絵馬のはなし

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2025年9月 トピックス】

岡山支部 岡山Bさんからの投稿

9月20日のブラタモリは京都三十三間堂だった。
いろんな新たな発見がある内容。

その内容はテレビにお任せにして、三十三間堂、隣接する豊国神社に関し、少し珍しい形の絵馬を紹介してみよう。
三十三間堂の絵馬は年季によって、経年劣化でなく、経年良化し、飴色になった三十三間堂の絵馬(風神)が描かれている。

比較的新しい方は豊国神社の絵馬。
太閤さん縁(ゆかり)のもの、物語りが始まる。
·瓢箪から駒でなく、“千成り瓢箪の瓢箪“型。
·秀吉は信長の草履取りをしていた。寒い時、懐で温めた草履を準備した才覚、気配りの人。その“草履型“。(仕事絵馬と記載がある)

参考に…風神だけなら、雷神は?と言う人の為に、風神雷神型は千葉県香取市の観福寺のものを添付してみます。
仕事で出張したり、旅先で少しづつ買い求め、保管しているものの一部。

カミさんにとっては………のものだが、自分にとっては、時間も、ちょっとだけお金もかかっている一つ一つが宝もの!

随筆家の串田孫一さんも絵馬収集を趣味としていた話を知り、収集の勢いは増した。

(岡山B)

第99回・鳳陽ゴルフ会を開催

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2025年9月 トピックス】

◆昨日(9月28日)、第99回・鳳陽ゴルフ会を栃木の渡良瀬カントリークラブで開催しました。

天候にも恵まれ、13期の松本さんから64期の窪井さんまで19名の参加となりました。

また、鹿児島さん、七村さんからは副賞と参加賞の寄贈をいただき、ありがとうございました。

◆次回は、2026年3月29日の日曜日に鳳陽ゴルフ・第100回大会を行います。

場所などの詳細は、決まり次第お知らせします。

(鳳陽ゴルフ会・幹事 上野 学37期)

越荷方

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2025年9月 トピックス】

◆幕府では老中・水野忠邦による天保の改革が行われているとき、これに呼応して長州藩でも第13代毛利敬親のもと、村田清風らの主導で改革が行われた。

天保11(1840)年に出された改革の宣言文では、改革の目標として「御借金八万貫余之大敵御退治」とする借金返済、その手段としての「三十七ヵ年賦皆済仕法」という、実質借財踏み倒し策がとられる一方、利益増強策もとられ、その代表的な施策として越荷方の強化が行われた。

◆越荷方とは

越荷方(こしにかた)とは藩から資金の提供を受けて、北前(日本海側)交易で、また九州や四国の産品が下関海峡を経由して上方や日本海側の地方都市に運ばれる米穀、綿、塩干(えんかん)などの荷物を扱う交易で、交易業者を対象に、その荷物を担保として資金を貸し付け、利息を取る金融取引を含む商取引だ。

いわば動産担保金融であり、この機関は(別稿で述べた)撫育方に組み込まれた。

これにより船主は売り捌くことなく、金を借りて次の仕入れに入ることが可能となる。

萩本藩でも下関や室積(光)に倉庫金融の役所を設置している。

この越荷方は長州藩の懐を大いに潤わせ、「修訂防長回転史」(末松謙澄)では年間100万両の利益を産んだと評されている。

◆北前船が通る下関

江戸中期から明治30年ころまで、大坂と蝦夷地を日本海回り=西回りの航路で結び、産物や商品を単に運搬するだけでなく、寄港地で荷物を売り、新たな仕入れも行いながら、春から秋にかけて大坂から蝦夷地まで1往復。航海の利益は価値で千両にもなったとされる。

また、身分制が厳しい世の中では、実力一本で一獲千金を狙える北前船で稼ぐ者が多く出たという。

◆「北前」とは上方や瀬戸内地方では「日本海側」を意味する。

蝦夷地・北陸から大阪との間は、敦賀の港、琵琶湖を使って荷を運ぶこともされたが、荷の積み下ろし、陸路搬送の効率が悪く、船で運ぶ航路が、幕命を受けた河村瑞賢によって整備された。

本州からは下り船。

コメ、塩、砂糖、酒、酢、鉄、綿、薬、反物、衣類などが運ばれた。日本の塩の9割を生産する瀬戸内海の塩、長州藩でも生産過剰に悩んでいた三田尻塩を蝦夷地に運ぶようになった。また、全国生産量の8割を占めた島根、鳥取の鉄のほか、古着屋日用雑貨も運ばれた「動く総合商社」という言い方もされる。

他方、蝦夷地からは昆布や鰊、鰊粕、干鰯、鮭、鱈などの海産物を積み、瀬戸内経由で上方まで運ばれた蝦夷地の鰊粕や干鰯などの魚肥は上方の綿花栽培を支え、麻に代えて肌触りのいい木綿の衣類を普及させたほか、蝦夷地の昆布は日本の和食文化を変えることにつながったとされる。

また蝦夷地から下関に届いた海産物は四国や九州に向かい、また長崎経由で中国に向かうものもあった。

こうした北前航路にあって、下関はすべての北前船が通る北前交易の重要な中継港であり、下関には文政8(1825)年時点で問屋が約400件あったとされる。

(学23期kz)

ゴルフ 何でそうなるの! ⑰やまとなでしこ

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2025年9月 トピックス】

◆強くなった「なでしこ」

日本の男子プロはなかなか世界で勝てない。

他方女子プロの活躍は見事なものだ。

昔、世界のメジャーで勝ったのは樋口久子。

しかし、最近は良くメジャーでもよく勝つようになった。

2019年に渋野日向子が全英で勝ち、今年の夏には身長は150センチ、小柄で華奢な山下美優有が全英を制した。

片や笹生優花が2021年と2024年に全米女子オープンで勝っている。

笹生が大柄かと思いきや、馬場美咲(175センチ)、原英莉花(173センチ)に比べ、10センチほど低い165センチだ。

また、西郷真央、古江彩佳もメジャーで勝った。

メジャーに限らなければ、竹田麗央や岩井姉妹も世界で勝っている。

そういえば、畑岡奈紗、勝みなみもいる。

◆気になる韓国勢

昔は海外メジャーでも、日本国内でも必ず顔を出し、優勝をさらっていった韓国の女子プロ。

また、美形でスタイル良し、ファッション雑誌にもよく載り、それでいて好成績を上げる芸能人もどきの韓国女子プロが、多くの日本人ファンを引き連れてプレーをしていたことがあった。

しかし今や、韓国女子プロの影がどうも薄い。

どうしてか。

韓国国内のゴルフコースの整備も進んだことに加え、韓国内での賞金額が上がり、海外に出なくなったという。

そうかもしれない。

韓国の一人当たりGDP(OECD)は2022年以降、日本を抜いた。

日本に覆いかぶさる30年デフレ、円安、高齢化、生産性の低迷がもたらしたものだ。

◆効果的な練習

韓国の女子プロに日本人選手を評価させると、高速グリーンへの対応力、天候変動への技術的対応、ショットの精度の高さ、プレー終了後の時間をかけた練習といった要因を挙げている。

しかし、かつて韓国の女子プロ勢全盛だった頃、女子プロ同士が一緒に練習し合い、切磋琢磨しているという話が伝わってきていた。

勝てそうなプロになるとスポンサーが付くため、他のプロと一緒に練習するのは難しいようだが、実力を上げるには効果的なようだ。

先週の日本女子プロゴルフ(茨城・大洗GC)では、金澤志奈が地元茨城で桑木志帆とのプレーオフを制し、30歳と遅咲きながらメジャー初優勝という大輪の花を咲かせた。

プレーが終わった後抱き合って喜んだのは、一緒に練習してきた師匠格で元世界ラインキング1位の申ジエ・プロ。

申ジエに「ここまで育ててくれてありがとう」と金澤。

申ジエも「自身が優勝した時には泣かなかったのに、この日は・・・」。

◆来月、韓国で国別対抗戦

来る10月23日から、韓国で世界女子国別対抗戦が開催され、日本からは山下、西郷、古江、竹田が出場する。

この大会アンバサダーは、とにかく強く一世を風靡し、申ジエやイ・ボミに大きな影響を与えた朴セリ。

さて、日本勢が韓国でどのような成績を上げるのか、見ものだ。

(学23期kz)

イ・ボミ プロ
キム・ハヌル プロ

社会人相撲の稽古見学

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2025年9月 トピックス】



◆大相撲九月場所が始まりました。
51歳で会社を早期退職して、自遊人になり、希望に夢を膨らませた頃にテニスをやっている学生時代の友人がテニスの練習に四股を取り入れたいので社会人相撲の見学に付き合ってくれと言われ、横浜の高校での稽古に同行しました。

◆そうしましたら、北の湖部屋の宮丸という力士の指導者と遭遇し、宮丸さんの話で盛り上がりました。
そして四股、テッポウをする羽目に。
挙げ句の果ては、友人が稽古に加わる為に社会人相撲に入るので、付き合ってくれと。

◆私は四股、テッポウだけでもぐったりとして閉口した上にあの廻しを付けるのが嫌で恥ずかしい。
とはいえ、社会人相撲の方からも部員の確保から期待され、逃げられない雰囲気となりました。
参ったなと思っていましたら、数日して友人から連絡があり、テニスの練習中にアキレス腱を切って入院したとの連絡が。内心ほっ。(スミマセン)

◆小学生時代に相撲取りになって親孝行したいと卒業の際に録音テープに吹き込む程、相撲も強かったのにプロの稽古では3日も持たなくて脱走していたなと思います。(笑)
そういえば、以前、北稜山という最高位が三段目の力士がいて、180cm、180.3kgの体格に北の湖の再来と惚れ込み、ご両親と一緒に国技館で早い時間から応援していたのに、急に見なくなり、ある日、北の湖親方に聞いたら、大阪場所中に脱走し、今は自動車教習所に通っているようだと。
流石に親方も手の打ちようがなかったと。
(学22期 Y・Y)(会社法、永倉ゼミ)


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撫育方 その②藩力の源

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2025年9月 トピックス】

いわゆる特別会計の撫育方。

◆その財源と支出先

この撫育方の財源はどこから生まれたのか。

7代毛利重就(しげたか)公は、宝暦11(1761)年から3年かけて行なった萩藩内の検地により得た6万余石のうちの4万石余のほか、馳走米(禄の召し上げ)、新開発田畑からの収穫物、没収石、減石、藩の余裕資金の組み込み、経費節減の工夫などを集め撫育方とし、一般会計から切り離した勘定を創設し、運用を命じた。

撫育方はどのように使われたのか。

重就公はこうした資金を主に、塩田の開発、港町の整備など産業の開発に充てた。

特に、白石正一郎の竹崎(清末藩領)の隣地で北前船が発着する西部下関の伊崎新地(長府藩から譲り受け)の開発と、そこでの越荷方の展開は、後年19世紀半ばの村田清風の天保改革における越荷方での利益創出につながっていったようだ。

ここでの積み荷を担保にした金融(資金融通)による利息や積み荷の保管料は撫育方、つまり一般会計とは別の財布である特別会計に計上された。

【越荷方については別稿で記す】

また、撫育方は困窮した民にも貸し与えられ、民の救済にも用いられたという。

◆四境戦争の戦費にも

撫育方創設から100年、撫育方の本当の出番がやってきた。

四境戦争(幕・長戦争)、馬関戦争を経て戊辰戦争へと続く戦。

この戦費は撫育方によって十分に賄われたようだ。

明治に入り、廃藩置県により藩の財政は朝廷(中央)に帰属することとなったが、撫育方は毛利家の私財として扱われた。

戊辰戦争が終わった時点で撫育金の残高は100万両あったと推定されており、毛利家最後の殿様となった十四代元徳公は、そのうち70万両を新政府に献納している。

特別会計、恐るべし・・・

財政再建の切り札であり、260年来の念願である「徳川の幕引き」を裏で支えた資金の源が撫育方であった。

(学23期kz)

第14代 毛利元徳公

小さい秋 見つけた

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2025年9月 トピックス】

学37期 上野啓

◆東京青梅の御岳溪谷にある、空き家となっていた妻の実家をリフォームして4回目の夏を迎えた。

築50年を超える古家であるが、母屋の横には、囲炉裏も備えた離れがあり、古民家の佇まいがある。

今年で結婚30年、当時大阪に勤務し、福岡の出身の私に嫁ぐ事に反対する義父に会いに行ったり、娘が生まれてからは、孫の顔を見せに行ったりした場所ではあるが、その頃は何かいつも遠慮がちに訪れていた様に思い、寛ぐ場所ではなかった。

妻にとっては、生まれ育った場所ではあるが、義父の晩年は、自宅介護の場所でもあったので、子供の頃に楽しんだ奥多摩の自然や、気候を感じる余裕さえなかったのかもしれない。

◆信じられないかもしれないが、今年の夏も、夜はエアコンなしで過ごす事がでた。

山から吹く風が多摩川の清流で冷やされて、窓を開けると天然のエアコンとなる。

自宅からも車で1時間あまり、比較的近いこともあり金曜日の夜からの週末をここで過ごすことが定着しつつある。

ここ数年の災害級の猛暑の夏から避難するには最適な場所である。

◆夏の涼しさに加え、四季折々の御岳渓谷の景色や野鳥の囀り、徒歩圏内には、美味しい蕎麦屋や蔵元の小澤酒造、そして最近はカフェやジェラートなどのお店もオープンして、自然の中で素材を生かした味覚が一年を通して楽しめる。

また、趣味で昨年から始めた低山登山向けの山も、あちこちにあり、日帰り登山も週末の楽しみとなった。

登山は一日で1500カロリーは消費するので、そのおかげか、体重や体脂肪も減少、還暦手前でメタボ予備軍から脱出した。

◆9月に入っても続く猛暑であるが、夜には、秋の虫の合唱が始まり、山では栗の実が少しずつ大きくなってきた。

さてそろそろ、衣替えの準備を始めるか。

学37期 上野啓

山口Happinessフェスタ2025

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2025年9月 トピックス】



◆9月13日(土)、14日(日)10時〜17時に 三軒茶屋ふれあい広場で開催された掲記フェスタに最終日の14日(日)10時のオープンに合わせて行って来ました。
本日の東京は雲の多い一日でしたが、最高気温32℃で空調ウェア着用でした。



◆東急大井町線で、二子玉川乗り換えの田園都市線で三軒茶屋までの片道1時間20分でした。
田園都市線はサラリーマン最後の1年7ヶ月が桜新町で、住まいは同じ田園都市線の梶が谷からバスで20分の野川の社宅でした。
今回、体調を崩しており、帽子にマスク姿での参加となりました。



◆先ずは福の花さんの実演販売の下関名物の瓦そばを頂きました。
おいでませ山口館コーナーにも寄り、新商品の瑠璃光寺の檜の香りの小袋、柳井の山吹味噌や御堀堂の外郎や防府の白銀を購入しました。
今回で3回目の参加ですが、今回、山口市徳地の健康茶が出店されていなくて、知り合いの女性陣に再会出来なくて残念でした。
滞在時間は丁度1時間でしたが、しばし山口に思いを馳せ、会場を後にしました。



◆先の投稿で紹介しました「地球の歩き方 山口市」は今年の10月9日販売予定ですが、先の山口七夕会に参加した会員には10冊購入した場合は当日特典として定価2千円の20%引きとのことで、1冊1,600円となりますが、私の方で10冊纏め買いの予約をしておりますので、まだ予定数に達しておりませんので一報頂ければ実費でお分けします。


(学22期 Y・Y)(会社法、永倉ゼミ)
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撫育方 その①特別会計のハシリ

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2025年9月 トピックス】

長州には、独自の制度を生み出す土壌があるようだ。

育み組、然り。

越荷方、然り。

江戸後期にはよく飢饉が起きた。灌漑などの農業技術も高くはなく、コメや作物の品種も災害には強くはなかった。

このため農作物は災害に弱く、凶作となるが、これに伴い歳入難と相成る。

またこのほか、江戸時代後半には、支配階層や武士階層の緩みによる冗長な出費が目立ったとされ、これも財政難の一因となり、財政を圧迫し、ここに財政改革の必要性が生じた。

◆7代重就公の発案、特別会計のハシリ

各藩では知恵を凝らして、財政難の難局に臨んだが、長州では毛利家萩藩の中興の祖とされる第7代毛利重就(しげたか、1725~1789年)公が編み出した撫育方(ぶいくかた)がある。

早くに隠居して防府に住み、ここを産業の拠点として「撫育局」を作った。

この特別会計は宝暦13(1763)年に創設され、その財源を大事にし、”撫でて育てる”という意だろう、それが撫育方だ。

撫育方は大切な資金だ。むやみには使えない。

こうした性質の資金にため、その支出の権限は藩主の専権事項であり、勝手な使われ方は禁じられた。

記録には天明2(1782)年、重就が隠居した後の8代藩主治親の時、撫育方資金に関して進言した増田就祥なる家臣が処分されたとある。

天明2年といえば、天明の大飢饉(1782~88年)の時にあたる。

その時、民の救済のために進言したのかもしれないが、その進言が処分の対象となった。

・・・そこまでしなくても・・・

(学23期kz)

第7代 毛利重就公

岡山 落語まつり

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2025年9月 トピックス】

岡山支部 岡山Bさんからの投稿

◆8月30日、31日と二日間にわたり、岡山の天神山プラザで「岡山 落語まつり」という初めてのイベントがあった。

初日は社会人、二日目は各地の大学生が参加する。

両日とも観客数は180人を優に超え、満員御礼、大盛況であったという。

初日は岡山大学の落研OBが中心になって開催されたもので、かなり本格的なものだ。

岡山大学は昔から、兵庫、大阪など上方の人の往来、また文化の交流も深い。それが影響してか、落語も上方落語を得意としているようだ。

◆会場となった建物「天神山プラザ」がある場所は、昭和20年の岡山空襲前までは、県庁の所在地であって、県にとっては由緒あるところだ。その建物はモダニズム建築で有名な前川國士が1962年に建てた旧称岡山県総合文化センターという事だから、その開催

には相応しい。

現役の岡山県庁の建築も前川國士による。偶々だが前川さんの誕生は1905年、今年は生誕120年と言う。(山口大経済学部建物にある”1905~”と同い年だ)

◆当日の出演者の中には、50年前、この会場で”卒業落語”をした人も出演されていた。

話のプロ・・・現役の地元のアナウンサー、公務員、半ば本業でやっている人もいる。

関西地区から岡山で学び、その後岡山で就職した人、また卒業以来、岡山を離れ、中四国の各地から来岡され、高座に上がっている。

おろした噺のネタも所謂新作あり古典あり。

演目の中では、落とし噺は勿論、人情噺も含まれている。

古典としては「壺算」「人情八百屋」「まめだ」「七度狐」など。

寄席で落語や講談以外に上演される様々な演芸ものを総称で色物という。

「南京玉すだれ」などもあった。

笑いの波紋が広がる。笑いの雰囲気は浅草演芸ホールやら上野広小

路亭にも負けない!

(ただ、公的な施設なので、まずは綺麗、そして、食べ物や飲み物を戴きながらの視聴とはいかない。あの演芸ホールや何々亭の独特の雰囲気が好きだ。いや、あの雑踏のなかにこそ演芸の華が咲く気もする。)

◆寄席の番組進行がスムーズに行くようにサポート、その潤滑油になるような役目の高座返しを担当するお茶子さん。その役割は現役の大学生の方が応援出場。(座布団を返し、四隅の房をぴんと伸ばす、お茶の入れ替え、見台の出し入れ、演目を書いた演題の見出し

(名ビラ)をめくる仕事。その所作はおっとりしていて丁寧)

学生当時高座へ共に上がっていた友・・・今は亡き友もあり、その人を明るく語り、またその持ちネタの小話なども披露していく姿もあった。筆者の年代になると、その状況には会場の笑いよりも別の思いも抱く年代となった。

◆ところで山大の落研(落語研究会)はどうだろうかとネットで検索してみる。

何やら10月18日、14時から木戸銭無料(カンパ制)。重要文化財の山門もある水の上町の洞春寺で開催されるという情報を見つけた。

そして、”今最も勢いのある落研の一つと言われている。

座布団置ける場所ならば どこへでも落語しにいきます。 365日・24時間ご依頼募集中‼”と紹介がある。

(学業は大丈夫か!?老婆心ながら・・・進級の塀の淵を歩いていたかもしれない筆者に心配される筋合いではない(笑)、もちろん!)

何やらコンビニのような様子で、お客さんに寄り添う形の高座が設けられているのかもしれない。大いにその内容に期待が寄せられる!

◆当時を振り返ってみて、学生時代、落研の存在自身を知っていたとしても決して足を運ぶ自分ではなかったような気がする。

その後社会人になって、10年ぐらいして自分は変わった。出張の飛行機の中で視聴するのは先ず「落語」となった。

地元で開催される寄席にも、東京出張時の土日を挟むときは浅草演芸ホールや上野広小路亭にも足を運んだ。

「人生で必要なことはすべて落語で学んだ」童門 冬二 (著)の本がある。

全てとまでは言い切れないが、経験の中で、学びが多いことを知っている。

時間とお暇のある方は、先ずは10月18日、14時、洞春寺にお運びあれ!!

そして、来年山大の落研(落語研究会)の方がこの会に参加されるようであれば、勿論最前列で熱烈歓迎だ!

(岡山B)