随筆 横目で眺めた経済学 ⑬財政支出の現場

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2025年8月 トピックス】

財政支出・・・どのような分野に、どれだけの金額を、どのタイミングで支出するか。これが難しい。

一般論でいえば次の通り。

◆支出のタイミング

どこにどのように支出するかは議会、すなわち国会で審議され、決定される。

緊急に支出すべきであっても、こうした手続きが終えるまでは支出の執行ができない。

また、逆に国会の審議を経た時点では経済状況が好転し、その時点で支出を行えば景気を過熱させるということにもなりかねない。

このように、減税にしろ、歳出増にしろ、財政政策は執行までに時間がかかり、この点、金融政策とは効果出現までのプロセスに時間がかかるというデメリットがある。

また、ダムや道路などの大きなプロジェクトは、完成した時点で需要予測との齟齬が往々にして問題になる。

プロジェクトでは完成までに意欲的で楽観的な見積もりがなされがちだからだ。

ダムの場合にはムダな支出となり、山の中に「県道」を作ったはいいが、犬しか通らない「犬道」となったという笑い話もある。

◆歳出分野(生産性の向上につながるのか)

もちろん事前には予算当局が予算を厳しく査定するが、しかし結果的にそれが果たして望ましい効果をもたらすのかという問題もある。

予算は我が国の成長力を高め、世界でリードできるような政治的経済的なパワーの強化につながる分野に使われるべきだ。

果たしてこうした分野に効果的に使われるのか、疑問なしとしない。

困るのは財政支出が弱体化した旧来型の産業の保護・延命に向かいがちなことだ。

こうした産業は生産性が低く、こうした産業に資金が回れば日本の生産性は向上していかない。

1990年以降の失われた30年間に、予算は1.8倍になったが、潜在成長率は3.7%から0.3%になったとされる。

経済学的な観点から理想を言えば、「倒産に瀕した企業は退出し、生産性の高い企業が参入」すれば社会全体として生産性が向上していくが、現実はそうはいかない。

政治的なファクターが入り込むからだ。

◆交付金の中長期的な効果

日本全国で、歳入の弱い自地方交付税交付税交付金を交付すれば、日本国オールで均質な成長がもたらされるのか。

短期的にはそれでよいかもしれないが、中長期的に賢い使い方になるとは限らない。

むしろ逆効果になっている。

毎年補助金を得ているところでは、歳入の項目に補助金を前もって計上する。

毎年、当て込んでいるわけだ。

しかし、補助金に頼らず、財政が好転したところには交付税・補助金は来ない。

努力したところには来ず、努力を怠っているところには毎年補助金が付く。

しかも県別にみると一人当たり地方税+地方交付税は一部、東北や四国の件で東京を上回っており、国による過剰な財政調整が行われており、これでは地方が自助努力を怠るのは当たり前だ。

均衡ある国土発展という美名に名を借りた、過剰な財政調整・予算配分は既得権益化しており、これを断ち切るのは容易ではない。

◆補正予算

もう一つ、緊急避難的に予算が膨れる場合がある。

補正予算だ。

予算の費目に挙がる項目は時のキーワード。

「緊急対策」という名目で年度末の財政出動が行われることが往々にしてある。

緊急対策という形での補正予算。IT、脱デフレ、地方創生、脱炭素、再生エネルギー、コロナ緊急対策・・・

こうした名目で緊急的に補正予算が組まれる。

最近では7月の参議院選で各党が主張した消費税減税、一律2万円の給付金、ガソリン税の旧暫定税率の廃止、また、米国との交渉によっては、コメの輸入拡大に伴い影響が出る農家への支援なども補正予算での対応になる。

バラマキにしないため、財政支出は原則B/C(ベネフィット/コスト)が1以上望ましいが、「緊急」の場合、査定が粗くなりがちだ。

また、年度末の時期の予算消化は時として、予算消化のための残業が発生することもある。

使い残しをすれば、次年度は予算が付かないことを恐れるからだ。

「緊急事態」への対応としての補正予算の乱発は、財政赤字が拡大する大きな要因となっている。

(学23期kz)

新しい朝が来た、希望の朝だ! 柵原から美祢にバトンを

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2025年8月 トピックス】

岡山支部 岡山Bさんからの投稿

◆毎朝、6時30分になるとラジオから聞こえてくる。 

新〜しい朝が来た!希望〜の朝だ!

ラジオ体操の巡回だ。

8月8日の末広がりの日には、岡山県の中央山間地に位置する美咲町立柵原学園(平成の大合併から20年記念事業の一つ)を会場にラジオ体操が開催された。

(人口減少に伴い小学校の集約と中学校を、一体化した9年計画で義務教育をする学園)

子供会が主催で行われていた町内の夏のラジオ体操も懐かしい。

また、柵原の名前に柵原鉱山の名前が想起される方が居たら嬉しい限りだ。(かつては、日本を代表とする硫化鉄鉱の鉱山。片上鉄道、病院経営等々の旧柵原町のインフラを一企業が担っていた)

◆6時30分前の「30分」! 

ラジオの舞台裏では、大切な時間だ。

“前説”と言われる放送への準備の時間の時間だからだ。

伴奏をする生のピアニスト、体操の指導員。この二人の主客以外に、放送局のスタッフ、実施主体である美咲町のスタッフは大変だ。また、地域の婦人会も赤い前掛けで助っ人となる。

ラジオ放送開始と同時の大きな拍手、冒頭の参加者の声としての「おはようございます」の挨拶の発声練習、第一体操の8番目の体操(腕を上下に伸ばす運動)にあわせては、「いち!・に!・さん!」の掛け声をみんなで元気よく。

第一体操は小中学校の体育で叩き込まれてきるから、どれだけ体になじんだものか!を実感する。しかし、第二体操となると状況は一変する。如何に怪しい所作に各人がしているか…その様を想像するだけでも楽しい。

本番はラジオの放送のままなので割愛しよう。

◆”前説”の中では、より体操を身近に感じてもらうため、そして「笑い」を盛り込む工夫がされている。

例えば、左右の腕が違う動きをする体操。

右手は二拍子で足、頭の横、左手は三拍子で足、肩の高さ、頭の横、左右別々の動きも取り組んだ体操が紹介された。そうと言われても、左右の腕は全くの別物…(笑)

2×3だから、6になった時(最小公倍数)には、左右の腕の動きが揃うはず。その前に左右が違う動きを求められると頭の中は大混乱(笑)

老若男女が揃っているから、少し認知症予防のメニューを取り入れているのか…

帰り際には、ラジオ体操のカードの裏面に”参加”のはんこを貰っていたことも懐かしい。

◆ラジオ体操巡回のバトンは明日の朝には第二の故郷山口に渡される。

宇部サンド美祢球場だ。

そして、ラジオ体操の中には、社会的に重要な問いかけ(”新〜しい朝が来た!希望〜の朝だ!)が内包されていた。

(岡山B)

なくなって寂しいもの

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2025年8月 トピックス】

◆「山口は盆地じゃけえ、夏はぶち暑いし、冬は底冷えじゃあ。」入学した時、先輩や同級生からよく聞いた言葉である。

故郷の福岡宗像からは直線距離では100キロくらいしか離れていないが、確かに住んでみると山口の気候は地元とは全然違った。

家庭教師先は、山口市から60キロ離れた徳佐。

車で1時間の距離であるが、3年間中学生の兄妹を教えに通った。冬は豪雪、スタッドレスタイヤを履いて、山道を毎週往復していた。

宮野の信号を超えたら、私の記憶が正しければ徳佐まで信号は2つしかなかった。車がほとんど走ってない帰り道に、ねずみ取りに捕まり、1発免停になった苦い記憶もある。

地元で三代続く歯医者さんで、家庭教師が終わると、おじいちゃん、おばあちゃん、曽祖母、生まれたばかり弟くん、家族10名で一緒に夕食。(朝ドラのワンカットの様な場面であった)

徳佐のコシヒカリや徳佐牛が毎回食卓に上がり、破格のバイト代もさることながら、お母さんが作る毎回のご飯が楽しみであった。

今ではこうした大家族での食卓はほぼなくなってしまった。

◆そんな学生生活から40年後、職場では、デジタルツールの目まぐるしい進歩とリモートワークの普及で、職場に行かなくても大半の仕事(特にデスクワーク)はできる様になった。

子育てや介護などがある人には、本当に良い時代になったと感じる。

ズームやTesmsといったオンライン会議ツールもあるが、業務上必要なコミュニケーションはメールかチャットで大半か行われている。

立場上、一日に100通を超えるメールやチャットを目にするが、辛辣な内容のものを見かけることも少なくない。これは、若い世代よりもむしろシニア(50歳以上)世代に多い様に感じる。

◆テキスト(文字)でのやり取りは時にして、送り手の意図とは裏腹に、受け手が勝手に拡大解釈したり、口頭では言えない様な強い文章になってしまったりと、受け取る相手がどう感じるかという、コミュニケーションの基本を忘れてしまっているものが多い。

そして何より、自分の権利や意見だけを発信する人が増えすぎた。恥じらいや躊躇というものがなくなった社会は本当に寂しい。

我々の世代の憧れであったアメリカのリーダーがそうであるから、これは40℃を超える猛暑と同じく、受け入れざるを得ない現実なのであろう。

猛暑のおり ご自愛ください

学37期 上野啓

徳佐の田園風景

少子化と「総体」大会運営

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2025年8月 トピックス】

岡山支部 岡山Bさんからの投稿

人口減少が我々に“変わる事“を求めている。
◆人口減少は様々な世界に影響を及ぼす。
スポーツの世界にもその影を残し始めている。そして、その運営には、経営の善し悪しが影響を及ぼし始めている。

「輝け 未来の扉 中国総体2025」高校総体が今、中国地区管内多県に分散して開催されている。
岡山ではソフトボールの大会が開催されている。

◆総体というと嘗ては“開催県“があったが、県単位から地区割になっている。
また、実績のある強豪校といえども、部員数を単独では集められないケースも出ている。そんな場合は近隣の学校との合同チームによるチーム編成を余儀なくされる。

◆ソフトボール小僧だった自分は、男子開会式に参加してみた。
開会式は先ず体育館の中で選手は着座して始まる。

行進はなしで、その代わりに起立してチーム紹介。

選手、チームへの応援の拍手も全体を一括して1回のみの拍手!
関係者、歓迎の挨拶は従来通りだったが、極めつけは、選手宣誓。
宣誓をするチームが合同チームに該当したので、旗手がそれぞれの校旗を掲げる。二人のキャプテンが壇上に登り、手をあげ、宣誓を前半、後半と分けての二人による宣誓!

選手宣誓をした2校のうち、1校は嘗て全国制覇をした名門。既に地域の2つの学校を統合して生徒数の確保、学校経営の維持を計ってはいる。その学校が今度は部員不足を合同チームによって、ある解を出している。

大会運営にも高校生が中心になって、企画進行されていた。(勿論、各運動組織、協会、行政、地元の協力、支援を戴きながら)
組織運営に関しての学問として、経営学があるとすると、大会運営に、チーム構成に、また勝利を勝ち取る過程において、本から学ぶ経営学でない、実体験に基づく経営学を既習しているのかも知れない。その姿が想像出来る。

◆「艱難 爾を玉とす」と古人は言う。

合同で選手宣誓をしたチームには、この厳しい環境下での全国大会出場に先ず感服し、あわよくば、是非全国制覇を願ってやまない。(高校野球界では爽やかイレブン等の事例もある)
合同チームの名は、新見高校+総社高校合同チーム

…判官贔屓はなしにしても、熱く応援したい。

偶々だが、「世界は経営で出来ている」と言う新書判の本が好評だと言う。

(岡山B)

西瓜の水遣り

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2025年8月 トピックス】

◆我が家には”こだま”と言う品種の西瓜、その小玉が大きくなりつつある。

それは苗を植える前の土作りから始まった。

猫の額への植付け…

西瓜の花が咲いたら、人手による授粉のお手伝い。

水遣りも過度にならない様に気を配って、やっと今日に辿り着きます。採取前になる頃には獣害に遭わぬ様、自家製の白衣(しらごろも)を纏わせて。

◆金子みすゞの「こだまでしょうか」は”こころと言う山”に対しての”こだま”であろう。
我が家の小さな玉になった“こだま“にも同様に声掛けしたい。


『こだまでしょうか』

「遊ぼう」っていうと
「遊ぼう」っていう。

「ばか」っていうと
「ばか」っていう。

「もう遊ばない」っていうと
「遊ばない」っていう。

そうして、あとで
さみしくなって、

「ごめんね」っていうと
「ごめんね」っていう。

こだまでしょうか、
いいえ、誰でも。


手間を掛けた分、愛情を掛けた分、素直に育つ“こだま“。
この途中には小さなジョロを持って、よちよち歩き、びしょ濡れになりながら…応援してくれたチビの存在、彼の遊びの中に生があります(嘗て、みんなが歩んだ“よちよち歩き“)

(岡山B)

定食屋「一粒」

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2025年8月 トピックス】

岡山支部 岡山Bさんからの投稿

◆山大通りから横に山口大内方面のバイパス沿いに確かあった定食屋“一粒“さん。この7月31日をもって、閉店された。
(ご飯“一粒一粒“を大切に食べて欲しいからと名付けられた屋号)
山口のニュースで放映された内容、YouTubeに投稿されたものを友人が案内してくれた。

◆80年代、ゼミが終わった後、プチ贅沢として、よく仲間と“唐揚げ定食“を戴いた記憶がある。
記憶が正しいとすると当時既に老夫婦がやっていた?かな…
すると2代目さんも学生さんの為に頑張ってくださったんだな!とも思う。
それも1977年開業から48年間!
ある意味、みんな長門館の中華丼で、一粒の定食で、弥生の定食で大きくして貰った。
勿論、当時学食の100円カレーはベースにある。

暖簾の“一粒“の文字がとても懐かし〜〜い!
そして、インタビューに答えている2代目さんの声には、正統山口弁がある。

弥生も長門館も既に無くなっている。 時代が流れていく…

(岡山B)

何で木は長生きなの?

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2025年8月 トピックス】

岡山支部 岡山Bさんからの投稿

◆7月11日「チコちゃんに叱られる」で取り上げられた命題。

何で木は長生きなの?  何で、 何で?  

テレビの番組の中では、しっかり答えが出来ないと”ぼ~~と生きてんじゃねぇい!”と叱られる。

その答えは、又「禅問答」の様で味わい深い。

「死にながら生きているから、長生きが出来る」・・・と解説をする回答!

(ここからはテレビで紹介された内容の要約である)

◆動植物が生きるという事は細胞分裂を繰り返し、常に新しい細胞を生み続けることが生きることに通じる。そのロジックの繰り返しが永遠に続くなら不老不死になるかもしれない。

が、そうは簡単に問屋が卸さない。

人間などの細胞は、細胞分裂を繰り返す中で、その細胞内のDNAなどに傷をつけるリスクが増大してくる。そうなると賢い細胞分裂(自然の摂理)は抑制的になり、細胞分裂をして新しい細胞を補うことをやめる。

古くなった細胞は老化する細胞となり、一つ一つの細胞が弱体化する。

そして、その総体の変化が生物として”生の終わり”へと導く。

◆一方、「木」は、心材、辺材、形成層、そして樹皮と木の円心から外へ外へと四層をもってその構成をなす。

心材は細胞から言うと”死んでしまった細胞”になる。辺材は水分、栄養を木全体に配る管となる。(ある意味、仮死状態でもあると言える)

成長して木が太っていく(大きくなっていく)のは形成層の太りとなる。

これも一年経つと年輪と言う形で層を作り、辺材の一部となり、成長を助ける。

心材は死んだ細胞と言いながら、これが木の軸となり、強度の基礎となる。

この心材が上下の縦方向の圧縮の圧に関しては、鉄の1.8倍もあるというから、木造建築の強度の源泉を知ることが出来る。

心材、辺材が木の幹となる。

樹齢千年の木は、その木を伐採した後も改めて千年の寿命があって、生き続けるという。法隆寺や正倉院の木造の建物を見てもその生命力には恐れおののく。(こちらは檜の建物)

スギと言う木材で言うと、心材は赤みを帯びた部分となる。この赤身は重宝され、「杉の木のトロ」マグロで言う一番高価なトロに値する。

”虎は死して皮を残す”、杉の木は細胞として死んでいる部位”杉は心材を残して、その価を高める”となる。

それはそうだ、あの赤身の美しさ、そして、心材で良いものになると、全く節のない無節、木目が揃った桝目の柱材なども取れる部位になる。壁材等の板材としての利用でもその赤目の材は人の目をうっとりさせる。

◆木全体の容積(材積)からすると、その90%は死んでいる。

死んでいることを逆手にとって、少ないエネルギーで生き続ける。木自身にこれと言った特別な急所がない。植物などは守りが強く、人間よりずっと長く細胞分裂の循環を維持できる。

倒れた木から木が復活することもある。そう、倒れて枯れた木を恰も土のように利用し、再び萌芽することがある。その逞しさや!

屋久杉と言われる屋久島自生の杉は1000年以上樹齢を持ったものをその名で呼ばれる。

高温多雨、垂直方向の高低差(気温差で言うと九州から東北までの気象条件がその限定された地に存在する)、花崗岩が主で、豊かな土壌とも言えない土地でも生きるために深く根を張る。

成長が遅く、木目(年輪)が詰まっている。降雨が多く湿度が高いため、自分自身を守るため、自ら抗菌作用のある樹脂分を多く生成し、腐りにくい特徴を持つ屋久杉となる。

縄文杉と言う大木が屋久島の山奥深くに雄々しくたっている。 大株歩道沿いにあり、1966年発見。幹周:16.4m、樹高:25.3m、樹齢:推定2,000年〜7,200年とも言われている。

何かこまごました事にある意味右往左往していたかもしれない若き日の自分

・・・もしそうだとすると、「まぁ~、そんなちっちゃなことでバタバタしんさんな」と諭されているような気持になる。

自分の足でしか、たどり着けない地ではある。しかし、その汗を流す価値は十二分にある。(雨に打たれながらも)

(岡山B)

「危険な暑さ」続く

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2025年7月 トピックス】

岡山支部 岡山Bさんからの投稿

◆7月29日、当地岡山でも、最高気温が39度!所謂、“危険な暑さ“と言う領域だ。

今年になって、何度も36度位の気温では何の体調の変化もなく、低山山登りを楽しんできた。

(山岳医療の世界では、月に2000m位の高さの山登りをすることが山登りを続けるには意味があると言われている。そして、それは200m×10回と言う分割手法もありと言う。低山山登りが、何やら”登山健康積立預金”のような話だ)

◆”危険な暑さ”という枕詞の今日は登り始めから少し様子が違っていた。

湿度はそんなに高くないのに、汗が額を流れる…

3時間半程歩き、ゴールまであと200M、最後の尾根つたいに登る時、突然異変が起きた。

吹き出す汗、そして20M毎に休憩をとらないと息が大きく乱れる。最後、20M位になると5M毎に休息…(立ち木に寄りかかりながら休息をとる)

やっと気付いた!

もしかして、世間で言われている『熱中症』?

(後になって反省すると少し“水分補給のタイミング“が遅れてしまった…)

自ら運転してきた車の冷房を入れ、着替えを済ませ、体力の回復を確認して、麓の食事処へ寄った。

あるメニューを頼み、割り箸を使って食事をする。不調が治まり、体調の回復を確認してきているはずなのに、箸を使う腕の前腕に”痙攣”が発生するではないか!  それも左右…

食事後、再び少し長めの休憩をとったら、ほぼ全快した。

軽い初期症状の判断からは、かなりかけ離れた、実はそれなりのダメージを受けていた自分を実感! 

侮るなかれ!“危険な暑さ“…

身体を持って体験した実録記だ。

◆同窓の皆様方へ 

教訓があるとすると、

・35度を超えてのほぼ数度の温度差は、”たかが”でなく、”されど!”である

・喉が渇く前の「補水」習慣の励行

・小さな予兆を見逃さない体感!の大切さ

(岡山B)

第99回鳳陽ゴルフ会のご案内 9/28(日)渡良瀬CC

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2025年7月 トピックス】

河川敷のフラットなコースで、カートでのコース乗り入れが可能。

初心者からシニアの方までのご参加をお待ちしています。

幹事37期 上野

開催要領は以下のとおり

●日時 9/28 日曜日 09:30から  (0915スタートホール前集合)
●会場  渡良瀬カントリークラブ

渡良瀬カントリークラブ (栃木市) 東武グループのゴルフ場

●プレーフィ ¥15,000 (昼食込み・セルフ乗用カート)

 ※ 65歳以上の方は上記から利用税300円引 70歳以上の方は600円引

●パーティ会費 ¥ 3,000 (パーティ. 賞品) アクセス)

●アクセス

車の方;東北道舘林IC(浦和から41KM)から10KM (15分)

電車の方;東武日光線 藤岡駅 0826のクラブバスで5分(予約制)にご乗車ください (東武線)北千住 0707 → 東武動物公園0743 ⇒南栗橋0757 ⇒藤岡0823 (JR)東京0651 ⇒栗橋0755 / 0801 (東武日光線)=>藤岡0823

●参加連絡は鳳陽会事務局まで

houyoukai-tokyo@bc.wakwak.com

●7/29現在の参加予定者(敬称略、カッコ内は卒業期)

平田(19)、鹿児島(23)、葛見(23)、七村(27)、浅川(30)、鎧坂(30)

板井川(32)、上野(37)、内田(37)、大加瀬女史(49)、篠田女史(58)

40年前の三経の交流

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2025年7月 トピックス】

岡山支部 岡山Bさんの投稿

◆三経戦!現役の時は勿論、卒業してからもその交流が盛んである話はよく聞く。

同窓会同士の交流も最近盛んである。

OB会での対戦、またゴルフの対抗戦、交流を図りながらの講演会等々。

1905年建学の長崎と山口は、第三高商はどちらかと言うような論争が一部にはあるにせよ、これらはその交流においては枝葉末節の事のようにも感じられる。

また、大分は1921年官立旧高商8番校として建学され、100年の風雪を超え、四極会は今年、その同窓会創立から100周年としている。

2025年は三経にとってはいずれも慶事の年である。

{長崎(瓊林会:けいりんかい)、大分(四極会:しはすかい)、山口(鳳陽会)それぞれの名には謂れがある。}

私自身の社会人時代のある先輩との交流を紹介しよう。

◆博多在勤時代、大分大学経済学部出身の先輩がいらっしゃった。職場の組合で、書記長をされていて、組合活動(春闘に関する説明会)として、二人で大分に出掛けた。

日常の職場では特に特別な繋がりを感じることはなかったように記憶している。しかし、二人の同じような系譜の出身のものには、何処か底流では繋がっていたのかもしれない。

職場の先輩が学生時代通っていた秘湯があるとおっしゃって、湯布院まで足を延ばした。

そして、ある露天風呂を紹介してくれた。茅葺風の建物の中にある秘湯。

その湯に入浴し、遠景に悠々とたっている由布岳を眺めながら、熱めの湯でしっかり汗を流してから夕方職場にオルグ入りをした。

組合のオルグが終わって、その職場の皆さんと一杯、一杯やって、宿泊地の別府のビジネスホテルに戻った。部屋に戻り部屋風呂に給湯すると「黒い黒い液体」・・・・・ 

これは、フロントに書いていた「ビジネスホテルで温泉が楽しめる」というお触書の事だろう。

温泉の源泉から引いている、蛇口から出る黒い湯の温泉である。

同窓会も温泉の源流と同じく、その源流から脈々を沸き続ける湯、つながり。交流するのには何ら”壁”がない。

ただ自分自身の限られた職場経験では、長崎大学経済学部の先輩、後輩とはたまたま席を同じくすることがなかった。惜しむらくは、その交流がなかったことだ。

(岡山B)