③中也

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2024年 3月トピックス】

③中也

中也が長男・文也の四十九日の頃に「文也の一生」なる文を書くが、その筆で「冬の長門峡を書いている。」

「冬の長門峡」

長門峡に、水は流れてありにけり。
寒い寒い日なりき。

われは料亭にありぬ。
酒酌(く)みてありぬ。

われのほか別に、
客とてもなかりけり。

水は、恰(あたか)も魂あるものの如く、
流れ流れてありにけり。

やがても密柑(みかん)の如き夕陽、
欄干(らんかん)にこぼれたり。

ああ! ――そのやうな時もありき、
寒い寒い 日なりき。

この詩碑は長門峡の入り口に建っている。

大きな御猪口の上にミカンが乗せられており、そこに詩句が

刻まれている。

◆文人仲間もずいぶん東京から鎌倉に見舞いに通ったようだ。

いよいよ中也臨終のとき、中原家長男中也が枕元にいた四男・思郎に呟いた言葉がある。

「僕は本当は孝行者だったんですよ・・・今に分かる時がきますよ・・・・・本当は孝行者だったんですよ」

東京支部Sさんが投稿してくれたとおりだ。

中也は心身を休めるためにふるさと山口への移住を考えていたようだが、願いが叶うことはなかった。

ハチャメチャもどきの荒れた生活をしていたが、面倒を掛け続けた母に対して、褒めてもらいたい一心で藻掻いていたのかも知れない。

つづく

(学23期kz)

18期 田口浩一氏の作品
中原中也記念館

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