山口大学経済学部同窓会
鳳陽会東京支部
【2025年3月 トピックス】
岡山支部 岡山Bさんからの投稿
歴史を追うと、「社)東京放送局が、東京芝浦の仮放送所から放送を開始した。その日が今は放送記念日」というから、その歴史は古い。大正末期、昭和(1926年より)、平成、令和と時代を刻む。
1925年3月22日、日本でラジオ放送が始まって、今日で100年になる。
自分史の中でも、昔、家にあった大型のもの、今はある意味風前の灯火(また、かつての隆盛に比べると)ともなりつつある日本家電メーカー各社から”MADE IN JAPAN”のラジオが販売されていた。
そんな中でも世界に打って出たのがソニーのトランジスタラジオ!世界を席巻した!
成田さんの”MADE IN JAPAN”だ。
ラジオの放送が遠隔地ではどのような状況で聞かれているか?その聞き取れる状態、電波状況を放送局に報告をすると”BCLカード(ベリーカード)”と言って、お礼のカードが放送局から送られてくる。(国内外の放送局から可能)
これを集めるBCLカード収集といったものに嵌まった方もいるかもしれない。受信状況によっては、地球の裏側アンデスの声、モスクワの声もノイズに紛れ、耳に僅かにでも入ってくるのだ。(後日知ることになるが、モスクワ放送の運営に山口高商出身者関係者もいた)そして、今もBCLカードを発行している放送局もあるというからリバイバル収集もありだ。
15の春、高校受験のころになると、受験勉強のついでというより深夜放送を聞くために、そして、ついでに勉強をしていた。オールナイトニッポン、パックインミュージック等、その放送時間にあわせて起床して、少し勉強をするといった様子だ。当時の岡山県の公立高校入試は英数国の三教科入試といった時代、スポーツばかりやっていた中学生には救済措置のような受験科目数であった。
大学受験のころになるとそんな余裕もない共通一次世代・・・。英数国の三教科に、黄金の教科というべき、日本史世界史、物理化学を選択、一次の試験答案は選択肢のマークシート方式を塗りつぶす、神の采配もありながら、苦戦に次ぐ苦戦。
二次試験では各校とも英語は必須であろうが、数ⅡBが入試科目にある経済学部のなかで山口大経済学部の選択肢となる。大学時代には、ラジオは近くにはあったが、それより濃厚な友がより近くにいた為、少し距離があったかもしれない。
社会人になって、ラジオ放送に回帰したのは、出身地にUターンして、通勤で自動車を運転し始めた、カーラジオからの放送である。朝夕のニュース、情報収集。マスメディアでは、映像が主力となる中で、耳を澄まして、時には心眼で映像を見ることとなる。
ラジオとの付き合いは、放送100年の時の流れ、その3/5を共に過ごしてきているのだから、親しみは格別である。今はラジコとか言うデジタル技術で、ある意味巻き戻しで視聴することもできる。しかし、昔ながらの一期一会が、何としても懐かしい。聞き逃しを悔やみ、その放送された瞬間の面白さが大切であった。
偶々だが、カメラの世界でもデジタルカメラでなく、フイルムカメラがにわかにブームになっていると聞く。フィルム一枚一枚を大切にし、その撮影するその時にしかないその瞬間!
放送記念日の100年に、ラジオの一期一会も味わいたくなる。
(岡山 B)