「昭和16年夏の敗戦」を読んで

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2025年10月 トピックス】

◆ 日本が太平洋戦争に敗れたのは昭和20年の夏ですが、猪瀬直樹著「昭和16年夏の敗戦」(1983年)は、そのちょうど4年前、つまり日米開戦直前の昭和16年夏の話です。

◆本著には、大日本帝国陸軍「総力戦研究所」で進められたシミュレーションの内容と、大日本帝国政府が開戦という破滅に向かってなぜ突き進んでしまったのかが克明に綴られています。

「総力戦研究所」というのは、昭和16年に、平均年齢33歳の若きエリート35名で結成された政府直轄のシンクタンクを指します。

◆模擬内閣が、米英相手の総力戦机上演習(シミュレーション)を重ねて出した戦争の経過は、実際とほぼ同じ。緒戦は奇襲攻撃で勝利しますが、国力の差から敗戦に至りました。つまり「日本必敗」という予測でした。

それにも拘わらず、日本は開戦へと突き進みました。それと並行して日本は外交努力で米国との交渉を進めていましたが、米国の条件は日清、日露から日中戦争までで得た権益を中国に返還することでした。

◆当時の「空気を読む」という政治の風潮は、現代社会にも未だ深く浸透しており、何も変わっていません。

また、開戦へと突き進んでしまった当時の政治背景についても、現代では歪曲されていること、自分自身も断片的な理解しか持ち合わせていなかった反省など、いろいろと考えさせられる内容でした。

◆昨日(10月4日土曜日)、自民党は高市早苗議員を新総裁に選出しました。

日本は岐路に立っています。

ひとたび戦争が始まれば、簡単に戦争を終えることが困難なことは本著の示す通りです。

他国からの反撃として、日本全土も攻撃に晒され、多くの市民、子どもたちも犠牲になるでしょう。これはロシアによるウクライナ進攻が証明しています。

また戦争は、命を奪うと同時に人々から人間性をも奪います。戦争をする国の下で、表現の自由は弾圧され、人間としての尊厳も奪われていくでしょう。大東亜戦争の敗戦が証明しています。人間の尊厳を踏みにじり、人を、若者を、子どもたちを、戦争の駒にする国にしたくありません。

しかし、どうするか。

今後、我が国政府トップの舵取り如何です。  

(学29期 K.Y.) 

三浦監督、そして権藤・元監督

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2025年10月 トピックス】

岡山支部 岡山Bさんからの投稿

◆横浜ベイスターズ三浦監督が辞任…
昨年クライマックスシリーズからの日本一(26年ぶり)の実績がありながら…
今年のリーグ戦で優勝する! これが2025年に三浦監督が自分に課したミッションだった…

一方、今年の実績は22年以来の2位になり、4年連続70勝&Aクラス入り。評価されるべき実績である。ただ惜しむらくは、ぶっちぎりの阪神の優勝を許したことだ。悔やまれる。

今年のリーグ戦で優勝する! これが未達の時、プロフェッショナルの野球チーム監督しての責任を取る。男のある美学です。



◆一方、その26年前、優勝に導いたのは権藤博さん。

86歳を超える長老になっている。
”権藤、権藤、雨、権藤”とも言われ、雨以外は毎日登板!


今もタフネスで、缶ビールなら毎日500mlを5本!

ゴルフではエイジシュートを年に5~6回はするという。
筆者もその勢いにあやかりたいが、痛風の薬が常備薬、草刈りレベチのゴルフでは、叶わぬ雅夢…(笑)

男の美学もタフネスも願っても願っても。。。

(岡山B)

ゴルフ 何でそうなるの ⑮リンクスでの遊び

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2025年10月 トピックス】

◆一年中北風が吹きつけ、樹もなく、雑草も生えず、ぺんぺん草しかないようなスコットランドの海辺。塩分の多い砂地気味の不毛の地、リンクス。

そこで始まった羊飼いの遊び。

棒切れで石を叩いてウサギの巣穴に入れる。

これがゴルフの始まりともいわれている。

単純といえば単純な遊びだが、羊飼いたちはこの遊びに夢中になったそうだ。

戦争中でも同様。

英国では将校がゴルフのとりこになったため、ゴルフ禁止令が出たという。

一度ならず二度も。

なぜにゴルフは人を狂わせるのか。

◆ほかにも遊びが・・・

ゴルフのほかにも人気がある遊びがあるじゃないか。

戸外では野球、サッカー、バスケ。

屋内ではサカー将棋、麻雀、チェス、花札、トランプ。

こうした遊びはヒトとの勝負でアタマを使う。

でも、一人でもできる遊びがよい。

それは何だ。

一人でできる遊び・・・

マラソンがある。

しかし、マラソンは疲れる。

スキーもある。

しかし、季節が限られる。

ダイビングもある。

しかし、遊びながら仲間と話しができない。

釣りもある。

しかし、絶えずウキを睨んでおく必要がある。船の転覆や波にさらわれる危険もある。

◆やはりゴルフは・・・

ゴルフは男女を問わず、年齢も問わない。

春夏秋冬、季節を問わない。

ハンデキャップというものも男女の違い、年齢の違い、技量の違いを埋め合わせ、ゲームを面白くする仕掛けだ。

また、エイジシュートという憧れの目標も設定可能で、歳をとるに従って徐々に実現可能性が高まるのが何とも魅力だ。

いい季節に野に遊ぶことができるのがゴルフも取り柄でもある。

春は、桜の花を受けながら・・・

夏は、水面の陽光に目を細めながら・・・

秋は、紅葉を愛でながら・・・

冬には、冠雪富士を拝みながら・・・

四季折々の自然の中に身を投じるゴルフ。

そう行きたいがところだが・・・

◆しかし、いったんプレーが始まると、何が、なにが・・・

周りの景色は目に入らない。

プレーに没頭。

昼食時も、ビール片手に仲間との談笑を繕いながら、前半のプレーを反省しつつ、自己ベストを目指して、次のホールどころかバックナインの組み立てを考える。

何でそうなるのか。

ゴルフは人を狂わせるものがある。

(学23期kz)

絵馬のはなし

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2025年9月 トピックス】

岡山支部 岡山Bさんからの投稿

9月20日のブラタモリは京都三十三間堂だった。
いろんな新たな発見がある内容。

その内容はテレビにお任せにして、三十三間堂、隣接する豊国神社に関し、少し珍しい形の絵馬を紹介してみよう。
三十三間堂の絵馬は年季によって、経年劣化でなく、経年良化し、飴色になった三十三間堂の絵馬(風神)が描かれている。

比較的新しい方は豊国神社の絵馬。
太閤さん縁(ゆかり)のもの、物語りが始まる。
·瓢箪から駒でなく、“千成り瓢箪の瓢箪“型。
·秀吉は信長の草履取りをしていた。寒い時、懐で温めた草履を準備した才覚、気配りの人。その“草履型“。(仕事絵馬と記載がある)

参考に…風神だけなら、雷神は?と言う人の為に、風神雷神型は千葉県香取市の観福寺のものを添付してみます。
仕事で出張したり、旅先で少しづつ買い求め、保管しているものの一部。

カミさんにとっては………のものだが、自分にとっては、時間も、ちょっとだけお金もかかっている一つ一つが宝もの!

随筆家の串田孫一さんも絵馬収集を趣味としていた話を知り、収集の勢いは増した。

(岡山B)

第99回・鳳陽ゴルフ会を開催

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2025年9月 トピックス】

◆昨日(9月28日)、第99回・鳳陽ゴルフ会を栃木の渡良瀬カントリークラブで開催しました。

天候にも恵まれ、13期の松本さんから64期の窪井さんまで19名の参加となりました。

また、鹿児島さん、七村さんからは副賞と参加賞の寄贈をいただき、ありがとうございました。

◆次回は、2026年3月29日の日曜日に鳳陽ゴルフ・第100回大会を行います。

場所などの詳細は、決まり次第お知らせします。

(鳳陽ゴルフ会・幹事 上野 学37期)

越荷方

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2025年9月 トピックス】

◆幕府では老中・水野忠邦による天保の改革が行われているとき、これに呼応して長州藩でも第13代毛利敬親のもと、村田清風らの主導で改革が行われた。

天保11(1840)年に出された改革の宣言文では、改革の目標として「御借金八万貫余之大敵御退治」とする借金返済、その手段としての「三十七ヵ年賦皆済仕法」という、実質借財踏み倒し策がとられる一方、利益増強策もとられ、その代表的な施策として越荷方の強化が行われた。

◆越荷方とは

越荷方(こしにかた)とは藩から資金の提供を受けて、北前(日本海側)交易で、また九州や四国の産品が下関海峡を経由して上方や日本海側の地方都市に運ばれる米穀、綿、塩干(えんかん)などの荷物を扱う交易で、交易業者を対象に、その荷物を担保として資金を貸し付け、利息を取る金融取引を含む商取引だ。

いわば動産担保金融であり、この機関は(別稿で述べた)撫育方に組み込まれた。

これにより船主は売り捌くことなく、金を借りて次の仕入れに入ることが可能となる。

萩本藩でも下関や室積(光)に倉庫金融の役所を設置している。

この越荷方は長州藩の懐を大いに潤わせ、「修訂防長回転史」(末松謙澄)では年間100万両の利益を産んだと評されている。

◆北前船が通る下関

江戸中期から明治30年ころまで、大坂と蝦夷地を日本海回り=西回りの航路で結び、産物や商品を単に運搬するだけでなく、寄港地で荷物を売り、新たな仕入れも行いながら、春から秋にかけて大坂から蝦夷地まで1往復。航海の利益は価値で千両にもなったとされる。

また、身分制が厳しい世の中では、実力一本で一獲千金を狙える北前船で稼ぐ者が多く出たという。

◆「北前」とは上方や瀬戸内地方では「日本海側」を意味する。

蝦夷地・北陸から大阪との間は、敦賀の港、琵琶湖を使って荷を運ぶこともされたが、荷の積み下ろし、陸路搬送の効率が悪く、船で運ぶ航路が、幕命を受けた河村瑞賢によって整備された。

本州からは下り船。

コメ、塩、砂糖、酒、酢、鉄、綿、薬、反物、衣類などが運ばれた。日本の塩の9割を生産する瀬戸内海の塩、長州藩でも生産過剰に悩んでいた三田尻塩を蝦夷地に運ぶようになった。また、全国生産量の8割を占めた島根、鳥取の鉄のほか、古着屋日用雑貨も運ばれた「動く総合商社」という言い方もされる。

他方、蝦夷地からは昆布や鰊、鰊粕、干鰯、鮭、鱈などの海産物を積み、瀬戸内経由で上方まで運ばれた蝦夷地の鰊粕や干鰯などの魚肥は上方の綿花栽培を支え、麻に代えて肌触りのいい木綿の衣類を普及させたほか、蝦夷地の昆布は日本の和食文化を変えることにつながったとされる。

また蝦夷地から下関に届いた海産物は四国や九州に向かい、また長崎経由で中国に向かうものもあった。

こうした北前航路にあって、下関はすべての北前船が通る北前交易の重要な中継港であり、下関には文政8(1825)年時点で問屋が約400件あったとされる。

(学23期kz)

ゴルフ 何でそうなるの! ⑰やまとなでしこ

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2025年9月 トピックス】

◆強くなった「なでしこ」

日本の男子プロはなかなか世界で勝てない。

他方女子プロの活躍は見事なものだ。

昔、世界のメジャーで勝ったのは樋口久子。

しかし、最近は良くメジャーでもよく勝つようになった。

2019年に渋野日向子が全英で勝ち、今年の夏には身長は150センチ、小柄で華奢な山下美優有が全英を制した。

片や笹生優花が2021年と2024年に全米女子オープンで勝っている。

笹生が大柄かと思いきや、馬場美咲(175センチ)、原英莉花(173センチ)に比べ、10センチほど低い165センチだ。

また、西郷真央、古江彩佳もメジャーで勝った。

メジャーに限らなければ、竹田麗央や岩井姉妹も世界で勝っている。

そういえば、畑岡奈紗、勝みなみもいる。

◆気になる韓国勢

昔は海外メジャーでも、日本国内でも必ず顔を出し、優勝をさらっていった韓国の女子プロ。

また、美形でスタイル良し、ファッション雑誌にもよく載り、それでいて好成績を上げる芸能人もどきの韓国女子プロが、多くの日本人ファンを引き連れてプレーをしていたことがあった。

しかし今や、韓国女子プロの影がどうも薄い。

どうしてか。

韓国国内のゴルフコースの整備も進んだことに加え、韓国内での賞金額が上がり、海外に出なくなったという。

そうかもしれない。

韓国の一人当たりGDP(OECD)は2022年以降、日本を抜いた。

日本に覆いかぶさる30年デフレ、円安、高齢化、生産性の低迷がもたらしたものだ。

◆効果的な練習

韓国の女子プロに日本人選手を評価させると、高速グリーンへの対応力、天候変動への技術的対応、ショットの精度の高さ、プレー終了後の時間をかけた練習といった要因を挙げている。

しかし、かつて韓国の女子プロ勢全盛だった頃、女子プロ同士が一緒に練習し合い、切磋琢磨しているという話が伝わってきていた。

勝てそうなプロになるとスポンサーが付くため、他のプロと一緒に練習するのは難しいようだが、実力を上げるには効果的なようだ。

先週の日本女子プロゴルフ(茨城・大洗GC)では、金澤志奈が地元茨城で桑木志帆とのプレーオフを制し、30歳と遅咲きながらメジャー初優勝という大輪の花を咲かせた。

プレーが終わった後抱き合って喜んだのは、一緒に練習してきた師匠格で元世界ラインキング1位の申ジエ・プロ。

申ジエに「ここまで育ててくれてありがとう」と金澤。

申ジエも「自身が優勝した時には泣かなかったのに、この日は・・・」。

◆来月、韓国で国別対抗戦

来る10月23日から、韓国で世界女子国別対抗戦が開催され、日本からは山下、西郷、古江、竹田が出場する。

この大会アンバサダーは、とにかく強く一世を風靡し、申ジエやイ・ボミに大きな影響を与えた朴セリ。

さて、日本勢が韓国でどのような成績を上げるのか、見ものだ。

(学23期kz)

イ・ボミ プロ
キム・ハヌル プロ

社会人相撲の稽古見学

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2025年9月 トピックス】



◆大相撲九月場所が始まりました。
51歳で会社を早期退職して、自遊人になり、希望に夢を膨らませた頃にテニスをやっている学生時代の友人がテニスの練習に四股を取り入れたいので社会人相撲の見学に付き合ってくれと言われ、横浜の高校での稽古に同行しました。

◆そうしましたら、北の湖部屋の宮丸という力士の指導者と遭遇し、宮丸さんの話で盛り上がりました。
そして四股、テッポウをする羽目に。
挙げ句の果ては、友人が稽古に加わる為に社会人相撲に入るので、付き合ってくれと。

◆私は四股、テッポウだけでもぐったりとして閉口した上にあの廻しを付けるのが嫌で恥ずかしい。
とはいえ、社会人相撲の方からも部員の確保から期待され、逃げられない雰囲気となりました。
参ったなと思っていましたら、数日して友人から連絡があり、テニスの練習中にアキレス腱を切って入院したとの連絡が。内心ほっ。(スミマセン)

◆小学生時代に相撲取りになって親孝行したいと卒業の際に録音テープに吹き込む程、相撲も強かったのにプロの稽古では3日も持たなくて脱走していたなと思います。(笑)
そういえば、以前、北稜山という最高位が三段目の力士がいて、180cm、180.3kgの体格に北の湖の再来と惚れ込み、ご両親と一緒に国技館で早い時間から応援していたのに、急に見なくなり、ある日、北の湖親方に聞いたら、大阪場所中に脱走し、今は自動車教習所に通っているようだと。
流石に親方も手の打ちようがなかったと。
(学22期 Y・Y)(会社法、永倉ゼミ)


※コメントを宜しくお願いします。
①トピックス末尾の「コメントを残す」欄から。
あるいは
②私のメールアドレスへ
0rb6672r388367t@ezweb.ne.jp

撫育方 その②藩力の源

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2025年9月 トピックス】

いわゆる特別会計の撫育方。

◆その財源と支出先

この撫育方の財源はどこから生まれたのか。

7代毛利重就(しげたか)公は、宝暦11(1761)年から3年かけて行なった萩藩内の検地により得た6万余石のうちの4万石余のほか、馳走米(禄の召し上げ)、新開発田畑からの収穫物、没収石、減石、藩の余裕資金の組み込み、経費節減の工夫などを集め撫育方とし、一般会計から切り離した勘定を創設し、運用を命じた。

撫育方はどのように使われたのか。

重就公はこうした資金を主に、塩田の開発、港町の整備など産業の開発に充てた。

特に、白石正一郎の竹崎(清末藩領)の隣地で北前船が発着する西部下関の伊崎新地(長府藩から譲り受け)の開発と、そこでの越荷方の展開は、後年19世紀半ばの村田清風の天保改革における越荷方での利益創出につながっていったようだ。

ここでの積み荷を担保にした金融(資金融通)による利息や積み荷の保管料は撫育方、つまり一般会計とは別の財布である特別会計に計上された。

【越荷方については別稿で記す】

また、撫育方は困窮した民にも貸し与えられ、民の救済にも用いられたという。

◆四境戦争の戦費にも

撫育方創設から100年、撫育方の本当の出番がやってきた。

四境戦争(幕・長戦争)、馬関戦争を経て戊辰戦争へと続く戦。

この戦費は撫育方によって十分に賄われたようだ。

明治に入り、廃藩置県により藩の財政は朝廷(中央)に帰属することとなったが、撫育方は毛利家の私財として扱われた。

戊辰戦争が終わった時点で撫育金の残高は100万両あったと推定されており、毛利家最後の殿様となった十四代元徳公は、そのうち70万両を新政府に献納している。

特別会計、恐るべし・・・

財政再建の切り札であり、260年来の念願である「徳川の幕引き」を裏で支えた資金の源が撫育方であった。

(学23期kz)

第14代 毛利元徳公

小さい秋 見つけた

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2025年9月 トピックス】

学37期 上野啓

◆東京青梅の御岳溪谷にある、空き家となっていた妻の実家をリフォームして4回目の夏を迎えた。

築50年を超える古家であるが、母屋の横には、囲炉裏も備えた離れがあり、古民家の佇まいがある。

今年で結婚30年、当時大阪に勤務し、福岡の出身の私に嫁ぐ事に反対する義父に会いに行ったり、娘が生まれてからは、孫の顔を見せに行ったりした場所ではあるが、その頃は何かいつも遠慮がちに訪れていた様に思い、寛ぐ場所ではなかった。

妻にとっては、生まれ育った場所ではあるが、義父の晩年は、自宅介護の場所でもあったので、子供の頃に楽しんだ奥多摩の自然や、気候を感じる余裕さえなかったのかもしれない。

◆信じられないかもしれないが、今年の夏も、夜はエアコンなしで過ごす事がでた。

山から吹く風が多摩川の清流で冷やされて、窓を開けると天然のエアコンとなる。

自宅からも車で1時間あまり、比較的近いこともあり金曜日の夜からの週末をここで過ごすことが定着しつつある。

ここ数年の災害級の猛暑の夏から避難するには最適な場所である。

◆夏の涼しさに加え、四季折々の御岳渓谷の景色や野鳥の囀り、徒歩圏内には、美味しい蕎麦屋や蔵元の小澤酒造、そして最近はカフェやジェラートなどのお店もオープンして、自然の中で素材を生かした味覚が一年を通して楽しめる。

また、趣味で昨年から始めた低山登山向けの山も、あちこちにあり、日帰り登山も週末の楽しみとなった。

登山は一日で1500カロリーは消費するので、そのおかげか、体重や体脂肪も減少、還暦手前でメタボ予備軍から脱出した。

◆9月に入っても続く猛暑であるが、夜には、秋の虫の合唱が始まり、山では栗の実が少しずつ大きくなってきた。

さてそろそろ、衣替えの準備を始めるか。

学37期 上野啓