
写真提供 元ワンゲル部 Aさん(学26期)
Aさんの投稿は11月3日と5日に掲載されています。
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米谷雅之(こめたにまさゆき)・山口大学名誉教授(マーケティング論)が3日付の秋の叙勲で、瑞宝中綬章を受賞されましたのでお知らせします。
米谷(こめたに)名誉教授は1941年福岡生まれ。1964年山口大学経済学部卒(学12期)。2004年度まで山口大学教授を務められました。
山口大学経済学部同窓会 鳳陽会東京支部
【2022年11月トピックス】
【番外編】
夏合宿(北アルプス・南アルプス)
夕方6時就寝(まだ陽が高い)、早朝2時起床(満天の星空)、4時出発。これが夏合宿のサイクルです。一年生の「起床!」の声に飛び起き、ご飯を炊いての朝食、片付け、テント撤収、パッキング(リュックに荷詰め)を、懐中電灯の明かりだけを頼りに二時間でやるのは大変でした。最初もたもたしていた一年生も合宿後半には見違えるように早くなり、心なしか顔つきも引き締まってきたものです。ある合宿での寝ながらの会話。「下界じゃ俺たち今頃何やってたっけ?」「ん-、万両に並んでますね」
エピソード(魔の高野豆腐事件)
合宿初日、すき焼きを食べていた一年生が「今日は高野豆腐も入ってるんだ」と感激。リーダーと食料係(エッセン長)は「んー?そんなもの入れとらんぞ」。一年生が「でも、ほらー」と持ち上げたのは、たっぷりすき焼きの汁を吸った食器洗用スポンジでした。暗い中、懐中電灯だけで食事を作ると、ままこのようなことが起きました。
3秒ルール
山での食事はテーブルもないので、ご飯をひっくり返したり、食べ物を落としたりすることがよくありましたが、そんな時3秒以内に拾えば何もなかったことにする(自分で思い込む)ルール。その場合、周りの者は皆顔を背けて見ないようにするのがマナーとされた。社会人になった後も、床に落としたものを拾って食べようとする癖がなかなか抜けませんでした。
用語
ワンダーフォーゲルはドイツ発祥なので、食料をエッセン、女性部員をメッチェンと呼びます。そこから派生して、男の部員をオッチェンと呼んだりしました。また山に登る人達の隠語もよく使います。他大学のワンゲル出身者と話すと、使われていない言葉が多く、驚かされました。
【元ワンゲル部員A】
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【11月トピックス】
炎天下の登山道を一歩一歩喘ぎながら稜線をめざしてひたすら登る。合宿初日、荷物は食料など一番重たい状態で30キロは優に超えているだろう。山大ワンゲルは皆平等な重さの荷を担いで合宿に臨むが、体力の劣る下級生にとって苦しみは大きい。パーティーは一番体力の無い(その日調子の悪い)者のペースに合わせて進んでゆく。他の者はペースが遅いので少しゆとりも出るが、調子を崩した者にとっては、限界ぎりぎりの苦しみが続くことになる。皆誰が一番先に体調を崩すか、疑心暗鬼の中で探り合いを続ける。そして調子の悪そうな者が次第にはっきりしてくると、俺ではなかったと心からホッとする。だがそんな顔はおくびにも出さない。
サブリーダー(サブリー)はパーティーの先頭に立ち、後ろのペースに気を配りながら、ルートファインディングに忙しい。ちょっとした木の折れ具合、人工的な枝の切り口、小さな枝につけられたテープ、石にペンキで塗られた印など、決して見逃してはならない。国土地理院発行の5万分の1の地図とコンパスを時折取り出し、方向は合っているか、地形は合っているか、確認しながら進む。体力の無い下級生は疲れから頭を垂れがちだが、サブリーはそうはいかない。常に顔を上げて進む。体力的に強く余裕がないと務まらない。
パーティーリーダー(パーリー)は、パーティーの最後尾で皆の様子を見ながら進む。
道を間違えていないか、メンバーの体調はどうか、要はパーティーメンバー(パーメン)の安全と健康全てに責任を持つ。休憩の時に、調子の悪そうな者を指名してポリタンクの水を
出させる。皆で回し飲みして空っぽにすることで、荷物を軽くさせるためだ。これは夕食の食材を出させる時も一緒だ。気象状況により、明日行動するか沈(その場にとどまること)するかの判断もむつかしいし、天気の急変やメンバーのけがや病気など、アクシデントにどう対応するか的確な判断が求められる。責任が重く気の休まる時がない役割だ。
それだけに、無事に下山した時の嬉しさは半端ではない。リーダーは事故がなかったことにほっとするし、下級生は何とか山を歩き通せたことにほっとする。夏合宿では信州の松本近郊に集中地を設けていて、上級生やOBが待ち構える。すべてのパーティーが下山後に集まってくる。最終日はキャンプファイヤーで盛り上がる。だがまだ合宿中なので禁酒である。翌日合宿解散後、信州松本駅の構内では、酔っぱらってリュックサックを枕に寝込む部員が多数転がっていたものだ。まだカニ族も多いのんびりした時代だった。
【元ワンゲル部員A】
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【10月 トピックス】
DXの続き
◆学校教育の現場
高校まではパソコンを用いた授業に不慣れな先生が多く、黒板派が多いという。
人的な接触が回避されるコロナ禍では、教育の現場でパソコン需要が高まったが、そのパソコンを返却する例すらあるという。
先生方はパソコンのスキルを磨くような学び直しを余儀なくされ、授業の進め方や宿題の出し方も従来とは異なる。教材の作り直しが求められ、余分な時間がとられることになるからだ。
また、インターネット上では各地域、各学校の先進的な取り組み事例が取り上げられており、そうした事例は取組みに消極的な学校に身を置く先生方にとって、大きなプレッシャーになっている可能性がある。自分が受け持つ生徒や生徒の親にはあまり知られたくない話なのだ。
なぜか。
取り組みの遅れがあからさまになれば問題化するからだ。
また、大学にとってはインターネットで世界の有名教授の授業が無料で提供されているサイトがある。
こうした中で、安くない授業料を払う学生を、いかに学校に惹きつけることができるかが大学に問われている。
先生にとっては、自分の専門分野の教育や研究とは別に、パソコンスキル、デジタルスキル、パソコンを用いたリモート授業スキルなど、デジタル関係の新たなスキルを高めていく必要があるが、そのハードルは決して低いとはいえない。
◆行政の現場
(以下は行政に身を置いたことのある筆者の感想)
パソコンが導入された直後は、配布用に手書きの文書をパソコンに入力し直したものだ。
また、パソコンの活用によりペーパレス化も目指されたが、ほとんどの幹部はパソコンに不慣れであった。また庁舎内イントラネットで決済を行う「電子決済」も試みられたが、それには膨大な量の文章をパソコン上で読み込んで電子押印により決済する必要があるが、パソコン画面上では文書を読みこなす上で書類の一覧性に欠け、また目が疲れやすいため、決済に携わる担当官一人ひとりがプリントアウトすることになり、結局ペーパーレス化は進展しなかった。
また官庁の手元にあるビッグデータの活用はどうか。
官庁が握るデータの有効活用が大学や研究機関、マスコミなど各方面から期待されたが、官庁側では生(なま)データが特定の個人や地域が特定されないような形に「加工する」必要があることから、官庁側は出したがらない。
ITシステム導入についても、システムに精通している職員はほとんどおらず、システムの更新、改善、改革に関する入札についても、仕様書作りで相当苦労した。
官庁の中にはメーカーからの出向者をいただいて、その場を凌いでいるところが多く、業者によっては若い時から定年まで官庁内の一室でIT関連スタッフとして従事した例もある。
また、今回のコロナ禍では特別定額給付金や雇用調整助成金のオンライン申請で多くの不具合が生じたほか、各省庁のデータ連携不足などが白日の下に晒された。国の統一的な規格・基準がないものが多くみられるのだ。自治体は自治体で、それぞれこれまで付き合いのあったIT業者と個別に繋がってきた歴史がある。この結果、緊急事態に際し、国として地方自治体を含めた統一的な対応ができない。ここには「行き過ぎた地方自治」のマイナス面が出ている。
サイバー攻撃回避にも自治体ごとに対応する例が多く、このため同盟国と防衛外交や防衛の連携を組む際に支障が生じる恐れがあることは内外の識者から指摘されている。
◆企業の現場
先進的にDXに取り組んでいる大企業も出てきたように報じられている。しかし、その数は限られている。
企業でDXが進まない背景として中間管理職が反対しているという話がある。
その中間管理職層には、デジタル化など新しいことを避ける行動様式が見られるという。減点主義だからだ。成功してもさしたる加点は付かないが、失敗すれば、大きなマイナスが付く。
50代の中間管理職では危機感が薄く、アンケートでも不安は感じていないというが、もうすぐ退職で、逃げ切れると思っているからかもしれない。
色々な資料やデータを見ても、年々国際的なランキングが落ちている日本。
国際的なプレゼンスをもう一度回復するためではなく、むしろ日本がこれ以上ランキングを落とさないためにも、世界で標準化されつつあるDXに国を挙げて取り組む必要がある。
さもなければ日本丸は本当に沈没しかねない。
(学23期kz)
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【10月 トピックス】
◆DX
日本経済のパフォーマンスを左右し、賃金引き上げの決め手になるのが生産性の上昇だ。
パソコンを使ったIT化・デジタル化、これを用いてさらに大掛かりな改革を行うDX(デジタル・トランスフォーメーション)化が始まっている。
スイスのビジネススクールIMDがまとめる「世界デジタル競争力ランキング」2021年版で、日本の総合順位は64各国中28位とさえない順位となっている。
デジタル競争力とは、いまの世界であらゆる業務のインフラとなっており、国の行方を大きく左右する要素だ。
日本は、IT機器や半導体、また、スーパーコンユーターでも世界有数で、ついこの前まで「富岳」の計算速度は2位の米国製コンピュータの約3倍で世界一を維持していた。
また、国際学力調査PISAの数学の得点は毎年屈指の順位と付けていることは知られており、同ランキング結果でも「高等教育の教師と生徒の比率」(1位)「世界へのロボット供給」(2位)、「ワイヤレスブロードバンド利用者数」(2位)、「研究開発への支出」(5位)と高順位を付けている。
他方、驚くべきことに最下位・64位となった項目がある。「企業の機敏さ」と「国際経験」だ。
このほかにも、最下位に近い項目がある。「移民法」などの項目があるが、DXの関連項目でいえば、63位が「ビッグデータ解析の利用」。また、62位が「デジタルスキル」、「機会と脅威への対応」などだ。
◆宝の持ち腐れ
私自身が肌身で感じ、様々な業界に身を置く友人・知人の話、また各種報道機関によって報じられていることを総合勘案すると、ITの素材(ハード)は良いものが多いが、それを使う側がソフト面を含めて活用しきれていない、すなわち、強みが活かされていないということもできる。具体的なITインフラ、環境はある程度整っているが、組織の各階層・各人が目的意識を持ち、その目的遂行に向かってIT を活用し、IT を使い切ることができていないのではないか。
これまでも「情報化」、「デジタル化」、「ITの推進」が叫ばれてきたが、そのスローガンの下に実際行われてきたことは、IT機器納入業者に一任してパソコンを購入し、ソフトの更新を業者に一任するだけの時代が長かったように思う。
組織のトップから新入社員まで、パソコンを駆使して情報を共有し、調査・解析し、その結果を組織の目的達成のために活用ことができていないのではないか。
次稿では教育、行政、企業の現場で何が起きているかみることにする。
(学23期kz)
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【10月 トピックス】
日本が長期停滞からなかなか抜け出せない。
社会・経済を中心とする各種国際比較統計では日本のランキングが毎年少しずつ下がり続けている。
日本の変調については1990年代以降いろいろな言い方で日本の弱点が指摘されてきた。
・「直線走では最強だが、コーナーでは方向を見失う」
・問題の放置が続き、反応できなくなった「茹で蛙」
・温暖化の時代に過剰に適応して巨大化し、寒冷期という環境変化に対応できず絶滅した恐竜が引き合いに出される「過剰適応」
◆停滞ではなく没落か
日本が戸惑う間、かつての中進国や途上国の所得水準が伸び、日本は相対的にかつてのような裕福な国ではなくなり、諸外国の日本を見る目も変わってきている。
最近の雑誌には、「停滞する日本」ではなく、また「変調する日本」でもなく、「没落する日本」というタイトルで特集を組む経済誌も出てきた。
天変地異の多い日本。外国人が日本の家屋を形容する「木と紙でできた家」は災害が起きると壊れ、倒れ、流された。災害に弱い。
しかし、弱いからこそ立て直しが利いた。
不平を言わず黙々と建て直す日本人を世界は称賛するが、これはこれまで幾度と繰り返されてきたことであり、日本人として当たり前のことであった。
こうした中、20世紀に入り、日露戦争を勝利で終えた頃から日本は世界で輝き始め、先進国の良いところを取り入れた「アジア初の列強国」と称された。
戦後の高度成長を経て、当時学生だった昭和48年(1973年)に迎えたオイルショックの時も、政・労・使の協調により、オイルショックからどの国よりも早く脱却し、世界の称賛を浴びた。
世界の称賛はまだ続いた。バブル崩壊前の1980年代後半には円も強くなり、1989年には世界の時価総額ランキング10大企業のうち日本からはインフラ系公企業2社(通信、電力)、銀行が5行、景社がランクインしたときもあった。
その後バブルが崩壊し、30年デフレに突入する。
◆経済の好況・不況と制度構築
日本の経済が好調な時は新卒一括採用、終身雇用、年功序列、OJTがもてはやされ、その方向に諸制度が固められていく。
経済が一転し、バブル崩壊・デフレの時代を迎えると、「経済的弱者」である競争力を失った中小企業を守り、また不況産業の雇用を守るような政策が打たれる。
日本の家のように脆弱な建物ではなく、嵐が来ても大丈夫な堅固な石の建物が建てられた。
こうした建物が立つと嵐には強いが、世の中の変化や変化から取り残される。
◆ガラパゴス
タコつぼで居心地の良い日本。
タコつぼの中では環境の変化に敏感に対応する必要がない。
こうする間にITに弱いままの日本、女性が活躍できないままの日本、英語ができないままの日本、大学のランキングでも低位のままの日本になった。
IMD(国際経営研究所)が発表する世界の競争力ランキング。経済状況、政府の効率性、ビジネスの効率性、各種インフラ等300以上の指標を用いて評価する。
発表開始の1989年から92年まで1位であった。その後徐々に順位を落とし、2021年のランキングでは2021年版では調査対象64か国中、31位となっている。
日本については
・「ビジネスの効率性」や「研究開発力」の急低下が日本の弱点
・強みとされてきた研究開発力は経営層が急低下。潤沢な知識資本
も活用力に課題とされている。
◆新たな風はどこから
韓国のプロゴルフ界はスポンサーが少なく、ゴルフ場も、プレーヤーも少ないいわゆる「マーケットが小さい国」だ。
このため、プロは最初から世界を目指し、韓国の女子プロは、世界で活躍している。
韓国の芸能界でもそうだ。BTSや女性のユニットも世界で活躍し、日本は水をあけられている感がある。
ちょっと待て。
日本の若者が頑張っている。
松山がマスターズに勝ち、ハワイアンオープンも制した。渋野日向子も全英で勝ち、今年も残念ながらプレーオフに辿り着けなかったが、いい戦いをした。フィギュアスケートの羽生弓弦、スピードスケートの高木美帆、スキー・ジャンプの小林陵侑と高梨沙羅。スケートボードの堀米雄斗。最近では全米女子アマで馬場咲希が全米女子アマを制した。
将棋では藤井聡太がいる。
日本の若者の中で生じている地殻変動が、教育の在り方をはじめ、各界の旧い制度や慣行を変えていくことにつながっていくことを期待したい。
(学23期kz)
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【10月 トピックス】
薩長が重要ポストを占めた明治新政府。新政府の中では中枢にはいたがものの主流になれなかった肥前の大隈重信。
そうした立場で市民一人一人の私見、すなわち「輿論」に立脚した立憲政治を目指し、政府内の要職に就きながらも政府に対する批判精神を忘れなかったからこそ国民からの人気は高かったという。
大隈の功績は新橋-横浜間の鉄道敷設、新通貨「円」の導入と十進法の通貨単位制度、太陽暦の導入などだ。
昨年の大河ドラマ「青天を衝け」では大隈重信役を大倉孝二氏が好演していた。東京出身だが九州・佐賀弁も板についたもので、気分高揚したときに言葉に出る「・・・であ~る」もなかなかのもの。主役の渋沢栄一よりも大倉氏演じる大隈公を楽しみに観ていた。
◆国民葬
100年前に民衆政治家・大隈重信の国民葬がおこなわれている。国は主催せず葬儀の費用は国民が負担し、国は一部を負担する。明治の元勲として国葬ではなかった珍しい例だ。
葬儀は日比谷公園で行われたが数万の民衆が駆け付け、式が始まる10分前には警戒線を越えて雪崩れ込み、式が終わっても弔問者は途切れなかったという。
これに比べ直後に亡くなった山縣有朋は国葬であったが、参列者が少なかったという。
◆3つのクセ
骨董屋が策を講じて孫に紙と鉛筆を持たせ字を書かせようとしたが、大隈は炉の灰に字を書きすぐに灰を掛けたという。
その代わり外国の賓客を頻繁に自宅に招いたという。
髭は人を威圧するという。そういえば西郷隆盛髭を生やしていなかった数少ない偉人だ。
大隈はお国料理の「がめ煮(筑前煮)」が好物だったという。
新橋の佐賀出身の女将さんがやっている「伊万里ちゃんぽん」があり、そこでは「がめ煮」が食べられる。
虎ノ門から新橋に向かう外堀通りの裏手にあるこじんまりした店だ。そこには大隈重信の大きな写真が飾ってあり、佐賀県人が良く集っており、いつも繁盛している。
私は筑前煮が好物。その店に何度か足を運んだことはあるが、「がめ煮」にありついたことはない。
最近は「がめ煮」の作り置きをしておらず、事前予約が必要だという。
これもコロナのせいかもしれない。
(学23期kz)
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【10月 トピックス】
伊藤は明治の三傑に入っていないが、初代内閣総理大臣を務めた。
何が評価されて、初代総理になれたのか。
◆語学力
英語だ。語学力だ。
22歳の時に長州ファイブの一人として渡英。ロンドン大学に留学するも、四国連合艦隊の長州攻撃計画を知り急遽帰国したため、滞在期間はわずか半年となった。
それでも英国滞在中、伊藤は評判を高める。社交的な性格の伊藤は他の日本人と異なり堂々と英語を話すため、外国人の間で評判になったからだ。
また、伊藤は新政府に招集されなかったが、「神戸事件」備中藩兵が外国人水兵を負傷させた新政府初の外交事件を双方に働きかけて決着させたことが評価され、それを契機に出世の道が開けた。
伊藤は英語もさることながら、吉田松陰から、「周旋屋」としての才能を評価されており、交渉能力に長けていた。
初代内閣総理大臣を選ぶ際、同郷の井上馨は「英語ができる者」が良いとし、しかも憲法策定や内閣制度創設に当たっては交渉が重要になるため交渉能力に秀でた者を登用すべきとしており、その意見を踏まえて伊藤が総理に抜擢されたという経緯がある。
昨今では、閣僚や重要な政府関係機関のトップを選ぶ際も、これまでの保守的な人事の慣例、前例踏襲から外れていても、「英語ができる者」、国際的な舞台で渡り合うことの重要度が高まっており、語学力を重視した抜擢人事がみられるようになった。
◆伊藤公 こぼれ話
伊藤公が「唯一の趣味」と公言した、扱いにくい趣味は横に置くとして、公は多忙であったが、乗馬が好きだったようだ。当時は登庁するときに用いるのが馬。
1866年(慶応2年)には外国人用の根岸競馬場ができていたが、1880年から日本人も洋式競馬に参加、伊藤公も競走馬を有していたという。
また、公は酒を大いに好んだらしい。しかし酒に飲まれることは一度もなかったという。
もう一つの趣味が刀剣である。
この趣味は、晩年にあたる明治40年以降に高じたという。
梅子夫人が刀を嫌うため、夜更けに煌々たる電燈の下に大太刀を払い、静かに焼き、その匂いを点検して、太刀造りの巧拙、切れ味をみて、太刀が作られた当時の存亡興廃の様子をふり返っていたという。
護身用として旅行にも2~3振を携えていたという話が残っている。
伊藤公はハルピンで安重根の凶弾に倒れることになるが、太刀は飛び道具の前に、その持てる力を発揮することもなく、明治42年(1909年)に国葬となった。
伊藤公の命日10月26日には、西大井(品川区)の墓所に公の出身地の神社から宮司を招き、防長倶楽部主催で墓前祭が行われている。今年は水曜日にあたる。
西大井は伊藤公が「故郷の束荷(つかり)に似ている」として、晩年に別邸を建てたところである。
束荷とは熊毛郡束荷村のことで、現在の光市にあたる。
(学23期kz)
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明治期に官立のビジネスエリート養成機関として、東京、神戸に次いで設立された設立された山口高商、長崎高商、小樽高商。
10月中旬にこの3校が揃って顔を合わせ、意見交換を行った。
集ったのは鳳陽会、瓊林会(長崎大・経)、緑丘会(小樽商大)の同窓会幹事メンバー。
各組織の間で法人格の違いはあるものの、抱える問題意識や悩みは共通しており、同窓会運営の在り方、会の活性化、若手の取り込み、東京と地元との役割分担の在り方など、お互いの事例を紹介しながら意見を交わし、話は途切れることがなかった。
会場は池袋・サンシャイン60の57階にある緑丘会の活動拠点となっている緑丘会館。
富士山も望める開放的なスペースで、同大ではOBの交流はもとより、新入社員歓迎会、社会人・学生とOBとの交流、若い社会人の研修にも使っているという。
これまではお互いの存在を意識しながらも交流はほとんどなく、遠い存在であった3校だが、お互い東京に拠点があったからこそ都心の一角で容易に集うことができた。これぞ東京集積のメリットだ。
今回の会合を契機に、今後とも交流を保ちながら意見を交わし、徐々に他校とも交流の輪を広げていこうということになった。
(鳳陽会東京支部事務局)