「大久保・新大久保」ツアーに参加

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2025年2月 トピックス】

【台湾華僑・簡憲幸老師のガイドで、なぜ多民族の街が誕生し、成長したのか?大久保・新大久保の謎を解き明かす。】

(2月16日(日)14時~16時、参加者10名)

投稿者:学22期Y・Y

◆韓国のキリスト教の信者数は、韓国統計庁によると、2015年時点でプロテスタントは韓国人の19.7%、カトリックが7.9%と示されており、人口の約3分の1がキリスト教徒とか。
現在は全人口の4割がキリスト教信者とか。
因みに日本のキリスト教徒の信者数は人口に対して1%とか。

◆50代後半でしたが、道路付近の工事現場での交通誘導のバイトをしていた頃に百人町で一日仕事をしたことがありますが、この仕事は仲間に一匹狼の人が多く、あまり良い思い出はありません。
百人町の地名の由来は徳川幕府が江戸の警備を固めるために、百人鉄砲隊を現在の百人町1~4丁目付近に住まわせていたからと今回知りました。

★ツアールート
①東京媽祖廟
最近、台湾について知る簡憲幸講師の講座講に参加していますが、会場はJR大久保駅南口近くにあり、すぐ近くにあるこの建物は何だろうと思っていました。
媽祖様は台湾及び中国沿海部を中心に信仰を集める女神です。
東京媽祖廟は2013年に日本で初めて完成しました。
ひたすらお祈りされている信者の方を観て、心の平穏が得られならばと羨ましくなりました。


②楽器通り
音楽やお茶の水と並び楽器の街としても有名です。
戦前はドイツ人音楽家や日本のクラシック音楽家が多く住んでいたとか。


③イスラム横丁


④元・ロッテ工場
1950年に韓国のロッテが進出し、2013年迄は商品を生産し、電車の窓からロッテの看板が見えました。
高校生の頃から後発のロッテチョコレートが好きでした。
今は跡地は住宅展示場になっていました。


⑤ソウル市場



⑥東京中央教会
日本一のコリアンタウン新大久保にあるプロテスタント教会


⑦イケメン通り
初めて知りました。
韓国レストランやコスメショップが連なり、若い女性の凄い人出で賑わっていました。
イケメン通りの由来はここに来るとイケメンに会えるとか。
古稀過ぎたブサイクな爺で申し訳ありません。



⑧ドン・キホーテ新宿店


⑨高麗博物館、文化センターアリラン


(学22期Y・Y)

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「空気が支配する国」 物江潤著(2020年11月20日発行)を読んで感じること

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2025年2月 トピックス】

宇部・山陽小野田支部 17期 MYZ

(本文はAYSA 西部部会文集「あゆみ4号」に掲載されたものを転載)

◆この書籍を読むまで、「その場の空気」ということについてあまり意識することはなかった。この書籍によれば“それ”はいつの間にか場を支配し、事が決まっていく。その圧力に抗うことは困難だ。日本では法よりも総理大臣よりも上位に立つ存在、それが「空気」であると。

あの戦争の時も、コロナ禍においても、国家、国民を支配したのは「空気」だった。

◆考えてみると「空気」とは何かと問われれば、実のところ難しい。もちろん物理的な意味での「空気」は、「地球を含む大気圏の下層部分を構成する無色透明な混合気体。

高度数十キロメートルまでは水蒸気を除くとほぼ一定で、体積比で 窒素78.09、酸素20.95、アルゴン0.93、二酸化炭素0.03、他ネオン、へリウム 等を含む。乾燥気圧1リットルの重さは摂氏零度、1気圧のとき1.293グラム」 とある(デジタル大辞泉から)

 一方、主観的な意味でのそれは、「その場の雰囲気」を表し、例えば「自由な 空気を吸う」、「職場の空気になじむ」、「険悪な空気が流れる」等で使われているとも説明している。

私は、「その存在の意味」について物理的にも主観的にもあまり考えたことはなかった。しかし、この書籍を読むうちに、日本が陥った「空気が支配する国」は何を意味するのかを考えてみようと思った。

◆1997 年に発刊された「空気の研究」(山本七平著)が近年、読み直されているらしい。

この書籍では、日本特有の文化で生まれた表現であるとしつつも、「空気とは、まことに大きな絶対権をもった妖怪である」と。

事例として、どう考えても、無謀な戦艦大和の沖縄への出撃である。この出撃命令の空気に抗すること ができず、エリートたちがその作戦を承認してしまった「その場の空気」。

「イン パール作戦」もそうであろうと。

この例が示唆するように、「空気」とは守らなくてはならない「掟」のようである。それも、ルールや契約のような形で明示されていない。より正確に言えば「曖昧な掟」である。

「論理」よりも「空気」が優先され、仕方がなく何が正しいのかを探る中で「空気を読む」。

◆戦後75年間、この厄介な存在が、今も続いているのである。

 果たして「空気を読む」ことは、すべて「厄介な存在」なのだろうか?

 私は、直接的に戦時中のことを経験しているわけではないが、第二次世界大戦 での日本の敗戦については、様々な書籍で学んできており(それがすべて事実か どうかはわからないが)、その時々でその時代に思いを巡らせている。

私は、戦後すぐに生をうけ、8人兄弟の7番目である。当時の家計は「それなりに裕福」 だったと記憶している。厳しくなったのは、戦後の混乱の中での「農地解放」と 「スパーインフレ」である。昭和20年代後半から30年代後半までの我家の経 済を子供心に「空気を読む」には未熟だったような気がする。

今思うに、母に対 し「不平」や「不満」を「物」に当たっていたが、母はそれに対し「大人の対応」 で「大声で叱る」声を発することはしなかった。そこは明治生まれの母である。 いずれ子供たちが成人すれば気付くであろう「今、我が家がおかれた空気」がど のようなものか分かるときが来ると信じていたのではないか。

 母のこの気構えを理解したのは、私が成人してのことであり、まさしく、この「空気を読む」である。

このことは、学生時代から社会人になっても続いた。

一方、このことは、物事に対する「優しさ」と表裏になってしまう。人との関係で この「優しさ」が、自分を追い込んでいるのでいるのではないかということに気が付いた。

◆母から教えられたある宗派の偉い住職に、『人というものは、相手に対して言いたいことがあるときには「しっかり」と言う。そしてそれによる「業」 が深ければそれを受け止める「気魂」が大事なのだよ』と。

そこから自分の気持ちに正直になろうと決め、物事に対処するときの気持ちが「楽」になった記憶がある。

 山本七平の『「空気」の研究』で、非理論的だとわかりつつも空気に従ってしまう日本人の姿が描かれており、そこから日本人の致命的な欠点が見えてくると。

◆更に「水=通常生」の研究では、「空気」を壊す方法も論じている。それが 「水を差す」である。この「水を差す」ことは、「空気を壊す」作業である。この作業は「勇気」を必要としている。この「勇気」が、「自分の業を受け止める 気魂」ではないかと思う。

 一方、この年齢(後期高齢者)になってあまり難しいことを考えると気が重たくなる。

やはり自然に、「空気を読む」「空気を変える」「雰囲気をつくる」「あの人がいれば場が自然に楽しくなる」等。

日常では人生を支える多くのものが「どれも大切」に見える。しかし、シンプルに、「一大事が起こった時にあなたは何を最も重要なものと考えるか?」「最も譲ことが出来ない根本とは何か?」日頃の生活の中で考えてみるのもいいではないか。

◆AYSA 西部部会の事務局(3 年前から会長を兼務)をやり始めて既に7年が経過しようとしている。

スタート時にはそれなりに「空気を読む」ことで会の運営 をしていたが、そこには、周りから見ると随分「力」が入り過ぎていたのかもしれなのではと、教えられている。

 ところで、私は、TVでスポーツ番組を見るのが最大の楽しみである。若いアスリートたちが懸命に自分の持てる力を発揮している姿を見ると、一層の励み になる。時には、彼らにも失敗はある。

スポーツを見ながら、次の動きを想像 (「空気を読む」)するだけでも面白い。野球で言えば、この場面ではピッチャーはどんな球を投げるのか?バッターはどんな球を待っているのか?何故あのカウントで走らなかったのか?いろんな作戦が思いつく。

ここぞというときに打てる、抑える。ここぞというときにポイントが取れるプレイヤーたちの成長を願う。

もって生まれた才能もあるが、それなりに練習して努力したプレイヤーも生きる道を必死に磨いている。

スポーツは「瞬間的」な動きであるが、私の経験からすると、やはり「その場面での空気感(雰囲気)が読め」て、しかも「水を差す勇気を持つ」ことに秀でたプレイヤーは強いような気がする。

◆どの世界でも、世代でも物事を行ううえで、 このことは同じと言えそうだ。今も母から言われた言葉を思い出す。「修ちゃん は優しいから、どんな人からも好かれるよ!」と。

中途半端なところはあるが(人間だもの)、この言葉を大事にしながら日々を暮らしている。(完)

(宇部・山陽小野田支部 学17期 MYZ)

令和の養生訓

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2025年2月 トピックス】

岡山支部 岡山Bさんの投稿

◆養生訓

令和の貝原益軒になった気持ちで書こう

と言っても、自ら養生訓を導き出せる程の人生をまだ歩んでいない…

とあるところにあった貼り紙より

紹介しよう

(掲示物に少し加筆)

◆おなかのこと、考えてみよう!

⇒おなかの王子さまが選ぶ「5つの習慣」ランキングとある

①食べる量:腹八分目医者いらず

②食べものの質:スッキリおなかでバナナうんち

③空腹時間:お休みおなか、次の食事に備えます

④いつもの姿勢:自由に動けてしっかり働く

⑤筋肉の量:バキバキに割れたおなかでなくとも働きやすいおなか

おなかは自分で守る時代とくる

◆ここからは、データサイエンスが語る

→添加物、保存料など年間約4〜8kgがおなかに入ってくる

添加物王国日本と世界からは呼ばれているそうだ

→一生約80tの食べものから約50tのうんちをつくる

 1日3回の食、いや機会があれば…

  ちょっとしたおやつ、おつまみ、夜にはまたアテと称し、口に…

 飲み物に至っては… 水、お茶、味噌汁、coffee…  そして、夜の友お酒、何軒目の締めにラーメンときたら…(笑)

口の中は、一瞬で過ぎるけど、おなかの中は、それらを全て一口の不平を口にすることなく、寛容に受け止め、ずっと働いている

①〜⑤の習慣がリフレッシュしてくると次の3つのシアワセをつくってくれる

①おなかに90%の幸せホルモン!

②おなかに70%免疫細胞!

③おなかの環境の良さが良い感じのお肌を!

とくる

これは、自分だけのちょっと見のものとしてではなく、鳳陽会会員の皆さまに、ある養生訓の一つとして紹介したいと考えた

蛇足)

83歳になった貝原益軒が描いた養生訓には次の三楽と四欲(抑)があるとウィキペディアは纏めている

三楽

  1. 道を行い、善を積むことを楽しむ
  2. 病にかかることの無い健康な生活を快く楽しむ
  3. 長寿を楽しむ。

四欲(抑)

  1. あれこれ食べてみたいという食欲
  2. 色欲
  3. むやみに眠りたがる欲
  4. 徒らに喋りたがる欲

(岡山B)

「ブラックアングル」は戯れ絵師のなせる技

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2025年2月 トピックス】

「ブラックアングル」は戯れ絵師のなせる技

今朝(2月22日)の「あの人に会いたい」は山藤章二さん
「ブラックアングル」の山藤さん、自称”現代の戯れ絵師”!

昭和51年〜令和3年まで週刊誌に2260回連載されたと言うから、その絵師としての力、風刺の力は大きい
年換算すると43年を超える… ざっくり64年位の活動期間からいくとその本気度がわかる

“似顔絵”は風刺、記録、批評であると言う 似顔絵に添えられた文にも世相を描く絵師

·25年間に15人も首相が交替した時代には、”回転寿司”の皿に首相の顔が…”腕は怪しいけど、ネタは新鮮”(笑)と辛口の批評がつく
·郵政民営化を国民に問うた衆議院選の時は、小泉さんの顔が郵便ポストの形をした投票箱に見立てられ、正論*暴論の投函受口が描かれる

しかし、経歴はサクセスストーリーだけではない
芸大(図案科)受験には3度失敗、武蔵美(武蔵野美術学校)に進学、戯れ絵師の基礎を磨く
高校時代からその才は際立ち、学校新聞に挿絵掲載(既に外見だけでなく内面を描きたいと考えていた)
挫折とネガティブが批評に繋がると言うから凡人にも希望を与えてくれる

学校を卒業後、30歳前に野坂昭如の書籍への挿絵に採用される 挿絵は普通文章の邪魔しないがルールだが、逆張りで敢えて”邪魔”をする挿絵!後に山藤スタイルと言う世界を築く
週刊誌の表紙も描く機会を得たが、好·不評が相半ばの中、 2年で降板 その後、週刊誌の末頁を飾る「ブラックアングル」に続く

こんな山藤章二さんが大切にする言葉は「日常最上」、そして揮毫とする
日常の何でもない事がとっても大切で最上の事と言う 幸福感を持てば、その日その日を幸せに暮らせるのではないか… 日々の日常、茶飯の事が尊い

一部の世界では、得か損か、儲かるか、儲からないか価値観が幅をきかす現代…
日本本来の美徳であった、誇り、気骨、品格、謙虚…それらがだんだん失われていく事を一方で嘆いていた

(岡山 B)

日本人論の欠片 その17 きょろきょろ論②

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2025年2月 トピックス】

学23期kz

◆一神教としての「神」なき民

逆に言うなら、主だった諸外国は一神教の神を持ち、絶対的な指針が示され、規範を有す。

きょろきょろと辺りを見渡す必要がない。

戦時に挙国一致が要求される場合、そうした意識を促すのに有効な殺し文句があったのはご存じの通りだ。

「世界の常識を知らない日本でよいのか」、

あるいは

「世界の標準からこんなに遅れている」。

あくまでも基準、規範の基準を外国に置いている。

今でもこういう煽り方もある。

「バスに乗り遅れるぞ」

われわれ絶対神なき民は、この手の煽りに弱い!

とんでもなく弱いのだ。

◆山本七平がいう「空気」

もう一人、日本/日本人論に関して独自の見解を主張する山本七平がいる。

「空気の研究」で有名だ。

太平洋で大きな戦争をしておいて、誰が当事者なのか明確ではなく、誰からも「我こそが、責任をもって戦争遂行を決定した」という言葉が出て来ず、戦争責任者の確証があいまいになっている。

証拠、その証言が出てこないのだ。

膨大な決済文書に、多くの印が押されたにも拘わらず。

戦後、戦犯が裁判を受けた際には、戦犯の皆さんが一様に「私自身は戦争には反対だった」と陳述したそうだ。

何となく、何かに押されるようにずるずると戦争になってしまったと。

犯人は、場の雰囲気であり、その場の空気だとでもいうように。

これは、自分が拠って立つ明確な主義・主張がない、あるいは主義・主張が希薄ためで、ポリシーを生み出す絶対的な根拠に欠けることによる。

あれだけのことをしておいては、無責任と言われても仕方がないじゃないか。

そう、極めて無責任であり、いいかげんと言われても仕方ない。

◆融通無碍

しかし、宗教から自由であること、思想信条から自由であること、行動も自由であることは、存在なり行動が融通無碍であるということと同義だ。

考えようによって、これは愉快だ。

水のように、どのようにでも変化でき、変化に強いという言い方もできる。

災害が起きた後の復興は目覚ましく、世界の賞賛を得ているものが多い。

こうした日本の素早い復興、一心不乱の秩序立った、官民一体の復興は高い評価を得ている。

(学23期kz)

翻訳機を通じての一期一会の出会い

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2025年2月 トピックス】

岡山支部 岡山Bさんの投稿

旅先の宿泊先で外人さんに出会った
どう見ても三桁の体重を超えている?❢ ほぼ相撲レスラー♬(笑)
角界でも豊昇龍が横綱昇進していて吉日だ
どれ位体重ありますか?と刃毀れもおき、錆びついた英語らしき言葉で聞いたら、相手さんは携帯の言葉の翻訳ソフトを取り出し、『140』kgと書いてきた!
何やら剣道をやっていて、2回目の訪日の様だ(竹刀を構えた形を取り、面を打ち込んでくる真似をしてくる(笑)) 岡山の事も朧げながら、知っている様だ

しかし、外人さんから僕への質問の先ず第一声は「出身地は大阪ですか?」と翻訳機が日本語表示をする
何故なのか?(笑)
言葉遣いは至って標準語に近いはずと自分では自負している(岡山、山口、東京、福岡、岡山と点々とはしたが…)

外人さんが喋ったものを文字起こしした翻訳機の文字を見ると法郎西(フランス)っぽい…
何時もフランス🇫🇷の人に会うと最後に言う、満面の笑みをたたえて「メルシボークー」♬と束の間の会話を終えた(ほぼこれしかフランス語は知らない(笑))

今の言語翻訳機は国境、人種を超えられる!(インバウンドのお客様が多い為、駅員も翻訳機を使い始めている)
超えられないとすると先ず話しかける事自身に自らの躊躇があってはならない そして、当たってくだけろ!精神があれば、先ずは人の輪は少し拡がる

一期一会と言うのは、日本人同士でも大切にしていると思うが、ほんの短い間だったが、一期一会は国を、人種を超えた(笑)

セカンドキャリアも数年するとリタイアとなる その時用に先ずは単語!と思い「System英単語』を買った (所謂シス単)basicではない方だ
昔の受験英語と言えば、赤尾の豆単、森一郎の出る単(関東では試単と言う)だったが、up to date「シス単」だ♬

(岡山B)

何でも見てやろう

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2025年2月 トピックス】

岡山支部 岡山Bさんの投稿

◆旅先の宮崎で、ある若者に出会った。
今日はオリックスのキャンプ観戦だと言う。
実は僕は昨日観た、そして感動した点を何点か語った。
若者も昨日はソフトバンクの観戦を、その様子、そして身上を少し紹介してくれた。


◆放送局の記者をやっていて、スポーツ担当ではないが春キャンプの観戦巡りをしている…
主管放送局、渋谷、そして今九州の支局に勤務、将来も続く転勤族だと言う。
都会育ちで、学生、新入社員時代も主だった居住地は都会だったそうだ。
しかし、今は赴任先での”地方の生活”を楽しみに、また肥やしにされている様子が伺われる。

◆若い世代には、とかく”指示待ち族”の形容詞がつくことが多くある。
しかし、彼が口にしたのは、「何でも見てやろう、何でも経験してみようと考えている」と。
若き日の小田実「何でも見てやろう」にも通じる心意気が感じられ、少し嬉しくなった!

(岡山 B)

リスボンの酒場にて

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2025年2月 トピックス】

学37期 上野啓

◆6年ぶりの欧州への海外出張は、思いの外、長時間のフライトとなった。

ロシアのウクライナ侵攻から3年。ロシア上空の飛行は許されず、アラスカから北極圏を越えての飛行ルート。40年年くらい前までは、アンカレッジで給油のために立ち寄っていた、いわゆる北周りと言われるルートでの飛行である。

経由地のオランダ、アムステルダムまでは14時間、そこからポルトガルのリスボンまでは3時間、乗り継ぎの時間を入れると目的地までは20時間のフライトとなった。

◆リスボンへ来たのは、今勤めるフランス企業のグローバルセールス会議。

世界中から100名余りが3日間、昨年のセールスレヴューと今年のターゲット達成に向けての議論にみっちり3日間費やす。

アジェンダの中には、ちょっとした観光を兼ねたチームビルディングや、立食パーティーなど、ネットワーキングの時間も多く取り入られる。

◆こういう場所に参加すると、ちょっとした会話から、世界の動きや、地域の勢いを肌で感じることができる。

東欧の人達と話すと、長引くウクライナとロシア紛争の欧州への影響は想像以上に大きいと感じる。トランプのパリ協定からの離脱や、化石燃料への回帰政策の影響も心配されるが、当のアメリカチームからはネガティブなコメントは、ほとんどない。

景気後退が報道される中国でも、再生可能エネルギー需要は旺盛であり、経済成長が続くベトナムなど新興国のチームメンバーは若くてエネルギーが溢れている。

会議の間のちょっとした空き時間に、リスボンの顔でもあるトラムに乗って市内を散策してみた。

レトロなトラムは坂が多く道幅の狭い街中を、駐車されている車に当たりそうになりながらスレスレに進んでいく。

ここを起点にキリスト教が世界中に布教されただけあって、世界遺産に登録ジェロニモス修道院や教会が点在し、また大西洋に向かう大型船がテージョ川にかかる「4月25日橋」を通過する際は、その橋を見下ろす丘に鎮座するクリストレイ像に見守られなら航海を続けている。フランシスコザビエルも500年近く前にこの地から出発しインドのゴア経由で後に山口に入ったと想像すると感慨深い。

◆複数の外資系企業でのキャャリアを積んできた私も還暦間近。

いくつもの都市で、出張の合間に地元の酒場で、杯を重ねてきたが、こうした時間も、もうあと数年。

退職後に再訪したい街の一つにリスボンも間違いなく入るなあーと思いながら、ポルトガルワインをもう一杯注文。

さて 今年のセールスターゲットをどうやって達成しようか?

学37期 上野啓

京成本線沿いの踏切陣

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2025年2月 トピックス】

岡山支部 岡山Bさん(投稿日2月6日)

63歳を越えた頃から夜にトイレに起きる事がある 2時頃だとついテレビのスイッチに手が…

今朝は偶々京成本線の列車からの車窓、停車駅にまつわる町紹介があった その中で”踏切”についての紹介は清少納言風なら”いとおかし”(大変興味深い)

開かずの踏切(従来の船橋駅:2008年に高架にして現在は解消)
駅構内にある踏切 2つ並んである踏切 階段を登って利用する踏切 参道にある踏切 坂の上にある踏切(司馬遼太郎に教えてあげたかった)
光る踏切(見通しの悪い地の注意喚起!) 警報も遮断器もない街中の踏切…

都市部に沿線された京成本線故になせる踏切陣!各種多様な踏切が紹介された
勤務先関連で、千葉東金市(成田方面)に工場、また労組の大会を船橋駅近くの会場でやっていた関係もあって、まんざらの素人ではなかった筈の東京(上野)から千葉(成田)
普通の日なら夜半につき、枕に任せるのが、将に夜半に”視聴”!(笑)
好奇心を大いに啓発され、京成急行にフリー乗車券があるなら是非その踏切類を踏破したくなると言う誘惑にかられる(笑)

意外に知れていないが、面白いものは秘されていた だんだん森永卓郎さんっぽくなってきたから、今日はここまでとしよう
(岡山B)

日本人論の欠片 その17 きょろきょろ論①

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2025年2月 トピックス】

学23期kz

◆きょろきょろ論

これまで私も日本人論―ジャパノロジーに興味があり、色々な機会に日本人に特有のことがらに関心を示すようになった。

日本とは何か。

日本人とは何か。

日本人は他国と比べてどこがどのように異なり、どのような特徴を有しているか・・・

そもそも、私のこうした疑問からして、まわりを見渡し、きょろきょろしているのだ。

思想家として名を成した丸山眞男が言う。

「あっちきょろきょろ、こっちきょろきょろの日本人」

要は、日本人は絶対的な指針、絶対的な規範を持っていないことを

指す。

すなわち、こうした規範や指針が日本にはなく、こうした指針を持っているのは、絶対神、唯一神を持つ国だと。

確かにキリスト教やイスラム教を信仰する国とは違い、生まれたときから宗教の習俗にも浴さず、親・兄弟や親戚からの宗教的な導きもない。

ただ人道的な教えや教訓は五万とある。

しかし、宗教がないので経典もない。

このため、規範を求めようとしたときには、きょろきょろして、自分以外の優れていると思われる他者に、また先進的と思われる他国に、規範を求めがちになるとする。

◆「流行りもの」

こうした日本にも、精神的な拠り所を一時的に、あるいは疑似的にもたらす「流行りもの」がある。

一昨年前に生誕100年を迎えた国民的な作家・故司馬遼太郎が言う。

阿弥陀様を絶対のものとする一向宗の一向一揆、切支丹、尊王攘夷あるいはマルキシズム・・・

これらがその「流行りもの」だと。

確かにこれらは、一時的に流行った時期がある。

インフルエンザのように。

しかしそのいずれも、一時期のものに終わった感がある。

なぜなのか。

なぜひと時の「流行りもの」で終わったのか。

◆定着しない「流行りもの」

この流行りものは、その時の既存の風習や固定観念を打ち砕き、新たな社会を築くかもしれない「梃子」、「起爆剤」の役割を担って、市民に迎え入れられたのだろう。

しかし日本の風土にはそうした「流行りもの」が定着したとはいえない。

まさに「ブーム」に過ぎず、実際見事に定着しなかった。

従って、ブームが過ぎると、また拠って立つ、次の新し拠りどころをきょろきょろ探すことになる。

(学23期kz)

丸山眞男

司馬遼太郎