山口大学経済学部同窓会
鳳陽会東京支部
【2026年10月 トピックス】
岡山支部 岡山Bさんからの投稿
規模の大小、そして組織体そのものの違いはあっても、その”底流に流れるこころは同じもの、ありにしかや”?と思い、田舎の氏神さまの祭祀について記す。
◆縮む田舎の氏子数、どっこい生き続ける田舎…
自分が住む地元には、住人の信仰を集めている荒神社という神社がある。2000年頃の氏子戸数は50戸余り。ほぼその地域にある全戸が氏子であった。2026年本年は25戸、ほぼ半減した。
これは住民票に登録されている戸数がそのまま減ったと言う意味ではない。神社の氏子としての脱会が発生し、今に至ると言うことだ。
また、近隣には住宅地が開発され、戸数は150戸ほどになる。しかし、新規に住民になった家の神社への氏子加入はほぼない。
(氏子役員の中でも積極的加入の動きが追い付かず、加入申請を待つと言う“待ちの姿勢”だったかもしれない)
◆荒神宮は、部落で祀るものは生活全般を守護する神として山麓に祀られることが多い、その部類だ。毎年のお米の収穫に感謝し、また各戸の弥栄の繁栄と健康などを祈ったものだったのであろう。
地元の荒神社の起こりは1850年代(黒船来航)までさかのぼる。何故そのことが分かるのか?祭事に使われている太鼓、その革が劣化してきたため太鼓の革の張替を数年前に実施 した。
その太鼓の内側にその当時の年号「嘉永」という年号は墨書きされていたからだ。村の言い伝えでは、飢饉のとき、疫病蔓延ととき、その沈静化も願って集まり、そのご利益があった神社だという。
今でも氏子、近隣を散歩される方からは朝夕のお参り、お宮参り、正月の初詣等々、機会あるごとに厚い信仰を集めている。村にとっては将に自分が住んでいる地域、土地、住民を守ってくださる神様となる。
◆仕事の関係で代々の相続関係の事例を担当したことがある。嘗ての 大まかな流れでいうと50代ぐらいで先代の財産を相続する。
人生70年が「古稀」と称されていたことからも分かるよう、75歳を前後にその財産管理においては、“次世代に引き継ぐ”時代であった。悲しいかな、現在の健康寿命の年代と重なり合う。(2022年統計によると72.57歳)
以前の氏子数だと50軒、4軒が交代で当屋と言って、その年の祭りの準備をする。
昔風に言えば、戸主となる期間は約25年、各家々を守って、凡そ12年周期の当屋を2回担当すると次の世代に引き継ぐといった流れであった。
今は違う。凡そ6年に一回は回ってくるので、嘗ての25年を世帯主期間としても最低でも4回。
自分は今回が3回目の当屋となった。 若くして世帯主、そして運よく長命であった場合は8回9回と当屋を担当することとなる。ある意味、後者のケースは当屋の役割を果たせる、担えることが 一つの幸せ指数ともなりうる。
お祭りの前日には早朝6時集合で、神社の掃除をすることになっている。あくまで申し合わせの6時だ。そんな時間にのこのこ出かけるようであれば、掃除は完全に終わっていることが多い。
所謂、日が昇る時には作業が始まり、6時過ぎには挨拶をし、それぞれの家路に向かい、その日の仕事の準備に取り掛かる段取りの時間だ。地元では地域の名前を冠につけ「地元時間」と言われていて、注意が必要だ。
◆これらを税負担の考え方に置き換えて考えてみよう。
税負担の考え方には「応益原則(おうえきげんそく)」と「応能原則(おうえきげんそく)」という2つの代表的な基本理念がある。
・清掃時間は後者の方だ。負担が出来る人は身の丈相応の負担を厭わないということだ。
・氏子の会費は年1500円。ここ何十年も変更がない。
税金の負担を考える際、次の2つの公平性が言われる。
①水平的公平: みんな均等「同じ経済力(所得)の人は、同じだけの税金を負担すべき」
②垂直的公平: 「経済力が違う(高い)人は、それに応じて異なる(高い)税金を負担すべき」の考え方。
会費については①みんな均等なのだ。掃除の地元時間は②に該当しそうだ。
そして、祭りの荒神社へのお供えというものについてはまた②の考えに基づき、それぞれが懐の許す中で、新米をはじめ、農作物、果物、飲料等をお供えする。
ちょっと生意気な言い方をすると「ノブレス・オブリージュ」(フランス語: noblesse oblige):高貴なる者の義務。
最低限の事をすればいいと言うより、自ら進んで出来ることは骨身を惜しまずやってみる。そして、それが務めとなる。(矜持かも)ましてや、フリーライダーと言うような考えは持つ者はいない。
祭司への参加者数は減少しているが、時間の許す限り、地域の事、今年のお米の豊穣等の話で盛り上がる。
嘗ては、白幕を張って、子供の為に映画なども催していた。地域に根付いた、住民挙げての祭りであったことだろう。
◆祭事が終わった後の直会(会食)の経費についても少し緩めに構えてしまうと会費以上、3倍以上の支出をしてしまっている年も帳簿の上にはある。
過去は過去とし、・・・。
今年の当屋担当者の間では、今後の運営に当たって、どこかでほぼ会費の中で廻しうる年を敢えて演出する必要性があろうと言う意見になった。では、どうするか?
座して待っているだけでは、過去の慣例と言う大きな流れに流されてしまう。ならば、「入りを計って、出るを制しよう。」
収入に見合うお供え、接待用の飲み物、おつまみの検討、”予算枠内作戦”で出来るものはないか?
飲み物を冷やすのに、氷の購入はいるか?
お賽銭の預け入れに金融機関への多額の手数料はいるか?
お供えで戴けるものは予め情報収集できるものはしておいて、それをお下がりとして利用し、外部支出を大幅に減らせないか?
物品の購入に当たっては、少し街を歩いて、安いところで必要とする品質のものを確保する足で稼ぐことはできないか?
(氷は当屋の自宅の冷蔵庫で、そして凍結ペットボトルも利用。お賽銭の小銭は当屋で予め札に交換し、”小銭持ち”になって貰い、50枚以下の小銭の預け入れにして交換手数料を発生させない等。
こんな積み重ねでも15%位は経費を抑制できる)
何例か上げたが、そのような視点で当屋の役割を見直すとほぼ予算内でやり切れるのではないかと・・・
考える、計画する、行動する(動く)、出来れば見栄えは落とさないようにして、実利はしっかり取りに行く。
手間は惜しまない。全てがやり切れたとまでは言わないが、ほぼ当初の計画通り、皆さんの会費の中で運営することができた。
ひょっとすると、何か、そして、何処かに、大小を問わず組織運営に生かせるちょっとした流儀がありそうだ。

