京都旅行記

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2024年 2月トピックス】

2月7日から9日まで2泊3日で妻と冬の京都を散策してきました。

職歴で20年前某電機メーカーの京都支店 に3年半の間駐在していました。町並みはあまり変わりませんでしたが、行きかう人々には変化がありました。

◆まずは実家が浄土宗ということで知恩院へ。法然上人生誕850年の垂れ幕がありました。支店のあった四条烏丸から祇園にかけては春節もあり、外国人(とくに中国人、韓国人)が多数派でした。特に錦市場は昼呑み酒場になっており、SNSで発信していました。清水寺周辺の2年坂、3年坂も同じでした。三条の池田屋騒動跡地(現状 居酒屋はなの舞)前も通りました。

翌日に行った京都御所は、ほとんどが日本人で京都在住者でした。

長州藩と会津・薩摩藩が戦った蛤御門の変、木島又兵衛が討ち死にした松の木の下も現存していました。

また、哲学の道からの銀閣寺(池に大内の石あり)は、ほとんど外国人観光客でしたが人数は少なめでした。

賀茂氏の氏神の下賀茂神社も糺の森から参拝しました。また、秦氏が養蚕、製鉄を営んだ嵐山の美空ひばり記念館は撤去されており、とくに中国人、韓国人が、竹林、渡月橋で情報発信していました。

◆ 歴史を紐解くと1,230年前の延暦13年(794:鳴くよ鶯 平安京)に平安京が誕生する前から現在の京都市中心部には人々が住み、歴史を刻んでいた。その担い手が渡来人の秦氏(新羅系)と賀茂氏(百済系)で、秦氏は桂川沿いを開発し、氏神は松尾大社です。賀茂氏は賀茂川沿いを開発し、氏神は上下賀茂神社と伏見稲荷です。両氏ともルーツは中国です。

過去の歴史と現在。京都はいつも渡来人を受け入れ、国際化の中でコロナ禍を乗り越え、発展し続けると確信しました。

食事はおばんざい料理、関西うどんでアルコールは控え目でした。
(大学 29期 K.Y)

One thought on “京都旅行記

  1. K.Yさん 人生節目での、奥様との2泊3日の冬の京都を散策のエッセイ、京都の名所が目に浮かびます。私も、数年前に家内と京都の南禅寺に紅葉見物に行ました。やはり、紅葉の美しさを保つための手入れが違いますね。もちろんその日は外人の観光客も多かったです。有名は「湯豆腐」を食して京都の好さを味わって帰りました。京都はそれぞれの季節で楽しむことが出来ますね。ところで、K.Yさんの投稿「山口大学準硬式野球部の思い出」を拝読しました。一部リーグで優勝され、全国大会に出場と、当時は選手のレベルが高かったのですね。某電機メーカーにご勤務だったとか、推測ですが私たちの同期では剣道部でN君、準硬式野球部では20期のO君、S君が在職していたのでは?今でも2年ごとに山口で70歳代の方々を中心に「昭和会}(山大準硬式野球部)開催されています。参加者は、20人程度でしょうか?O君がお世話をされています。またどこかでお会いすることがあれば、準硬式野球部での思い出を語り合いましょう。(Myz)

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