毛利家の先祖と末裔 ②

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2025年6月 トピックス】

◆大江広元をさらに遡った神話の世界(その2)

毛利家の系図をみると大江広元が毛利家第35代とされている。

では初代は誰なのか。

古事記の世界のアメノホヒノミコト(天穂日命)とある。

神話の世界だ。

天照大神と須佐之男命が生んだ五男三女神の一柱。

農業神、稲穂の神、養蚕の神、木綿の神、産業の神として信仰される。

この末裔に出雲国の勇士、野見宿祢(のみのすくね)がいる。

【画像】

第14代だ。

なお、第13代の襲髄命(かねすねのみこと)が野見宿祢と同一人物のため、野見宿祢を13代とする説もある。

◆皇族の血

この系譜を下っていくと、28代目が大江音人(おとんど)で平城(へいぜい)天皇(桓武天皇の皇子)の皇子・阿保(あぼ)親王の子にあたるという。

このように皇族の血が入っているとされる。

この家系を下ると・・・

35代が大江広元となり、毛利元就が52代、毛利輝元が54代となる。

さらに下って・・・

毛利輝元から数えて13代藩主・毛利敬親は、初代から数えると毛利家67代にあたり、最後の藩主となった毛利元徳(1839~1896年)は第68代となる。

◆爵位

版籍奉還・廃藩置県でお殿さまは「藩主」と名乗れなくなったが、その代わりに明治17年の華族令で爵位が与えられることになった。

毛利家には「公爵」の位が。

公・侯・伯・子・男。

毛利元徳公には徳川幕府で歴代将軍を輩出してきた徳川宗家と同様、最高位である公爵の位が授与された。

(学23期kz)

毛利元徳公

1970年代 青春の下宿➁

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2025年6月 トピックス】

 1970年代、私は山口大学経済学部に入学した。蛮カラの気風が色濃く残る鳳陽寮・北寮で2年間、暮らした後、3年生になって山口県庁近くの下宿に引っ越した。

  

◇下宿の朝

県庁に近い清閑な住宅地。

白壁。門。庭のある屋敷が並ぶ。

わが下宿はその一角にある。大家さんの家にも塀とりっぱな門、そして庭があった。 

下宿には、「ストーム」がない。鳳陽寮では伝統の「ストーム」(深夜、寮生が部屋に押しかけてくる)がほぼ毎晩、襲来してきたが、もう悩まされることはない。ぐっすり、安眠できるぞ。朝寝坊しよう・・・。のはずだった。

 ところが、眠っていると、下宿の前の道路から大きな掛け声が響いてくるではないか。

目が覚める。なにごとだろうか。

 

「イチ」―。「ニ」―。「サン」―。「シ」。(指揮官)

「イチ、ニ、サン、シ」。「ニイ、ニイ、サン、シ」(隊員)

集団で早朝ランニングをやっているようだ。

 

ベッドの中で考える。

ははあ・・・。

近くに山口県警本部がある。

おそらく若い警察官たちが訓練の一環として走っているのだろう。

その日以来、この早朝ランニングの掛け声が私の目覚まし時計代りとなった。

 

◇優雅な朝食

洗顔して朝食の準備にとりかかる。

ポットでお湯を沸かす。インスタントコーヒーを淹れる。

冷蔵庫から牛乳を取り出し、ミルクコーヒーに仕立てる。

食パンに厚切りのソーセージを挟む。キャベツをちぎる。

コップと皿をベランダのテーブルに並べる。

四季折々の花が咲く庭を見ながら、優雅な朝食をとる。

 

※下宿の庭は、大家さんの家族が毎日のように手入れしています。

とてもきれいです。イタチが棲みついていました。イタチは警戒心の強い野生動物です。めったに人前に現れませんが、朝食のさい、ときどき、見かけました。 

  

朝食を食べ終わる。コーヒーを飲みながら、朝刊を読む。

1面から社会面までじっくり読み込む。これが後日、おおいに役立つことになろうとは当時は、思いもよらなかった。

◇アルバイトと活動の日々

さて、出かけるとするか。

大学に通学するのが学生の本分だが、私は大学の講義にはいっさい出席しなかった。ただし、ゼミ(小嶋ゼミ=現代中国経済)だけは毎回、出席した。

朝からアルバイトだ。老舗和菓子店の配達(山口県内全域を車で配送する)や報道機関の手伝い、危険なトンネル工事、夜のお仕事など様々なバイトをやった。

活動も忙しい。自治会系、体育会系、文化会系、大学祭系、音楽系など様々な活動を行った。よく時間をやりくりしたものだ。

バイトと活動については改めて記す。

鳳陽寮には大きな浴場があったが、下宿に風呂はない。

一日の活動が終わると、自転車に乗って一の坂川近くの銭湯に通った。

汗を流してさっぱりする。さあ、下宿に帰るか。

自転車で清流沿いを走る。

夜風が気持ちいい。

【続く】

(鳳陽会東京支部 S)

山口県庁近くの清閑な住宅地

 

同窓が三越・工芸作品展に出品

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2025年6月 トピックス】

日本橋三越・伝統工芸展(6/18~23)に髙原氏(28期)の作品が展示される。

髙原祐二氏(28期・下関西高)は山口県の伝統工芸、赤間関硯の作家。

伝統工芸諸工芸展が6/18(水)~23(月)、日本橋三越で開催され、髙原氏が東京都教育委員会賞を受賞した【すみすり「瓜」】も展示される(写真参照)。

入場無料。

お時間ある方は是非いかがでしょう。

(事務局)

随筆 横目で眺めた経済学 ⑧比較優位の原理

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2025年6月 トピックス】

◆比較優位

鈴木先生から習ったのは貿易論。国際分業の話だ。

どのように貿易した方が利益を得ることができるか。

比較優位とはAB2国、2財モデルで貿易を行う場合、両国は自国の「相対的に」優位な財の生産に特化した方が、交易量が多くなり、お互い経済厚生は大きくなるとする。

D.リカードが発見した大原理だ。

この比較優位説は経済学における大きな発見とされる。

◆サムエルソン

サムエルソンは教科書「経済学」の中で、比較優位を説く上で、この町一番の弁護士と、この町一番のタイピスト(秘書)がいる弁護士事務所というわかりやすい事例で説明している。

ここでは、タイピストの秘書より、弁護士の方がタイプを打つ速度が速いとしても、弁護士はタイプを打たずに弁護士業務をすべきとなる。

逆説的に言えば、秘書の方が弁護士の比べ、タイプに比較優位があることになる。機会費用が少ないからだ。

弁護士が同じ時間にタイプを打てば、そもそも稼げる大きな金額が逃げていく。

機会費用の問題だ。

サムエルソンは比較優位の原理について「経済学で最も美しい理論」とした。

◆タリフマン・T大統領と鈴木先生

トランプ氏が大統領になった1期目の時。

全国から集まった同期ゼミ生が鈴木重靖先生を囲んで会食会を開催した。

7~8年前の話。会場は維新志士ゆかりの宿・山口松田屋。

この時も貿易赤字を解消したいT大統領は関税をいじっていた。

そもそも、貿易の赤字と黒字。

マルチで考えるべきところをバイで考える、いただけない思考をベースに、関税を強権的にいじくるという、いただけないハイポリティクス。

T大統領もペンシルベニア大・ウォートンスクールで経済学を学んだ経済学士だ。

鈴木先生に、T大統領に「自由貿易の下で、比較優位に基づく貿易を行う方が、最も経済的に厚生を高めることができる」という大原則をレクチャーし、諭してはいかがかと問うてみた。

半分冗談交じりに。

すると鈴木先生は困り顔をされたのが思い出される。

(学23期・kz)

デビッド・リカード

毛利家の先祖と末裔 ①

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2025年6月 トピックス】

毛利家は戦国武将の中では毛並みの良い家系とされているようだ。

◆大江広元

毛利の家祖は学問をもって朝廷に仕えた大江広元とされる。

大河ドラマ「鎌倉殿の13人」でも登場した栗原英雄演じる頼朝の側近・大江広元は頼朝が鎌倉幕府を開くにあたり、初代別当として京都から呼び寄せられ、幕府創設に貢献した功績により、出羽、上野(群馬)、武蔵、伊勢等7か国・13庄が授けられたという。

◆毛利を名乗った季光

この領地のうち大江広元の四男季光(すえみつ)は、承久の乱の戦功から幕府内で地位を高め、評定衆として幕政にも参加した。そこで相模国・愛甲郡毛利荘(神奈川県厚木市毛利台)を受け継ぎ、季光がここで初めて毛利の姓を名乗る。

しかし、季光は執権北条氏と母の実家三浦氏との間で戦った宝治合戦では三浦に付き、北条氏に敗北したため、季光は子らと自害、領地・毛利庄を失ってしまう。

しかし、ここで季光の家系が途絶えたわけではなかった。季光の子のうち、越後にいたため合戦時に参加しなかった四男経光(つねみつ)が生き残っていた。

経光は残った毛利の領地のうち、越後に拠点を移す。

そして安芸国吉田荘にあった領地を四男・時親(ときちか)に譲り、時親が安芸毛利を受け継いでゆく。

◆安芸毛利の祖・時親

その時親は大江広元の曾孫にあたり、北条得宗家との関係を強めたことから六波羅評定衆にまで出世して京へ居を移し、毛利氏の再興に一役買う。またこの時、時親が楠木正成に兵法を教えたとの伝承も残っている。

時親は南北朝内乱を契機に安芸吉田荘に居を移し、安芸吉田郡山城を築城、晩年を安芸吉田荘で暮らした。

また、時親の末裔は代々吉田荘を本拠としたため、吉田荘は1591年に毛利輝元が広島城を構えるまで、毛利家の本居城となったのであり、時親は安芸毛利の祖といわれている。

この地は現「安芸高田市」にあたり、そこは毛利元就公が死去した地であり、元就公の墓所がある。 元就の墓には「大江朝臣元就」と、先祖・大江の名が刻まれている。

つづく

(学23期kz)

栄光の男 逝く

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2025年6月 トピックス】

◆1974年10月、当日小学校2年生であった私は、その人の引退試合を見るために、学校からの家路を急いだ。当時の福岡市西区(城南区)七隈は、今では想像し難いのどかな場所であった。

放課後に校庭で野球の真似事をして帰るのが日課であったが、「今日は長嶋の引退試合やけん、早よ帰るけんね、じゃあねバイバイ」 と稲刈りが終わった稲田の横を全速力で走った記憶がある。

この年の巨人軍は、V10を達成できずに、与那嶺監督率いる中日ドラゴンズにペナントを奪われた。ドラゴンズは、星野仙一や矢沢が投打で活躍していた。

引退試合というのに、平日のデーゲーム。

◆家に帰ると既に試合は始まっていたので、午後2時か3時の試合開始であったのだろう。

試合終了後のセレモニーで照明に照らされた

ブラウン管の中の長嶋の姿は今でも鮮明に覚えている。

ただ、「我が巨人軍は永遠に不滅です」の意味が分からず、翌日学校に行って「先生長嶋の言ってた永遠に不滅って何ですか?」

と朝一で聞きに行った。

◆この当時の地元福岡の球団は、太平洋クラブライオンズ。西鉄ライオンズの親会社西日本鉄道が経営不振で球団を売却。

ライオンズという名前はその後、クラウンライター、そして西武へと引き継がれて行くが、10年以上Bグラスが続き、平和台球場はいつも閑散としていた。

余程球団経営が厳しかったのか、真弓,竹之内などの主力選手でさえも、星の原団地という公団住宅に住んでいた。

◆私の親父は、西鉄ライオンズ黄金期に、全国紙のスポーツ担当記者で西鉄の番記者であった。

すでに20年前に他界したが遺品の中にあったスクラップブックには、親父が書いた記事がたくさん残されていた。

中西、仰木、稲尾などの名選手の活躍はもちろんの事、昭和33年の巨人との日本シリーズで3連敗の後の4連勝、奇跡の大逆転という野球史に残る試合では翌日の朝刊に戦評も担当している。

そこには、第四戦以降、西鉄バッテリーとベンチのスタッフが、長嶋の打撃を分析研究の末、徹底的に長嶋を抑えた事が流れを変えたと書かれてあった。

ご冥福をお祈りします。

大学37期 上野啓

1974年10月14日  長嶋引退
出典:時事通信

ネット証券セキュリティ強化のログイン追加認証

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2025年6月 トピックス】

(学22期 Y・Y)


◆私が取引しているネット証券のR証券では著名個人投資家テスタさんが、証券口座に何者かに不正に侵入され、売買されるという被害に遭い、大きく報道されました。
これを機に6月1日(日)から実施のセキュリティ強化の追加認証(多要素認証)となりました。

◆この為、私の場合はメールアドレスの登録が旧いままで、追加認証の為には新しいメールアドレスへの変更等が必須となりました。
こういった操作が苦手で、理解力にも欠ける私は5月末迄にやらなければやらないというので、平日の遅番の日の出勤前にスマホでR証券のカスタマーサービスセンターに連絡を入れるも、問い合わせが殺到していて、なかなか繋がらず、2度程漸く繋がって遣り取りしても要領を得ず、お手上げ状態。
結局、締め切りの5月末までには出来ず、翌週に持ち越されましたが、矢張り、次の猶予期間の6月6日(金)迄も目処が立たず焦りました。

◆6月3日(月)夜、神奈川県大和市在住の横浜勤務時代のMさんが確かネット取引をしていたのを思い出し、急遽、メールを入れるとスマホに連絡があり、ネット取引はR証券で、自分は所定の手続きを済ませたという。
流石、IT関係の仕事をしていた技術者である。
翌日、私の仕事が終わって、大田区蒲田迄出向いて呉れるという。
蒲田の喫茶店で再会し、1時間45分奮闘して貰い、追加認証の手続きを完了した。
新バージョンの取引画面も観れるようになりました。
迷路に舞い込み、途中で、これはもう無理だと私は諦めたが、本人は粘り勝ちだったと仰る。

◆古稀過ぎて、後期高齢者となりますが、年齢から来る衰えも加わり、日常生活にも不便を感じることが多くなりました。
持つべき者は友達、体調を崩されているというのに駆けつけて呉れたMさんに助けられ、感謝感激です。
先日、鳳陽会の同窓会のじゃんけん大会で戴いた「獺祭」を渡しました。
広島のみっちゃん総本店のお好み焼きの冷凍ギフトセットも宅配便で送って貰おう。

追記)
写真1枚目は昨年初参加の第64回日本寮歌祭
写真2枚目23年余り前に横浜のスナックで撮ったMさんとのツーショット
(学22期 Y・Y)(会社法、永倉ゼミ)


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随筆 横目で眺めた経済学 ⑦ヒックス登場

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2025年6月 トピックス】

◆限界効用説

経済学の体験、そして先生方との出合い

前稿で述べた労働価値説に対抗して限界効用学派が出てくる。

労働価値説は商品の価格を生産面から観察するのに対し、効用学説は「効用」を消費の側面、すなわち消費価値から観測するものだ。

しかし、この限界効用も計測することはできない。

その効用がどれだけなのか。

どのくらいの大きさなのか。

これが目に見える形で計量的にわからないのだ。

ここで苦労する。

そこでどうなったか。

◆ヒックス登場

ここで出てきたのがワルラスの弟子パレートの限界代替率(限界効用の比)の概念が出てくる。

すなわち二つの財の交換比率で、価値の測定はできるのだ。

相対的な形ではあるのだが。

ここで大事な人物が出てくる。後にIS-LM分析でノーベル賞を取ったJ・ヒックスだ。

ヒックスは限界効用の代わりにパレートの限界代替率を用いて、効用の相対的価値を測定することに成功した。

限界効用を限界代替率で置き換え、効用を可視化したのがヒックスだ。

こうして効用は計測可能のものとなり、効用関数を作ることが可能となった。

これによって消費者の需要関数が世の中に生まれることとなり、同様に企業側では消費財の供給関数ができ、消費財市場の均方程式ができ、経済学が精緻に発達していく起爆剤となった。

これによって消費者の効用関数が書け、効用を最大化する図が書けることになったからだ。

また、生産者は利潤を最大化させる生産関数を書ける。

これによって需要と供給が均衡する一般均衡理論が求められる。

近代経済学は、価格は需要と供給から決まることを所与として、そこから先の分析に注力しているのだ。

◆若い時にオックスフォード大で学んだKDさん(元中銀ガヴァナー)は、ヒック教授の金融論のゼミで、中央銀行の金融政策に対するコミットメントの重要性を学んだとされる。

KDさんはもともと理系。数学にも明るい。

留学中には経済紙ロンドン・エコノミストに投稿されたという。

また、留学先のオックスフォードの学寮にR・ハロッド卿が突然訪ねて来られ、経済学の論議をしたという話を日経の「私の履歴書」で披露されている。

◆KDさんは茶目っ気がある。

アルコールもちょい飲み派。ビールと「柿の種」がお好みだ。

軽妙に会話をされ、短時間のうちに、少年のように何度も大笑いをされ、サッと帰宅される。

そういえば、神奈川のゴルフ場で2度ほどラウンドさせて頂いた。

(学23期kz)

J.ヒックス卿

ゴルフ 何でそうなるの! 「ミスター」追悼・特別編

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2025年6月 トピックス】

◆パットの出来

パットは難しい。

世界最高のプロゴルファーが集うメジャーの選手権大会。

出場選手はみんなストロークが見事だし、トラブルショットやバンカーショットも巧み、それにアプローチも完璧だ。

では何がスコアの良し悪しを決めるのか。

パットだと思う。

パー72として、パット規定打数は36打。

すなわち規定打数の半分、36ストロークがパットに当たる。

このため、その日のパットの出来・不出来で、スコアは驚くほど違う。

プロでもそうだ。

テレビでは、プロでも10インチ(25センチ)ほどを外す場面を何度も見たことがある。

トッププロにして、それだ。

そうかと思えば、10ヤードや15ヤードのラインを次々と決めてくる選手もいる。

すなわちスコアはパットの出来が決め手となる。

◆パットの鍛錬

多摩川沿いのゴルフ練習場。

そこで黙々とパットの練習をしていた来場者がいた。

「爺や」と思しき年配者が置いた球をパターで無心に転がしていた初老の紳士。

脳梗塞を起こす数年前の「ミスター」だった。

400球も500球も。

ボールを置いていたのは「爺や」ではなく、専属のレッスンプロだったのかもしれない。

近く参加するラウンドに備えて、パットの練習ではなく、パットの「鍛錬」あるいは「修行」に集中していた様子だった。

ミスターがパットを打つ間、私は「背中で」ミスターを観察していたが、ミスターは一言も無駄口を発することはなかった。

◆脳梗塞

2003年に脳梗塞を発症し、右半身の自由が利かなかったミスター。

リハビリに取り組んでも思わしい回復は見られなかったようにみえる。

20年以上も身体不自由が続いたミスター。

さぞや辛かっただろう。

脳梗塞は冬の病気と思いきや、夏にも発症する。

冬の脳梗塞は心臓を原因とするものが多く、夏は夏で、動脈硬化を原因とする脳梗塞が増えるとされる。

これから暑くなるこの季節。

ミスターのような脳梗塞を避けるには、水分を多めにとって脱水状態を避けることがよいとされる。

酒はどうか。

酒そのものよりも、酒のつまみが悪いという。

酒につれて、つまみが進むと、つまみに含まれる塩分によって血圧が上がりやすくなり、脱水状態にもなりやすくなる。

かといって塩気のないつまみは、旨くない。

実に旨くない。

つまみの塩気を和らげる妙案はないか。

水分が必要なら・・・酒も水分には違いない。

そこで酒を飲み足したくなる気もするが・・・・・叱られるに決まっているな。

アルコールはアルコールで血管への負担が増えるからだ。

ミスターも、ひょっとして・・・ということはないのだろうが・・・

(学23期kz)

出展:時事通信

形になっている。巧そうだ!

ゴルフ 何でそうなるの! ⑫アイク

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2025年6月 トピックス】

ゴルフ好きの米大統領

ゴルフは米国人の国民的スポーツと言えるかも知れない。


◆ドワイト・D・アイゼンハワー

通称アイク。
第34代米国大統領(在任期間1953年~1961年)
大のゴルフ好きとして知られる。
8年の大統領在任中、800ラウンド回ったという。
1年間で100ラウンド。1年は52週なので、週2回のペースでラウンドした勘定になる。
スコアは80台後半が多く、時には70台を出したようだ。
彼は心臓病を抱えており、健康増進のため、激務でのストレス発散のためにゴルフに励んだのかもしれない。

かなりお好きだったようで、地下にゴルフ練習場を作っていたようで、オーヴァルオフィス(大統領執務室)の床はスパイクの跡で穴だらけだったという。

その甲斐あってか、スコアは80代後半。

時には70台を出したという。

◆アイゼンハワーはマスターズが行われるオーガスタ・ナショナルGC(ジョージア州)をこよなく愛した。

文末の写真は10番ティーグラウンド脇にある、いわゆる「アイゼンハワーコテージ」。

アイクは夫人とオーガスタを50回近く訪れ、このコテージを別荘として使ったという。

今ではクラブハウスとして使われている。

◆オーガスタ17番の名物 アイクの木(アイゼンハワーツリー)

オーガスタの17番(440ヤード、パー4)。

220ヤード地点左サイドに、オーガスタ名物の樹齢100年の松の木があり、フェアウェイ中央にせり出していた。

ここでパーをセーブするにはティーショットでかなりのドローボールを打つか、この巨木の上を越えるショットが要求されることになる。

アイクもこの木にずいぶんと手こずったようで、クラブの競技委員会にこの木を伐採するよう要求を出したが受け入れられなかったという。

このアイクの木は、2014年のマスターズが開催される2か月前、暴風雪で枝がほとんど落ちるほどの大きなダメージを受け、結局伐採された。

この木が伐採される前に天に召されたアイク。

このニュースを聞いた時、アイクはどんなセリフを残したのだろう。

気の利いたセリフに違いない。

(学23期kz)

オーガスタナショナルGC 10番ティーグラウンド脇のアイゼンハワーコテージ
17番 2013年当時のコースレイアウト

210ヤード地点左側にアイゼンハワーツリーがあり、フェアウェイが狭くなっている。

左手に見えるのが倒れる前、当時のアイゼンハワーツリー(アイクの木)。
テーダ松の木で、樹齢100年、高さ約20メートル。