山口大学経済学部同窓会
鳳陽会東京支部
【2026年5月 トピックス】
岡山支部 岡山Bさんからの投稿
◆書籍「花失せては面白からず」は 旧東京商科大学において、山田雄三教授と杉浦栄一(後の城山三郎)との 出会いから四十余年の歳月、二人の間に続いた交流について記したものだ。
後年人間を透徹した眼で捉え、経済小説と言う分野を切り開いた著者。この書籍には、若き日悩み多き学生であった杉浦。彼が敬愛してやまぬ経済学者山田雄三教授と、学生時代、大学講師から作家への転換期、そして本格的に作家として生きると決めてからも続く交流の話だ。
杉浦は元々実家に家業があった関係で商業学校へ、そして愛知県立工業専門学校(現名古屋工大)に進学し、理系学生にあった徴兵免除をされていた。戦況悪化の一途をたどる中、 杉浦は学校を中退し、志願して海軍に入隊する。そこで為されていた数々の理不尽、後に城山は「戦争で国家に裏切られた思いがある」と語っている。
少し前に、その若き日の杉浦青年の苦悩、不安を期した新たな日記が自宅で見つかったと言うニュースがあった。
◆バブル経済が膨らみ始める少し前、山都でも本当に”一期一会”、短い時間ではあるが、就職担当教官と濃厚な時間を過ごしたことがある。時間軸は大きく違っても、鳳陽会の先輩、後輩、その関係性において似たような経験がある。
博多に在勤していたこともあって、九州地区、山口のリクルーターを数年間担当した。
ある年リクルーターで山口に帰ったとき、就職指導教官の担当は経営管理の亀本先生であった。研究室を訪ねると、うず高く積まれた書籍の山々、床まで書籍であふれていた。・・・「汗牛充棟」まさしくそれだ。
亀本先生は学務室前の応接室に行って待つよう言われて、そこで始まった約3時間。
勿論、会社から派遣されているので、嘴の青い若造が会社案内と欲しい人材のタイプについて 一応の切り出したであろう、そして、就職して数年たつ若造の言の葉の端からひょっとするとなんらか悩やめる欠片を察せられたかもしれない。
就職担当教官とリクルーター、それはそれとして、山口大学経済学部が持つ魅力についてお話を始められた。その中にはご自身の亀山の学生時代の思い出から、健康状態が優れず、苦学して大学院に進学されたこと、そして、溢れるばかりの”母校愛”を熱く語られた。
自分はただ単なる各企業さんから派遣される若きリクルーター、その一人でしかなかった。
しかし、扱いは大手の一流会社の人事部長と同等、いやそれ以上の鄭重な扱い、そして貴重なお時間を独り占めで頂戴したのだ。(因みに出身ゼミは別のゼミ、亀本先生の授業を受け、強く興味をそそられていたという関係性があるのみ)
こんな研究に、教育に、そして就職について、母校愛に溢れた教師が数多くいた。誇るべき母校だ。
◆その後の話であるが、数年間は6月末ぐらいになるとリクルーターという役割を果たすようになっていた。
勤務していた会社では、当時は先ずは若手リクルーターの面接、推薦、そしてその後の選考である筆記試験、面接試験で選別した後、本社に送り込み、役員面接で最終選考をしていた。
ある年、優秀な学生に出逢った。是非一緒に働きたいと思わせる学生であった。当然強く推薦をした。しかし、悲しいかな筆記試験の”網”に引っかかってしまった。
自分が所属していた業務部の総務課長は”難しいなぁ。。。でも、どうしてもと君が思うなら、直接本社の人事に電話を入れてみてもいいよ”(説得して糸口を手繰り寄せろ)とアドバイスをくれた。
のちに会社人生の経験を積むと分かることになるが、それはかなり難行であること、しかし、自分に与えてくれた仕事、機会だったのだ。残念ながら結果は伴うものではなかった。
本社の人事のある権限を持った人が来福した。そして、その夜、石狩鍋を囲んだ。リクルーターとしての慰労の意もあったのだろうか、別の意もあったかも知れない。所謂、通常の矩(のり)をこえて、人事まで直接電話をしてくる若造?
亀本先生の母校愛の1/100でも届けたいと思った碧き血潮がなしたものではなかったろうかと今では懐かしく回想できる。
◆蛇足
80年代当時の経済学部ではケインズ経済学を中心とした、”近経(近代経済学)”
【原論Ⅰ、原論ⅡA】があった。(別途マル経の原論ⅡBもある)
当時は”ケインズ 一般理論コメンタール”という宮崎儀一と伊東光晴が書いたケインズ入門書としては必須だったのかもしれません。
また、伊東光晴著作の岩波新書の「ケインズ」は今もって名著中の名著とも言われている。
その伊東光晴教授が、安部ゼミ主催の講演で山口に来山し、講演の中であることを”ぶった”のです。
講義室の演台をのしのし左右に動きまわり、少し甲高い声で、メリハリのついたあの光晴節だ。
演台の題目、内容は遥か遠い記憶ですで定かではないが、覚えていることが一つある。
かの伊東光晴にこう言わせたのです。(安部先生も伊東光晴教授も1927年生)
「僕は安部先生にかなわないことがあります。それは安部ゼミが持つ就職力、教育力です。この田舎において、これだけ、大手の超一流の企業に多数の卒業生が就職できていることにはまったく驚きです」と。
安部先生が後輩に想う熱い思い、教育への情熱、熱意、そして厳しい指導、このすべてであると思う。
昨日、安部ゼミ発行の「追昔の影 長くして・・・」を読み直してみました。

先生、生徒、先輩、後輩、上司、部下など様々な出会いで他の人に学び続けたいものですね。(22yn)
城山三郎は「総会屋錦城」に魅了され、圧倒されました。
後は「毎日が日曜日」と「小説 日本銀行」を読んだ記憶が微かにあります。
岡山Bさんはリクルターとしても活躍されたのですね。
素晴らしい投稿ですね。
経営学科で必修だったと思いますので、名前は覚えていて亀本先生の講義は受講したと思いますが、単位は全く記憶にありません。
安部先生の原論Ⅱは必修で出題された問題にお手上げでしたが、自作の問題を作成し、「良」でした。
後年、安部ゼミの3年後輩のF氏が同じ会社に入って来て、広島での結婚披露宴でお会いし、原論Ⅱの単位の話をしましたら、「そんなことはないでしょう。」と言われました。
その後、亡くなられる前に東京支部総会でお見かけすることはありましたが、恐れ多くて声は掛けられませんでした。