口市幹部職員を含めて、多くの会員の方が出席され、盛り沢山の趣向を凝らした企画の数々に首都圏から山口市を応援する弾みになりそうです。
私は大学時代に5年間在籍しただけの山口市ですが、山口七夕会に入会させて頂き、こうして交流会やイベントに出させて貰うだけでも誇りに感じ嬉しいです。
(学22期 Y・Y)(会社法、永倉ゼミ)
※コメントを宜しくお願いします。
①トピックス末尾の「コメントを残す」欄から。
あるいは
②私のメールアドレスへ
0rb6672r388367t@ezweb.ne.jp
③携帯番号090ー4446ー1554

トランプ劇場に思う その➅身勝手な正義

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2025年7月 トピックス】

◆常識外れのあの手この手

先日米国がイランを空爆した。

なんと無謀なことを・・・とは思う。

まるで仮想空間ゲームをするように。

しかも自由主義国のトップリーダー国の大統領がやっているのだ。

湾岸戦争の時のブッシュ大統領の時もそうしたこともあるにはあったが、トランプ大統領は就任から半年で、多種多様な政策を矢継ぎ早に繰り出している。

権威主義国よりも大胆な策、また、これまでの国際常識からは考えられない策を次々と。

しかし、トランプ大統領なりの公算があってのことだろう。

大統領も二期目なのだから。

◆国際世論やG7諸国も無力

世界はトランが繰り出す政策に対抗するすべを持っているのか。

そうではない。

G7諸国もアメリカの動きを止めることもできない。G7会合への欠席、共同声明も出せない事態に対して、何もできなかったのだから。

では米国内で、トランプ大統領を抑えるような動きが出ているのか。

関税引き上げで困るのは、値段が上がった輸入品を買わざるを得ない米国の消費者であり、7月4日に成立した減税法案に伴う支援縮小で割を食う米国内の低所得者だが、彼らからブーイングの嵐は沸き起こっていない。

どうしてこういうことになったのだろう。

◆情報の流れ方の変化、溜まり方の変化

トランプ大統領の主義主張にどれほどの真実、どれほどの正義が含まれているか。

誰も答えを持っていない。

真実と虚偽

敵と味方

正義の在りか

これまで真実と信じられていたものが、そうではなくなってきており、これまでと比べて、答えが見えにくくなってきている。

敵と味方も曖昧になり、正義の在りかも誰も主張することができなくなってしまった。

恐ろしいことになった。

◆困難な真偽の見極め

専門家は温暖化の原因として二酸化炭素説を挙げるが、それが原因ではないとする主張もある。

砂糖の代わりの甘味料のサッカリンが身体に有害か否かという議論もあるように。

著名な学者が意見表明をしても、そうした表明は絶対のものとは受け止められにくくなっている。

誰が真実を語り、誰が真実であることを保証するのか。

また厄介なのは、SNSが発達した下ではSNSを扱える者一人一人が主役になったことだ。

こうした世界では真実は霞み、往々にしてデマや根拠のない主張が発言力を得勝ちになる。

権威主義国がこうした状況に油を注ぐ場合には、さらに手の施しようがなくなる。

このようになった民主主義国での真偽の見極めは、権威主義国以上に困難を極める。

これとは逆に、似通った意見を見つける場合には、アルゴリズムもあり、AIの助けもあって、容易に味方を見つけ、意見を形成することができ、こうした力が急に力を持つ場合も出てくる。

こうした状況がトランプ大統領の常識外れの策に有利に作用し、命を与えているようだ。

(学23期kz)

露天風呂の日 その➁

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2025年7月 トピックス】

岡山支部 岡山Bさんの投稿

前稿でご褒美の露天風呂無料利用可の話を出しておきながら、その内容に記載をしないのは「画竜点睛」を欠く感があり、自分自身すっきりしない。

そうなら、個別の宣伝(営業)にならないように、注意して記載してみよう。

湯原温泉の露天風呂の起源ともなった「砂湯」はダムの真下横、その川面と同じ高さにある。湯量が多く、良質なアルカリ性の高い泉質で肌ざわりがなめらか、ぷくぷくと川底から湧き出る温泉からできた天然の大露天風呂「砂湯」は温泉街のシンボルである。これだけでも野趣あふれ、十分魅力ある温泉だ。

更に地元の協力によって24時間無料で開放されているので、いつでも大自然の中で天然温泉が満喫出来る。

全国露天風呂番付「西の横綱」、美人の湯・子宝の湯・長寿の湯という、温度の異なる湯舟で楽しむことが出来るから、週末は老若男女問わずの入湯客、来客万来である。

しかし、唯一の難点は、ダムの真下の川面と同じ高さの露天風呂。大幅な雨量が予想される場合、ダムの本来の機能、また宿命でもある強制放流がなされ、その度に、露天風呂は土砂に洗われ、埋もれ、脱衣所は倒壊する。

(最近はワイヤーで脱衣場自体を吊り上げる方式にはなっている)

しかし、何十年かに一回の災害、式年遷宮ではないが、その度毎に町の人の寄進、奉仕活動で再建され続け、今の、そして今日の「砂湯」がある。

その砂湯の対岸と少し高台にあるのが「数景」という宿である。

吊り橋を渡った先にある宿は落ち着いている。内湯、サウナ、サウナ上がりの水湯は古びた檜のものである。長い年月の間にヒノキの木材の角が取れ、香りも抑え気味なのがまた趣があるといえよう。

(縁起のいい数字は「八」とも言われる)

露天風呂は先の砂湯を眼下に眺めながら入浴できる。また、寝ながら入湯できるタイル敷きのソファーも用意されているので、川風にあたりながら長湯を楽しむことも出来る。ここまで情景が整うと普通の湯でも効用あり!といえる。

偶々何度か宿泊をしたことがあったので、その良さは既に知っていた。

(会社の用務や地元の行事で利用、自らの財布のがま口ではほぼない)

料理の良し悪しなど評する筆力がないので、記載はしない。しかし、世間一般では、令和の米騒動、備蓄米の流通等々お米の話題に事欠かない昨今だから、お米については少し案内をしよう。朝は宿入り口にある竈で薪をくべて、釜炊きのご飯が供される。そして、ガス釜や電気釜ではもう味わえなくなっている「お焦げ」を盛り付けてくれる。

昭和30年代の生まれの自分でさえも、土間にあった自宅の竈から炊き上げられた釜炊きご飯、そしてお焦げ、今は亡き母がそっとよそってくれた茶碗一杯のおいしさの郷愁を誘う。

折角の露天風呂の日、露天風呂の渡り鳥にも挑戦をしてみた。

次は行ったことがない宿へ一目散。湯めぐりの宿「花筏」。

何やら壺湯が売りの宿である。

(筏等は’泉’の力でまた変わった動きをする)

コロナ禍の影響で、温泉にも足が遠退いていたここ数年。。。ソーシャルディスタンスなどと言った言葉もむしろ懐かしさすらある。

壺湯は個人個人の空間が一人に一人の壺の中にある。締め切り時間間際に駆け込んだので、ホテルの了解も取って写真を撮ってみた。

檜の角壺、陶器のような丸壺、昔風に言えば、少し深い五右衛門風呂に近いもの、石の角風呂(親子二人用か?)、一人用の石の壺。

それぞれに温度差、また滑り気(ぬめりけ)に差があるようだ。子供の頃、肩までつかるんだよとはよく言われた記憶がある。大人になると少しひょうげる(ふざける)もあって、頭までつかってみたくなってしまう。

すると意外な発見があった。陶器のような丸壺!源泉の注ぎ口の水量にもよるのだが、少量の湯量の時、注いだ湯が丸壺中で微妙な反響をかもし出す。

箱庭などに壺を埋めてその底に水滴を落とすと少し金属的な反響を催す水琴窟のくすんだ音に似ているではないか!  

暫し、大人のひょうげることの楽しみ、水琴窟の壺風呂に抱かれながらの露天風呂を楽しんだ。

碧深い山、梅雨時期だというのに澄み渡る青空を眼前にする。

長い廂のもとに設計されている6つの壺風呂は微妙なロケーションにある。

青空とまともに受ける青い夏、少し日陰になる青い秋、全くの日陰で、暮れゆく晩秋をも彷彿させる奥深い壺の配置。。。 還暦半ばになると季節の移り変わりにさえ、何故かこころが震える。

同年代の人が後から入ってきた。将に裸の付き合いの一期一会。

「良いイベントですね」「コロナの影響があって、何年か空白の期間があるみたいですよ」「ここの壺湯は様々な湯あたりがあって、とても面白い」とも語りかけてくる。

冒頭に書いた「数景」と言う宿について、すこしコメントすると「何年前に利用されました?お値段高かったでしょう?」とくる。

そして、最後の締めの言葉にまたこころが震えた。「あそこの宿はブルジョワが 泊まる宿ですよね」とくる。

「ブルジョワ」!! もう、田舎に引き込んでから、久しく耳にすることがない、

「ブルジョワ」と言う言葉、その響き!

つい、「万国のプロレタリアよ、団結せよ!」と返したくなる一期一会であった。

(岡山B)

八景
八景
花泉
花泉

医者の仁術 あとがき

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2025年7月 トピックス】

岡山Bさんの投稿

前稿の続き・・・

院長先生の机の引き出しから紹介された”my bottleの水”はある意味、神々しくも思えた。

日本酒を呑まれる時、盃のそばに”冷水”を必ず用意され、上品にかつ綺麗に呑まれる人がいた。
「これは”なごみ水”と言って、体にも良いのですよ」とさりげなく言われた。

”水”の話題繋がりでこの話をすると呑兵衛の院長先生の見解は違っていた。

「僕はそんな事はしませんよ、だって、酒が何となく薄まっちゃって勿体ないでしょう。僕は酒を呑んでしっかり酔っ払って、体の事も考え、仕方なく一杯ぐいっと”水”をやるのですよ(笑)」一刀両断にくる。

潔い呑兵衛だ!(笑)

これも呑兵衛のサガで、日本酒をそれぞれの立場からこよなく愛する。
あっ…そう言えば、松永理事長もたいそう日本酒のご愛好家だった。次回お会いした時、その所作と”水”との付き合い方を伺おう。

岡山B

医者の仁術

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2025年7月 トピックス】

岡山支部 岡山Bさんの投稿

日本各地、例年にない早い梅雨明けである(中国地方で言うと18日間の梅雨期間)。

これからはキンキンに冷えたビール!といきたいところだが、少し用心がいる。

落語の演題「親子酒」は、酒飲みのサガでもある、いつもついつい酒を飲みすぎてしまう商家の旦那と若旦那の断酒にかかわる親子の話。酒を飲みすぎては失敗して後悔ばかり、さすがにこれではいけないと、親子ともども酒を断つことを誓う。しかし、その断酒は難しい・・・本当は互いの断酒の誓いは、固い固い約束だったのだが・・・

学校を卒業して、社会人に成りたての頃は学生時代の少しモラトリアム的扱いもあって少々のことは許されていた感がある。そうした甘えを長い年月に、少しずつ積み重ねてくると「生活習慣病」といった病気自慢にも事欠かない題材が自分の中に蓄積されていく。

今では自分の中では常備薬となってしまっている「痛風の薬」。かかりつけ医のところに処方してもらおうと診断を頼んだら、いつ

もの担当医でなく、その病院の院長先生が診てくれた。

「今尿酸値はどれくらいですか?」

境界線の「7」を大幅に上回っている話をすると、「痛みはありますか? 痛みがないなら、まぁ~大丈夫、念のために、薬は出しておきましょう」と笑顔で診断をしてくださった。

医は”仁術”とも称されるよう、その先生の裁量で薬に依存するのか、患者自らの運動、栄養管理の推奨、そしてそこから引き出される自らの自然治癒力の薦めと、その道は分かれていく。

その先生の若い頃の話をしてくださった。「実は僕の若い頃の尿酸値は”9.5”だった。でも、その頃は腎臓の機能も十分機能していたから、痛風の症状は全くでなかった」と豪語(笑)。どう考えても”9.5”!日々危険物を持ち歩いて活動している状態にしか思えない。

先生ご自身の現状も話してくださった。「今の尿酸値は6.5なので、数字的には全く問題がない。しかし、加齢とともに腎臓の機能が衰えてきていて、ちょっと無理をすると激痛が走る!」と言われる。

その事例は半日4時間ほどあまり水分も取らず、草刈りをやった時。(これなら僕もある)仕事が忙しくて、昼食抜きで夕方ある会合の後、キンキンに冷えたビール、そしてあん肝などがアテにあったので、しこたま魚卵を中心とするおつまみを頼んだ時。(これはない!これはあまりに自爆型の行動ではないか!) ➡激痛、激痛  その後、一週間は杖をついて、病院内の回診に回られたそうである。患者の方からは「大丈夫ですか?先生…」と声掛けをされてしまう始末。

しかし、酒飲みの先生は、患者の酒を飲むことを窘めたりはしない。無理な呑み方をしなければ、大丈夫!と太鼓判。そして、自らの机の右側の引き出しを開け、「my bottle」の水を紹介してくださった。かつては緑茶を飲んでいたがカフェインが少し悪さをすることがあった。今は、兎に角、水!(ダカラってなものでなく、「my bottle」の水だそうである)これである。

医は”仁術”。院長先生と自分の間には勿論、親子関係はない。全くの他人だ。しかし、互いに少し吞兵衛という関係があるとすると、二人の仲は「親子酒」なのである。

茶色の錠剤(尿酸値抑制薬:今は白い錠剤に)が怖くてビールが飲めるか?と、いきがってもみたい。

(岡山B)

1970年代 青春の下宿③

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2025年6月 トピックス】         

1970年代、私は山口大学経済学部に入学した。蛮カラの気風が色濃く残る鳳陽寮・北寮で2年間、暮らした後、3年生になって山口県庁近くの下宿に引っ越した。

 ◇運転免許証

下宿暮らしになれたころ、突然、思い立った。

そうだ。

運転免許証をとろう。

自動車教習所は山口駅方面にあった。

さっそく、手続きを済ませ、下宿から自転車で自動車教習所に通った。

今は、教官がとても親切に教えてくれるそうだが、当時は違った。

傲慢・不遜・強圧的・・・。きわめて不評だった。

私の担当教官もまた、横柄だった。

しかも、趣味(?)は海岸に行って、ナマコを拾うこと。

へんな中年男だった。

 

横暴な指導にしばしば、むかつくが、彼が書類にハンコを押さなければ、次の段階に進めない。

従うしかない。

なんとか、仮免許、本免許と進み、念願の運転免許証を取得した。

◇ホンダZ

次は自動車の購入だ。

私は相当額の貯金を持っていた。

北九州の実家からは仕送りがある。

そのうえ、毎日のように昼も夜もアルバイトをして稼いでいた。

欲しかったのはトヨタS800。小型のスポーツカータイプで、通称「トヨ8」

山口の中古自動車店を回って探したが、販売していなかった。

次に欲しかったのがホンダZ。

後部の窓が水中眼鏡のような独特のデザインだった。

オレンジ色のホンダZ(中古車)を見つけた。気に入った。即、買った。

下宿の近くに駐車場があったのでさっそく契約。

大学には自動車で通学するようになった。

講義に出席するためではない。活動のためである。

◇山下洋輔トリオ

 私は大学祭実行委員会の幹部だった。

秋の大学祭にジャズ界で人気だった山下洋輔トリオを呼ぼう。

交渉の結果、来演決定。

彼らは羽田空港から宇部空港にやってくるという。

大学祭の予算は限られている。宇部⇒山口間を送迎するタクシー代はない。

 大学祭実行委員で車を所有しているのは私だけだった。

私がひとりで宇部空港に迎えに行くことになった。

空港で予定通り合流。助手席に山下洋輔さん。後部座席にメンバーふたりを乗せ、宇部空港を出発。あれこれ話をしながら、無事、山口に到着した。

 ライブ当日。会場の山口大学体育館は満席となった。

山下洋輔トリオは絶好調。白熱のライブに学生たちは熱狂した。

◇ソウルで再会

後日談がある。

私は大学卒業後、新聞社に入社。1980年代、ソウル特派員として赴任した。

ちょうどその頃、山下洋輔トリオがソウルで公演することが決まった。

当時、韓国では反日の機運が高く、日本人の音楽家が公演することはまれだった。

よし。取材しよう。

私は早めに会場に入った。山下さんたちはリハーサルをしていた。

リハーサルが終わって休憩中、声をかけた。その場で取材を申し込む。

アポなしだったが、山下さんは気さくに取材に応じてくれた。

インタビューが終わった。まだ、時間があるようだ、

私は彼に聞いた。

―1970年代、山口大学で公演したことを覚えていますか。

 「ええ、覚えていますよ」

―私が宇部空港に車で迎えに行ったのですよ。

 「えっ、あの時の学生が君なの」

 彼は驚いた様子だった。

 

※その後も話が弾み、旧交をあたためることができました。

   【続く】

(鳳陽会東京支部 S)

2025年春の山口駅