そうだったのか、佐久間象山 ①

山口大学経済学部同窓会

 鳳陽会東京支部

【2024年 4月トピックス】

長野・松代藩士である。

3歳で漢字を覚えた神童で、和歌、漢詩、絵画、儒学、また和算にも優れた才能を発揮した。

23で藩の給費生に選ばれ、朱子学の第一人者・佐藤一斎に師事する。

蘭語をなんと2か月で取得し、蘭語を通じて医学、兵学を学び、自力で大砲の鋳造までをやってのけ、望遠鏡や電信機も作ったとされる。並々ならぬ知力の持ち主で、その才たるや長州の大村益次郎に通じるところがある。

では武道の方はどうか。

父が卜伝流の県の達人だったことから武芸にも優れており、文武両道の松代藩士であった。

◆象山の門下生

象山とは一回り年が違う勝海舟。嘉永3年(1850年)に象山の門下生となった。「海舟」の号は象山宅に掲げてあった書「海舟書屋」からとっている。

海舟が門下生となった翌年に吉田松陰が象山の門を叩く。

象山の「士は過ちなきを尊ばず、過ちを改めることを尊ぶ」。この言に感銘を受けたとされる。

1852年には河合継之助が、その翌年には坂本竜馬も象山の門下生となった。

◆象山と維新

ペリー来航に際し密航を企てた吉田松陰をかばい、松陰に連座して投獄の後、実家・松代に9年間蟄居されられている。

もともと象山は攘夷論者であったが、この蟄居期間中に諸外国の事情を学び、時流を見極めるうちに、開国・公武合体へと思想的変貌を遂げる。

西郷隆盛も象山に会っていなければ「維新は成せなかった」と回顧しているように、維新を支える思想的背景を授けた存在だったのだろう。

(学23期kz)

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