大学時代の“ひとこま”を振り返る その①

~大学卒業後55 年、学生時代の青春を振り返ってみるのも悪くない~

Myz(鳳陽会 宇部・山陽小野田支部 大学17期)

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2024年 2月トピックス】

◆昭和 40 年(1965 年)春、私の大学生活は始まった。入学式は経済学部の講堂で行われた。

当時の入学者(私が入った班)の写真が、いま手元にある。よく見ると“純真であどけなさ”と希望に満ちた学園生活(?)が始まる安堵感(1 年浪人)がうかがえる。

私は、小さい頃から野球が大好き、周りからも“上手だね!”といわれ、日が暮れるまで 草野球で遊ぶ毎日を過ごしていた。当然、高校時代の成績はもう一つで、1 年目の受験に失敗。浪人時代は、大学で思い切り野球を楽しむことを心に誓い、しばし、野球を頭から外して勉学に集中した。

◆そのこともあったのだろか、入学式後に野球ができるという“嬉しさ” にひたりながら、経済学部グランド(当時は亀山)にあった野球部部室を覗き、入部を申し出た。硬式野球と準硬式野球部があり、私は準硬式野球部を選択した。この部を選んだ理由はよく覚えていないが、硬式野球ボールで野球をやったことはなく、硬式では何となく不安もあったのかなと、今では思う。

入部当初は知らなかったが、準硬式野球部の公式戦は、春、秋の中国リーグ戦と毎年 7 月 に開催されていた中国五大学戦が中心で、その他リーグ戦で優勝すれば、西日本大会や全国大会(神宮球場で開催)出場もできた。その他、下関市立大、山口印刷等との練習試合もあった。

その年は、4 月後半から本格的な練習を開始。当時のキャプテンは大学14 期の N さん (三菱重工業)。5 月のリーグ戦には参加できなかったが、7 月の五大学戦からレギラー(セ カンドで 2 番)で出場できた。この年は、広島大学が当番、野球は当時の広島市民球場で試合ができたことはラッキーであった。本活的な黒土のグランドは初めてで、プロはこんな素晴らしいグランドでプレーが出来るのかと、うらやましくもあった。ヒットも 1 本(センター 前)打てたことも、今では、いい思い出だ。

◆その後、9月初旬からの秋の合宿、確か 2 週間 (?)、それから秋のリーグ戦へと。

リーグ戦は、岡山の“久世”(真庭市、蒜山高原の近く)で、小郡(新山口)から、急行で岡山へ、岡山から津山線で津山へ、さらに姫新線で久 世へ、長旅であった。思い出したが、出発が早朝であったため、私の母が“おにぎり”、“た まごやき”を大量に作ってくれて列車の中で頬ばり、喜んでもらった記憶がある。

その後、 リーグ戦の都度、そのことがしばらく、慣例となった。当時の食料事情も十分ではなく、今 思えば、そのことが本当に懐かしい。

つづく

(大学17期 Myz)

前列右から5番目が筆者
2年生時 秋のリーグ戦で優勝した時の全員写真 表彰状が写っている。

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