節分の日

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2025年1月 トピックス】

岡山支部からの投稿

(岡山 B)

◆国立天文台(暦計算室)というところが今年の”節分”の日程について、ある発表をしています。
節分は2月3日…NO.NO.NO〜nです(笑)地球の公転周期が1年きっかりでない、そして閏年の調整などをしても、調整しきれない時に節分が”ずれる”そうです。
世間に目を向けると世の中の常でなんともならない柵(しがらみ)、檻(おり)…ありますよね…
今年の節分は「2月2日」❢

◆過去を振り返ると既に2021年には2月2日に、その21年と言うと3日でなくなったのは1984(昭和59)年2月4日以来37年ぶり、2日になるのは1897(明治30)年2月2日以来124年ぶりであったと、ものの本にある。
しかも2025年からは暫く”4年”毎に2月2日になると聞くとなお不思議!
昨日の記憶さえ怪しいが、何か大きな時の流れの中に生かされている自分がいる♫

(岡山 B)

大相撲初場所千秋楽を東京レノファ山口サポート会有志で観戦

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2025年1月 トピックス】

(学22期Y・Y)


◆1月26日(日)の東京は快晴で肌寒い一日でしたが、東京レノサポ会世話役の野村徳一さんに声掛け頂き、国技館枡席観戦が実現しました。
開場時間の10時に合わせて両国国技館前に集合すると先ずは参加予定のご家族を含め12名のメンバーの内、5名が参加。
レノファ山口の小山文彦会長も参加されていました。
3名は何とレノファ山口のユニフォーム姿でした。
その後、三々五々、皆さんのご都合に合わせての参加となりました。

◆小山会長はテレビで大相撲観戦はされているようでしたが、生観戦は初めてのようで大相撲の迫力や良い所に圧倒されたようでした。
IT関連の企業の経営者らしく、サッカー以外のスポーツの良いところを運営に取り入れようという姿勢を感じました。

◆相撲はバワーのカザフスタン出身の金峰山の逃げ切りかと思われましたが、先場所から応援し始めた王鵬が直接対決で金峰山を破り、豊昇龍を含め3人の力士の三つ巴決定戦となり大変な盛り上がりとなりました。
2連勝した豊昇龍が優勝決定戦を制し、来場所の横綱挑戦に繋いだかと思われましたが、横綱推挙で新横綱誕生の動きも。
今場所は遂に一人横綱の照ノ富士が引退となりましたが、下半身が超人的でスピード相撲の豊昇龍は魅力が一杯です。
応援している阿炎は7勝4敗から4連敗して負け越し残念でしたが、これからも幕内では阿炎、平戸海、王鵬を主に応援します。

◆山口市関連では若輝元(将軍改め)が序二段で6勝1敗の久々の好成績。
幕下の千代大宝は2勝5敗と負け越し。

◆表彰式の後は神送りの儀式を見届け、お開きとなりましたが、その後は有志4人で秋葉原の居酒屋で21時迄一杯やりました。
今年もレノファ山口の生観戦&パブリックビューイング参戦で応援の決意を新たにしました。
(学22期Y・Y)
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新社会人歓迎ミニ新年会

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2025年1月 トピックス】

◆昨日、標記会合を三田の鳳陽会東京支部事務所で若手役員を中心に開催。

今回の会合には、昨春卒業した社会人1年生(小鳥さん、柚木君)の他、52期で新会員山口夫妻から参加表明あり。

また64期で新進気鋭の実業家窪井さん・安平さん(㈱ctow)も参加して頂いたほか、途中から松永理事長も駆けつけて頂きました。

◆会合では、目玉として正月にHPに投稿してくれた窪井さんからプレゼンを。

起業に至った経緯、事業の現況、今後の抱負を語ってくれ、その際ユニークな編集スタイルのヒット作「社長の名は」の作品の一部(220万回再生、コメント2500)を披露。

失敗・挫折から成功を引き寄せる感動的なストーリーに拍手が起こりました。

◆新1年生の皆さんには鳳陽会でネットワークを広げ、この先大いに活躍して頂きたいと思います。

また、52期の山口夫妻。このご夫婦は経済同期のカップルだそうです。

東京支部では50期前後の会員が少なく、新規加入を歓迎いたします。

(鳳陽会東京支部事務局)

”ミスノン”と卒論

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2025年1月 トピックス】

岡山支部からの投稿

(岡山 B)


◆日本の文房具は世界に誇れる産業の一つと言われている。鉛筆、ボールペン、万年筆、修正液、消しゴム…

1月の中旬の頃と言うと、一昔前の80年代は卒論提出の時期でもあった。食卓、遊技盤、そして、時に勉強机となった電気こたつに褞袍(どてら)を着て、座布団代わりにもなっていた万年床を座布団として。(笑)

◆総文字数の指定があり、必要条件として、八千字?以上というのもあった。論文の内容の稚拙を問うより、先ずは文字数を!と何度となく数え直したのが懐かしく思い出される。
卒論の様式、形式は、大学指定の原稿用紙(大学名入り)に万年筆で書いた論文の形をとる事になっていた。そして、黒表紙に卒論題目、学籍番号、所属学科、氏名を記し、ページの通し番号をふり、最後に黒の綴じ紐を締め上げれば完成となる。

今の様に、パソコンのソフトで書いたり、ワープロで書くのとは違い個性溢れる悪筆、乱文…人によっては美文字で仕上げた人もいるかも知れない。(学生から提出された卒論を受け、読み、また読み直し、足らざる記述も補足しながら読まれたであろうゼミの指導教官には今もって”感謝”しかない❢)

◆万年筆書きという事は、修正をする時も手間がかかった。”ミスノン”っていう赤と青の二種類の液体をもって、修正をした。今の修正液の様に、一回の白塗りで修正が出来たわけではなかった。
これだけ卒論のほんのさわりの部分を書いただけでも事務用品は飛躍的に進化している。

蛇足)
講義のノートも明治時代の様に万年筆で書かれていたものは少数であろう。
比較的に出席率が良く、整理され、纏まった記述をされていたノートは超人気者になった。試験前になると自分の様な不勉強、出席がほぼない科目にとっては、その感、なお一層!そのコピーは至宝となった。
基本は鉛筆(シャープペン)仕上げの単色のノートさえ、神の授かりものの様に有り難かった。
今であれば、重要な個所は色分けし、太文字、文字加工も容易にされているだろう。
そもそも、一昔前には、教官が黒板一面に板書したり、演台で読み上げ、説かれる文書を学生が文字起こしをしていた。
今は教師の方で事前に資料を用意され、パソコンのデータとして、または配布物として準備されているだろう。

◆北に一星あり!と言われる小樽商科大学、その図書館には商大卒の卒論は開学以来ずっ〜と保管されている。
という事は、小林多喜二の卒論に、伊藤整の卒論に、少し距離は置きながら、保管される運命になる。
山口卒で良かったことの一つは図書館への卒論保管を避けれている事がある…と、ふと一声漏らしたくなる。
嗚呼…時代は静かに流れていく。

(岡山 B)

「日本人論」の欠片 その15 日本人の不安症②

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2025年 1月 トピックス】 

◆セロトニントランスポーターの型と日本人の気質

脳内に神経伝達物質セロトニン(幸せホルモン)を運ぶ遺伝子であるセロトニントランスポーター。

日本人にはセロトニントランスポーターの形態の中で、セロトニンを運ぶ能力が低いSS型の保有割合が他の人種と比べて高いことが分かっている。

不安症で失敗を恐れ、積極的な行動を控える日本人。

起業率(開業率)をみると、欧米先進国は10%前後だが、日本は5%程度と低いのは、ここに原因があるのかもしれない。

一般論でいえば日本人にアニマルスピリットを求めることはそもそも無理があるのではないかと思えてくる。

もちろん例外的にアニマルスピリットに溢れた人物はいないわけではないが、多くはないということだ。

他方、アフリカ人に多いLL型は良い意味で鈍感であり、他人を気にせず、失敗を恐れない。

アニマルスピリットが旺盛だと解釈できる。

また、欧米人はアフリカ型と日本人の中間であるSL型が多いとされる。

冗談だが、日本人の起業率を上げる秘訣は、アフリカ人とのジョイントベンチャー方式だったりして・・・

アフリカ人の他人を気にせず、失敗を恐れない、良い意味での鈍感さ。

日本の企業経営者にはこれが欲しい。

◆ポジティブな出来事にも反応するSS型

SS型にはもう一つの特徴があるという。

日本人に典型的なSS型はLL型に比べ、自分にとってネガティブな出来事にしろ、また、ポジティブな出来事にしろ、非常に敏感に反応するという性質を持つという。

SS型のこうした特徴は狩猟型から農耕型へ移行した人類の足跡に伴って形成されたようだ。

自分の置かれた環境にあまり左右されず、前に向かって進むLL型に比べ、自分の置かれた環境に鋭敏に反応して行動するSS型。

これも日本人の特徴をよく説明しているように思われる。

ポジティブなできごと、例えば自分の行いが周りの賞賛を受ければ、それが励みとなり、さらに努力を重ねることになる。

自分の仕事に関して賞賛を得れば精進をし、「匠」となるのだろう。

日本のあらゆる職種に見られる工夫し、磨き抜いた匠の技。

SS型のなせる業だ。

(学23期kz)

雌雄の黒松・赤松の存在


山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2025年1月 トピックス】

岡山支部からの投稿

岡山 B


◆金沢の長町武家屋敷界隈の旧武家宅には黒松・赤松を左右に植えてある大層立派な門構えの宅がある。

松にはそもそも神が宿ると言われている。
そのせいか、能・狂言の舞台でも使われる能舞台の鏡板には複雑に曲がりくねって見事な枝ぶりの松が描かれることが多い。また、所謂正式な式典にも、小ぶりの松の盆栽(実は手入れをされ、何百年の樹齢を持っている)が飾られ、常緑樹、その翠の豊かさを我々に伝える。
松は一年を通じて緑を保ち、千年の齢を保つといわれる。うつろいやすい世の中の、うつろうもののみに目を奪われて、不変の真理を見失うようなことがあってはいけないという意味もあると、ものの本に書かれている。

◆そこで雌雄の黒松・赤松の違いを見ていこう。
黒松は文字通り全体的に黒目の色をしていて、防風林、防砂林に使われるほか、公園などにもよく植栽される。湿った土壌や、比較的肥沃的な土壌を好む。
一方、赤松は山の頂上部等の限られた地で自生することが多い。乾燥した瘦せた土地に育つと言われている。また、なかなかお目にかかることの無いまったけはこの赤松の根元、松露が落ちるところに自生すると言われている。

◆武家の世でもなく、現世に目を向けると宅地面積も猫の額ほどしかない中で、自宅に雌雄の黒松・赤松を植えると言うような不埒な考えには毛頭無理がある。
しかし、千年の翠の繁栄を願ってやまないのはやはり初老のつぶやきである。

◆北海道余市にあるウィスキー工場を訪問した時に、売店では黒ウィスキーと赤ウィスキーが販売されていた。両モルトウィスキー、黒は余市で、赤は宮城狭で作られている。
ここは上述の雌雄の黒松・赤松になぞらえて、床の間において飾るのも一興であろうと考え、今年一年は飾ってみようと思う。どうしても呑みたい、またブレンドして呑んだらどんは味なんだろう?とブレンダーの様な「飲欲」と闘ううつろいやすい自分をもきっと楽しめるであろう。

岡山 B

古本の限界効用!

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2025年1月 トピックス】

<岡山支部・岡山Bさんからの投稿>

◆今昔問わず、大学で使用する教科書は高い。”洛陽の紙価を高める”場合においても一般的に高い。また、読書百遍となれば、その本自身の学習における限界効用を逓増することが出来るのであろうが、試験の為のものとなると猶更限界効用は低減し、価格としても更に高く感じる。

80年代、国際経済概論を担当されていたのは、国際経済学科看板教授鈴木重晴先生であった。授業では、先生の教科書の指定はなかったように記憶している。

81年に刊行された先生の著書「現代社会主義貿易論」は、国際経済概論の中で各種貿易論の基礎となる解説がなされ、先ずは授業を受けるものには必携、所持すべき本であった。しかし、冒頭の様、専門書は高い。何とかならないかと当時3軒ほどあった古本屋を巡ったが、その本は売りに出されてはなかった。

たまたま見つけたのが、小島清教授著の「外国貿易」という本であった。これはおそらく小島教授が一橋で講義をされていた関係で著作された教科書的書籍であったのかもしれない。パラパラとの立ち読み、貿易論を論じていることを確認、これで、試験には勝負をかけよう!

◆ここでは当時の成績の優劣は問わないこととする。30年くらい時間の経過がして、その本の効用が日の目を見ることとなった。 何か!

◆民間の会社に勤務していた当時、決算監査の時、公認会計士に同行して常勤監査役の来社があった。事業所の責任者の一人として、製品棚卸監査の時、日常の業務、管理方法、棚卸の手順、そして、日常現場で職場で取り組んでもらっていた改善活動を紹介した。その決算監査後は、簡単な食事会を予定され、酒を共にする機会を得た。

何かの拍子で、常勤監査役が学生時代の話をされ、「僕は小島先生のゼミ生なんですよ」とおっしゃった。「えっ..、小島先生の「外国貿易」は学生時代に読んだことがあります」から始まって、その経過も含め、それなりに盛り上がったことは間違いない。

◆その後一週間ぐらいして、本社の取締役会でその常勤監査役が監査役報告として、自分が勤務していた事業所について、わざわざ少しコメントしてくださった話を伺った。仔細は省略するが、「社会工学的な視野も入れて、職場改善に取り組まれている」とコメントされていた。

「社会工学的な視野」??事業所で頑張ってくだって改善活動をされていた現場の皆さんに対するほぼ最高の称賛に近い言葉のようであった。

そのときの決算監査に問題がなかったのはもとより、その後もその常勤監査役と仕事を通じて、親しくお付き合いを戴いた。

◆昔、都市銀行で専務をされていたその方は、銀行での現役時代「営業五訓」と言う自分なりの営業訓を背広の懐に忍ばせ、気になる部下に配布をされていた様子である。自分の勤務先の何人かはその書き物を持っていた。しかし、所謂、職制による配布基準ではない。

「外国貿易」、そして、酒の席、そして旧高商の系譜の縁を戴き、その恩恵を少なからず受けた「営業五訓」である。

(岡山 B)

「日本人論」の欠片 その14 日本人の不安症①

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2025年 1月 トピックス】

 ◆不安症

日本にはうつ病や自殺者が多く、うつ病は日本の風土病ともいわれている。

几帳面、真面目、責任感が強く、不安症で、周囲の目を必要以上に気にかけ、人間関係のトラブルを嫌う。

日本人によく当てはまる特徴だ。

こうした性格から、日本人の経済行動も株の売買・保有に消極的で、現金決済を好むのが特徴だ。

もっとも、最近の株高や新型NISAスタートに伴うZ世代の投資機運の高まりなど変化は出てきているが、欧米諸国に比べ、金融資産に占める株の保有割合はいまだ低いほか、現金での決済比率も高い。

また貯金が好きで、カネを使うことに消極的だ。

なぜか。

将来が不安だからだ。

デフレからかなかなか脱却できないのも、また個人金融資産が2000兆円ありながらも、なぜカネを使わないのかという疑問も、こうした日本人の性格が影響しているように思える。

◆日本人の行動を裏付けるもの

日本人がこうした性格を有するのは故なしとしない。

医学的・生物学に関する研究論文が紹介されている。

セロトニンという神経伝達物質がある。

セロトニンは別名「ハッピーケミカル」、あるいは「幸せホルモン」といわれ、セロトニンが脳内で支配的な状態になれば幸せを感じることになる。

しかし、アジア人、中でも日本人は、アフリカ人や欧州人に比べ、セロトニンの濃度が低いというデータがある。

セロトニンを脳内に運ぶ遺伝子、すなわち「セロトニン・トランスポーター」にはセロトニンを運ぶ能力が高いL型と、その能力が低いS型があり、この組み合わせでLL型、SL型、SS型という3つの遺伝子パターンの組み合わせができる。

2008年の科学誌に発表された研究結果では、この組み合わせは人種によりパターンが分かれているという。

アフリカ人にはLL型が多く、SS型をあまり保有していない。

欧米人はSL型が支配的。

これに比べアジア人はアフリカ人と逆で、LL型保有割合は少ない。

中国人で13%、韓国人が4.8%、日本人が4%と最も低くなっている。

他方SS型の保有割合が高く、中国人で56%、韓国人で54.4%、日本人は65.3%となっており、欧米人(独・英とも18%程度)に比べて高くなっている。

このため、日本人の脳内は「幸せ物質」であるセロトニンの濃度が薄く、日本人は幸せを感じにくいということになる。

(学23期kz)

大相撲初場所初日観戦

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2025年1月 トピックス】

(学22期Y・Y)

◆巣鴨会という会で団体予約された久保さんにお声掛け頂き、2年前に続き、初日観戦(30名)が実現しました。
mixi時代からの18年余りの友人である、ゆりにゃんさんをお誘いし、7年余りぶりの再会が実現しました。
大相撲観戦は初めてとか。
12時45分に国技館前に集合し、入場となりました。

◆横綱を目指す琴櫻、豊昇龍は快勝しましたが、2場所全休後に出場した横綱照ノ富士、大の里はあっけない黒星スタートとなりました。
照ノ富士は不戦敗以外に一度も負けたことがない若隆景との対戦でしたが、私の予想通りの敗戦となりました。
大の里は曲者の翔猿でしたが、立ち合いからの一瞬での完敗は予想すらしなくて大波乱でした。

◆私的には応援している小結阿炎、平戸海の黒星スタートはショックでした。
特に阿炎は先場所からお父様の貴闘力さん繋がりで応援し始めた王鵬でしたが、何ともがっかりし悔しい。
若元春、相撲内容も素晴らしく幸先良い白星スタート。
玉鷲は安定の白星。

◆山口市関連で応援している序二段若輝元(将軍改め)、同じくスモ友、はとりんさん絡みで応援している翔傑さんと対戦。
押し出しで快勝。(入場前でAbemaで観戦)
年齢も25歳で今年は正念場。
今年中に幕下上位に番付を上げるようでないと関取は厳しいか。
式秀部屋の大当利は黒星スタート。

◆神奈川県葉山町在住のゆりにゃんさんは湘南乃海を応援されることになりました。
身体は恵まれているのに相撲が遅いのが残念です。
途中、十両力士の出待ちを案内しました。
団体の親方との記念撮影は西岩親方(元関脇若の里)でした。
握手もして頂きました。
終了後はゆりにゃんさんと両国の「舎鈴」で、つけ麺を食べて帰途に就きました。
美味しくてお奨めです。
(学22期Y・Y)

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水原秋櫻子

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2025年1月 トピックス】

第5回長州歴史ウォークでは森鴎外の旧居跡・観潮楼を訪ねた。

森鴎外は石見藩の医者の子で3歳も年を偽り、歳若くして東大の医学部に入学し、しかも立派な成績で卒業した。

軍医で最高位まで登り詰めると同時に、多くの文学作品を残している。

やはり東京の医者の息子で東大医学部に入いり、医者稼業と同時に文学(俳句)の世界に身を投じた者に水原秋櫻子がいる。

森鴎外より年が30歳若い。

夏目漱石の門下生・芥川龍之介と同い年に当たる。

秀才森鴎外とは異なることは、自らが告白している。

以下は昭和38年8月「私の履歴書」(日本経済新聞社)から。

・一高に三度目の受験で合格

・数学が一番の苦手で、物理も苦手

・一高では野球部に在籍し、プロ野球の大ファン。当時のメジャーリーグにも通じていた

・もともと医者になることに気が進まず、絵画や芝居にも大いに興味があった

こう来ると、鴎外よりも秋櫻子の方が親しみが湧く。

秋櫻子の専攻は産婦人科。産院では皇族を多く取り上げたという。

 

◆ホトトギス

秋櫻子は東大では俳句部に在籍し、正岡子規の雅号「ホトトギス」に因んで松山で創刊された俳句雑誌ホトトギスを引き連れて東京に出てきた高浜虚子の門下生となった。

高浜虚子といえば盟友河東碧梧桐とともに、同郷・松山の正岡子規を師と仰いでおり、秋櫻子もホトトギスにつながっている。

夏目漱石はどうか。

漱石は正岡子規と東大の同級生。

漱石が松山中学に赴任したとき、漱石の俳号・愚陀仏に因む漱石が住居とした愚陀仏庵に子規が押しかけ、子規が1階、漱石が2階に住み、2か月ほど寝起きをともにしたほど、漱石と子規は昵懇の仲だ。

彼らはいずれも写実派で、ホトトギスに句を寄せた。

夏目漱石が「吾輩は猫である」、「坊ちゃん」を発表したのもホトトギスだった。

◆秋櫻子の句

秋櫻子は一日の吟行で50句くらいは作っていたという。

秋櫻子の椿の句をひとつ。

一輪の 椿にむかひ 雨をきく

この句を18期の田口先輩が書にし、大会で大賞を受賞している。

【写真参照】

(学23期kz)

学18期・田口浩一氏の作品

昭和20年の空襲で焼失する前の松山・愚陀仏庵