映画「オッペンハイマー」

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2024年 2月トピックス】  

広島市中区八丁堀で、八丁座とサロンシネマの2館を経営されている(株)序破急 取締役総支配人の住岡正明さんから今年も年賀状の返信をいただきました。
広島勤務時代に知り合い、暫くして私は東京に転勤となりましたが、知り合って30年近くになります。
3月29日に日本公開される映画「オッペンハイマー」をどう感じるか自分の眼で観てみたい。

追記)
私からは11月に母校の広島基町高校東京支部同窓会で舞台女優の中村香織さんと知り合い、彼女が原爆を題材にした「アサガオの雫」という朗読劇をされていることに触れました。
(学22期 Y・Y)

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学生時代に ふく 食ふ

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2024年 2月トピックス】

会報「鳳陽」180号に松永理事長が、学生時代にフグを食することへの憧れがあった話が掲載されていた。

そして、今回は東京支部のSさんが韓国釜山まで出向き、真っ赤なフグ鍋のおいしい話を伺ったら、40年前の学生時代のアルバイトの賄いの話をしないわけにはいかない。

製造業に携わったものには禁断の月一で放映されている「魔改造の夜」風に少しイニシャルを使用しよう。(例えば、日立製作所は「H」製作所となる)

学生時代湯田温泉にあった温泉旅館「M屋」でアルバイトをしていた。最初は皿洗いから始まり、少し出世して、板場(料理場)のお手伝いをするようになった。これは、学生時代からの無二の親友「K」隆さんの紹介であった。

板場のアルバイトの楽しみは、仕事が終わった後の賄いである。そして、大浴場の貸し切りの入浴。

冬は大概野菜たっぷりの鍋に、お造りをした残りの鮮魚を刺身の盛り合わせにして提供して戴いた。毎回、ビール付きで、時給が安い高いの世界を超越した、至福の時が待っていた。

卒業を控えたある夜、鍋に見慣れない鳥のブツのようなものが入っていた。そして、鶏唐げ?更に見たことのない、薄緑の大皿に菊の花弁のように盛り付けられた薄造り。もみじおろしに小葱のみじん切りに、さらにポン酢。

勘のいい方は、すぐ気づいたであろう。山口のふく!ひとまずのフルコースを準備してくださったのである。

 てっちり、ふくのから揚げ、てっさと揃っていたのである。

(蛇足ですがふくがてっぽう(鉄砲)と言われるのは、当たれば命にかかわるところからくる)最後にヒレ酒まで飲んでしまった。

山国育ちの自分には、今までに食したことのない食感、旨味。

 ひとこと、旨い!!

板長だった「S」井さん、「s」吉さん、「y」本さんと「「K」隆さん」と自分の5人で囲んだ鍋。

ある意味、学窓山口を出でていく春を控え、心のこもった、ちっちゃな門出の祝宴を準備して戴いたのであろう。

別の機会に、旅館の専務からも声をかけられた。「あんたたちは、時間が経つと偉ろうなるんやから、偉うなったら、うちの店を使こうてくれんさいよ」 返事は、勿論「はい!」

時がたち、山口を再訪する機会があった。宿泊先に先ずは「M屋」をと思い、宿泊の電話を入れようとした。電話は繋がらず、既に廃業されていた。一宿一飯の恩義は何としても果たしたいと思い、古い記憶を辿りながら、所在があった場所を歩いて探した。しかし、そこは既に更地になっていた。

卒業後、少ししてバブルの仇花が咲き、膨らみ、そして、バブルの泡は弾けた。

その後の失われた10年、いや20年・・・その中で時代に淘汰されてしまった湯田温泉街のホテルも少なくないはずだ。

山口は亀山時代は勿論、平川時代になっても学生を大切に、そして優しく育ててくれ続ける町である。 

今もっても、感謝、感謝です。        

(岡山支部 B)

雪の日の思い出

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2024年 2月トピックス】  

◆思い出(1)

 ワンダーフォーゲル部に所属し、春合宿の前だった。メンバーで訓練のための山行に臨んだ。山口からバスに乗り木戸山峠を越えていく途中雪が降り始めた。だんだん激しくなって積もり始める中、峠の急こう配に差し掛かる。心配していた通りタイヤがスリップして動けなくなった。運転手は無線でやりとりしていたが、救援の車がタイヤチェーンを持ってくるまで一時間ぐらい動けないという。メンバー6人で後ろから押してみましょうかと申し出た。じゃあやってもらえるか、だがスリップしてガードレールに挟まれたり、転んで後輪に轢かれる危険があるので、くれぐれも注意してくれと言われる。バスがエンジンをゆっくりふかす中、皆で力を合わせて後ろからぐーっと押す。すると大きなバスが少しずつ動き始めた。ゆっくりとバスが進む中、バスの乗り口に向かって皆で走る。バスを止められないので飛び乗ってくれと運転手が叫ぶ。後輩が皆乗り込んだのを見届け、最後に自分が飛び乗った。やったーという気持ちでほっとした途端、かたずをのんで見守っていたバスの乗客達から大きな拍手が起きた。思いがけず、でもちょっと誇らしかった。

思い出

◆思い出(2)

雪のしんしんと降る深夜だった。道場門前近くの友人の下宿から自転車で帰る途中、リヤカーを引くおばあさんを見かけた。一の坂川を越える少し勾配のあるところで、うーんと力を入れているが雪で滑ってだろうかリヤカーは動かない。とっさに自転車を道に乗り捨て、リヤカーを後ろから押した。おばあさんは驚いたようだったが、勾配を登りきったところで声をかけ自転車に戻った。倒れた自転車を起こし、大丈夫かなとリヤカーの方を見ると、おばあさんが私に向かって手を合わせている。周りには人はおらず、ただ真っ白な雪が降り積もる静かな夜だった。おばあさんはどこまで帰ろうとしていたのか、もっと押すのを手伝わなくてよかったのか、今でも思い出す光景である。

【元ワンゲル部員A】

大相撲一月場所を終えて

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2024年 2月トピックス】  

照ノ富士、復活優勝‼
凄い。
琴ノ若、大関昇進へ。
今場所は初日に序ノ口から国技館観戦。
千秋楽まで優勝争いが繰り広げられ、照ノ富士、霧島、琴ノ若の3力士が千秋楽まで残りました。
豊昇龍が怪我で休場し、14日目に照ノ富士との一番や千秋楽の琴ノ若戦が観られなかったのは残念ですが。
霧島は最後まで優勝戦線に残ったのは立派ですが、下半身が安定しているものの横綱というにはもう少し力強さが物足りません。
照ノ富士は2敗した時は休場や引退を危惧しましたが、千秋楽まで良く頑張り、土俵が締まりました。
今場所、5日目が終わった時点で、優勝は琴ノ若か朝乃山と予想しましたが、朝乃山の怪我での途中休場は残念でしたが、再出場し9番勝ちました。
来場所以降に期待です。
序盤で休場した貴景勝は首の怪我の悪化で来場所も厳しいか。

今場所は負け越したものの熱海富士の巻き返し、新入幕の大の里、怪我で幕下に陥落した伯桜鵬の若手が力強く楽しみです。
直ぐに三役になりそうな程、逞しく圧倒的な強さです。
又、若隆景の幕下優勝と来場所の関取復帰は嬉しい。

応援している力士の中では阿炎が5連敗した時は今場所の大敗を覚悟したが、7連勝し勝ち越したのは良かったが、千秋楽に足がついて行かず、三役の可能性を逃したかと思いましたが、番付運に恵まれ、小結には復帰出来そうです。ほっ。
大関争いでは霧島、豊昇龍、琴ノ若に先を越されたが、来場所に期待。臥薪嘗胆。
平戸海、玉鷲8勝7敗。
幕下20枚目のご両親繋がりで応援している春日野部屋の栃神山が2勝5敗と負け越し。
関取への壁が厚く、臥薪嘗胆、頑張れ。
石川県羽咋市出身の深井3勝4敗。
錣山部屋の王輝、7番相撲で4勝3敗と勝ち越し。
山口市繋がりで応援している将軍、2勝5敗と負け越し。
千代大宝、2勝5敗。
式秀部屋の最上桜全勝ならずも6勝1敗。
大当利4勝3敗と勝ち越し。

最後に初代若乃花を彷彿させる若元春を今場所から応援力士に加えることにしました。
玄人好みする相撲は魅力です。
平成30年初場所前に両国わとんでの会で西幕下6枚目だった若元春さんにお会いしていたのを最近知りました。
東前頭14枚目だった阿炎関を囲んでの集合写真を撮って頂いた時のシャッター係でした。🙇
(学22期 Y・Y)
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冬の釜山にて真っ赤なフグ鍋を食らう

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2024年 1月トピックス】  

冬。フグのうまい季節がやってきた。

前回は、山口大学経済学部の学生時代から「一生に一度は食べたいものだ」と願っていた本場・下関の名店、春帆楼(しゅんぱんろう)にてフグを食した。

今回(2024年1月)は、妻とともに韓国・釜山を訪れた。

目的はただひとつ。真っ赤なフグ鍋をいただく。

◇久々の成田空港

 成田空港から大韓航空機で釜山に向かう。電車で成田空港駅に到着。

第1ターミナル・北ウイングを目指す。現役時代は年に何回も成田空港から世界に飛び立っていたが、コロナ禍もあって久々の成田空港だ。

 大韓航空の受付で搭乗手続き。事前に航空機予約票をプリントして準備していたが、パスポートを提示するだけで手続きは完了した。保安検査を済ませ、出国手続き。12時45分発の大韓航空機に乗り込む。順調に飛行。玄界灘を越え、15時20分に釜山空港に到着した。

 郊外の空港から地下鉄を乗り継いで港町の釜山市南浦(ナンポ)へ。韓国の地下鉄の進化に驚いた。地下鉄の駅には駅舎がない。駅員もいない。完全自動システムだ。

どうやって地下鉄に乗ればいいのか。

戸惑ったが、市民に乗車券の買い方(自動販売機)、乗り換え方法などを教えてもらい(私は少々、韓国語を話せる)なんとか、ホテルに辿り着いた。

◇いざ、釜山のフグ料理店へ

日が暮れる。ホテルを出発。地下鉄に乗り込む。ネット(日本語で釜山の料理店を検索できる)で事前に調べたフグ料理店「釜山ポクチブ(フグの店)」に向かう。交通の要所、西面(ソミョン)で下車。地上に上がる。道路は放射線状に伸びている。目指す「釜山ポクチブ」の住所は文化路25番地だ。手帳に記してある。さて、どの道を進めばいいのか。わからない。通りかがったおじさんに聞く。おじさんは適当にいった。

「こっちのほうじゃないか」

どうもあやしい。

若い男女2人組に改めて聞き直す。

若者はさっそく、スマホで店を検索してくれた。

若い女性が日本語でいった。

「この道をまっすぐ行って。左側にあります」

―えっ、日本語が上手ですね。どこで習ったんですか

「どくがく・・・。自分で日本語を勉強しました」

―すばらしい。ありがとう。

彼女が教えてくれた道を進む。確かに左側にフグの店があった。ネオンが輝いている。

         

◇フグ鍋に焼酎

 店内に入る。高級料理店ではなく、食堂といった雰囲気だ。おじさんグループや男女二人連れが焼酎をあおりながら、フグ鍋をつついている。

 店の女将さんに早速、注文する。

「フグ鍋2人前。それと焼酎1本」

サービスで小皿がたくさん、出て来る。フグの天ぷら。フグの皮のあえもの。海藻類。そしてキムチなど・・・。箸をつけずにじっと待つ。

 しばらくして、ぐつぐつ煮えたフグ鍋が運ばれてきた。ガスコンロの上に置く。

大量の唐辛子で真っ赤だ。フグのぶつ切り。フグの白子。セリなどの野菜類。全部、鍋にぶちこんで煮込んでいる。

 日本では大皿に盛った淡白で上品なフグの切り身をすこしずつ、鍋に入れ、煮えたところをもみじおろしとポン酢でいただく。高級店では女性従業員がなべ奉行を務め、給仕もしてくれる。酒は純米吟醸の冷酒がいい。盃に酒を満たし、静かに食する。

 だが、韓国は豪快である。フグ鍋には唐辛子とニンニクがたっぷり入っている。野趣あふれるフグ鍋をふうふういいながら、食らう。焼酎を一気飲みする。うまい。またたくまに焼酎が空になった。

 「おばさん、焼酎、もう一本」

 フグ鍋2人前を食べ切った。このあとにもうひとつ、楽しみが待っている。残った汁にごはんをいれて真っ赤なフグ雑炊に。これがまた、うまい。辛い。

 釜山のフグ鍋を堪能した一夜であった。

(鳳陽会東京支部 S)

 

講談師・神田京子独演会

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2024年 1月トピックス】

◆あまりに平易なことばのなかに

1月25日(木)によみうりホールで行われた神田京子独演会—「金子みすゞ」伝。

歯切れ良く、気持ちの乗った抑揚のある神田京子の語り。

その語り口で、金子みすゞの詩を織り込みつつ、金子みすゞの26年という短い生涯が紹介された。

金子みすゞの詩。

あまりに平易なことばの中に、恐ろしく深い真理、時を突き抜けた真理を気付かせてくれる。

やはり金子は「天才」といってもいいかもしれない。

今では金子みすゞの記念館がは生まれ故郷の長門市仙崎にある。

◆蜂と神様

独演会の終わりに、あるセレモニーがあった。

この日、金子みすゞの「再発見者であり、伝達者」ともいえる金子みすゞ記念館館長・矢崎節夫氏が会場に来ておられ、神田京子のリクエストに応え、矢崎館長自らの朗読によって金子みすゞの詩がひとつ披露された。

「蜂と神様」

蜂はお花の中に

お花はお庭の中に

お庭は土塀の中に

土塀は町の中に

町は世界の中に

世界は神様の中に

そうして、そうして

神様は小っちゃな蜂の中に

◆バチカンで

会場では披露されなかったが、この詩にはあるエピソードがある。

バチカンにて。

金子みすゞの「蜂と神様」をご覧になったローマ法王は涙を流されたという。

「我々何万人の神父によっても、これだけわかりやすく、明快に(説法を)伝えられない」と。

(学23期kz)

三高商新年交流会

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2024年 1月トピックス】

1月19日、鳳陽会・瓊林会(長崎大)・緑丘会(小樽商大)の三高商の役員らが集い、新年交流会を開催した。

鳳陽会からは松永理事長も参加して頂いた。

会場は小樽商大の同窓会・後援会事務局がある池袋・サンシャイン60の緑丘会館。

◆ショートスピーチ

乾杯し、懇談が進み、会が和やかになったところで、ひとりづつ自己紹介のショートスピーチ。

北海道、本州、九州で学び、社会人になって東京で働いたみなさんだ。

スピーチでは他校との関りも披露された。

鳳陽会の参加者も会社の上司、同僚、取引先に長崎大や小樽商大の方がおられたというエピソードが紹介され、また鳳陽会40期のY氏は長崎大のⅯ事務局長と宮崎にある高校の同窓ということであった。

同窓会活動を始めるに至ったエピソードなども混じった。

◆学び合い

この三高商は関東に母校がある同窓会とは異なり、母校は遠い。

同窓会運営で同じような悩みや課題も共通するものが多い。

本部と支部との関係や会費の集め方。本部と支局での支援の在り方。

若者の加入、高齢化に伴う会費収入減などの問題はどこの同窓会組織でも共通だ。

こうし三高商が意見交換し、他校のやり方を学び合うことは大いに参考になる。

◆校歌/寮歌、記念撮影

会もお開きになろうとするところで各校校歌・寮歌を披露し合った。

お開きの際には集合写真撮影。

会場となった小樽商大の同窓会事務所はサンシャイン60の57階にあり、眺望が良いところだ。

眼下には東京の街並みが小さく見える。

この日は晴れ。

西の方には、富士山の奥に隠れゆく朱い夕日を拝むことができた。

事務局記

追記

富士山の頂上に太陽がみえる「ダイヤモンド富士」。

サンシャイン60の60階・展望台から1月25日(木)から29日(月)までを観ることができ、体験料は6千円と宣伝されている。安くはない。

緑丘会館では屋内からダイヤモンド富士を観ることができる。

有料・格安で案内できるということであった。

品川神社を訪ねる

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2024年 1月トピックス】

昨年の晩秋、長州歴史ウォークで訪れたスポットの一つに品川神社がある。

日本橋から京都までの東海道五十三次。

品川はもっとも江戸城に近い宿場町だ。

多くの人が行き交うところで、江戸を発ち、また江戸に入る大名行列も品川神社に立ち寄り、参拝した各地の藩主も多かったはずだ。

徳川家康もその一人。

天正18年(1590年)家康は秀吉の命で江戸城に居を移した。

慶長3年(1598年)に秀吉が薨去すると、次の天下人を決める戦いが始まる。関ケ原の合戦だ。

家康は慶長5年(1600年)9月1日に関ヶ原を目指して江戸を西進する。総勢3万2700名。

家康の行程をみると、1日目は神奈川のいずこか、2日目に藤沢、3日に小田原、4日目に三島に着いたとされる。

家康は品川神社に戦勝祈念に訪れたが、その行程からみると、当日の昼時に品川神社に参拝したのだろう。

品川神社の鳥居は双龍の鳥居となっている。

正面に向かって左が上り龍、右が下り龍。

また拝殿に向かい石段を上るが、かなりの傾斜だ。

宇部出身・庵野監督作品のシン・ゴジラ。

映画の中ではゴジラが品川一帯の建物を壊しながら闊歩する姿を、住民や通行人が、眺望がきく石段の「観客席」から不安げに眺めるシーンが出てくるが、この石段が品川神社の石段だ。

階段を上り切る途中、左手に富士塚の入り口がある。

富士信仰の集団「富士講」の人たちで実際に富士登山できない人々が富士山を拝めるような遥拝(ようはい)場として、築山が作られているが、ここを登り、「富士山」の頂上に登れば、海がいい角度で眺望できたのだろう。

家康は合戦の後、戦勝の御礼にお面と神輿を奉納する。

「天下一嘗(ひとなめ)の面」と「葵神輿」だ。

この面と神輿は拝殿の脇に展示されている。

◆板垣退助の墓

板垣退助の墓が社殿の裏側にある。

この品川神社を通らないと行けないところにある。

ここは東海寺の塔頭・高源院の境内だったが、関東大震災後寺だけが世田谷に移転し、墓だけがここに残ったという。

ここには「板垣死すとも自由は死せず」と記した石碑があり、熊毛郡田布施町出身の佐藤栄作が揮毫している。

品川神社の隠れた名所だ。

(学23期kz)

山口大学時代から110回目の献血ー鳳陽会岡山支部からの投稿

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2024年 1月トピックス

能登半島地震の報道に接し、被災地の厳しい状況に思いを致し、心よりお見舞い申し上げます。命のありがたさを改めて感じ入ります。

 私は約40年前、山口大学経済学部に入学しました。教養部時代、友人に誘われて何気なく、献血を始めました。以来、献血を続けています。

 2024年の新年早々、人間ドックに行った後、献血に行きました。

101回目(のプロポーズ)を過ぎ、108(の煩悩)を超え、110回目の献血となりました。

 80回を超えたとき、「100回に挑戦してみよう」と思いました。そして100回を超えたとき、赤十字の看護師さんから「次は120回を」と声をかけてもらいました。その声に先達され、導かれています。

 人間ドックで採血を担当した看護師も感慨深げにこういいました。

 「あなたの献血で救われている命が数々、あるかも・・・。そして、あったかもしれませんね」

 今までは小沢昭一さんのように「明日は明日の心だぁ~」って生き方に近かった私ですが、微力ながら献血を継続していこうと決意しました。献血は70歳の朝飯を食べるまでできます。健康状態や副用薬で制限を受けない限りできるのです。

 今回、献血を終えた後、顔なじみになった看護師さんが笑顔でいいました。

「また、来てね」

 私は健康管理の一環として朝の散歩をやっています。

今日もまた、力強く、一歩を踏み出します。

 (鳳陽会岡山支部 B)

「山口市が脚光!」に思う

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2024年 1月トピックス】  

先日複数の知人から同時に、山口市が「2024年に行くべき52か所」の3番目に選ばれたとの報せがあった。

ニューヨークタイムズが独自の調査でランキングを付けたという。

世界有数の大新聞が山口市を3位に選んでくれたことは、大変ありがたい。宣伝効果は相当大きいのだろう。

嬉しく、名誉なことには違いないが、「何でまた」、というのが正直なところだ。

調べてみると、ニューヨークタイムズに推薦記事を書いたのは鎌倉在住の作家のクレイグ・ラモ氏。前年は盛岡市の推薦文を書いており、盛岡はロンドンに次ぐ2位に選ばれている。

彼が好むのは、東京や京都、奈良などの有名どころではなく、外国人に知られておらず、混雑していない、日本文化が色濃く残っているひっそりとした街だ。

都会でもなく、かといって過疎化が進んでいるわけでもない、歴史を有する小ぶりな町。

昨年彼が選んだ盛岡の人口は29万、今年は19万の山口だ。

日本人で、「萩には行った」、「下関には行った」という人も、山口市に行ったことがある人はそう多くはないのではないか。

我々鳳陽会の同窓生は十分馴染みのあるところだが。

◆挙げられた山口のスポット

山口が選ばれた要因として、山口の看板である「西の京都」、この触れ込みが効いている感がある。

具体的なスポットでいえば、

・瑠璃光寺五重塔・・・国宝、日本3名塔の一つで、姿が美しい。

・祇園祀り・・・これは八坂神社の7月の祭りで、600年の伝統があり鷺の舞が奉納される。

・湯田温泉・・・街中にある我々同窓生には馴染みの温泉。

また、大内文化、明治維新の跡もあるレトロな街並み。

そこにある古くからの店。そこもいいだろう。

◆残念なことに・・・

瑠璃光寺五重塔は、現在屋根の葺き替え工事中で、作業予定は令和8年3月まで続くようだ。

湯田温泉も店を閉めたところも多い。

ひっそりとした街ではあるが、これは空港からも遠いこと、新山口(旧小郡)からも遠い。

◆それなら・・・これを奇貨として

しかし、世界の大新聞がせっかく選んでくれたのだ。これを奇貨として山口を世界に宣伝すべきじゃないか。

・明治維新の策源地。

・日本の近代化をリードした偉人を多く輩出した地方都市。

・歴代総理を多く輩出した県。戦後も含めると、東京14人に次いで山口が8人、3番目が盛岡の岩手で4人だ。

また、瑠璃光寺が檜皮葺屋根の全面葺き替え工事で改修中なら、見本が世界に誇る宮大工による檜皮葺屋根の改修作業を披露してやろうじゃないか。

湯田温泉も日本を味わうスポットとして日帰り客ではなく「宿泊客」を本格的に呼び込んだらどうか。

温泉宿では日本文化が凝縮された空間を味わうことができる。ここでゆったりと湯に浸かり、日本海、響灘、瀬戸内海という三方の海の幸を食し、日本で評判となっている一流銘柄の山口の地酒を味わい、床に就く。そしてまた、朝湯だ。

自分を取り戻す空間として価値があることをアピールしてみよう。

ただし、アクセスが悪いのは難点だ。

山口駅からは「山口市周遊観光バス」を格段に充実させる必要がある。乗り放題500円はありがたいが9月~11月の週末のみで8:30~16:00まで、1時間に一本とは、使い勝手がかなり悪い。

大幅に拡充すべきだろう。

また、新山口(旧小郡)からの山口線は単線で無人駅も多い。

しかし、国内でも世界でも大都市を除いて単線が多く、無人駅も増えている。

それならそれで、駅での対応はAIを組み込んだロボットを入れたらどうか。

無賃乗車する者については、AI を組み込んだ監視カメラでモニタリング。

無賃乗車は許さないことを示すこともできる。

各界から意見を聞いて、官民一体で取り組んでみよう。

こういうチャンスは滅多にやってこない。

大急ぎでやってみよう。

観光客から、ブーイングが起きる前に。

というよりも、

山口の活性化のモデルとして。

いや、過疎化しかかった地域再生のモデルともなるように、山口でやってみようじゃないか。

(学23期kz)