改訂されたホームページはこちらです
https://houyoukai-tokyo.exp.jp/
同窓生相互の交流を拡げ深めるツールとしてご利用ください
(事務局)
山口大学経済学部同窓会
鳳陽会東京支部
【2025年3月 トピックス】
前日の冷たい雨がウソの様な晴天の下第98回鳳陽ゴルフ会が桜満開の筑波東急ゴルフクラブで開催されました。
大学17期の鹿毛さんから58期の紅一点、篠田さんまで12名の同窓が集いました。
優勝は27期の七村さん。世界中のゴルフ場でプレーされているだけあってグロス86と唯一の80台。
準優勝は幹事の37期上野、3位は豪快なドライバーが健在の19期平田さんでした。
七村さんより寄贈いただいた副賞のドンペリ シャンパーニュは準優勝の上野が頂きました。(ありがとうございます)
次回は、9月もしくは10月の週末に開催予定です。
詳細は6月頃ご案内します。
100回まであと2回、皆さまのご参加をお待ちしております。
幹事 37期上野啓
山口大学経済学部同窓会
鳳陽会東京支部
【2025年3月 トピックス】
4月1日付で渡邊岳彦氏(学34期)が日立システムズの代表取締役社長に就任する。
渡邉新社長は1964年3月生まれ(61歳)で防府市出身。
1986年3月に山大経済学部を卒業。
同社によると「長年にわたり日立システムズに貢献し、さまざまな役職を通じて幅広い経験を積んだ実力者」(同社)であり、2021年に同社の常務常務執行役員、2023年に専務執行役員に就任していた。
同窓一同、今後のご活躍を祈念したい。
同氏の経歴と顔写真は下記2025年1月31日付、日立システムズのプレスリリースに掲載されています。
https://www.hitachi-systems.com/news/2025/20250131.html
(鳳陽会東京支部事務局)
山口大学経済学部同窓会
鳳陽会東京支部
【2025年3月 トピックス】
岡山支部・岡山Bさんの投稿
ウィキペディアで高島善哉の教え子として紹介されている名前を眺めると、そうそうたるマル「経」の研究者が並ぶ。
投稿された学23期kz氏の「横目で見た経済学」 を、さらに”横目”で見た 編を書こう(敬称略)。
経済学を学ぶとき、その立ち位置として、近代経済学を選ぶか、あるいはマルクス経済学を選ぶかは、kz氏ご指摘のように重要な選択である。
kz氏の論評は、既に多くの示唆に富む考察がなされ、今後の後編の展開を楽しみにしている。
「横目で見た経済学」 を さらに”横目”で眺めてみると80年代の経済学部のある場面に出会う。
では、80年代初頭の経済学部を見よう。
名古屋大の水田洋のお話がありました。一橋の高島善哉ゼミで学ばれた水田洋、その先輩にあたる方で、わずか数年間ですが、山大で教鞭を取られた先生がいます。
その先生の名は川崎文治先生です。大阪市大で定年前(60歳頃)まで勤務され、山大に経営学の大学院設立の為、招聘した先生です。
専門は賃金論、労務管理論です。経営学総論を担当された時の教科書はミネルヴァ書房の経営学シリーズもので、「現代資本主義と経営学説」。そのシリーズの編集者の一人にも名を連ねる大家です。80年代経済原論ⅡA担当の吉村先生が後年勤務することとなる、北九州市立大学では学長もされておられました。)
直接の授業は受けたことがなかったのですが、退官時の最終講義(81年1月)に参加しました。昔学務の掲示板の廊下の前にあった6角形の大講義室を満席にしての講義です。
子細な内容については、たまたま運よく、ネットで ”川崎文治 + 経営学への反省” で検索すると、最終講義の要約に出会えます。この先生の経営学に対する姿勢について、伺い知ることが出来ます。
経営学を大きく”一括り”で捉える話がある。一方、きっとその道に進まれた方にとっては、①経営の現実の現象を実学として、分析し、アプローチして行こうとするアメリカ型の経営学(management)と②ドイツ国内では金儲け論との批判を受けながらも少し思想的、哲学的深みも持ちながら経営を研究しようとするドイツ型の経営経済学(BWL)がありそうだ。(この見方は、私見の色彩が強いことをご容赦戴きたい)
先の経営学の二分類から行くと、将に後者のドイツ型の経営経済学を中心として研究をされた方です。
要約の部分でカットされている部分を微かな記憶を辿れば、次のようなことも話されていた記憶があります。
戦時下では、マルクス経済学を表だって研究するのは差し障りのあるご時世。その隠れ蓑として、アダムスミス等を研究することを余儀なくされていたそうです。
高島善哉しかり、水田洋しかり、アダムスミスの研究者の第一人者のひとりであることの裏話として、このようなことがありそうです。
そして、ウィキペディアで高島善哉の教え子として紹介されている名前を眺めるとそうそうたるマル径の研究者が並ぶ。長洲一二、平田清明、佐藤金三郎、kzさんの文書に出てくる中村貞二もその名を連ねている。また、財界人では、川勝賢二(三和銀行元頭取、経団連副会長)。
中村貞二はマックス・ヴェーバー研究者として有名である。
川崎文治先生招聘の目途であった経営学専攻の大学院は成し遂げられなかったが、当時の若手研究者にとってはこの上ない学問的刺激であったことが予想される。
神戸大学経営学部で日本のドイツ経営学の第一人者であった市原季一の院生、その後山口で教鞭を取った亀本先生、増田先生への影響力は大であった。
山大の経済出身であった亀本先生はこよなく山大を愛する熱血助教授。川崎文治先生の後を継いで、経営学総論を担当されました。また、その少し前の時代には経済学部で取り組まれていた寡占論に関係する研究にも積極的に参加をされています。
増田先生は、ドイツ経営経済学のニックリッシュ研究、カトリシズムに関連する経営学と研究を深めていかれました。
②大塚史学の話がありました。秋草先生の後任は及川先生と言って、大塚先生の愛弟子の方が後任を務められておりました。勿論教科書は、大塚史学の「欧州経済史」でした。
(岡山B)
山口大学経済学部同窓会
鳳陽会東京支部
【2025年3月 トピックス】
ビジュアルや機能の大幅アップデートを行い、ホームページとして見やすく、また使いやすいように心掛けました。
今回のホームページの改訂が会員のみなさま同士の交流の深まりや、同窓会活動の拡がりにつながることを願っています。
鳳陽会東京支部事務局
山口大学経済学部同窓会
鳳陽会東京支部
【2025年3月 トピックス】
学23期 倉田一平(ペンネーム)
大正10年(1921年)生れの親父は、7人兄弟の三男で、当時としてはかかる大家族は決して珍しくはなかったようだ。地元の工業高校を卒業した後、教師の勧めもあり大学入学を希望していた。
早くに父を亡くし女手一つで大家族を支えていた母親は、説得のため来宅した教師に、厳しい家庭の経済事情を説明してあきらめさせたようである。
その後、親父は就職し勤め人となったが、苦労しながらひとりで町工場を立ち上げた。私を含めた4人の子供達には、絶対に大学に行かせるという信念が独り立ちを決意させたらしい。
昭和46年(1971年)春、息子(私)の晴れ姿を見るべく父母が山口大学経済学部学舎(当時は山口市))に来るも、大学紛争真只中で、校舎内は椅子や机でバリケードが張られ、山口大学全体の入学式どころか、経済学部の入学式の行事もなかった。
長期化していた大学紛争が落ち着き、学内に春と平和が訪れ、全学部を挙げての卒業式が8年ぶりに開催されることになった。昭和50年3月のことである。
ゼミ担当教授の鈴木重靖先生からご指名を賜り、同時にゼミの仲間達から応援を頂き、全学部卒業生総代の名誉を私が頂戴することになった。
答辞内容は、すべて自作すべしとのことで荷が重かったが、父のアドバイスで、答辞の出だしを「春風駘蕩、本日の良き日、ご来賓の皆様、ご列席の先生方々…」としたことは、今でも記憶に新しい。
学生運動に塗れた長い月日のトンネルを抜け、数千人の全学部卒業生が一堂に会し、卒業式を迎えたことはよい思い出である。
答辞を読み終えると、対面の中村学長がマイクに入らぬ小さな声で、「おつかれさまでした」と笑顔でお声掛け頂いたのを思い出す。
親父に少しだけ喜んでもらえたかな…、そして、きっと客席で涙を流したかもしれないと想像した (私自身、親父の涙を流す姿は結局生涯みたことがなかった)。
本年3月に行われた山口大学全学部を挙げての卒業式は、経済学部から女性の総代が選出されたと聞き懐かしく、50年前に総代として壇上に立ったのを思い出し、ペンを執った次第。
学23期 倉田一平(ペンネーム)
山口大学経済学部同窓会
鳳陽会東京支部
【2025年3月 トピックス】
◆12勝3敗同士の優勝決定戦となり、大の里が3回目の優勝となりました。
私個人としては何度も挑戦しても、怪我や勝負運に恵まれなかった高安の優勝を見たかったです。
高安、初優勝ならず。
3敗しても優勝する私の危惧する大の里の一強時代到来か。
◆新横綱豊昇龍誕生で場所は始まりましたが、初日早々、阿炎に敗れ、3個の金星を与え、9日目から休場となりました。
場所前から頸椎を痛めていたので仕方ないか。
私が三賞を予想した阿炎、王鵬、金峰山は何れも負け越しました。
応援している阿炎は大関琴櫻も破り3連勝スタートでしたが、その後、5連敗を交え、まさかの負け越し。
私は左足を痛めていると推測。
来場所は平幕陥落。
千秋楽高安との一番を見ても左足を痛めているのは明らか。
怪我を治さない限り、厳しい。
期待の王鵬は立ち合いに攻め込まれ後手に回ることが多く、エンジンが掛かるのが遅い。千秋楽安青錦に敗れ、6勝9敗。
先場所大活躍し、今場所も大活躍必至と見た金峰山、6勝9敗とまさかの負け越し。
◆美ノ海(31歳)、安青錦(ウクライナ出身)の両力士は敢闘賞を獲得、特に安青錦はこれからも上位で活躍する有望株か。
後は尊富士、伯桜鵬が安定した力を発揮している。
十両優勝の草野もこれから注目です。
カド番を8勝7敗で脱出した琴櫻、先ずは大関として責務を果たしてほしい。
◆応援している力士では若元春9勝6敗勝ち越し。
平戸海9勝6敗は素晴らしい内容。
玉鷲10勝5敗。
今場所から応援している十両、木竜皇は大怪我で休場。全治3ヶ月とは。
2勝5敗8休
幕下、深井3勝4敗。
三段目千代栄4勝3敗。
山口市絡みで応援している若輝元、3連勝スタートだったのに4勝3敗。勿体ない。
千代大宝、2勝5敗。
今場所から応援の錣山部屋の岩国出身の寺尾松、芝田山部屋の岩国出身の錦国共に3勝4敗。
大当利2勝5敗。
翔傑4勝3敗。
最後に今場所も死に体か勇み足か、微妙な一番が多かったような気がします。
(学22期Y・Y)(永倉ゼミ)
※コメントを宜しくお願いします。
①トピックス末尾の「コメントを残す」欄から。
あるいは
②私のメールアドレスへ
0rb6672r388367t@ezweb.ne.jp
山口大学経済学部同窓会
鳳陽会東京支部
【2025年3月 トピックス】
◆3月18日(火)18:30~東工大蔵前会館2階レストラン (大岡山駅から徒歩1分)で開催されました掲記365y 株式会社創立10周年記念交流会に大田区南六郷での仕事を終えて駆けつけました。(会費: 3,000円、定員: 30名 (事前予約制))
◆小山文彦氏はサッカーJ2レノファ山口会長をされており、私は昨年からレノファ山口を応援しておりますが、経営されている365y 株式会社のことは殆ど知りませんでしたので、聴いて見たいと思った次第です。
交流会は立食スタイルでしたが、暫くして映像を交えてプレゼンテーションがありました。
◆スタートアップ創業支援、第二創業支援、プロスポーツクラブ経営支援、海外進出支援、経営人材育成の事業内容で、参加者もレノファ山口ファンを始め、スポーツ支援に携わったり、関心がある人が多く、実際は50~60名の方が参加されていました。
なかでも昨年日本一に輝いた横浜DeNAベイスターズのスタッフのS氏が参加されていて、以前、中日ドラゴンズで、トレーニングコーチをされていたということで、お付き合いのあったコーチ陣の名前を挙げ盛り上がりました。
兎に角、小山文彦さんの人脈の広さに驚きました。
小山さんは山口大学人文学部を卒業されていて52歳です。
周南市のご出身で周南市を始め、故郷山口に恩返しをしたいと。
◆私も退職後、以前は多種多様な交流会に積極的に参加していましたが、社名や肩書のない白い名刺を持参し、久しぶりの参加となりました。
起業を目指している人もいて、若い人の息吹に圧倒されました。
最後は全員で記念の集合写真を撮りました。
まだまだ熱い歓談は続いておりましたが、20時20分大岡山を後にし、帰途に就きました。
(学22期Y・Y)(永倉ゼミ)
※コメントを宜しくお願いします。
①トピックス末尾の「コメントを残す」欄から。
あるいは
②私のメールアドレスへ
0rb6672r388367t@ezweb.ne.jp
山口大学経済学部同窓会
鳳陽会東京支部
【2025年3月 トピックス】
岡山支部 岡山Bさんからの投稿
歴史を追うと、「社)東京放送局が、東京芝浦の仮放送所から放送を開始した。その日が今は放送記念日」というから、その歴史は古い。大正末期、昭和(1926年より)、平成、令和と時代を刻む。
1925年3月22日、日本でラジオ放送が始まって、今日で100年になる。
自分史の中でも、昔、家にあった大型のもの、今はある意味風前の灯火(また、かつての隆盛に比べると)ともなりつつある日本家電メーカー各社から”MADE IN JAPAN”のラジオが販売されていた。
そんな中でも世界に打って出たのがソニーのトランジスタラジオ!世界を席巻した!
成田さんの”MADE IN JAPAN”だ。
ラジオの放送が遠隔地ではどのような状況で聞かれているか?その聞き取れる状態、電波状況を放送局に報告をすると”BCLカード(ベリーカード)”と言って、お礼のカードが放送局から送られてくる。(国内外の放送局から可能)
これを集めるBCLカード収集といったものに嵌まった方もいるかもしれない。受信状況によっては、地球の裏側アンデスの声、モスクワの声もノイズに紛れ、耳に僅かにでも入ってくるのだ。(後日知ることになるが、モスクワ放送の運営に山口高商出身者関係者もいた)そして、今もBCLカードを発行している放送局もあるというからリバイバル収集もありだ。
15の春、高校受験のころになると、受験勉強のついでというより深夜放送を聞くために、そして、ついでに勉強をしていた。オールナイトニッポン、パックインミュージック等、その放送時間にあわせて起床して、少し勉強をするといった様子だ。当時の岡山県の公立高校入試は英数国の三教科入試といった時代、スポーツばかりやっていた中学生には救済措置のような受験科目数であった。
大学受験のころになるとそんな余裕もない共通一次世代・・・。英数国の三教科に、黄金の教科というべき、日本史世界史、物理化学を選択、一次の試験答案は選択肢のマークシート方式を塗りつぶす、神の采配もありながら、苦戦に次ぐ苦戦。
二次試験では各校とも英語は必須であろうが、数ⅡBが入試科目にある経済学部のなかで山口大経済学部の選択肢となる。大学時代には、ラジオは近くにはあったが、それより濃厚な友がより近くにいた為、少し距離があったかもしれない。
社会人になって、ラジオ放送に回帰したのは、出身地にUターンして、通勤で自動車を運転し始めた、カーラジオからの放送である。朝夕のニュース、情報収集。マスメディアでは、映像が主力となる中で、耳を澄まして、時には心眼で映像を見ることとなる。
ラジオとの付き合いは、放送100年の時の流れ、その3/5を共に過ごしてきているのだから、親しみは格別である。今はラジコとか言うデジタル技術で、ある意味巻き戻しで視聴することもできる。しかし、昔ながらの一期一会が、何としても懐かしい。聞き逃しを悔やみ、その放送された瞬間の面白さが大切であった。
偶々だが、カメラの世界でもデジタルカメラでなく、フイルムカメラがにわかにブームになっていると聞く。フィルム一枚一枚を大切にし、その撮影するその時にしかないその瞬間!
放送記念日の100年に、ラジオの一期一会も味わいたくなる。
(岡山 B)
山口大学経済学部同窓会
鳳陽会東京支部
【2025年3月 トピックス】
◆全学卒業式(維新大晃アリーナ)
3月21日(金)、5月を思わせる陽気の中、10時から令和6年度の山大卒業式が維新大晃アリーナで行われた。
対象者は全学部を通して大学院が474名、学部が1841名。
卒業生の父兄も多数参加された。
成績は毎年女性優位が続いているようで、今年も然り。
卒業生総代は、なんと経済学部(経営学科)の栗栖世津子さんが務めた。
あっぱれ!
◆経済学部卒業式(吉田キャンパス)
午後からは会場が平川の吉田キャンパスに移り、学部ごと・学科ごとに卒業証書が授与された。
経済の卒業生をみると、大学院が12名、うち9名が外国人留学生。
この中にはウクライナ出身で、日本語検定N1(5段階の最難関)を取得したソキルカ・セルフィー君もいる。
彼は卒業後、新宿にある企業で新社会人をスタートさせるという。
また、学部の卒業生は316名。この数は7つの学科を有する工学部の卒業生520名に次ぐ数で、なかなかの人数だ。
男女別にみると38%が女性ということになる。
各学年とも女性が数名しかいなかった50年ほど前に比べ、隔世の感がある。
女性は華やかな袴姿で卒業式に臨んでいる。
男子生徒と異なり、女性はほとんどが式に参加しているため女性の多さが目立ち、吉田キャンパス全体が華やいでいる。
記念撮影は経済学部正面玄関が人気のスポットで、全体写真あり、また個別に入れ替わり立ち代わりお互いの記念写真を撮り合っていた。
◆謝恩会開催(ゼミ連主催)
卒業式を終えた後、ゼミ連(三浦幸太会長)主催の立食パーティーが経済学部横のボーノ(学食)で開催。
これまではコロナでしばらく開催が途絶えていたが、コロナが終息し数年ぶりに開催が実現したものだ。
ここでは有村学部長や恩師の方々、それに鳳陽会の理事メンバーたちが卒業生を取り囲んでのにぎやかな懇談会となった。
もちろんここにも多くの袴姿が。
◆卒業生へのエール
初任給に恵まれた今年の卒業生。
全国それぞれの地域における新社会人として、大いに活躍してほしい。
全国各地に1万3千人の先輩達がいる。
また各地に鳳陽会の支部がある。
5月から6月にかけ各地の支部では年に一度の大きな交流・懇親会が予定されており、
是非積極的に参加してほしい。
また時々は嬉しいことや目出度い報告をしに、また悩みがあれば相談に来てほしい。
我々は待っています。
同じキャンパスで学んだ先輩として。
また社会人の先輩として。
(鳳陽会東京支部事務局)