山口大学経済学部同窓会
鳳陽会東京支部
【2026年4月 トピックス】
◆薩摩では地域、地域の青少年育成制度である郷中(ごじゅう)というものがある。
そこでは大人が指導するのではなく、兄貴分の先輩たちが後輩の面倒をみる。
・稚児組(6歳から)
・長稚児(おせちご。11歳から14、5歳)
・二才組(にせぐみ。元服から24、5歳まで。トップが二才頭)
・長老(おせ。二才組の先輩たち)
東郷が加治屋郷中(ごじゅう)に稚児入りして四書五経と習字の手ほどきを受けたのが、西郷隆盛の弟、吉二郎だったという。
吉二郎は東郷に士の嗜(たしな)みも教えた。
東郷は朝6時に起床すると、先ず西郷の家に行き学習した。
その後、帰宅・朝食
8時 稚児頭の指揮で、相撲、走り競べ、馬追いなどの身体鍛錬
11時 長稚児のもとで朝学んだことの学習
12時 帰宅・昼食
16時から18時まで 二才の指導を受け示現流の鍛錬
◆示現流の剣
「薩摩人は示現流とチェスト関ヶ原」のみ。
このため「薩摩人は単純だ」と評される時がある。
しかし単純に徹することが深遠な道を究める正しい道だと信じているのが薩摩人かもしれない。
示現流・・・薩摩独特のものだ。
必殺の殺人剣。
その神髄は「一の太刀」がすべて。
一切の技巧を挟まない。技巧を嫌う。
その代わり、滅多なことでは剣を抜かない。
ひとたび剣を抜いたら三千地獄の底まで打ち下ろすのが流儀だという。
一の太刀を仕損じたら自分の躰を相手にぶつけて死ねと教えられる。
◆示現流の稽古は立木打ちだという。
「朝(あした)に8千、夕(ゆうべ)に3千」
「人斬り半次郎」と呼ばれた桐野利秋は家の周りの立木を5年ですべて打ち枯らしたという。
幹が太い大木を。
東郷平八郎も示現流のかなりの使い手であったが、大山巌や西郷従道が上手だったという。
◆しかし、薩摩は「鎖国」の日本にあって、幕府の隠密も入れない「二重鎖国」の国ながら、海に対しては開き、密貿易で蓄財するしたたかさも持ち合わせていた。
薩英戦争(文久3年8月15日~17日)は、薩摩にとっては関ヶ原以来の国難だった。
(馬関戦争は薩英戦争の前、文久3(1863)年5月10日、元治元(1864)年8月5日~7日に勃発)
当時東郷は17歳(12月生まれのため満でいえば15歳)。
また、日本海軍育ての親といわれる山本権兵衛は12歳の時であった。
平八郎は、父と二人の兄とともに火縄銃をもって出陣した。
母の益子は戦いの途中「薩摩汁」を届けたという。
つづく
(学23期kz)

