「120」への拘り

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2025年5月 トピックス】

岡山支部 岡山Bさんからの投稿

◆以前トッピックスに投稿した時は100回目の献血を目指す話だった。看護師さんの勧めが背中を押した。
2025年4月には120回目の献血に。自分の中では少し拘ったものだ。

2021年5月1日、横浜港の客船でコロナの集団感染のニュースで始まったコロナ禍…
短期的な経済動向だけでなく、長期に、また社会的にも大きな影響を及ぼした。既に我々みんなが国から地方自治体から給付を受けたものは、天授でない。将来世代に問題を先送りし、その負担をその世代にお願いするものとなった。
一方、献血も5年に渡り、慢性的な不足の時期を送る事となった。

◆全血採血は次回まで2カ月の間隔制限を受ける。一方、血漿、血小板献血と言う成分献血になるとその制限は一挙に2週間と短いものになる。この事を熱心に解説、引導戴いたのは、常盤工業会(工)の先輩である。(3年置きに交流する山大岡山支部連合同窓会のメンバー)

成分採血すると定期的に自分の血液で自身の健康管理は出来る。その上、今喫緊に発生している慢性的血液不足にも役立つものだぞとの話。
中々、自分の様な市井の人は、世のために役立つことを簡単には出来ない。献血はある条件が整うと可能だ。

ある程度の健康体である事、大きな手術、多量の輸血を受けたことがないこと、常用する薬が献血に影響しないもの…
そうは言っても、加齢とともにそのハードルはだんだんと上がっていく。
自分自身も仕事が多忙な時期、血沈(比重)が足りず、何年も予備検査すら合格しない時があった。

◆時の周期は干支なども含め、12進法で進む。
献血1回目は教養学部時代、吉田キャンパスの献血バスで始まった。当時毎日新聞山口地方版で連載されていたのは、「花なき山の山かげに」(80年に向けて)である。

「120の拘り」は「時の12進法」である。

18の青い時の始まりが今は60代半ば、銀の時となった。これからも12進法を可能な限り、ゆっくり回していこう!
「花なき山の山かげに」は今年120年になる。

(岡山B)

経済学部前庭にある鳳陽寮・寮歌碑

明治32(1899)年、当時の国文学担当・佐々政一教授による作歌。

寮歌の中では非常に古く、百年以上も歌い継がれているものは全国的にも少ないとされる。

トランプ劇場に思う その④ 規制緩和とガイアツ

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2025年5月 トピックス】

規制緩和の話は昔からまな板の上には乗るものの、どうも話が先に進まない。

今回トランプ政権が仕掛けてくるディールの際、過去にも焦点のひとつになったように、今回も自由化・規制緩和が問題になる可能性がある。

規制緩和については安部政権が「ドリルですべての岩盤規制を砕く」と表明し、世界の注目を集め、成長戦略の一丁目一番地とされたにも拘わらず、雲散霧消した。

現状は関係者の力関係、利害関係が一致し、いわば均衡状態にあるとする。この場合、日本国内の内なる力をもってして均衡を崩し、新たな均衡に移るのはなかなか困難だ。パワフルな「抵抗勢力」が介在するからだ。

こうした時には外からのチカラに期待したくなる。

情けない話だが、この際トランプショックを追い風に、自らできなかった規制緩和を進めるのも手だ。

◆コメが高い

コメが高く、ここ何か月もコメを買っていない。

輸入米でもいい。インディカ米でいい。

インディカ米は外地で食べ慣れており、チャーハンにして、たらふく食べたいのだが、なかなか容易に買えず、価格もどうしたこたか安くはない。

そもそも日本の政策当局の判断は生産者、サービス提供者に偏っている。

コメ、然り。

これはなぜか。

ここでは深く論じないが、供給者サイドを守る諸力に比べ、まず消費者を守る官庁が弱い。

米国では財務省、連邦取引委員会、国務省の経済部門、司法省反トラスト局が目を光らせている。

また、昔の話になるが、米国には消費者運動のファイター・弁護士のラルフ・ネーダーという有名な男が活躍した。

◆弱者保護

日本の規制緩和がなぜうまくいかないのか。

規制は「弱者保護」のためにあるとする。

公共料金を取ると、民営化されても、価格の決まり方は競争的なものではない。

携帯料金然り。携帯料金も高い。

行政も是認、政治も是認。両者とも消費者の方を向いていない。

いわゆる規制を担当する官庁(役所)や族議員、業界団体などが一体となった「スクラム」だ。

◆社会通念

もう一つの理由がある。

「競争が悪、協調(談合)が善」という社会通念が邪魔してはいないか。

競い合う、仲間と切磋琢磨し合う、といえば聞こえが良い。

言葉は美しいが、これが合理性や効率性を壊していないか。

実際、競い合えば、お互い膨大なエネルギーが要る。

競い合いの逆は何か。

話し合い、協力・協調だ。

和をもって貴しとなす。

これは楽だ。

先日もホテル業界の価格に関する情報交換があったとされ、公取は業界団体に警告を発したと報じられていた。

供給者が和をもって臨む場合、事業者の商品・サービスの「カルテル」、公共入札の「談合」へ傾くのも自然のように思える。

問題は消費者サイドの便益を誰が守るかだ。

「公取の出番」。これもあるだろう。

もう一つが司法。

これはどうだ。

◆司法

日本の司法制度は行政に遠慮して、その方向に沿った判決や判断が多い。

混乱させない、という理由で、1票の格差に見られるように、違憲状態の総選挙やり直しを命ずることもない。

米国や英国では司法が的確な判断をしてくれるはずという安心感があるため、大きな投資も可能となり、新しいイノベーションを決断することができるともいわれている。

なるほど、法曹界!

ここにもっとスポットライトが当たってほしい。

裁判官も政治家同様、公務員特別職だ。報酬も手厚い。

日本だけではなく、トランプ劇場の本場米国でも、今こそ裁判官に冷静に、長期的な目で判断を下してほしい。

目先の自己保身の裁判官、権力者に対して手加減する司法の徒は勘弁願いたい。

両国の国民はそう思っている。

(学23期kz)

若かりし頃のラルフ・ネーダー氏(1934年2月27日~)
正義の女神 テミス像

野村慶太郎さんがホスト役の【思いつき昼飲み会・東京編】に参加

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2025年5月 トピックス】


5月17日(土)の東京は朝から生憎の雨でしたが、渋谷区広尾の「バイオガイアdaigo」で開催の掲記昼飲み会に参加して来ました。

野村 慶太郎(57歳)さんはFacebookで日々歯に衣着せぬ投稿で人気があり、友達数が上限の5千名に達し、フォロワーが4万人おられる方で私は4年半前に友達になって頂きました。
現在は広島県山県郡安芸太田町の田舎に在住です。
これまでは、現在されている仕事に殆ど触れられることもなく、自由なテーマで全体公開されていましたが、特定の人以外は殆ど会われなかった方です。
今回、Facebookの友達やフォロワーにも会ってみたいと思われるようになり、東京、広島で各5日間のイベントとなりました。

早めに到着しましたので、会場のお店を利用し、ギリシャヨーグルト等を食し、スタッフの方と談笑していましたら、野村さんが到着され、名刺交換をし、自己紹介しました。

その後、野村さんのされている現在の仕事のプレゼンテーションがありました。
バイオの仕事をされているのは存知上げていましたが、バクテリアを始め目から鱗のプレゼンでした。
今回のイベントは参加者の95%が女性で、野村さん同様、今日の私も遂にモテ期(モテ紀)到来かと思ってしまいました。
10:30~14:30迄4時間滞在しました。

(学22期 Y・Y)(会社法、永倉ゼミ)
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慶喜公、その外れた思惑 ①大政奉還

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2025年5月 トピックス】

◆不思議の負けなし

「負けに不思議の負けなし」

野村監督の言葉ではない。

◆薩長と朝廷側近の結託

関ケ原の戦いが終わり、江戸幕府が成立して以来、討幕に執念を燃やしていた薩長。

他方、薩長の他にも権力の中枢近くに反幕勢力がいた。

朝廷に仕える公家たちだ。

攘夷・鎖国派が優勢だったとされる。また、当時、国学が普及し、王政復古の機運が高まっていた。また、江戸時代には幕府が禁中並公家諸法度で朝廷・公家を縛ったこともあり、幕府への批判が強まっていた。

そうしたところへ、勅許なく通商条約を締結し、開国を決めたことで、幕府を強く非難した。

若き明治天皇を支えた三条実美や岩倉具視だ。

ここに薩長と攘夷派の公家が藩幕つながりを強める要因があった。

こうしたこともあり、薩長はこれら公家と組んで倒幕の機会を窺っていた。

この両者の結託の前に、慶喜公は翻弄されることになる。

両者の結託の奥には幕府をも越える最高権力者「天皇」がいたのだ。

◆大政奉還

江戸幕府への幕、それは江戸幕府の最高権力者、自からが引いたものだ。

慶応3年(1867年)10月14日、慶喜は徳川幕府の京都における拠点二条城で策を練り、大政奉還することを決した。

江戸開城の前年にあたる。

なぜ大政奉還したのか。

◆慶喜の思惑

慶喜は欧米列強が日本に押し寄せる中で、慶喜には外国と並び立つには、権力を集めなければ国として立ち行かないとの見解を持っていたとされる。

けだし慧眼だ。

ではどこに権力を集めるか。

幕府が行ってきた勅許を得ない外国との条約締結には無理がある。

ここは朝廷へ一元的に権力を集め、幕府は朝廷から委任を受けて実務を行う・・・その方が、事はうまく進むのではないか。

<大政奉還をしたとしても、江戸幕府にはしかるべき役割が回ってきて来るのだろう、幕府にはまだしっかりした屋台骨が残っているのだから>・・・と。

足元では、まもなく西郷・岩倉が動いて、近く討幕の密勅が下るとの噂も聞こえていた。

こうした西郷の動きに対しては、大政奉還という先手を打つことで、武力討幕という西郷の思いを封じることができる。

これは慶喜流の賭けだったのだろう。

◆当てが外れた慶喜

しかし、この駆け引きは薩長や薩長派の公家が一枚上手だったといえる。

大政奉還によって、討幕の名目を挫かれた西郷は朝廷の名で王政復古の大号令を発し、自らの「新たな政府」を立ち上げる形にし、同時に慶喜の辞官、納地を決定、一気に慶喜の追い落としにかかった。

ここに慶喜の思惑が大きく外れた。

では慶喜はどうしたか。

慶喜は官を辞することは受けたが、徳川の領地だけ一方的に朝廷に差し出す納地を拒否し、抵抗した。

しかし、薩摩と一戦交えることは、朝廷・新政府と戦うのと同義。

これを嫌った慶喜は、12月12日、朝廷に近い京都二条城から徳川の本格的な軍事拠点であり、会津、桑名藩など旧幕府勢力1万5千(薩長兵は5千)が控える大阪城に勢力を移し、事態の打開を図ろうとした。

だが、続く局面でも再び思惑が大きく外れてしまった。

つづく

(学23期kz)

二条城

(学23期kz)

随筆 横目で眺めた経済学 ⑤モノの値段

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2025年5月 トピックス】

◆価格と価値

値段はどのように決まるのか。

価格の根源、源泉は何か。

価格の根源には「価値」があり、価値は投下された労働から生まれるとする労働価値説がある。

◆労働の価値

労働価値説はマルクスの専売特許ではなかった。

アダム.スミスやリカードといった「古典派」の大御所を経てマルクスに受継がれたとされる。

労働価値が体化されたのが価格だという。

ちょっと待て。

例えば1時間の労働。誰が働いても同じ価値なのか。

それは違うだろう。

労働者にはベテランもいれば新人もいる。

二人の「労働価値」を比べてみると、明らかな差がある。

ベテランは作業が早く、間違いも少ない。

これに比べて新人は作業もノロく、間違いも多いので新人の給料はベテランよりはるかに少ないのが当然だ。

うちの倅も、新人を教育するのが嫌になるという。

仕事も全く分からぬものの、初任給が跳ね上がった新人。その新人を教育する先輩格の倅の給与との格差はあまりないので嫌になるという。

二人の社員の1時間当たりの労働価値が同一であるわけがない。

また、商品ができるまでに関わったのは「労働」だけではない。土地も然り、材料の購入や投資に用いる資金も然り。

これらは土地代として、資金調達に伴う金利も価格の一部を構成している。

「労働」価値説から価格の決まり方一般を導くのには無理がありそうだ。

◆効用学派は古典派の労働価値説を考察し、彼らの学説にとって「労働力を生産過程における唯一の希少な資源と仮定する特殊モデル」と解釈した。

サムエルソン先生も労働価値説は需要をもたらす効用とは独立に労働費用だけから価格を導こうとするが、嗜好や需要のパターン、労働以外の要素(土地)なども考慮に入れる必要があるとする。

こうした近経の価格理論と、マル系の労働価値説をどのように統一的に理解するのか。

並び立つ経済学の体系の二本の大樹。

私が学生の頃、それぞれが、それぞれの体系の精緻さを誇るだけで、山大の学内で、また日本の経済学界で二本の大樹の比較対照が大々に学生の前に披露されることはなかったように思われる。

(学23期kz)

山口高商卒・玉野井芳郎東京大学名誉教授の著作物

玉野井芳郎 – Wikipedia

MISIA(ミーシャ)の生バンドコンサートで感動!

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2025年5月 トピックス】

MYZ(宇部・山陽小野田支部)さんからの投稿(2025年5月12日付)

◆きっかけはよく分からないが、家内がお宮のSちゃんから「ミーシャの広島コンサートのチケットが土・日各4枚取れそうだから一緒に行かない?」と誘われたらしい。家内が私に「どうする?」と聞いてきたので、私はもちろん「是非一緒に行きたい」と返事をした。私はミーシャには特別な思いをずっと抱えていた。

私がミーシャを意識しだしたのはテレビドラマ「やまとなでしこ」(2000年10月9日~12月18日の毎週月曜日21:00~21:54 フジテレビ系で放映)の主題歌で200万枚を超えるミリオンセラーとなった「Every Thing」の曲を耳にしてからである。

この曲は様々な場所でBGMとしても流れておりいつも耳にすることができた。

さらに驚いたことに宇部にUターンして防府高校の同期会に参加した折、彼女のお父さんが私達と同じクラスの伊藤君と知ったことである。クラス幹事に聞いたところ彼は最初ミーシャのCDのPRを兼ねて同期会に参加したことがあるとのことだった。

私は高校卒業して以来彼と会う機会はなかった。確か今思い出せば、彼の声は透き通っていて心に響く波長だったような気がする。ミーシャもお父さんの声を受け継いでいるのだろうか?

◆さて、この度のコンサートは「THE TOUR OF MISIA 2025 LOVE NEVER DIES」の全国11都市25公演でのIN HIROSHIMA である。広島での開演は2年半ぶりとか。

会場は広島県立総合体育館(広島グリーンアリーナ 都市公園の景観に調和したスポーツ施設)で収容人員1万人とのこと。

今回は土・日の開催でほぼ満員、約2万人近く集めたことになる。入場が午後3時、開演が午後4時、私達は開演2時間前に会場に行き入場を待った。やはり入場する前には長い行列ができていたが、早めだったので割とスムーズに入場できた。もちろん指定席であるが、私達はアリーナ席の自席を探すのに苦労した。

順次会場内の席が埋まってきて、普通の体育館での1万人、圧倒されそうになる。

いよいよ開演!胸が高鳴る!最初はフルバンドからスタート。ミーシャが登場するとアリーナ席の観客はみな立ち上がりstanding ovation である。赤や青や黄色などのペンライトを左右に振り、そして拍手とリズムに合わせて体を動かす。ミーシャの圧倒的な歌声とフルバンドによるダンスとのコラボレーションが始まる。たちまち聴衆を熱狂と感動の渦に巻き込んでしまったのである。

◆ところで、彼女のあの声量はどのようにして生まれてきたのであろうか?

彼女はデビューして27年、スタートは高校時代の黒人ボーカルに師事してからとのこと。高校を卒業してからは「アンダーグランドのカルチャーをメジャーにというコンセプトを形に」の信念のもとニューヨークで多く事を学びボイストレーニングの努力をしたに違いない。5オクターブの音域を持ち、アナログの彼女の歌声評価がニューヨークで高まり数々のヒットを飛ばし、ニューヨークや日本での主要都市コンサートツアーも大成功を収めている。

彼女のコンサートツアーは、音楽バンドにDJを交えて構成されたサウンドとダンサーやドラァグクィーンが登場するステージというスタイルにR&BもソウルもJ=POPも表現している。この度のコンサートはそれを更にグレードアップし新しいコンセプトで企画されたものである。

◆今回は彼女のヒット曲中心に12曲披露されたようだ。(本当のところはよくわからない)私の聞き覚えのある歌も何曲かあった。「Every Thing」はもちろんであるが「逢いたくて」「明日へ」「愛をありがとう」「アイノカタチ」「地平線の向こう側へ」忘れない日々」「希望のうた」等。三部構成で途中バンド演奏やダンスを入れ、そして彼女の短いトークもあったがすべてハイトーンボイスで歌い切っていた。あっという間の2時間。 Amazing!

私は以前、日本生命の配信サービスで彼女のコンサートをスマホで聴いたことがあったが、今回のようにコンサートに出かけてライブで聞くのは初めてである。(クラシック音楽のコンサートには何回か出かけたことはあったが) 

このツアーは6月の東京公演が最後らしい。これからもあのハイトーンボイスで歌い続けることは可能だろうか?

年齢的な事もあるが是非これからも歌い続けて欲しい。

彼女へのリスペクトは音楽だけではない。社会貢献活動や慈善活動にも積極的に参画し世界の恵まれない子供たちへの教育支援活動を続けているとのことである。それは彼女のたゆまない努力でニューヨークの大成功を意味しているのであろう。

ミーシャは近くて遠い。

しばらくはこの感動を胸にしまっておこう!

(完)

80年代の「とある下宿先」…その隣部屋の人との一期一会

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2025年5月 トピックス】

岡山支部 岡山Bさんの投稿

(Sさん投稿の70年代の青春の下宿に触発されて)

ある夏、西陽が落ちかける前、道場門前近くにあった古くはあるが清楚な作りの木造住宅での出来事。
2階に間借りしていた先輩を訪問した。 事前の連絡も無しに訪問するのだから、不在であっても不思議ではない。(今の様に個人持ちの携帯電話など想像だに出来ない時代)

先輩に声掛けをしたら、唐紙一枚隔てた隣人から声がかかった…
「今はおらんみたいだょ」
「では…」と失礼しかかった時、
「まぁ、僕の部屋で待っとたら、いいが〜」と声が続く。
”じゃぁ、お言葉に甘えて…”と言ったかどうかは記憶にないが、隣人の教育学部の先輩の部屋に座った。
西向きの部屋で、西陽の強い日、きっと天気の話、そして日中は蒸し風呂の様でその部屋の話をしただろう。

待ち人帰らずを待つ身、長居をするつもりはなかったが、時に何かの拍子で「教育」の話になった。
教養部の一年、河村先生(山女教授)の教育学を受講し、そして、若干の関連する本に目をした事があったかも知れない。
(田舎者だったから、大学=教師の道も?と考えていた節もあり、憲法、心理学も必須と先輩から聞いていたのでその2つも受講していた)
大きな対立、議論をしたと言う記憶もないので、教育への想いを語ったに違いない。
後に「思いて学ばざればあやし」とゼミの先生に言われる位だったから、ただ単に熱い想いを語ってしまったに違いない。
教育学部の先輩は広大の教育学の大学院進学も考えられた人だった。全ての受けとめ方、やりとりが先輩の教育的配慮の元、成立していたのだろう。
青臭い話を何ら否定される事なく、にこにこ接して戴いたと記憶している。

西陽の下宿での暑い、そして熱い議論の幕引きは、当初目的の訪問した先輩の帰宅によって、引かれた。

それは、ある意味、教育学部の先輩との一期一会の出逢いであった。時が過ぎ、夕方になりかかっていたので、経済学部の先輩の誘いか教育学部の先輩の誘いか分からないが、その下宿を出て、おでんやに連れて行って貰い、ご馳走になった。

総合大学、そして、メガマンモス校でなかった事が、望んでも望めない良縁の機会となった。

教育学部の先輩は出身地の鳥取県で、経済学部の先輩は大学院進学後、長野県で高校教諭となった。
あの時から40数年の歳月が経つ。あの唐紙一枚の隔てた部屋にいた二人の先輩、きっとその世界では名物教師になられた事だろうと、疑う余地もなく、確信している。

(岡山 B)

同窓生・経営コンサルによる寄付講座 10月開講

「産学連携・事業推進講座」が今秋経済学部で開講することとなった。

担当するのは(株)タナベコンサルティング・ゼネラルマネージャーの大裏宙氏(51期大阪支部)。

この寄付講座は今年10月から来年2月の4か月間、計4回実施し、企業の問題解決に向けた事業アイデアを学生が考え、討議し、企業へプレゼンすることが企画されており、企業経営を実践的に学ぶことが主眼となっているようだ。

大裏氏には5/24日(土)に開催される第95回通常(全国)総会の席上、この寄付講座の概要に関し、簡単なスピーチを頂くことになっている。

(事務局)



総会へ向けて実行委員会を開催

第95回通常(全国)総会が2週間後に迫った5月10日(土)、港区三田の鳳陽会東京支部の事務所で実行委員会を開催し、総会の成功へ向けて関係者10名余で入念な打ち合わせを行った。

総会の案内は東京支部のホームページや5月1日に発行された「鳳陽」に掲載してあるとおり。

東京で行われる通常(全国)総会はコロナでの中断もあり、平成27年以来、10年ぶりの開催となる。

実行委員会では、前回の全国総会の実行委員長や事務局長経験者にもお越しいただき、先輩方の知見を踏まえて、受付、来賓応対、会場誘導、議事進行等などロジ全般についての情報を共有し、円滑な総会運営へ向けて活発な議論が交わされ、2時間半に及ぶ熱心な打ち合わせが続いた。

会議の後は総会の成功を祈って乾杯!

松永理事長にはシャンパン持参で駆け付けて頂き、乾杯後の懇談に花が咲いた。

(事務局)

随筆 横目で見た経済学 ④梅岩と鈴木正三

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2025年5月 トピックス】

◆我が国にいたウェーバーの先達

宗教倫理と資本主義の精神を説いたマックス・ウェ-バー。

利潤を積極的に肯定しなかったキリスト教。

キリスト教でもカソリックに比べ、戒律の厳しいプロテスタントの倫理によって資本主義の精神が芽生えたとする。

隣人が真に必要とするものを作り、そこで得た儲け(利潤)は貪欲の罪であるどころか、「隣人愛の実践であり、自らの救済」につながると説く。利潤の追求はむしろ倫理的な義務であると。

考え方の大転換だ。

◆石田梅岩

ウェーバー(1864~1920)よりもはるか以前に、この課題について考察した日本人がいる。

石田梅岩(1685~1744)、その人だ。

ウェーバーに先立つこと200年。

石田梅岩は根っからの商人であり、丁稚、番頭の方向を終え、45歳にして自宅に講席を設けた遅咲きの商人思想家だ。

梅岩の時代、都市部では経済的には確固たる地位を築いた商人もいた。しかし、世は士農工商の時代。儒教思想が浸透していた世の中。

農業が社会の基盤とみなされていたのに対し、商人の得る利益は、生産することなく、商品を右から左に流すことで得たものとして、社会からは、正当に評価されていなかった。

そこで梅岩が出てくる。

「商人の道と雖も、何ぞ士農工の道に替ること有らんや」と。

正当な利益は得るのが当然で、それが商人を救う。

梅岩は商業の正当性を主張し、商人にプライドを持たせ、「商い」を「商人道」にまで押し上げた。

ただし、梅岩が言う正当な利益とは商人道(正直、勤勉、倹約)に沿って得た利益であり、そうでないと長続きしないと唱えた。

利益追求のみを求めることを自制し、買い手に奉仕することを忘れるべからずと。ここに倫理、道徳が入り込む。

資本主義ではなく、「近代」資本主義のはじまりだ。

そうした経済と道徳との両立は渋沢栄一(論語と算盤)、松下幸之助(社会貢献が使命、その報酬が利益)、稲盛経営につながっていく。

また、海外の有識者も、「こうした梅岩に代表される倫理観があったからこそ、非西欧社会にあって日本のみが近代化に成功した」(ハーバード大・ベラー教授、社会学)としている。

◆鈴木正三(1579~1655) 

石田梅岩の前に、さらに鈴木正三(しょうさん)がいた。

ウェーバーに先立つこと300年。

江戸時代初期の僧侶だ。

正三は42歳で出家した僧である。

鈴木正三は商行為から生まれた利益を肯定・正当化すすることを強調する前に、士農工商のヒエラルヒーを是認し、家業それぞれの行為に精励することが「仏の道に沿う」とし、この行為から生じた利益・余剰を肯定的に捉えた。

◆痛快なのは、鎌倉時代から禅宗は武士の宗教、日蓮宗は町人の宗教、真宗は農民の宗教という一種の通念があったが、正三はこれらを「四民の日用」の基本とし、一切の宗教思想は人間が仏性=人間性の通り生きることと取りまとめた。

(学23期kz)

石田梅岩(1685~1744)
鈴木正三(1579-1655)