9/12 経済セミナーの模様

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2026年9月 トピックス】

9/12土曜の午後、2本のセミナーを開催。

会場は「台場コミュニティーぷらざ」

世界最大規模の噴水ショー「東京アクアシンフォニー」が観覧できる最寄り駅にある。

セミナーは会場参加に加え、webでの参加も可能な2way方式で実施。

山口から、岡山、広島、福岡からもwebでの参加があった。

山大からは前経済学部長・有村先生にもwebで参加頂いた。

会場参加者には大手銀行や証券会社での勤務経験者、団体役員、資産運用歴の長い先輩のほか山大卒業10年の若手青年実業家の参加もあった。

1.資産運用セミナー(90分)

 講師: 町田秀雄氏・23期

事業継続研究所代表理事、GBコンサルタンツ代表、元三菱UFJ信託銀行勤務

◆2024年1月の若い世代に向けた資産運用セミナーでも講師を務めて頂いており、2度目の登板。

東京で富裕層を顧客に持っていた業務経験、二度・延べ8年のロンドン勤務で培った知見を織り交ぜてのプレゼン。

◆「資産は時間をかけるほど安定して増え続ける」として、1965年から50年間、米S&P500の平均利回りが、10年で資産が倍になる7%を超える9.9%(除、為替要因)のパフォーマンスであったことを紹介。

◆世界通貨の話

100年単位で交代する世界最強の覇権国、それと一体の世界通貨。

歴史的な覇権国の変遷と通貨。

ポルトガル→スペイン→蘭(ギルダー)→仏(フラン)→英(ポンド)、そして米(ドル)。

最近の米ドルの弱体化、いやドル離れとも言われる昨今。

決済機能としてはステーブルコインが市民権を得つつあるが、価値が上がっているのが「金(ゴールド)」。

運用先として金の選択肢を説いた。

2.IPO(新規株式公開)ものがたり(90分)

講師:吉原直輔氏・25期

SBI証券営業本部顧問、日本IPO実務検定協会顧問、三菱信託銀行証券代行営業推進部顧問、税理士法人や法律事務所など多くの企業の顧問を務める。元野村證券勤務。

◆株式会社の成り立ちから説き起こし、山口発のユニクロ(小郡商事)の上場までの足取り例を織り交ぜながらIPOの意義とIPOの実務を解説。

企業が目指すは上場。

上場した「上場企業(public company)」は、会社が「社会の公器」になると説く。ルールとして財務諸表の公開が義務付けられ、また多方面からチェックを受けるからだ。

またIPOは当該企業の各層にメリットが及ぶ。

例えば経営者にとっては創業者利得を得ることができ、連帯保証が外れ、経営面でも優秀な人材を獲得が可能となる。さらに事業承継上でも有利に作用する。

また管理部門も強化される。これは規定に基づく運用が行われることから、関係者の負担が軽減されることによる。

社員にとっても有利に働く。ストックオプション制の下で労働インセンティブが高まる。また社会的な信用も拡大することから、ローンを組むときに有利といったメリットありとする。

◆講師のスピーチは手慣れたもので、相当な回数をこなしてきた跡が伺えた。

スピーチの最後では柳生家の家訓を紹介。

小才は、縁に会って縁を知らず

中才は、縁に会って縁を活かさず

大才は、袖すりあう縁をも活かす・・・

追記

会場で出会った縁を深めんがため、乾杯会場へ。

時は土曜の夕刻。

(事務局)

三人の財界巨人 その19 久原房之介⑥

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2026年9月 トピックス】

◆黒鉱の精錬

小坂鉱山。

この鉱山の銀の産出には命脈がつきかけていた。

しかしここには無尽蔵の黒鉱がある。

何とか金・銀以外の金属が取り出せないか、模索することになる。

それには技術者が必要だ。

精錬技術が経営に大きく作用するため、藤田伝三郎は意識的に帝大出の秀才を含む技術人を小坂鉱山に集めていた。

小坂鉱山では房之介も含め、ほぼ同世代のメンバーで、黒鉱から安価に金属を取り出すことを検討していた。

外国で用いられている精錬方法を本格的に学びたいと思って試行錯誤しているうちに、房之介は大森鉱山に赴任し、鎔鉱炉に詳しい武田恭作なる人物がおり、さっそく彼を小坂鉱山に回してもらうよう申し出る。

武田は藤田組の身内だ。房之介の2歳上。

三田尻(防府)の生まれで、東京帝大工学部採鉱冶金科を首席で卒業した秀才でもある。

本部の方では、房之介の最後の悪あがきと思ったようで、房之介の要請を受け入れ、武田は明治30年に小坂に赴任させる。

精錬法の試行錯誤が続く。

ちょっとしたきっかけから、技術陣の一人、青山隆太郎が、とうとう外国にある技術「自鎔精錬法」で黒鉱から銅を取り出すことに成功した。画期的な発見と位置付けられている。

◆溶鉱三羽烏

小坂鉱山では本格的な黒鉱の精錬に入る。

武田は明治32年、東京帝大の後輩で、卒論に「自鎔精錬法」を書いた竹内維彦を推薦し、竹内は小山鉱山への入社を決める。

小坂鉱山はこの独自の精錬法により銅の生産を飛躍的に高め、小坂鉱山は復活を果たす。

「羽口炭採用、溶鉱炉による生鉱吹製錬」

・青山隆太郎

秋田出身で古川鉱業の人員整理で藤田組へ入り、房之介と同い年。

・米沢萬陸

秋田出身。房之介より1歳年上。房之介が小坂鉱山赴任時の所長だった仙石亮氏から物理や化学を学んだ。のちに日立鉱山社長になる。

・そして、房之介より5歳年下で、武田の後輩、愛媛出身で東京帝大採鉱冶金科卒の竹内維彦。初代日本鉱業社長。

この三人が溶鉱の三羽ガラスと呼ばれることになった。

竹内が入社した翌、明治33(1900)年の元日、房之介が小坂鉱山の所長に就任する。

(学23期kz)

武田恭作
青山 隆太郎
米沢 萬陸
竹内 維彦

三人の財界巨人 その18 久原房之介⑤

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2026年9月 トピックス】

◆小坂鉱山に赴任

房之介は明治24(1890)年に青森県県境秋田県鹿角郡・小坂鉱山に赴任した。

当時22歳。

一時は藤田組の稼ぎ頭だった小坂鉱山も、銀の産出が頭打ちになり始めたのが明治21年。

また、毛利家からの借金がかさみ、毛利家側は藤田伝三郎から小坂鉱山の経営権を取り上げ、若いて優秀な人材を小坂鉱山に投入すべく要請していた。

大阪の藤田組本店の方では、小坂鉱山は実質的に伝三郎の長男・平太郎に移っていた。

藤田組が房之介を小坂鉱山に送ったのは、小坂の復興要員、あるいは撤退・残務処理要員、この両にらみだったのだろう。

房之介は、工夫の賃金は月給8円のところ、月給10円の平社員として小坂に赴任している。

この時、所長・仙石亮の月給は130円。

工部省鉱山局所管の佐渡金山から藤田組に入った招聘された技術だ。

房之介は取締役の息子ということで、周りは恐れていたが、物静かな房之介に周りは安堵したという。

また、房之介はこの小坂鉱山赴任時代に鮎川義介の妹・清子と結婚した。

これも井上馨候の仲介によるものではないか。

十和田湖に近い小山鉱山勤務の時に新婚生活を送った。

この結婚で、11歳年下の鮎川義介は久原房之介にとって、義理の兄ということになった。

◆経営悪化 

明治27(1994年)年 事業部長心得、月給40円。

明治29(1996)年には事業部長に就任。

明治27、28年の日清戦争で鉱山経営は潤うかに見えたが、戦後の混乱は藤田組を危機に陥れることになった。

鉱山経営にはカネがかかる。

小坂鉱山だけではなく大森鉱山(石見)も不調だった。

これまで藤田組では井上候に間に入ってもらい、毛利家から明治18年に20万円を借り受け、明治24年には再び27万円を借り受けた。

しかし明治29年、3度目の融資を受けた時には毛利家からの借入額は累積で227万円に上っていた。

この時毛利家が藤田組に出した注文は小坂鉱山・大森(石見)の両鉱山は売却し、児島湾干拓に専念すべしというものだった

この年・明治29年に、大阪の藤田組本部から小坂鉱山はいずれ売却するので撤退の道筋を検討しておくようにとの秘密の連絡が入る。

◆房之介の打開策

本部からの撤退指示に、房之介は納得がいかなかった。

露天の「土鉱」での銀の採掘は限界に近づいていたが、ここには「黒鉱」と呼ばれる豊富な鉱脈があることは分かっており、この黒鉱を何とかすれば道は開けると踏んでいた。

黒鉱は銅・鉄・鉛・亜鉛を含む黒色緻密な鉱床だが、金属の含有量が低く、既存の技術で黒鉱から銅や金銀を取り出すには大量の燃料を必要とし、コストが合わなかったため潜在的には「黒い宝石」といわれながらも、「無用な鉱脈」とされていた。

黒鉱を活かすためには、要は採鉱・精錬の技術をもって打開するほかない。

ニューヨーク行きを曲げて藤田組に転職させられ、このままでは、結果的に「廃鉱要員」として秋田に送り込まれた形になる房之介の小坂鉱山行きだ。

房之介にも意地があった。

このまま小坂鉱山を廃鉱にしてたまるか!

本部の意に抵抗し、「今にみておれ」との意を強くする。

また房之介は藤田組での父・庄三郎の姿を見て痛々しく思っていたようで、小坂鉱山での仕事を藤田組への最後の奉公にしたいと思っていた。

(学23期kz)

追記

<銀価格の暴落をもたらした金本位制>

明治政府の本則は金本位制だ。

明治4(1871)年に様々な金、銀、銭貨、藩札など様々な貨幣が流通していたため、通貨を統一すべく新貨条例を公布。

金本位制(貨幣は金と交換)を採用し、通貨単位は円、銭、厘とした。

しかし当時は金・銀交換比率が海外と異なっていたため、金が海外へ流出し、金が不足していたため、金・銀複本位制となっていた。

ただし、金本位制の欧米と異なり東洋では銀貨による対外支払いが一般的であったこと、金の退蔵と政府不換紙幣の大量発行(西南戦争など)により金がほとんど流通しなかったことから、事実上は銀本位制が続いた。

金本位制になったのは明治30年。

明治30(1897)年の日清戦争の賠償金2億両が英国金貨で支払われたため、本則の金本位制に移行。

これにより、銀の価格が下落し、「産銀」による小坂鉱山の経営を圧迫させた。

明治3年 一圓

山口大学準硬式野球部 第78回全日本準硬式野球選手権に出場

2026年8月21日(金)から8月26日(水)にかけて石川県にて開催された「文部科学大臣杯 第78回全日本大学準硬式野球選手権大会」に山口大学準硬式野球部は出場した。

山口大学HPによると2026年8月4日(火)、山口大学体育会準硬式野球部が谷澤幸生学長を表敬訪問。硬式野球や軟式野球との違いを説明した。部員たちから実際に使用するボールやバットを用いた説明を行い、2026年度中国地区大学準硬式野球連盟 1部春季リーグでの戦績などを報告した。

私は山口大学準硬式野球部のOBであり、下記全国大会出場の経験もあり。

「山口大学経済学部の4年時の春の1部リーグ戦(岡山県真庭郡久世球場)で優勝することができ、念願の第32回全日本大学準硬式野球大会に出場の切符を掴んだのであった。 1980年8月5日~9日 香川県高松市市営球場にて開催出場し、初戦敗退したVS専修大学。 あれから、46年経過した。」

2026年8月22日(土)の神奈川大学との初戦(石川県白山市あさがおスタジアム)についてインスタグラムで観戦した。神奈川大学は、甲子園出場経験者が所属する強豪校との事前情報。結果は下記。


山 口 大|000 100 000|1
神 奈 大|000 000 21X|3

山口大は先制するも7回の攻防で1-3で逆転敗退! 残念、惜しかった。

試合も一球一球を大切にした全員野球であったが、一歩及ばず。

敗因分析→7回の攻防。

7回表…山口大は先頭打者が出塁するも、素早い牽制でアウトをとられる。さらに二者連続奪三振で神奈川大チームに流れが傾いた。

7回裏…神奈川大の打者が山口大野手のエラーの間に出塁。2死1塁からツーベースヒットで2死2.3塁のチャンスを作られた。次打者のタイムリーツーベースで2得点!

この回に逆転される。

対戦した神奈川大学は、翌日の名古屋商科大学と2回戦で対戦 僅差で敗退。

野球はミスをどれだけ減らすかの全員で取り組む競技。また今回の全国大会に向け練習した仲間(起き伏す友)は永遠の友。 ご苦労様。ありがとう。

花なき山の 山かげの
月も宿さぬ 川の辺の
はせに立ちたる 学び舎に
起き臥す友よ いざつどへ

              以上 大29期  KY

白山市あさがおスタジアム
岡山県真庭郡 久世球場

秋穂での悲話ふたつ

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2026年8月 トピックス】

◆同窓生が書いた秋穂での悲恋

4年前、このトピックスで書いたトピックス記事がある。

タイトルは「山口再訪 出会いし市井の優れ者」。

・・・山大ワンゲル部OB会長を務めていたという古谷眞之助さんのことだ(トピックス・アーカイブ2022年11月)。

この時のトピックスでは、古谷氏を次のように紹介した。

「著名人が山口を訪ねる際、地元の史跡を紹介する役として抜擢され、テレビにも何度か出演したという有名人だ。また、萩往還をガイドした際の風景をイラスト画にしている。また多才で、40歳を過ぎてグライダーの魅力にはまり、操縦免許を取得しているほか、歴史ものの著作物も多い」

今回紹介するのは、古谷さんの新作

「秋穂(あいお)心中異聞—小説「鋭武隊隊士・吉岡新太郎と雅」

という歴史小説だ。(2026年2月25日発行)

これは史実だという。

主人公は長州にあって維新を担ぐ諸隊(鋭武隊)隊士・吉岡新之助と商家の娘・雅との悲恋・心中話だ。

両者の墓が秋穂に残っており、史実を古谷氏の創作で繋ぎ書き起こした小説だ。

◆あらすじ

主人公の新太郎は商家の次男。7歳の時に保守派(俗論派)萩藩士・吉岡徳之進の養子となり、藩士として厳格に育てられていく。しかし、物心がつくと、勇ましく「尊王攘夷」を掲げる正論派に惹かれるようになり、育ての親・徳之進に背く形で家出を決め、諸隊(鋭武隊)に入隊する。

真面目で優れものの新太郎だ。隊で頭角を現し、中隊指令(中堅幹部)を任されるようになる。

ある時、駐屯を命ぜられ大坂で職務に就くが、そこで出会ったのが、商家の長女山邑雅だ。この二人はたちまちにして相思相愛の仲となる。新太郎が26、雅が21の時だ。

しかし間もなく新太郎に山口・秋穂での勤務が命じられる。秋穂に向かい勤務に精を出すが、雅のことがどうしても気にかかる。

雅も新太郎を想う気持ちは同じ。一刻でも早く新太郎の近くに身を寄せたいとの思いが日々募る。

雅は一人で盛りしていた商家を弟夫婦に任せ、新太郎のいる秋穂へ向かった。

新太郎は雅の大胆な行動に戸惑いはしたが、隊に休みを届け秋穂で雅と再会、お互いの思いを通じさせる。

しかし、新太郎は立場上いつまでも隊を空ける訳にはいかない。

かといって雅を大坂へ返したくはない。

この先どうなるか。

もともとは商家の次男の新之助だ。隊を辞めて雅と夫婦になり、大坂で商売をやるか。

しかし、今はサムライだ。武家と商家との婚姻は身分の違いから壁が高い。

正式な夫婦になるには両家の承諾が必要だったが、新太郎は家出をしており、養父から婚姻の許しが出るはずがない。

また、隊に戻っても、籍を入れないメオトは隊の中で認められない掟になっていた。

夫婦然として、しばし身を処した秋穂の旅籠。

行き詰った二人が選んだ道は・・・

この話、地元では「秋穂のロミオとジュリエット」と呼ばれているらしい。

墓が秋穂に残っている。

長州藩の公式記録には、新太郎は「除隊、病死」となっているという。

出展:サンデー毎日

◆もう一つの悲しい話

この秋穂、国民宿舎「海眺の宿 あいお荘」が有名で、近くでエビの養殖をしていることから、エビ料理で知られている。

バスが通っているが、車を持たない者にとっては少し不便だ。

その秋穂荘が閉店する。山口市が「株式会社あいお」に、国民士宿舎の運営を委託していたが、明日9月1日から「当分の間、利用休止することを発表した。

理由は宿泊ニーズの変化や施設の老朽化、燃料費、食材費のコスト高によるという。

「私が事業を継ぐ!」と手を挙げた者は・・・

・・・いなかったのだろう。

「あいお荘」も墓となるのか。

無責任な言い方だが・・・「もったいない話」だ。

(学23期kz)

秋穂荘 ラウンジから海を望む
天然温泉露天風呂

三人の財界巨人 その17 久原房之介④

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2026年8月 トピックス】

◆房之介の就職

就職は商事会社の森村組。主に欧米へ陶器を輸出している商社だ。

房之介が藤田組の一員になることを避けたのも、「自主自尊」を主張する福沢に感化されたことによる。

社長の森村市左衛門は豊前中津藩の御用商人。

中津藩といえば・・・中津藩出身の福沢諭吉がいる。

森村市左衛門と福沢は同郷人同士の繋がりがあった。

久原房之介が慶応大で森村の講演を聞いたのも、森村組へ就職する契機となった。

森村は時折慶応大で講演しており、そこでは幕末開港時以降、海外に流れた日本の富である「金(きん)」を、貿易を通じて取り戻すという公共的使命を説いていた。

藤田組の役員の息子である久原房之介が藤田組ではなく、ライバルともいうべき森村組に入って来ることを森村自身が嫌ったようで、なかなか入社の許可を出さなかった。

育ちの良いところの子息の出来がたとえ悪くても、容易に首を斬れないというような過去の経験もあったのだろう。

しかし、森村は熱心な房之介に折れて入社の許可を出すことになった。

房之介の入社当初森村は森村で房之介を意図的に「倉庫番」に配属してみせ、「資産家のボンボン」の仕事ぶりを観察することにした。

ところが、房之介は倉庫番でも腐ることなく、気の利いた優れた仕事ぶりを見せ、すぐに支店長の相談役なども務めるようになったという。

そこで、森村は房之介を森村組の幹部に据えようと腹を固め、10年間のニューヨーク行きを命じた。

その時相当に喜んだのは房之介自身だ。ところが・・・

◆取り止めとなったニューヨーク勤務

しかしこれに激怒したのが井上馨候だ。

藤田組はその時経営が傾いており、藤田家が存亡の危機にある中で、藤田組を支えると見込んでいた久原房之介を森村組に入社させ、ニューヨークに駐在させることを容認した父・庄三郎を、井上候は叱りつけた。

井上馨候が一度癇癪を起すと、大変厄介なことになるのは有名な話、周知の事実だ。

結局、房之介のニューヨーク行きは取り止めとなり、房之介は森村組も辞めさせられ、藤田組に入ることになった。

◆小山鉱山の経営悪化

藤田組が金・銀が出る秋田の小坂鉱山を政府から払い下げを受けたのが明治17(1884)年。

小山鉱山購入の名義人となっていたのが久原房之介の父庄三郎だった。庄三郎は東京に詰めており、庄三郎が名義人となった方が政府との交渉や手続き上、都合がよかった方からだ。

藤田組はこの時すでに複数の鉱山を経営しており、この中でも小坂鉱山が主力の鉱山となることを見込んでいた。

鉱山を購入した当時は経営状態も良好で、銀の生産も官営時代よりも格段に産出量が増加したようだ。

小坂鉱山の銀の産出量が頭打ちとなったのが明治21年。

この時、世界の大勢は金本位制に傾いていた。金本位制になれば銀の価格は下落する。

このため小坂鉱山も手放した方がよいという意見も出ていた。

(結局、金本位制に切り替わったのが明治30年・1897年。)

◆小坂鉱山への赴任

明治24(1891)年に房之介が小山鉱山へ赴任する。

鹿角(かづの)盆地の北端が小坂鉱山だ。青森県の県境近くで、十和田湖も近い。

房之介22歳の時だ。

房之介を小坂鉱山に差し向けたのは小山を廃鉱にすべきか、鉱山再生の道が開けるかを探らせるためだ。

半々の賭けか?

実はそうではなく、事業資金を出していた毛利家=井上馨や藤田組幹部の間では、小山を廃鉱にする方針を固めていたようだ。

他方、藤田組の間でも総帥の藤田伝三郎は小坂鉱山の経営権を毛利家・井上馨サイドに剥奪されながらも、事業者の「勘」で、良質な鉱脈を持つ小坂鉱山から有益な鉱物を採取する採鉱方法を用いることによって鉱山を再興させる手法を模索していた。

すなわち、監督官庁の専門家や東京帝大で冶金関係の技術を学んだ若く優秀な学生を多数小坂鉱山に集めていたのだ。

やがて、藤田伝三郎の目利きと久原房之介の優れた経営手腕により、小坂鉱山は藤田組の救世主となっていく。

つづく

(学23期kz)

小坂鉱山 ウィキペディア

80年代の博多で活躍されていた同窓の公認会計士・・・長府先輩(学15期)

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2026年8月 トピックス】

岡山支部 岡山Bさんからの投稿

◆80年代博多で新入社員生活のスタートを切った。
今は昔かも知れないが、経済系の卒業生の職種群として、経理・管理担当の事務屋

の仕事があった。


本社は東京。博多は九州管内の販売本部の拠点。

その当時全国の10%市場であった九州、仕事を通して、広く経理・管理を学ぶ場

所であった。

経理の仕事をしていると新入社員といえども、年一回外部の会計監査を受けることは

必須!かつ大切な業務であった。

(勿論、矢面に立つような急場はない。しかし、準備のための資料揃え、紙の綴り込

んだ塊の準備等々をするのは若手の重要業務!)

公認会計士の世界では当時から誉れ高かった野々川先生、その方が率いる栄光会計事

務所(後のセンチュリー監査法人  )だったと思うが、その任に当たられた。

東京からの人員だけでなく、博多の現地で監査業務の応援を委託された公認会計士が

博多在住の長府先輩(大学15期)であった。


◆今は学部には職業会計人コースが設置されている。公認会計士、税理士を数多く輩出す

る様になっているので、”あの野々川先生だ”と頷く同窓の方もいるかも知れない。


念のために野々川先生を紹介してみよう。
昭和48年著書の『異常点着眼の監査技法』において、第1回日本公認会計士協会学

術賞を受賞。昭和62年には、公認会計士試験第三次試験委員を平成2年まで担当されていたので、その任にあった時に将に監査を受けたことになる。

ある意味、実際の企業監査において、現場の会計監査に最も通じた現場力のある方だ。

古書としても今なお『異常点着眼の監査技法』はその洛陽の紙価を高めているかもしれない。
「本当はそうじゃないんじゃないの?」と言うのが、監査の極に発せられていた言葉のような記憶がある。(北海道ご出身でその地の言葉を大切にされていた)



◆では、長府先生について(長府先輩でなく、公認会計士としての長府先生)、同窓会誌「鳳陽」に何度もその名が登場されていた、鳳陽会福岡支部の重要なメンバーである。15期を中心にその前後の会合、集まりには必ず名前がある方だった。

野々川先生が北海道弁を使われる名士であれば、長府先生は生粋の博多弁で監査を進めておられた。九州販売本部と言う土地柄からすると長府先生の訛りがしっくりくる。(笑)

九州管内の販売と製造の会計処理を統括する場所で、”北・博の訛り”が飛び交う監査。

そして、会計監査の合間の束の間の寛いだ雰囲気の中でも”北・博の訛り”の掛け合いも

一興の趣があった。

公認会計士試験第三次試験委員をも担うことになった現役の公認会計士さんが、博多で

会計監査の応援を依頼されたのが長府先輩であった。

◆経済学部には2004年に職業会計人コースが設置された。

それ以降もあまたの卒業生が、在校生が職業会計士として資格を得て、継続的に活躍されている。

今は昔話の古い話になるが、野々川先生の『異常点着眼の監査技法』と、大学15期の長府先生のお話は是非紹介しておきたいと考えた。

勿論、自分は学校を出たばかりで、長府先輩に声掛け出来るほど肝は据わっていなかっ

た。返す返すも残念至極。

10月11日(日曜)・BBQ晴海のご案内

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2026年8月 トピックス】

本企画は、秋に行う初めてのイベントです

会場は晴海。東京駅からも近い海浜エリアでBBQを行います

遠方からも参加できるように、三連休の中日に実施します

当然手ぶらでOK!

●期日 10/11日(日曜)14:00 ~

●会場  Local BBQ   晴海   (東京都中央区晴海5丁目2−3 はるみらい 4F)

●参加費 6千円。ただし女性と60期以降の会員は4千円

●交通 

  都営大江戸線「勝どき」駅 徒歩16分
  都営バス「ほっとプラザはるみ前」徒歩1分
  TOKYO BRT「はるみらい」徒歩1分

中央区晴海の屋上バーベキュー 場 | LOCAL BBQ – Harumi

イベント参加登録【BBQ晴海】


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    “獺祭”が宇宙(そら)を飛ぶ

    山口大学経済学部同窓会

    鳳陽会東京支部

    【2026年8月 トピックス】

    岡山支部 岡山Bさんからの投稿

    ◆曾て、”ジュリー〜”と樹木希林さんが叫ぶ。

    そのジュリー、”TOKIOは空を飛ぶ〜”と歌った。

    今朝(8月26日)のニュースでは「獺祭」が宇宙に飛び出し、宇宙で醪(もろみ)を発酵させたものが地球に帰還し、大吟醸酒が造られていると言う。

    そもそも、醪の発酵は水と蒸米、酒母と米麹で仕込まれる。

    発酵により、仕込みタンク内を循環させ、度合いを高めていく。この内部循環の動きは重力による上から下へ、そして温度差を利用したもの。

    重力の無い宇宙では?大手機械メーカーの協力も得て、この内部循環の対流を機械的に作り、小さなカプセル(樽)の中で育てる。

    帰還した宇宙仕込みの醪には、獺祭製造元の山口県岩国の旭酒造の櫻井社長は、「おかえりなさい」と声をかける。

    もう既に瓶詰めして商品化されている様なので、鳳陽会会員の皆さまの喉を潤す日も近いかも知れない。

    ◆小樽商大がGlo‐calを標榜して学生育てに努められている話を聞く。

    ならば、山口は獺祭宇宙を飛ぶに活きを得て、Univer‐cal位のこころ意気をもって学生育てをしたら、どうだろう! 

    醪が日本酒を造る前の前段階と言う。学窓をいづる前の学生育てにも親和性が良い。

    今朝のちょいワル親爺の夢想…です(笑)

    SACHI BUKUROって何だろう?

    山口大学経済学部同窓会

    鳳陽会東京支部

    【2026年8月 トピックス】

    岡山支部 岡山Bさんからの投稿

    ◆オーストラリアに行った友人からあるお土産を戴いた。
    その品は小さな革製品で、色は濃い茶色、そして革の継ぎ目がない、当然糸の縫い目もない。
    形からすると小銭入れ用かな?

    革に焼き印のようなもので刻印されている。文字は「SACHI BUKURO」

    と来る。うん?謎めいてきたぞ・・・

    ”オーストラリアのさちぶくろ”でネット検索すると、答え一発!
    1970年代のミニ電卓のコマーシャルで使われた文言のように、明確に答えを出してくれる。(ウィキペディアによる)

    ◆オーストラリアのさちぶくろ
    ”幸袋(さちぶくろ)は、オーストラリアの雄のカンガルーの「フクロ」の皮をなめして作られた、現地のお土産用の小さな巾着袋です。
    金運などの縁起物やユーモアのある小物入れとして知られています”とくる。
    さらに調べてみると「ラッキーポーチ」(金袋)とくる。

    お土産として商品になっている。 切り取られ、皮の鞣しをされ・・・

    同性としては、何やらこれは大層痛そうな話になる。同情しきり!
    (野球をやっていると、たまたま、いや偶々が玉玉となると悶絶して額から脂汗を流すこととなる。そして、腰の後ろを強めに叩いてもらって、なんとか傷みが軽減する。)

      ”小銭入れ(コインケース)、 ゴルフボール入れ、印鑑・アクセサリーケース、お守り・車のインテリア”と、使い方についてもいろいろと提案してくる。  

    さちぶくろを貰った事から、そしてこんなことを調べてみた事から・・・

    自分は同情の誼も持って、当初通り、今後も大切に小銭入れとして使おう。

    ◆「さちぶくろ」に出逢えたこと、福・徳・満に満ち、福徳円満、福徳長寿、功徳円満とまで行けるとするならば、これからの人生が一層楽しくなる。

    (友人は”人生の応援グッズ”として準備してくれたのでは?と良い意味で忖度する(笑))

    鳳陽会会員の皆様におかれても、違った形での「さちぶくろ」に数多く出逢われていることでしょう。

    また、鳳陽会は良い機会を準備してくれます。

    いろんな意味で出逢いを大切に♪♪♪

    (岡山B)