山口大学経済学部同窓会
鳳陽会東京支部
【2025年3月 トピックス】
母校・経済学部のホームページに、2月12日に行われました「山口観光経済シンポジウム」を紹介した記事が掲載されましたのでお知らせします。
山口観光経済シンポジウムを開催しました | 山口大学経済学部・経済学研究科
記事の執筆はシンポジウムを担当された観光学科・加藤真也准教授。
観光学科の生徒が発表者やパネラーとして活躍した姿が映っています。
鳳陽会東京支部事務局
山口大学経済学部同窓会
鳳陽会東京支部
【2025年3月 トピックス】
母校・経済学部のホームページに、2月12日に行われました「山口観光経済シンポジウム」を紹介した記事が掲載されましたのでお知らせします。
山口観光経済シンポジウムを開催しました | 山口大学経済学部・経済学研究科
記事の執筆はシンポジウムを担当された観光学科・加藤真也准教授。
観光学科の生徒が発表者やパネラーとして活躍した姿が映っています。
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山口大学経済学部同窓会
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【2025年3月 トピックス】
3/30の日曜日、茨城の筑波東急GCで開催。
林間、フラットなコースです(セルフ・乗用カート)
日曜開催ですので、現役世代含めたくさんの方の参加をお待ちしています。
★第98回 鳳陽ゴルフ会 実施要領
日時 2025年3月30 日(日)9:30 キャディマスーター室前集合
場所:筑波東急GC
電車の方は、つくばエクスプレス つくば駅 8:30のクラブバスが便利です
TSUKUBA TOKYU GOLF CLUB – 東急ゴルフリゾート 公式ウェブサイト
アウトスタート9:45から3組
プレーフィ 18,500円 (昼食付き)
会費 ¥2000
競技方法:ダブルペリア方式
★参加希望者(含、問合せ)は下記までご連絡願います。
・ゴルフコンペ幹事長 上野啓(学37期)atomton@msn.com
あるいは
・鳳陽会東京支部事務局 houyoukai-tokyo@bc.wakwak.com
鳳陽会東京支部事務局
山口大学経済学部同窓会
鳳陽会東京支部
【2025年3月 トピックス】
《学22期:Y.YZ》
横浜暮らしが三十有余年になり自然に街の歴史に触れるようになったので、横浜ベイスターズのスタジアムがある横浜公園の銅像について鳳陽会員の方々に以下をご紹介したい。
銀杏並木の美しい日本大通りを、海を背にして歩いた突き当りの横浜公園の入り口に「日本の灯台の父」と呼ばれるリチャード・ブラントン(1841-1901)の銅像がある。ブラントンは「お傭い外国人」として1868年に来日し、灯台のみならず横浜開港期の街の建設に大きく貢献したが、時の英国の灯台建設の雄であったスティーブンスン兄弟社(以下ス社と略)を介して派遣されており、灯台の基本設計はス社がほとんどサポートしている。
1872年に岩倉使節団が欧米を視察した際は、一時帰英していたブラントンの自宅に木戸孝允が招待されている(木戸孝允日記)。
また使節団は当時イギリスの難所で知られたベル・ロック灯台をス社代表のトーマス・スティーブンスンとブラントンの案内により視察している。
視察団の案内・通訳をしたのは灯台学の修得のため国費留学していた藤倉見達(後の灯台局長)で、ス家の世話になったが、ス家にはトーマスの長男で藤倉より一つ年上のロバート・スティーブンスンが同居しており、ロバートはトーマスの期待に反して家業ではなく文学を志向していた。
このR・L・スティーブンスン(1850-1894)は19世紀後半のスコットランドの小説家で「宝島」や「ジキル博士とハイド氏」の作者として有名であるが、このロバートが1880年に吉田松陰の評伝(ヨシダ・トラジロウ)を日本人に先駆けて世界に紹介している。
松陰の事蹟をロバートに知らしめたのは正木退蔵(後に東工大の前身校の初代学長)といって13歳の時に松下村塾にて松陰に師事した人物で英国留学後、工業教育に従事していたが1878年に帝国大学の依頼により理学部教授を求めてエジンバラを訪れた際、エジンバラ大学土木工学部のジェンキン教授に招かれた夕食会で松陰について熱く語った時にロバートが同席していた。スティーブンスン家は工学を通じてジェンキンとも親しい関係にあったようである。
ロバートは父のトーマスに反目して葛藤していた時期であり、正木が語った吉田松陰の潔い生涯に励まされて心機一転サンフランシスコに移住し、世界的な作家になったのである。
ちなみに松陰は日米和親条約締結(1854年)の後、下田に停泊していたペリーの船で密航を企てて失敗し入牢、その数年後に伝馬町牢で刑死しているが、江戸から下田に向かう旅の途中、叔父の竹院が住職をしていた鎌倉の瑞泉寺に立ち寄っている。
また、上述の岩倉使節団には松陰門下でイギリス公使館焼き討ちの一員であった野村靖も参加していたが、後に野村が神奈川県権令(その後県令、伊藤内閣時に内務大臣)に就任した1876年に、三宅島流刑を赦免されて東京に戻っていた沼崎吉五郎(小伝馬町の牢獄で松陰と同囚)の訪問を受け、松陰が処刑前に獄中で書き上げて沼崎に託していた「留魂録」の正本を受け取っている。
(野村靖の墓は遺言により世田谷の松陰神社にある)
《学22期:Y.Y》
山口大学経済学部同窓会
鳳陽会東京支部
【2025年3月 トピックス】
学23期kz
◆真逆への転換
先の大戦が終わり、これまで「鬼畜米英」としてきた進駐軍に対して、学校の先生の態度が真逆に変わった。
報道機関の論調も激変した。今になって振り返れば、戦時中は反戦を唱えるどころか・・・、書く必要もないだろう。
民衆もギブミーチョコレートとなった。
これをどう評価するのか。
変わり身の早さというだけでは片付けられない。
主義主張が変わったのか。
主義主張がこんなに簡単に変わるものなのか。
いや、もともと確たる主義主張が本当にあったのかと問わざるを得ない。
こちらの風が吹けばこちらに靡(なび)き、あちらの風が吹けばあちらに靡く。
こう書けば、主体性がないように聞こえる。
本当に主体性がないのか、日本人は。
しかし、個人個人に当たって、事情を聴き、弁明を聞き、社会の論調を語らせ、政治論議をさせると、男女も、爺さん婆さんも、みなさん、実に立派な意見を開陳される。
メディアによく出ているような、流行りの評論家にも負けないくらいユニークで地に足の着いた、しっかりした意見を述べられる御仁には事欠かない。
◆臨機応変
臨機応変・・・
これは、使いようによってその場に即応した、優れた判断を導くことにもつながる。
風が吹く方に靡く。
風が吹く方に靡くこと。
これは考えようによっては、臨機応変であるとも言える。
「節操がない」、「信念がない」、「主体性がない」という批判は免れないが、他方、壊れない、死なない形だともいえる。
水のごとく、その時の状況に応じて形を容易に姿を変えて、適応する。
おそるべし、「臨機応変」の民、日本。
他方、絶対的な価値を有する国民は、絶対的な価値を構成する一部が壊れると、恐ろしい崩壊の連鎖が始まるのかもしれない。
◆「日本」の地球的な価値
絶対的な価値は持たないが、人付き合いするときの作法は磨かれている日本人。
モノに接するときも同じ。
八百万の神で、そこここに神が潜んでいる。
このため、ヒトも大事にするし、モノも大事にする。
SDGS。この先、これが大事。
サステナブルな環境、サステナブルな地球がとても大事になってきている。
こうした作法がほんとに得意な日本。
エコで、コストが安く、環境への負荷が低い循環型社会生活が昔から得意な日本人。
こうした日本人のDNAが世界の鏡、地球のリーダーにもなれる可能性を秘めている。
やりようによってはの話だが、これからは日本の作法が世界をリード時代が、すぐそこまで来ているように思う。
絶対神無き民、あっちきょろきょろの民が、ここ一番で世界を救うかもしれない。
(学23期kz)
山口大学経済学部同窓会
鳳陽会東京支部
【2025年2月 トピックス】
鳳陽会東京支部事務局
昨年初めにニューヨークタイムズに紹介された山口。
その経済効果はどうだったのか。
母校・山大経済学部では経済効果について2月12日にシンポジウムが開催された。
★開催案内(経済学部ホームページ)
山口観光経済シンポジウムを開催します(開催日:2月12日) | 山口大学経済学部・経済学研究科
★シンポジウムの結果(加藤准教授から提供されたシンポジウムの報道ぶり)
シンポジウムの結果については近く経済学部のホームページに掲載される模様だ。
その際には改めてこの欄で紹介するとして、シンポジウムを担当された観光政策学科・加藤真也准教授から、シンポジウムの報道ぶりを送っていただいたため、ご紹介する。
NHK
https://www3.nhk.or.jp/lnews/yamaguchi/20250212/4060022410.html
2. KRY
https://m.youtube.com/watch?v=Ty4L4ZCIzwQ
3. tys
https://newsdig.tbs.co.jp/articles/tys/1726387?display=1
(動画)
https://m.youtube.com/watch?v=7bjRblRLl2A
4. 朝日新聞
https://www.asahi.com/sp/articles/AST2D4FH0T2DTZNB001M.html
5. 宇部日報
https://news.yahoo.co.jp/articles/29121b203d58180e8adc13dce83d12974cfca40a
6. 中國新聞
https://www.chugoku-np.co.jp/articles/-/597014#google_vignette
7. 山口新聞
https://yama.minato-yamaguchi.co.jp/e-yama/articles/85092
★【参考】加藤真也准教授のプルロフィール
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鳳陽会東京支部
【2025年2月 トピックス】
◆間違いやすい姓
以前、このシリーズでは、間違いやすい名前(ファーストネーム)に関して記したが、
混同しやすい姓(ラストネーム)もある。
その一例が「中山」と「山中」だ。
Na-ka-ya-ma
Ya-ma-na-ka
いずれも、各音節の子音が「a」となっている。
他方、「川上」と「上川」。
似たように思えるが、これは間違いにくい。
Ka-wa-ka-mi
Ka-mi-ka-wa
子音「i」が入る音節の位置が違うからだ。
以前の投稿(1月7日:結婚式の挨拶)では、新婦の姓がこの型だった。
苗字と名前、どちらも紛れやすいタイプだったのだ。
私の親戚には「ヤマナカ」さんがいるので、私自身はヤマナカという名前に親しみがあったが、漢字は「山仲」と書く。
ん?
「仲山」だったかな・・・
◆とっとり県
「とっとり県」も紛らわしい
鳥と取。
恥ずかしい話だが、鳥と取る、取ると鳥、どちらが先か、咄嗟にわからなくなる時がある。
こういうとき、スマホは便利だ。
すぐさま正解を教えてくれる。
◆紛らわしい名前
「田中」と「中田」。
野球選手にどちらもいる。田中将大と中田翔。
両者の姓の比較をみると、「田中」は日本人の姓で4番目に多く、「中田」は119位。
このため、「田中」姓が「中田」姓に比べて圧倒的に馴染みが多いという結果になっている。
しかし、ちょっと待った。
こういう例があった。
田中英寿と中田英寿。
どちらも有名人だ。
字ずらでは咄嗟に区別がつかない。
片方がプロサッカー選手で、もう一方が私大の「大物」理事長さんで問題が発覚した後、逝去された。
この時の世間では小さな混同が生じた。
その混同ぶりとは・・・
※プロサッカー選手だったのに、語学も堪能で頭もシャープ。日本酒のアンバサダーにもなっており、多方面で活躍しているのは知っていたが、知らない間にとうとう大学の理事長にもなっていたのか・・・
※スポーツマンでまだまだ若かったのに、意外と早く亡くなったのだな・・・かわいそうに
※元Jリーガーで大学の金を使い込むなんて、スポーツマンの風上にも置けない・・・
恥ずかしながら・・・私もこの中の一人だった。
(学23期kz)
山口大学経済学部同窓会
鳳陽会東京支部
【2025年2月 トピックス】
【台湾華僑・簡憲幸老師のガイドで、なぜ多民族の街が誕生し、成長したのか?大久保・新大久保の謎を解き明かす。】
(2月16日(日)14時~16時、参加者10名)
投稿者:学22期Y・Y
◆韓国のキリスト教の信者数は、韓国統計庁によると、2015年時点でプロテスタントは韓国人の19.7%、カトリックが7.9%と示されており、人口の約3分の1がキリスト教徒とか。
現在は全人口の4割がキリスト教信者とか。
因みに日本のキリスト教徒の信者数は人口に対して1%とか。
◆50代後半でしたが、道路付近の工事現場での交通誘導のバイトをしていた頃に百人町で一日仕事をしたことがありますが、この仕事は仲間に一匹狼の人が多く、あまり良い思い出はありません。
百人町の地名の由来は徳川幕府が江戸の警備を固めるために、百人鉄砲隊を現在の百人町1~4丁目付近に住まわせていたからと今回知りました。
★ツアールート
①東京媽祖廟
最近、台湾について知る簡憲幸講師の講座講に参加していますが、会場はJR大久保駅南口近くにあり、すぐ近くにあるこの建物は何だろうと思っていました。
媽祖様は台湾及び中国沿海部を中心に信仰を集める女神です。
東京媽祖廟は2013年に日本で初めて完成しました。
ひたすらお祈りされている信者の方を観て、心の平穏が得られならばと羨ましくなりました。
↓
②楽器通り
音楽やお茶の水と並び楽器の街としても有名です。
戦前はドイツ人音楽家や日本のクラシック音楽家が多く住んでいたとか。
↓
③イスラム横丁
↓
④元・ロッテ工場
1950年に韓国のロッテが進出し、2013年迄は商品を生産し、電車の窓からロッテの看板が見えました。
高校生の頃から後発のロッテチョコレートが好きでした。
今は跡地は住宅展示場になっていました。
↓
⑤ソウル市場
↓
⑥東京中央教会
日本一のコリアンタウン新大久保にあるプロテスタント教会
↓
⑦イケメン通り
初めて知りました。
韓国レストランやコスメショップが連なり、若い女性の凄い人出で賑わっていました。
イケメン通りの由来はここに来るとイケメンに会えるとか。
古稀過ぎたブサイクな爺で申し訳ありません。
↓
⑧ドン・キホーテ新宿店
↓
⑨高麗博物館、文化センターアリラン
(学22期Y・Y)
※コメントを宜しくお願いします。
①トピックス末尾の「コメントを残す」欄から。
あるいは
②私のメールアドレスへ
0rb6672r388367t@ezweb.ne.jp
山口大学経済学部同窓会
鳳陽会東京支部
【2025年2月 トピックス】
宇部・山陽小野田支部 17期 MYZ
(本文はAYSA 西部部会文集「あゆみ4号」に掲載されたものを転載)
◆この書籍を読むまで、「その場の空気」ということについてあまり意識することはなかった。この書籍によれば“それ”はいつの間にか場を支配し、事が決まっていく。その圧力に抗うことは困難だ。日本では法よりも総理大臣よりも上位に立つ存在、それが「空気」であると。
あの戦争の時も、コロナ禍においても、国家、国民を支配したのは「空気」だった。
◆考えてみると「空気」とは何かと問われれば、実のところ難しい。もちろん物理的な意味での「空気」は、「地球を含む大気圏の下層部分を構成する無色透明な混合気体。
高度数十キロメートルまでは水蒸気を除くとほぼ一定で、体積比で 窒素78.09、酸素20.95、アルゴン0.93、二酸化炭素0.03、他ネオン、へリウム 等を含む。乾燥気圧1リットルの重さは摂氏零度、1気圧のとき1.293グラム」 とある(デジタル大辞泉から)
一方、主観的な意味でのそれは、「その場の雰囲気」を表し、例えば「自由な 空気を吸う」、「職場の空気になじむ」、「険悪な空気が流れる」等で使われているとも説明している。
私は、「その存在の意味」について物理的にも主観的にもあまり考えたことはなかった。しかし、この書籍を読むうちに、日本が陥った「空気が支配する国」は何を意味するのかを考えてみようと思った。
◆1997 年に発刊された「空気の研究」(山本七平著)が近年、読み直されているらしい。
この書籍では、日本特有の文化で生まれた表現であるとしつつも、「空気とは、まことに大きな絶対権をもった妖怪である」と。
事例として、どう考えても、無謀な戦艦大和の沖縄への出撃である。この出撃命令の空気に抗すること ができず、エリートたちがその作戦を承認してしまった「その場の空気」。
「イン パール作戦」もそうであろうと。
この例が示唆するように、「空気」とは守らなくてはならない「掟」のようである。それも、ルールや契約のような形で明示されていない。より正確に言えば「曖昧な掟」である。
「論理」よりも「空気」が優先され、仕方がなく何が正しいのかを探る中で「空気を読む」。
◆戦後75年間、この厄介な存在が、今も続いているのである。
果たして「空気を読む」ことは、すべて「厄介な存在」なのだろうか?
私は、直接的に戦時中のことを経験しているわけではないが、第二次世界大戦 での日本の敗戦については、様々な書籍で学んできており(それがすべて事実か どうかはわからないが)、その時々でその時代に思いを巡らせている。
私は、戦後すぐに生をうけ、8人兄弟の7番目である。当時の家計は「それなりに裕福」 だったと記憶している。厳しくなったのは、戦後の混乱の中での「農地解放」と 「スパーインフレ」である。昭和20年代後半から30年代後半までの我家の経 済を子供心に「空気を読む」には未熟だったような気がする。
今思うに、母に対 し「不平」や「不満」を「物」に当たっていたが、母はそれに対し「大人の対応」 で「大声で叱る」声を発することはしなかった。そこは明治生まれの母である。 いずれ子供たちが成人すれば気付くであろう「今、我が家がおかれた空気」がど のようなものか分かるときが来ると信じていたのではないか。
母のこの気構えを理解したのは、私が成人してのことであり、まさしく、この「空気を読む」である。
このことは、学生時代から社会人になっても続いた。
一方、このことは、物事に対する「優しさ」と表裏になってしまう。人との関係で この「優しさ」が、自分を追い込んでいるのでいるのではないかということに気が付いた。
◆母から教えられたある宗派の偉い住職に、『人というものは、相手に対して言いたいことがあるときには「しっかり」と言う。そしてそれによる「業」 が深ければそれを受け止める「気魂」が大事なのだよ』と。
そこから自分の気持ちに正直になろうと決め、物事に対処するときの気持ちが「楽」になった記憶がある。
山本七平の『「空気」の研究』で、非理論的だとわかりつつも空気に従ってしまう日本人の姿が描かれており、そこから日本人の致命的な欠点が見えてくると。
◆更に「水=通常生」の研究では、「空気」を壊す方法も論じている。それが 「水を差す」である。この「水を差す」ことは、「空気を壊す」作業である。この作業は「勇気」を必要としている。この「勇気」が、「自分の業を受け止める 気魂」ではないかと思う。
一方、この年齢(後期高齢者)になってあまり難しいことを考えると気が重たくなる。
やはり自然に、「空気を読む」「空気を変える」「雰囲気をつくる」「あの人がいれば場が自然に楽しくなる」等。
日常では人生を支える多くのものが「どれも大切」に見える。しかし、シンプルに、「一大事が起こった時にあなたは何を最も重要なものと考えるか?」「最も譲ことが出来ない根本とは何か?」日頃の生活の中で考えてみるのもいいではないか。
◆AYSA 西部部会の事務局(3 年前から会長を兼務)をやり始めて既に7年が経過しようとしている。
スタート時にはそれなりに「空気を読む」ことで会の運営 をしていたが、そこには、周りから見ると随分「力」が入り過ぎていたのかもしれなのではと、教えられている。
ところで、私は、TVでスポーツ番組を見るのが最大の楽しみである。若いアスリートたちが懸命に自分の持てる力を発揮している姿を見ると、一層の励み になる。時には、彼らにも失敗はある。
スポーツを見ながら、次の動きを想像 (「空気を読む」)するだけでも面白い。野球で言えば、この場面ではピッチャーはどんな球を投げるのか?バッターはどんな球を待っているのか?何故あのカウントで走らなかったのか?いろんな作戦が思いつく。
ここぞというときに打てる、抑える。ここぞというときにポイントが取れるプレイヤーたちの成長を願う。
もって生まれた才能もあるが、それなりに練習して努力したプレイヤーも生きる道を必死に磨いている。
スポーツは「瞬間的」な動きであるが、私の経験からすると、やはり「その場面での空気感(雰囲気)が読め」て、しかも「水を差す勇気を持つ」ことに秀でたプレイヤーは強いような気がする。
◆どの世界でも、世代でも物事を行ううえで、 このことは同じと言えそうだ。今も母から言われた言葉を思い出す。「修ちゃん は優しいから、どんな人からも好かれるよ!」と。
中途半端なところはあるが(人間だもの)、この言葉を大事にしながら日々を暮らしている。(完)
(宇部・山陽小野田支部 学17期 MYZ)
山口大学経済学部同窓会
鳳陽会東京支部
【2025年2月 トピックス】
岡山支部 岡山Bさんの投稿
◆養生訓
令和の貝原益軒になった気持ちで書こう
と言っても、自ら養生訓を導き出せる程の人生をまだ歩んでいない…
とあるところにあった貼り紙より
紹介しよう
(掲示物に少し加筆)
◆おなかのこと、考えてみよう!
⇒おなかの王子さまが選ぶ「5つの習慣」ランキングとある
①食べる量:腹八分目医者いらず
②食べものの質:スッキリおなかでバナナうんち
③空腹時間:お休みおなか、次の食事に備えます
④いつもの姿勢:自由に動けてしっかり働く
⑤筋肉の量:バキバキに割れたおなかでなくとも働きやすいおなか
おなかは自分で守る時代とくる
◆ここからは、データサイエンスが語る
→添加物、保存料など年間約4〜8kgがおなかに入ってくる
添加物王国日本と世界からは呼ばれているそうだ
→一生約80tの食べものから約50tのうんちをつくる
1日3回の食、いや機会があれば…
ちょっとしたおやつ、おつまみ、夜にはまたアテと称し、口に…
飲み物に至っては… 水、お茶、味噌汁、coffee… そして、夜の友お酒、何軒目の締めにラーメンときたら…(笑)
口の中は、一瞬で過ぎるけど、おなかの中は、それらを全て一口の不平を口にすることなく、寛容に受け止め、ずっと働いている
①〜⑤の習慣がリフレッシュしてくると次の3つのシアワセをつくってくれる
①おなかに90%の幸せホルモン!
②おなかに70%免疫細胞!
③おなかの環境の良さが良い感じのお肌を!
とくる
これは、自分だけのちょっと見のものとしてではなく、鳳陽会会員の皆さまに、ある養生訓の一つとして紹介したいと考えた
蛇足)
83歳になった貝原益軒が描いた養生訓には次の三楽と四欲(抑)があるとウィキペディアは纏めている
三楽
四欲(抑)
(岡山B)
山口大学経済学部同窓会
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【2025年2月 トピックス】
「ブラックアングル」は戯れ絵師のなせる技
今朝(2月22日)の「あの人に会いたい」は山藤章二さん
「ブラックアングル」の山藤さん、自称”現代の戯れ絵師”!
昭和51年〜令和3年まで週刊誌に2260回連載されたと言うから、その絵師としての力、風刺の力は大きい
年換算すると43年を超える… ざっくり64年位の活動期間からいくとその本気度がわかる
“似顔絵”は風刺、記録、批評であると言う 似顔絵に添えられた文にも世相を描く絵師
·25年間に15人も首相が交替した時代には、”回転寿司”の皿に首相の顔が…”腕は怪しいけど、ネタは新鮮”(笑)と辛口の批評がつく
·郵政民営化を国民に問うた衆議院選の時は、小泉さんの顔が郵便ポストの形をした投票箱に見立てられ、正論*暴論の投函受口が描かれる
しかし、経歴はサクセスストーリーだけではない
芸大(図案科)受験には3度失敗、武蔵美(武蔵野美術学校)に進学、戯れ絵師の基礎を磨く
高校時代からその才は際立ち、学校新聞に挿絵掲載(既に外見だけでなく内面を描きたいと考えていた)
挫折とネガティブが批評に繋がると言うから凡人にも希望を与えてくれる
学校を卒業後、30歳前に野坂昭如の書籍への挿絵に採用される 挿絵は普通文章の邪魔しないがルールだが、逆張りで敢えて”邪魔”をする挿絵!後に山藤スタイルと言う世界を築く
週刊誌の表紙も描く機会を得たが、好·不評が相半ばの中、 2年で降板 その後、週刊誌の末頁を飾る「ブラックアングル」に続く
こんな山藤章二さんが大切にする言葉は「日常最上」、そして揮毫とする
日常の何でもない事がとっても大切で最上の事と言う 幸福感を持てば、その日その日を幸せに暮らせるのではないか… 日々の日常、茶飯の事が尊い
一部の世界では、得か損か、儲かるか、儲からないか価値観が幅をきかす現代…
日本本来の美徳であった、誇り、気骨、品格、謙虚…それらがだんだん失われていく事を一方で嘆いていた
(岡山 B)