第96回鳳陽会ゴルフコンペを開催

3/2 赤城下ろしの冷たい風が吹く中でしたが96回目の
鳳陽ゴルフ会を熊谷ゴルフクラブで行いました。
7名 2組の小さなコンペとなりましたが、13期の松本さん、
58期 の篠田さんまで幅広い世代が参加して、楽しいラウンドとなりました。 反省会は、持ち込みした芋焼酎とウイスキーを堪能。 ご参加頂いた皆様 お疲れ様でした。

篠田さんは96回の歴史で初めての女性プレーヤーになったのでは?と思います。
今回は、ダブルペリアでの競技でしたが優勝は 唯一グロス90台の 藤井さん(37期)
2位には田尾さん(17期)、唯一のニアピンは初出場の山田さん(36)でした。
次回は秋以降に 千葉方面(候補 習志野 CC)に平日開催を予定しております。

7月頃に連絡予定です。

参加者(敬称略 卒業期)
松本(13) 田尾(17) 板井川(32)山田(36)藤井(37)上野(37)篠田(58)

【投稿は幹事を務めていただいた37期上野さん】

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山口で・・・③

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2024年 3月トピックス

一の坂川
3月23日、つぼみの膨らみが足りないようだ。昨年は3月28日に開花。
道場門前。最近は「どうもん」と呼ぶようだ。
道場門前にある文栄堂本店、4月末に閉店する。ほんの売り上げが落ちているようだ。

山大正門近くの文栄堂は健在。

「どうもん」には堂々とした空き地が点在している。
試飲ができる山城屋。
女将さんは当時の女将さんの娘さんのようだ。

接客態度や従業員への配意がお見事。女将さんの立ち振る舞いを傍から見ているだけで、肴は要らない。

令和5年度山口七夕会 春の交流会、講演会&花見ウォーキングに参加

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2024年 3月トピックス】  

日時:令和6年3月23日(土)11:00~14:30 場所:インテリジェントロビー・ルコ
東京都新宿区揚場町2-1軽子坂MNビル1F 

◆講演会
山口七夕会会長 秋草史幸氏講演『金融にまつわるこぼれ話』(30数名参加)、交流会

以前、鳳陽会(山口大学経済学部同窓会)東京支部での同テーマでの講演を聴講したことがありますが、先日、日銀によるマイナス金利政策解除され、日経平均が史上最高値を更新したばかりで、新NISA等、興味あるテーマでもお話があり、講演後は多数の質疑応答がありました。
私も株式投資に関し日頃感じている疑問点を質問しました。
注)秋草会長は学生時代に経済史を習った経済学部秋草実教授のご子息です。

◆春の花見ウォーキング(14:30~17:30、14名参加)、懇親会(17:30~19:30、上野、四季彩にて有志)
谷中七福神巡りと題して7ヶ所を回りました。
桜の開花は予定より随分と遅くまだでしたが、3時間で何と16,000歩歩きました。
講演会、花見ウォーキングと充実した有意義な一日となりました。
山口七夕会に大感謝。
(学22期 Y・Y)

※コメントを宜しくお願いします。
①トピックス末尾の「コメントを残す」欄から。
あるいは
②私のメールアドレスへ
0rb6672r388367t@ezweb.ne.jp

山口で・・・②

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2024年 3月トピックス】  

◆本年1月にニューヨークタイムズで取り上げられた山口。

ホテルに聞くと欧米を中心とした外国人客が増えているという。

しかし、新山口で、湯田温泉で、また山口市内で、外国人に出会うことはなかった。

外国人はどこへ向かったのだろう。

早間田から県庁庁舎を望む。左手に見えるのが県立美術館。
市民会館で山口市民となった講談師・神田京子女史のポスターに出会う。ここでも活躍。
サビエル記念聖堂

馴染みのあった旧聖堂は平成3(1991)年9月に焼失、平成10(1998)年4月に建て替わった。

サビエルは毎日2回、大殿小路にあった井戸端で書を読んだり説教をし布教に努めたという。
敷地内にある平和の鐘
山口の姉妹都市、スペイン・パンプローナ市。スペース・パンプローナからくり時計。
看板に映るのは歌手のアマイア・ロメロ女史。彼女は「Yamaguchi」という曲を発表しているが、これは思春期までを過ごしたパンプローナ市内にある日本庭園の「山口公園」のことを歌っている。 
大内人形が置かれたJR山口駅。

都道府県庁所在地にある代表駅としては乗降客が最も少ないという。

ICカード「ICOCA」が導入され、駅員はいない。2023年9月に駅構内の売店が閉店している。

コンパ会場だった太陽堂旅館、いまだ健在。
米屋町にある天婦羅・さわらぎ。古くからあった店だというが、学生時代に来ることはなかった。

左上にみえる色紙の書き手は古川薫氏。

店内2階にあるガラスケースに収まった重量感のある小庭。趣がある。

山口で・・・①

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2024年 3月トピックス】

周防地区の偉人ゆかりの地を紹介する観光ポスター(明治維新150年に因んで2018年に作られたもの)。
ポスターにある7駅に貼られている(防府、岩国、大畠、柳井港、岩田、下松、徳山)
湯田温泉駅の足湯 

熱い湯だ。市役所に問い合わせると、「源泉のままで、沸かしていない」とのこと。

なお、湯田温泉駅は無人駅になっている。

山口を紹介する四季のイラスト
湯田温泉から山口大学に向かう。橋(秋穂渡瀬橋)から写した椹野川。
2024年3月22日(金)、この日は卒業式(山大正門前で)。最近の成績優秀賞は女性が取っていくという。

学食で。やはり着物は華やか。
先週の日曜日(3月17日)、東大で開催されたオープンガバナンス2023(@東大)で「2冠」を取った村田君。
経済学部の前で。

②中也

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2024年 3月トピックス】

宮沢賢治の愛読者の中也は、文人仲間で、やはり宮沢賢治に惹かれる草野心平と気脈を通じた。

この二人はともに宮沢賢治が好きで、酒も好き。また、すぐに酒の相手と喧嘩するところも相似ている。

新宿落合付近の檀一雄の家近くのおでん屋の「おかめ」で文人仲間が呑んでいた時の話。

中也の捨て台詞がもとで太宰治と喧嘩となり、両者を止めにはいった檀一雄と草野心平が

つかみ合いになり、四つ巴の喧嘩になったという。

それはさておき、太宰も中也の酒癖の悪さには辟易していたが、太宰は「・・・しかし書くものはよかったなあ。よくクシャクシャにした紙切れを持っているんで読んでみると、それが、うーんと唸るほどいいものなんだねえ・・・やっぱり天才というもんかねえ」と語っており、中也の才能を評価していたようだ。

◆だらしない中也だが、中也は子供が2歳、中也29歳の時、定職に就いて欲しいという妻の頼みもあり、親戚筋の紹介でNHKの就職試験を受けたという。

結核性脳膜炎で逝去するちょうど1年前の話だ。

文末の顔写真はNHKを受けた時、願書に貼った写真だとされる。

また願書の履歴書には「詩生活」とだけ記載されていたという。

面接官に呆れられたが、本人は大真面目だったようだ。これしか書きようがなかったのかもしれない。それほど詩に没頭してきたという自負もあったのだろう。

◆人の死は運命を変える。

中也が詩作を始めるきっかけとなったのが、8歳の時、弟(次男・亜郎・つぐろう)の死による。

また、NHKの面接試験を受けたその年の秋に可愛がっていた最愛の長男・文也を結核で亡くす。

中也は山口に移住することを考えていたが、気力も衰え、翌年に中也本人も療養先の鎌倉で逝去し、山口への帰郷は叶わなかった。

つづく

(学23期kz)

18期 田口浩一氏の作品

和製ランボー

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2024年 3月トピックス】

◆ランボー

中也は「和製ランボー」と呼ばれている。

中也が影響を受けたというランボー。

ランボーとは何者か。

◆中学、高校の時からその詩人の名前だけは耳に入っていた。

ランボー

あまりいい響きではない。

アルチュール・ランボー・・・

やはりいい響きではない。

Arthur Rimbaud. 1854年生まれで、中也が生まれる15年ほど前に37歳で他界している。

冗談のような話だが、「アル中の乱暴」・・・実際そういう面があったという。

中也も同じだ。

理性、悟性を意図的に排し、既存のものに価値を置かない「ダダイズム」の世界にどっぷり身を漬けると、そうなりがちかもしれない。

ランボーの写真。

遠くを見つめる目。砂漠を見ているようなうつろな目。とてもさびしそうな目をしている。

◆中也は30歳で夭逝している。ランボーは15歳の時に詩作に目覚め、なんと20歳の時には詩作を放棄したという。

若い時の熱量の高いパッションは垣根を越えて影響を及ぼすのだろうか。

中也もそうだが、ランボーも、文人のみならず、他のジャンルの大物にも影響を与えていたようで、なんと「ノーベル文学賞」を受賞したフォークの神様ボブ・ディランもランボーをよく読んでいたようだ。

◆ランボー好きな学生時代の友人

学生時代、私の近くに神戸から来たF上君がいた。経済を学びに来たF上君。数学が好きな人物で、いつも紙と鉛筆を持っており、紙一枚で数式や図形を書いて遊んでいた。

身体は痩せており、眼鏡をかけ、神経質そうな面持ち。かなりの色白で、唇だけは異様に紅いのが印象的だった。

彼と出会って間もない時、少人数の飲み会でのことを思い出す。

飲みが進んだ頃にF上君が、突然スッと立った。

何が始まるのか・・・

みんなが注目する中で、彼の紅い唇から外国語が溢れ出た。

どうやらフランス語だ。

目を閉じ、手振りを交えて詩句を諳んじた。

パフォーマンスが終わった後、一同しばらく沈黙・・・

ランボーの詩句だという。

どんな詩で、どのような中身か、当時解説をしてくれたのか、どうだったのか。

今ではそれすら、すっかり忘れつちまつた。

(学23期kz)

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山口大学経済学部同窓会

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【2024年 3月】   

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鳳陽会東京支部 事務局

汚れつちまつた悲しみに-中原中也・心の叫び

岡山支部からの投稿

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2024年 3月トピックス】

山口大学経済学部OBのkzさん、Sさん、そしてKYさんの投稿に誘われて私も書いてみました。

◇青きとき

 中原中也の詩と言えば、あまりに有名な「汚れつちまつた悲しみに」がある。

背景には中也自身の失恋の実体験に基づくものと言われている。

 青きとき、ある意味陥りやすい純愛への潔癖症、そして、愛すべき恋人を友人に奪われてしまう悲運を悲しみ、心の叫びを静かに詠う。

◇中也の詩集

 私は山口大学経済学部3年から、山口市平川の農家の下宿で暮らした。2階に2部屋あった。隣の部屋には、理学部物理学科のK君がいた。薄い壁があったが、ほぼふたつの部屋を行き来し、2年間を共に過ごした。

 K君のお気に入りの詩人が中也であった。

 彼の部屋に入ると、物理を中心とする専門書が並んでいた。そして何気なく、机の端に中也の詩集がいつも置かれていた。

 全国紙1紙の購読料をふたりで折半して、読んだ。新聞に掲載されている様々な問題をふたりでよく議論した。

 日本の教育では大学受験のとき、理系、文系の区分が大きく影響し、“知の分断”を生むともいわれている。ふたりは文理の壁を乗り越え、なるべく共通のわかりやすい言葉で議を交わした。むしろ文理の融合でさえあったともいえる。

 ◇友が奏でるギター

 そして夜な夜な、K君が奏でるギターに合わせて、ふたりで歌うのが何よりの楽しみであった。

 よく歌い、終わりに歌ったのがCHAGE&ASUKAの「終章(エピローグ)」であった。この歌詞にもある意味、「汚れつちまつた悲しみ」があったとのではないか、と思いながら、最後にその詩をしたためよう。

 汚れつちまつた悲しみに

 今日も小雪の降りかかる

 汚れつちまつた悲しみに

 今日も風さへ吹きすぎる

  (中略)

 汚れつちまつた悲しみに

 いたいたしくも怖気づき

 汚れつちまつた悲しみに

 なすところもなく日は暮れる・・・

(岡山支部 B)

近況報告(過去の日記から、東日本大震災他)

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2024年 3月トピックス】

2011-5-8mixi日記投稿分より引用

3月11日以来の日記です。
東日本大震災で亡くなられた方々のご冥福をお祈りします。
被災された方々の一日も早い復興をお祈りします。

とても日記を書けるような心境ではありませんでした。
心が折れておりました。
株の崩落による大きな損失(私に取っての)もショックでしたが、それ以上にショックだったのは福島の原発事故に伴う、計画停電、電車の間引き運転による大混乱でした。
その上、放射能騒ぎ、この為、商売は売上が激減し大変な状況です。
店は計画停電地域から免れましたが、郊外からのお客様の来店が無くなり、堪えました。
中高年のお客様のウェートが高い為に、地震、原発が恐くてとても美容どころの話ではありません。
命が大切です。

苦し紛れに、サラリーマン時代の友人に電話をしたら、「株の暴落でしょう?」と言われ、「自分はもっと大変なことが起こった。」という。
「女房が突然、1月にクモ膜出血で亡くなり、大震災で四十九日も広島からの親戚が来れなくなった。」と。
昨年、夫婦でオレオレ詐欺に遭われ、大金を失われて、ひどく心を痛められていたのが・・・
奥様には店にも一度、来ていただいたことがあります。

その後、広島に住む学生時代の友人から携帯に電話があった。
「今、大阪に来ているが、友人のYが末期がんで、転移していて手術も出来ない状態。抗がん治療を続けているが・・・」
いきなり、病床の本人と携帯を変わられたが、私は掛ける言葉もない・・・
大学に入学した時に知り合い、夜間高校の出身でその時、既に22歳であった。
苦労人で随分と老けた学生がいるな、が第一印象であった。

福島原発のあのハイテク施設が無残な恰好となり、ローテクとしか思えない。
三号機の納入会社に勤務していた者としては報道の度に胸が痛む。
浜岡原発も菅首相の全面停止要請が・・・
昔から浜岡は当社と聞いていたので、さらに辛い。
リタイアして10年になろうとするのに、この愛社精神は・・・

勤務のマンションも震災後は、住民のストレスからか、標的になることが多くなった。
人の良かった好印象の人まで、人が変ったように攻撃的である。

この年になって、戦後最大、生まれ堕ちて最大の危機に遭遇するのも辛い、の一言である。
(学22期 Y・Y)

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