令和7年度山口七夕会年次総会・懇親会

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2025年7月 トピックス】

令和7年度山口七夕会年次総会・懇親会

◆令和7年度 山口七夕会年次総会が7月5日(土)10時30分~飯田橋のインテリジェントロビー・ルコであり、昨年に続き4回目の出席となりました。(2022年5月末入会)

◆総会第一部は議長役の秋草史幸会長の挨拶で始まり、令和6年度事業報告、令和7年度事業計画等の議事進行、会長・評議員・監査役の選任があり、本部役員・ふるさと山口本部役員紹介がありました。
(司会進行、藤井謙志本部長、申神正子本部長)
再選された秋草会長は私共が経済学部で経済史を受講した秋草実教授のご子息です。
第二部は山口市役所が担当され、新市庁舎となった伊藤和貴山口市長のご挨拶及び入江幸江市議会議長のご祝辞がありました。
山崎直和山口県東京事務所長の祝辞と続きました。
その後、山口七夕ふるさと大使の任命がありました。

◆休憩を挟んで、株式会社地球の歩き方の由良暁世編集長による講演会「地球の歩き方 山口市」制作記念講演~地球の魅力の見つけ方~が50分間ありました。
地球の歩き方は1979年にダイヤモンド社グループで始まり、今年で46年になります。
2021年1月に学研グループに事業譲渡され、続けられています。
私も30代後半に香港・マカオ、台湾に旅行した時に其々、事前に購入しましたが、大変役立ちました。
旅行者目線で日本から現地に行き、日数をかけて取材されているとか。
編集長談として「地球の歩き方 山口市」は今年の10月9日販売予定で、山口市の人口は19万人ですが、1万5千冊の購入を予定しているとか。
山口七夕会に参加した会員には10冊購入した場合は当日特典として定価2千円の20%引きとのことで、1冊1,600円となりますが、私の方で10冊纏め買いしましたので、一報頂ければ実費でお分けします。

◆関 周幹事長の司会進行で昼食懇親会に移りました。
今回は同じテーブルとなった初対面の方5名の方と名刺交換し、お話をしました。
終盤、Facebookで友達になっていただいている某国会議員の秘書の方で、実家が山口市下竪小路出身で、学生生活は仙台で過ごされ、昨年盛り上がったN氏と再会することが出来ました。
参議院議員選挙の選挙期間に入っており、今回はいくら何でも出席されないと思っていましたので、吃驚でした。
律儀な某国会議員の配慮を感じました。
山口市ふるさと納税のご案内、おいでませ山口館“市町フェア”PRと続き、大変な盛り上がりの中、山口市総合政策部岡村萬利雄部長による中締めとなりました。

◆山口市幹部職員を含めて、多くの会員の方が出席され、盛り沢山の趣向を凝らした企画の数々に首都圏から山口市を応援する弾みになりそうです。
私は大学時代に5年間在籍しただけの山口市ですが、山口七夕会に入会させて頂き、こうして交流会やイベントに出させて貰うだけでも誇りに感じ嬉しいです。
(学22期 Y・Y)(会社法、永倉ゼミ)
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トランプ劇場に思う その➅身勝手な正義

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2025年7月 トピックス】

◆常識外れのあの手この手

先日米国がイランを空爆した。

なんと無謀なことを・・・とは思う。

まるで仮想空間ゲームをするように。

しかも自由主義国のトップリーダー国の大統領がやっているのだ。

湾岸戦争の時のブッシュ大統領の時もそうしたこともあるにはあったが、トランプ大統領は就任から半年で、多種多様な政策を矢継ぎ早に繰り出している。

権威主義国よりも大胆な策、また、これまでの国際常識からは考えられない策を次々と。

しかし、トランプ大統領なりの公算があってのことだろう。

大統領も二期目なのだから。

◆国際世論やG7諸国も無力

世界はトランが繰り出す政策に対抗するすべを持っているのか。

そうではない。

G7諸国もアメリカの動きを止めることもできない。G7会合への欠席、共同声明も出せない事態に対して、何もできなかったのだから。

では米国内で、トランプ大統領を抑えるような動きが出ているのか。

関税引き上げで困るのは、値段が上がった輸入品を買わざるを得ない米国の消費者であり、7月4日に成立した減税法案に伴う支援縮小で割を食う米国内の低所得者だが、彼らからブーイングの嵐は沸き起こっていない。

どうしてこういうことになったのだろう。

◆情報の流れ方の変化、溜まり方の変化

トランプ大統領の主義主張にどれほどの真実、どれほどの正義が含まれているか。

誰も答えを持っていない。

真実と虚偽

敵と味方

正義の在りか

これまで真実と信じられていたものが、そうではなくなってきており、これまでと比べて、答えが見えにくくなってきている。

敵と味方も曖昧になり、正義の在りかも誰も主張することができなくなってしまった。

恐ろしいことになった。

◆困難な真偽の見極め

専門家は温暖化の原因として二酸化炭素説を挙げるが、それが原因ではないとする主張もある。

砂糖の代わりの甘味料のサッカリンが身体に有害か否かという議論もあるように。

著名な学者が意見表明をしても、そうした表明は絶対のものとは受け止められにくくなっている。

誰が真実を語り、誰が真実であることを保証するのか。

また厄介なのは、SNSが発達した下ではSNSを扱える者一人一人が主役になったことだ。

こうした世界では真実は霞み、往々にしてデマや根拠のない主張が発言力を得勝ちになる。

権威主義国がこうした状況に油を注ぐ場合には、さらに手の施しようがなくなる。

このようになった民主主義国での真偽の見極めは、権威主義国以上に困難を極める。

これとは逆に、似通った意見を見つける場合には、アルゴリズムもあり、AIの助けもあって、容易に味方を見つけ、意見を形成することができ、こうした力が急に力を持つ場合も出てくる。

こうした状況がトランプ大統領の常識外れの策に有利に作用し、命を与えているようだ。

(学23期kz)

露天風呂の日 その➁

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2025年7月 トピックス】

岡山支部 岡山Bさんの投稿

前稿でご褒美の露天風呂無料利用可の話を出しておきながら、その内容に記載をしないのは「画竜点睛」を欠く感があり、自分自身すっきりしない。

そうなら、個別の宣伝(営業)にならないように、注意して記載してみよう。

湯原温泉の露天風呂の起源ともなった「砂湯」はダムの真下横、その川面と同じ高さにある。湯量が多く、良質なアルカリ性の高い泉質で肌ざわりがなめらか、ぷくぷくと川底から湧き出る温泉からできた天然の大露天風呂「砂湯」は温泉街のシンボルである。これだけでも野趣あふれ、十分魅力ある温泉だ。

更に地元の協力によって24時間無料で開放されているので、いつでも大自然の中で天然温泉が満喫出来る。

全国露天風呂番付「西の横綱」、美人の湯・子宝の湯・長寿の湯という、温度の異なる湯舟で楽しむことが出来るから、週末は老若男女問わずの入湯客、来客万来である。

しかし、唯一の難点は、ダムの真下の川面と同じ高さの露天風呂。大幅な雨量が予想される場合、ダムの本来の機能、また宿命でもある強制放流がなされ、その度に、露天風呂は土砂に洗われ、埋もれ、脱衣所は倒壊する。

(最近はワイヤーで脱衣場自体を吊り上げる方式にはなっている)

しかし、何十年かに一回の災害、式年遷宮ではないが、その度毎に町の人の寄進、奉仕活動で再建され続け、今の、そして今日の「砂湯」がある。

その砂湯の対岸と少し高台にあるのが「数景」という宿である。

吊り橋を渡った先にある宿は落ち着いている。内湯、サウナ、サウナ上がりの水湯は古びた檜のものである。長い年月の間にヒノキの木材の角が取れ、香りも抑え気味なのがまた趣があるといえよう。

(縁起のいい数字は「八」とも言われる)

露天風呂は先の砂湯を眼下に眺めながら入浴できる。また、寝ながら入湯できるタイル敷きのソファーも用意されているので、川風にあたりながら長湯を楽しむことも出来る。ここまで情景が整うと普通の湯でも効用あり!といえる。

偶々何度か宿泊をしたことがあったので、その良さは既に知っていた。

(会社の用務や地元の行事で利用、自らの財布のがま口ではほぼない)

料理の良し悪しなど評する筆力がないので、記載はしない。しかし、世間一般では、令和の米騒動、備蓄米の流通等々お米の話題に事欠かない昨今だから、お米については少し案内をしよう。朝は宿入り口にある竈で薪をくべて、釜炊きのご飯が供される。そして、ガス釜や電気釜ではもう味わえなくなっている「お焦げ」を盛り付けてくれる。

昭和30年代の生まれの自分でさえも、土間にあった自宅の竈から炊き上げられた釜炊きご飯、そしてお焦げ、今は亡き母がそっとよそってくれた茶碗一杯のおいしさの郷愁を誘う。

折角の露天風呂の日、露天風呂の渡り鳥にも挑戦をしてみた。

次は行ったことがない宿へ一目散。湯めぐりの宿「花筏」。

何やら壺湯が売りの宿である。

(筏等は’泉’の力でまた変わった動きをする)

コロナ禍の影響で、温泉にも足が遠退いていたここ数年。。。ソーシャルディスタンスなどと言った言葉もむしろ懐かしさすらある。

壺湯は個人個人の空間が一人に一人の壺の中にある。締め切り時間間際に駆け込んだので、ホテルの了解も取って写真を撮ってみた。

檜の角壺、陶器のような丸壺、昔風に言えば、少し深い五右衛門風呂に近いもの、石の角風呂(親子二人用か?)、一人用の石の壺。

それぞれに温度差、また滑り気(ぬめりけ)に差があるようだ。子供の頃、肩までつかるんだよとはよく言われた記憶がある。大人になると少しひょうげる(ふざける)もあって、頭までつかってみたくなってしまう。

すると意外な発見があった。陶器のような丸壺!源泉の注ぎ口の水量にもよるのだが、少量の湯量の時、注いだ湯が丸壺中で微妙な反響をかもし出す。

箱庭などに壺を埋めてその底に水滴を落とすと少し金属的な反響を催す水琴窟のくすんだ音に似ているではないか!  

暫し、大人のひょうげることの楽しみ、水琴窟の壺風呂に抱かれながらの露天風呂を楽しんだ。

碧深い山、梅雨時期だというのに澄み渡る青空を眼前にする。

長い廂のもとに設計されている6つの壺風呂は微妙なロケーションにある。

青空とまともに受ける青い夏、少し日陰になる青い秋、全くの日陰で、暮れゆく晩秋をも彷彿させる奥深い壺の配置。。。 還暦半ばになると季節の移り変わりにさえ、何故かこころが震える。

同年代の人が後から入ってきた。将に裸の付き合いの一期一会。

「良いイベントですね」「コロナの影響があって、何年か空白の期間があるみたいですよ」「ここの壺湯は様々な湯あたりがあって、とても面白い」とも語りかけてくる。

冒頭に書いた「数景」と言う宿について、すこしコメントすると「何年前に利用されました?お値段高かったでしょう?」とくる。

そして、最後の締めの言葉にまたこころが震えた。「あそこの宿はブルジョワが 泊まる宿ですよね」とくる。

「ブルジョワ」!! もう、田舎に引き込んでから、久しく耳にすることがない、

「ブルジョワ」と言う言葉、その響き!

つい、「万国のプロレタリアよ、団結せよ!」と返したくなる一期一会であった。

(岡山B)

八景
八景
花泉
花泉

山口が生んだコンツェルン

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2025年7月 トピックス】

◆日立グループには多くの同窓生がお世話になっている。

日立グループ、中でも日立金属とのつながりをみていくと、どうやら鮎川義介氏にたどり着く。

鮎川義介氏は日産コンツェルンの創業者で戦前に日産自動車、日立製作所、日本興業、日本油脂、日本水産など114社を立ち上げた人物で、最盛期には三井や三菱を抜いて当時最大のコンツェルンとなった。

無私奉公がモットー。

同族的・閉鎖的な一家一門が握る従来の財閥とは異なり、10万人の株主という形で大衆から資金を集めたのが特徴で、鮎川の鋳鉄技術、米国の新技術を取り入れた「新興財閥」の一つとなった。

私利私欲はなく、生前の叙勲や表彰、銅像の建立を断り、近親者にも株を持たせなかったという。

また政策志向で、欧米列強の植民地主義に対抗せんがため、軍事ではなく経済の発展こそが重要であるとの基本理念のもとに、あらゆる業種の企業を作っていく。

満州にも進出しはしたが、既得権益を抱える旧財閥の抵抗などもあり、あまりうまくいかなかったようだ。

◆鮎川は山口市に生まれる。鮎川家は名家であったというが、廃藩置県後は貧乏士族に転落し、金銭的には苦労したようだ。

義介氏は、勉強はよくできたようで、山口高商の前身である県立山口中学、官立山口高等学校(旧旧山高)を経て、「この先日本を支える男一生の仕事」としてエンジニアの途を目指し、東大工学部に進学した。

鮎川家の先祖は藩主毛利輝元に”御家大工”として仕えており、どうやら工学方面に明るい血が流れていたようだ。

鮎川氏には東京麻布在住の大叔父(祖母の夫)に明治の元勲・井上馨公がおり、在学中にはそこに書生として住み込んで支援も受けたが、大学後の進路については軍人を志望したわけではなく、また井上公に倣い政治家を志望したわけでもなかった。

井上公は三井物産の前身にあたる貿易会社を設立したこともあり「三井の番頭」とも呼ばれていたこともあったことから、鮎川氏に三井への就職を促したが、鮎川氏はこの話を断っている。

なかなか意固地な人物でもあったようだ。

というよりも、このころから自分の意思、進むべき方向が明確だったのだろう。

◆鮎川氏は自分の力で社会人としての第一歩を踏み出したいとして、高給のとれる工学士でありながら、芝浦製作所に、何と日給制で低賃金賃金の「仕上げ工」として入社したという。

彼は現場主義。仕上げ工の合間も休日は周辺の工場を2年にわたり、こまめに見て回ったという。

また日露戦争終結直後の1905年11月、25歳の時に渡米。

帰国後は戸畑鋳物を設立。これが日立金属の前身だ。

彼のモットーは「金持ちにはならない。人の行い得ない大きな仕事、公益に役立つ方面を切り開く」とのことであった。

◆久原房之介と鮎川義介

日立の社祖は萩の久原房之介氏、日産の創業者は鮎川義介氏だ。

両者は義兄弟(鮎川は久原の妻の兄)の関係にあった。

久原氏が日立鉱山、後の久原工業所を設立し第一次大戦では巨利を得たようだ。

しかし大戦後は不振に陥り、経営再建を鮎川氏に頼み、自らは政界に身を投じる。

久原工業は日本産業と改称され鉱山部門が日本鉱業(現在のJXホールディングス)となり、後の日産コンツェルンの源流となった。

この日本鉱業にも私の同期を含め、多くの同窓生がお世話になっている。

萩・毛利家の末裔も鮎川義介氏が興した戸畑鋳物を前身とする日立金属の世話になっているようだ。

この辺の事情については私より、日立グループに身を置かれた諸先輩の方がはるかに詳しいはずだ。

(学23期kz)

鮎川義介

久原房之介

医者の仁術 あとがき

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2025年7月 トピックス】

岡山Bさんの投稿

前稿の続き・・・

院長先生の机の引き出しから紹介された”my bottleの水”はある意味、神々しくも思えた。

日本酒を呑まれる時、盃のそばに”冷水”を必ず用意され、上品にかつ綺麗に呑まれる人がいた。
「これは”なごみ水”と言って、体にも良いのですよ」とさりげなく言われた。

”水”の話題繋がりでこの話をすると呑兵衛の院長先生の見解は違っていた。

「僕はそんな事はしませんよ、だって、酒が何となく薄まっちゃって勿体ないでしょう。僕は酒を呑んでしっかり酔っ払って、体の事も考え、仕方なく一杯ぐいっと”水”をやるのですよ(笑)」一刀両断にくる。

潔い呑兵衛だ!(笑)

これも呑兵衛のサガで、日本酒をそれぞれの立場からこよなく愛する。
あっ…そう言えば、松永理事長もたいそう日本酒のご愛好家だった。次回お会いした時、その所作と”水”との付き合い方を伺おう。

岡山B

医者の仁術

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2025年7月 トピックス】

岡山支部 岡山Bさんの投稿

日本各地、例年にない早い梅雨明けである(中国地方で言うと18日間の梅雨期間)。

これからはキンキンに冷えたビール!といきたいところだが、少し用心がいる。

落語の演題「親子酒」は、酒飲みのサガでもある、いつもついつい酒を飲みすぎてしまう商家の旦那と若旦那の断酒にかかわる親子の話。酒を飲みすぎては失敗して後悔ばかり、さすがにこれではいけないと、親子ともども酒を断つことを誓う。しかし、その断酒は難しい・・・本当は互いの断酒の誓いは、固い固い約束だったのだが・・・

学校を卒業して、社会人に成りたての頃は学生時代の少しモラトリアム的扱いもあって少々のことは許されていた感がある。そうした甘えを長い年月に、少しずつ積み重ねてくると「生活習慣病」といった病気自慢にも事欠かない題材が自分の中に蓄積されていく。

今では自分の中では常備薬となってしまっている「痛風の薬」。かかりつけ医のところに処方してもらおうと診断を頼んだら、いつ

もの担当医でなく、その病院の院長先生が診てくれた。

「今尿酸値はどれくらいですか?」

境界線の「7」を大幅に上回っている話をすると、「痛みはありますか? 痛みがないなら、まぁ~大丈夫、念のために、薬は出しておきましょう」と笑顔で診断をしてくださった。

医は”仁術”とも称されるよう、その先生の裁量で薬に依存するのか、患者自らの運動、栄養管理の推奨、そしてそこから引き出される自らの自然治癒力の薦めと、その道は分かれていく。

その先生の若い頃の話をしてくださった。「実は僕の若い頃の尿酸値は”9.5”だった。でも、その頃は腎臓の機能も十分機能していたから、痛風の症状は全くでなかった」と豪語(笑)。どう考えても”9.5”!日々危険物を持ち歩いて活動している状態にしか思えない。

先生ご自身の現状も話してくださった。「今の尿酸値は6.5なので、数字的には全く問題がない。しかし、加齢とともに腎臓の機能が衰えてきていて、ちょっと無理をすると激痛が走る!」と言われる。

その事例は半日4時間ほどあまり水分も取らず、草刈りをやった時。(これなら僕もある)仕事が忙しくて、昼食抜きで夕方ある会合の後、キンキンに冷えたビール、そしてあん肝などがアテにあったので、しこたま魚卵を中心とするおつまみを頼んだ時。(これはない!これはあまりに自爆型の行動ではないか!) ➡激痛、激痛  その後、一週間は杖をついて、病院内の回診に回られたそうである。患者の方からは「大丈夫ですか?先生…」と声掛けをされてしまう始末。

しかし、酒飲みの先生は、患者の酒を飲むことを窘めたりはしない。無理な呑み方をしなければ、大丈夫!と太鼓判。そして、自らの机の右側の引き出しを開け、「my bottle」の水を紹介してくださった。かつては緑茶を飲んでいたがカフェインが少し悪さをすることがあった。今は、兎に角、水!(ダカラってなものでなく、「my bottle」の水だそうである)これである。

医は”仁術”。院長先生と自分の間には勿論、親子関係はない。全くの他人だ。しかし、互いに少し吞兵衛という関係があるとすると、二人の仲は「親子酒」なのである。

茶色の錠剤(尿酸値抑制薬:今は白い錠剤に)が怖くてビールが飲めるか?と、いきがってもみたい。

(岡山B)

1970年代 青春の下宿③

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2025年6月 トピックス】         

1970年代、私は山口大学経済学部に入学した。蛮カラの気風が色濃く残る鳳陽寮・北寮で2年間、暮らした後、3年生になって山口県庁近くの下宿に引っ越した。

 ◇運転免許証

下宿暮らしになれたころ、突然、思い立った。

そうだ。

運転免許証をとろう。

自動車教習所は山口駅方面にあった。

さっそく、手続きを済ませ、下宿から自転車で自動車教習所に通った。

今は、教官がとても親切に教えてくれるそうだが、当時は違った。

傲慢・不遜・強圧的・・・。きわめて不評だった。

私の担当教官もまた、横柄だった。

しかも、趣味(?)は海岸に行って、ナマコを拾うこと。

へんな中年男だった。

 

横暴な指導にしばしば、むかつくが、彼が書類にハンコを押さなければ、次の段階に進めない。

従うしかない。

なんとか、仮免許、本免許と進み、念願の運転免許証を取得した。

◇ホンダZ

次は自動車の購入だ。

私は相当額の貯金を持っていた。

北九州の実家からは仕送りがある。

そのうえ、毎日のように昼も夜もアルバイトをして稼いでいた。

欲しかったのはトヨタS800。小型のスポーツカータイプで、通称「トヨ8」

山口の中古自動車店を回って探したが、販売していなかった。

次に欲しかったのがホンダZ。

後部の窓が水中眼鏡のような独特のデザインだった。

オレンジ色のホンダZ(中古車)を見つけた。気に入った。即、買った。

下宿の近くに駐車場があったのでさっそく契約。

大学には自動車で通学するようになった。

講義に出席するためではない。活動のためである。

◇山下洋輔トリオ

 私は大学祭実行委員会の幹部だった。

秋の大学祭にジャズ界で人気だった山下洋輔トリオを呼ぼう。

交渉の結果、来演決定。

彼らは羽田空港から宇部空港にやってくるという。

大学祭の予算は限られている。宇部⇒山口間を送迎するタクシー代はない。

 大学祭実行委員で車を所有しているのは私だけだった。

私がひとりで宇部空港に迎えに行くことになった。

空港で予定通り合流。助手席に山下洋輔さん。後部座席にメンバーふたりを乗せ、宇部空港を出発。あれこれ話をしながら、無事、山口に到着した。

 ライブ当日。会場の山口大学体育館は満席となった。

山下洋輔トリオは絶好調。白熱のライブに学生たちは熱狂した。

◇ソウルで再会

後日談がある。

私は大学卒業後、新聞社に入社。1980年代、ソウル特派員として赴任した。

ちょうどその頃、山下洋輔トリオがソウルで公演することが決まった。

当時、韓国では反日の機運が高く、日本人の音楽家が公演することはまれだった。

よし。取材しよう。

私は早めに会場に入った。山下さんたちはリハーサルをしていた。

リハーサルが終わって休憩中、声をかけた。その場で取材を申し込む。

アポなしだったが、山下さんは気さくに取材に応じてくれた。

インタビューが終わった。まだ、時間があるようだ、

私は彼に聞いた。

―1970年代、山口大学で公演したことを覚えていますか。

 「ええ、覚えていますよ」

―私が宇部空港に車で迎えに行ったのですよ。

 「えっ、あの時の学生が君なの」

 彼は驚いた様子だった。

 

※その後も話が弾み、旧交をあたためることができました。

   【続く】

(鳳陽会東京支部 S)

2025年春の山口駅

 

露天風呂の日

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2025年6月 トピックス】

岡山支部 岡山Bさんの投稿

『6.26』…はどんな日?

と言う問いに右手を高く掲げて答えようとされる御仁がいたら、その道のかなりの通である。

その心は、”ろく-てん-ふろ”とも読め、『露天風呂の日』となる。

ある大学では温泉学と言った講座も開設されているようだ。
その日に講義があれば、さぞかし湯気が立ち昇る熱い講義になるだろう。
さて、前振りはここまで…


露天風呂の日を制定してこれを町興しに活用している町がある。

昔から岡山県北を「美作の国」と呼び、その地にある温泉地を総称して「美作三湯」と呼ばれているようだ。

湯原、湯郷、奥津とあり、その頭の湯原がその『露天風呂の日』を制定した温泉町だ。



当日は6:26に始まる早乙女による早朝の源泉からの湯の汲み取り、木桶による湯床への注ぎ入れ。

地元の神社の禰宜も招いてのこととなるから、念が入ったしっかりした儀式だ。

また来訪者へのご褒美は湯原ダム下の砂湯の露天風呂は勿論、各旅館の露天風呂も時間限定ではあるが無料入浴が出来る仕掛けである。



経営には儀式の大切さを指摘した「シンボリックマネージャー」なる本もあるくらいだから、儀式は大切だ。
これが古より伝承されてきたものを引き継いだものではない。

『露天風呂の日』を提唱し、町興しに!と決意した時に考案され、継続して実施されてきている。

その話を耳にするとなお、新しい文化の萌芽を感じる。

そして、今全国の温泉地では「温泉」を世界文化遺産制定への活動をしているというから、つい応援したくなる。

吉幾三の「おら、東京さ行くだ」の歌詞にある意味、無い無い尽くし田舎町かも知れない。

しかし、そこに住む、そして生業を営む人のこころに「魂」があれば、町興しの胎動は始まる。温泉につかる前からなんか、ほっこり♨

写真はある雑誌が割付を行った東西温泉番付表!
ここまではある意味冷静であった…

番付を縦に横に、そして斜めに読んでも「湯田温泉」の名が無い…湯本温泉の名も…
年寄(行事役)欄に弘法大師、行基聖人の名が連なるとそうやすやすと異は唱えられないかも知れないが、山口愛を自認する小生からすると熱く”物言い”を唱えたい!(笑)

(岡山B)

第7回 カフェ・ド・ちゃぁみぃ 吉安健太郎 絵画展

第7回 カフェ・ド・ちゃぁみぃ
吉安健太郎 絵画展

(学22期 Y・Y)

◆6月21日(土)の東京は晴れたものの最高気温34℃と暑い。
こうした中、大井町駅から京浜東北線、山手線、西武新宿線を乗り継いで、狭山市駅で降りて、昨年の10月以来2度目の参加となりました。
6月16日の週は派遣先の仕事で色々とあり、凹みました。
自分の老いから身体が言うこと聞かなくなったと自覚せざるを得なくなり、ここ3週間は、土日は自宅で身体を休めて自重していましたがメンタルを何とかしないといけないと悲壮な決意をして、往復6時間の遠出となりました。

◆吉安健太郎さんは元力士(力士歴3年半)の画家の方で、私が大ファンだった北の湖さんと同じ昭和28年生まれです。
日本相撲協会退職後は警視庁に32年間勤務されました。

◆冒頭、展示してある絵画の個々の作品の全体説明を受けました。
私は子供の頃から絵心が皆無で、特に実技の写生は苦痛の時間でした。
高校時代に体育の水泳の時間はカナヅチの為、中耳炎と仮病を使っていましたが、美術の実技の時間は不参加の理由もなく、参加せざるを得ませんでした。

◆大半の時間を最近の大相撲の話題中心に意見交換しました。
白鵬の宮城野親方の日本相撲協会退職の件を始め、幕内格の行司の木村銀治郎氏の舟券購入による使い込み発覚の懲戒解雇等多岐にわたりました。
木村銀治郎さんはFacebookで友達になっていて理論派で格調高い人だったので、ショックで勿体ない。
吉安健太郎さんとはFacebookで友達になって4年ですが、ほぼ同世代の為、懐かしい力士名が出て来ても大抵はわかります。
最後に興福寺の阿修羅像は完売済でしたが、再度描いて頂き、購入することになりました。
あっという間の2時間半でした。

訪れた美術館)
ひろしま美術館
広島現代美術館
大原美術館
足立美術館(島根県)
MOA美術館(熱海)
横浜美術館
東京国立博物館
東京都美術館
西洋美術館
上野の森美術館

追記)
写真5枚目は1996年プランタン銀座での北の湖親方のジョイント油彩展
(学22期 Y・Y)(会社法、永倉ゼミ)
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随筆 横目で眺めた経済学 ⑨経済学の教科書

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2025年6月 トピックス】

◆経済学の教科書

サミュエルソンの教科書が定番だった。シカゴ大からハーバード大の大学院で数学や物理を修め理数的分析で頭角を現し、近代経済学の発展に多大な貢献をしたことで文句ないノーベル経済学賞を受賞している。

しかし、サムエルソンの経済学の教科書(経済学―入門的分析 上・下)には数式がほとんど出てこないのでありがかった。

◆2000年代に入るとマンキューの経済学の教科書(2019年)が良いとの評判が聞こえてきた。

マンキューかぁ。

学生のころ、マンキューならぬマンリョー(定食屋)にはえらくお世話になったが・・・

29歳でハーバード大教授を務め、CEA(大統領経済諮問委員会)委員長を務めた秀才だ。

マンキューの教科書にも数式が出て来ず、具体的でわかりやすい説名だが、サミュエルソンの教科書の二番煎じの感がある。

彼の本では比較優位の説明に、セリーナ・ウィリアムスとフォレスト・ガンプを登場させ、どちらが芝刈りをした方が得かという問いを立てる。

庭の芝刈りにセリーナは2時間、フォレストは4時間かかる。

ではセリーナが芝刈りをした方が早いが、その方が「得か否か」が問題だ。

機会費用の話だ。

稼ぎを考える。

同じ時間で多く稼ぐにはセリーナは芝刈りをせず、テレビに出た方が得だ。

この場合、結果的にフォレストが芝刈りに比較優位を持っていることなる。

マンキュー家でもマンキューがベストセラーになるような本を書くことに専念できた結果、印税で家を建てたということなのだろう。

◆日本でもノーベル経済学賞を受賞した大家が書いた教科書の翻訳で家を建てたといわれる、経済学者にもいた。

私大の先生で、ノーベル賞経済学者J.スティグリッツの下で学んだ先生だ。

スティグリッツの教科書(2012年)の翻訳もしている。

もちろんその本を「指定図書」にしたのだろう。

(学23期kz)