幕末官僚の優れ者(その2)岩瀬忠震①

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2024年 5月トピックス】  

◆幕臣三傑 

混迷する幕府の外交路線を積極的な開国・通商の方向に運び、米蘭露英仏の五か国との通商交渉・調印にあたり、日本の外交を一身に担った外交官だ。

福地源一郎は「幕末政治家」の中で、幕末の三傑(幕臣)として、水野忠徳、岩瀬忠震、小栗忠順(ただまさ)を選び、柴山川崎三郎は著書「幕末三俊」として矢部定謙(さだのり)、川路聖謨、岩瀬忠震を挙げている。

この両者に共通して入っているのが岩瀬忠震だ。

1818年生まれ。

以前この欄で取り上げた長州藩士・長井雅楽より半年上、ほぼ同年代だ。

1843年(数え年26歳)に昌平黌大試合格。

幕末当時、外国船が開国・通商を求めて来航した時、幕府は水戸の徳川斉昭の攘夷派もおり、開国派も消極的開国派という慎重派が多数派であった中、岩瀬はいわば積極的開国推進派の最右翼であった。

開国が世界の大勢と認識し、貿易通商で富の蓄積を図り、新技術を導入し、富国強兵によって世界に出ていくとの思想を持っていた。この思想は明治期になると当たり前の思想になったが、この当時では突き抜けた思想の持ち主だった。

岩瀬は阿部正弘に目を掛けられ急務の業務に専念した。

阿部正弘の稿で阿部が成し遂げたとしての紹介した講武所、蕃書調所、また長崎に開いた海軍伝習所などすべて岩瀬が手掛けたものだ。

◆安政の五か国条約調印者

外国奉行(外交官)も務めた。

安政5年(1858年)6月19日 日米修好通商条約締結を手始めに、オランダやフランスなど安政の五か国条約のすべての調印者となっている。

思想的にも実務的にも優れた官僚であった。

つづく

(学23期kz)

岩瀬忠震とハリス

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