山口県内の蔵元の日本酒を応援したい

山口大学経済学部同窓会 鳳陽会東京支部

【10月トピックス】

10月1日は全国的に「日本酒の日」で、山口県萩市の八千代酒造の五代目杜氏の蒲 久美子さんが上京され、新宿地域を盛り上げたいと大江戸線牛込神楽坂駅近くの「Heads up tokyo!」でコラボ企画をされているということで、急遽、駆けつけました。

日頃は大の甘党で日本酒は年末年始以外あまり口にしませんが、料理に舌鼓を打ち、日本酒が進み、ほろ酔い加減で帰途に就きました。
(滞在時間1時間20分)

私の父は広島・西条の賀茂鶴や亀齢を愛飲していましたが、山口県内が蔵元の日本酒をこれからも応援したいです。
これまで、獺祭、若い時は岩国出身の友人がいて五橋を好んで飲みました。
プーチン大統領が絶賛し、有名になった萩の澄川酒造場の東洋美人も数年前に一度飲みました。💦
会員の皆様はどんな銘柄を好まれていますか?

写真4枚目は以前撮った獺祭の旭酒造の櫻井博志会長とのツーショットです。

(学22期 Y・Y)

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「準硬」式野球部の思い出

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【10月 トピックス】

(昭和50年代半ば頃のおはなし) 

中学では下校部、高校ではボート部と全く野球部の経験はなかったが、早弁後の昼休みにはいつも硬式テニスボールでクラスの野郎たちと草野球を楽しんでいた。

S53年に入学。大学では正式に部活動としてやってみたいと思ったが、硬式は敷居が高いと思い、比較的ラクそうな練習風景を見て、自ら申し出て準硬式野球部、いわゆる「準硬」に入部した。 

ところで、「準硬」とは? 

ボールに特徴があり、硬球の芯(糸巻コルク)を軟球のゴムで覆ったものを使用(いわゆるトップボール)。それ以外のバット、野球用具、ルール、グラウンドはすべて硬式と同じため「準」硬式野球というのである。 

ボールの重さは硬球と同じで顔面に当たれば陥没骨折をする(実際に1つ上の先輩が被災)。バットは金属バットを使用。きちんと当たれば“カキーン”という心地よい音が響き、変に当たれば“ボコッ”といい、ねずみ花火のように不規則な動きをし、野手泣かせの打球となるのである。

ちなみに、この準硬式野球部というのは基本的に大学野球にしかないのである。

 練習は「硬式」野球部と交互で吉田キャンパスの野球場を使用するので週2日はラグビー場の端っこで、バント練習、スライディング、ゴロのキャッチング等の基礎固めの練習を行う。野球場ではキャッチボール、トスバッティング練習、守備練習、たまに紅白戦と、日々、野球は楽しいなあと感じることができるような準硬生活を送った。 

公式試合は、春と秋の中国地区リーグ戦(岡山県真庭郡久世町の野球場)、夏の中国五大学等があるが、メインのリーグ戦は2部生活が長く、入部した年はなかなか勝利を手にすることができないようなレベルであった。

しかし、我々を含め1年先輩、1年後輩が多く入部し、和気あいあいの中、基本的な練習を積み重ねていく中で目に見えて強くなっていった。

2年時の秋に1部に昇格し、3年時の春の1部リーグ戦で優勝することができ、念願の第32回全日本大学準硬式野球大会に出場の切符を掴んだのであった。 (昭和55年8月5日~9日 香川県高松市にて開催)

あれから40年以上経過したが、当時のメンバーとは定期的に会って酒を酌み交わしている。上下の関係も和やかで、野球が楽しいと思える環境の中で全国大会の切符を掴めた「準硬」に入部して本当に良かったと思っている。

(学30期 yW)

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安芸毛利家のルーツ・厚木  

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【10月トピックス】

厚木で安芸毛利家のルーツを学ぶセミナーが開かれた。
厚木といえば連合国軍司令官マッカーサーが降り立ったところとして有名である。
しかし厚木が安芸毛利家のルーツであることを知る市民は一割程度しかいないそうだ。

セミナーの狙いとしては、安芸毛利家の祖となった鎌倉殿の側近・大江広元に注目することで、厚木の町おこしを考えたようだ。
大江広元は、大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の中で現在活躍中で、セミナーを開催する良いタイミングと考えたのだろう。

毛利元就の三本の矢の話は15世紀の話だが、セミナーでの話は元就から200年以上前に遡り、12~13世紀頃の話だ。

説明者の学芸員の方は平治物語、吾妻鏡などの史料を根拠に毛利のルーツに迫っていく。

大江広元は京下りの官人であり、鎌倉の御家人である。鎌倉殿にもっぱら文官として仕えることで、見返りの御恩として8か所の地頭を務めるに至り、その一つとして相模国のほぼ中央にあたる「毛利の庄」を拝領した。

大江広元は77歳で病で没するが、その際、毛利の庄は広元の四男・季光(すえみつ)が受け継ぐ。

さらにその後は季光の四男・経光(つねみつ)の一族が受けつぎ、安芸毛利家と越後毛利家になり、時が下る。

◆山口とのつながり

司会を務めた藤井氏は厚木在住で山口出身。山口七夕会のメンバーであり、山口ファンクラブのメンバーでもある。また会場にはセミナーの支援者として、厚木市山口県人会会長もお見えになっていたほか、このセミナーを紹介して頂いた鳳陽会東京支部のY・Y先輩も同席された。

セミナー主催者側では、この先、防府の毛利博物館所蔵の歴史的文化財や史料を借り受け、厚木の地で毛利コレクションを展示したいとのことであった。

会は盛況で、当初30名の予定が50名に定員を増やしたが、席はすべて埋まったようだ。

こうしたルーツを辿る催しが地域と地域の市民をつなぎ、両者の交流を深める良い契機となればおもしろい。

 (学23期kz)

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使徒サビエル②

Francisco de Xavier

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【10月 トピックス】

◆山口での布教

サビエルは日本に滞在したのは2年半。その間3たび山口に入っている。

山口を拠点に隆盛を誇っていた大名で、文化に理解のある大内義隆公に謁見するもすぐには許しが出なかったからだ。

義隆からの布教の許可が出たのは1551年(天文20年)4月。三度目の山口訪問の際であった。

義隆公に望遠鏡、洋琴、置時計、ギヤマンの水差しなど献上品を持参して謁見、またこの時「眼鏡」も献上しており、これが日本に初めてもたらされた眼鏡とされる。

山口はサビエルに「日本におけるカトリック教の拠点となるにふさわしい町」と映ったようで、山口をとても気に入ったようだ。

実際山口での布教活動は順調に行ったようで、記録には半年間で500人以上の信者を得たとされる。

◆豊後(大分)へ渡る

サビエルはパトロンのポルトガル国王から東洋との貿易促進の命をも受けていた。

大内義隆公のポルトガル貿易への関心について、サビエルは「大内文化は爛熟し繁栄したが進取の気が漲ってはいなかった」としている。

大内氏は対明貿易における独占的な地位をようやく手に入れた直後であり、鉄砲という武器を含むポルトガルとのいわゆる「新規」貿易には興味を示さず、サビエルには大内氏が保守的と映ったようだ。

その点豊後(大分)の大友宗麟公は違っていた。

 

◆サビエル、大友氏のもとへ

宗麟公はそのとき、肥後や筑後を平定し、本州への進出の野望を持っていた。それには鉄砲が要る。またそのためにはポルトガルとの交易を、さらにそのためには宣教師との交流を、とサビエルに近づく。

サビエルは1551年8月に大友宗麟公から招聘を受け、山口での布教をトーレス神父、フェルナンデス修道士に任せ、豊後に渡る。この時は陶晴賢(すえはるかた)が大内義隆を討つ1週間前に当たり、サビエルは山口で起きた家臣の謀反を知ることがなかった。

その後、サビエルは日本全土での布教のためには日本が手本としている中国での宣教が必要であるとし、豊後を出てアジアの拠点であるインドのゴア経由で中国に渡る。しかし1年後の1552年12月3日に広東州沖合の上川島(じょうせんとう)で病没した。46歳であった。

その年の暮れに、山口では日本初のクリスマスが行われたが、これはサビエルが去った後の残されたトーレス神父とフェルナンデスによってとり行われたもので、明かりの飾りつけや菓子の振る舞いなどはなく、神「デウス」を賛美し、夜を徹して語り明かす質素なミサであったとされる。

 ◆銘菓サビエル

現在では「ザビエル」の呼び方が一般的となっているが、スペイン語の表記はXavierで、当時スペインの地元の発音は「シャビエル」に近いとされ、山口では「サビエル記念聖堂」と呼ばれており、濁音にはなっていない。小野田にあるミッション系の私立高校の名称も「サビエル高校」となっている。もちろん、山口土産の菓子も「サビエル塔」と濁らない。

一方、大友宗麟がいた大分にもサビエルの名を冠した土産がある。洋菓子の名は「ざびえる」。製造元は「ざびえる本舗」となっている。

私事になるが、地元・熊本でも老舗の和菓子専門店が「ザビエルの誉」という洋菓子を古くから販売している。バターの風味が香る上品な味で値段も他の土産菓子よりワンランク高く、高級菓子として地元でも有名だ。帰省した折には土産として「ザビエルの誉」を奮発し、旅行バックに詰めて帰京したことが何度かあった。

(学23期kz)

 サビエル塔(山口)

  ザビエルの誉(熊本)

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アネクドート

アネクドート、それはロシア語で政治的小話という意味で、長い寒い冬にはロシア人が暖炉を囲み、好むようだ。

ゴルバチョフ氏が先日他界した。ペレストロイカを旗揚げした頃、私はモスクワに頻繁に通わねばならなかった。その頃、現地で聞いたアネクドート:

米国のレーガン大統領の側近には100人のSPがいるが、その内のひとりは、KGBからの回し者と言われている。しかしそれが誰なのか、レーガンは知らない。

フランスのミッテラン大統領は愛人が100人いると言われている。その内のひとりはエイズに感染しているが、ミッテランはそれが誰だか知らない。

ゴルバチョフは100人の経済学者を持っていると言われている。その内のひとりだけがペレストライカを実際に進めることができると言われているが、ゴルバチョフはそれが誰だか知らない。

読売新聞によると、このアネクドートはゴルバチョフ氏本人が言ったものと記載していたが、それが事実だと面白いが、正誤は不明。

学23期  倉田一平(ペンネーム)

映画「夜明けまでバス停で」

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【10月 トピックス】

事件の涙 渋谷バス停女性ホームレスの死▽自らを重ねた女性たち
(NHK2001年5月1日夜10時40分~11時10分放送)

普段は大相撲中継以外は殆どテレビを観ないのですが、知り合いから亡くなられた大林三佐子さんという女性が広島出身と聞いて視聴しました。 

64歳の一昨年11月に亡くなられましたが、私より5歳年下で、上京される前の20代は故郷の広島で劇団員で結婚式の司会等の仕事もされていたとか。
私も社会人となり、広島勤務となった20代~30代始めは演劇鑑賞のサークルに入り、広島市公会堂で文学座、民藝、俳優座等の新劇を100公演以上観劇しましたので、恐らく同じ空間にいたのだろうと思います。

自らを重ねた女性たちとありますが、男性の私も同じです。
彼女を偲び追悼のデモに参加することも大切かもしれませんが、ただそれだけでは先に進まないと思いました。
自分のこれからにどう生かしていくかです。
自らの生を守る為にどうやって具体的に食いつないで行くかです。
彼女は大都会で、生活保護も受けず、亡くなった時は8円の所持金だったとか。
ボランティアで見守りをし、迷惑と感じた近くの家業を継いだ40代の酒屋の男に排除され、抹殺されてしまった。
コロナで試食販売員としての仕事も失いました。
過去のプライドもあり、他人に頼ることもなく自らの力で立ち直りたかったのだろうと思います。

広島勤務時代の友人にホームレスの広島太郎さんがいますが、何年か前に彼は広島市だったか、用意された宿泊施設に入るように薦められても拒否したそうです。
彼の場合は特殊な例かと思いますが、路上生活をしていても何とか生活していける術?を持っているので、管理されることを潔しとしないのだと思います。

明日から大都会で自分は具体的に何をするかが問われた番組でした。

今回、高橋伴明監督、板谷由夏主演で「夜明けまでバス停で」と題して映画化され、10月8日~順次全国で公開されることになりました。
私も時間を見つけて足を運びたい。

(学22期 Y・Y)

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常盤会セミナーに参加して

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【10月トピックス】

山口大学工学部卒業生・学生を対象に、港区の会議用ホールで開催された常盤会セミナー(2022/10/8)に参加した。

タイトル:「持続可能な社会を目指した脱炭素エネルギーへの展開」

講師:松永烈(いさお)氏(山大工学部・院・資源・昭和51年修了)

   産業技術総合研究所 地質資源環境 名誉リサーチャー

◆プレゼンテーション

地球温暖化を回避するため二酸化炭素の排出をゼロ/マイナスにする取り組みが急速に進んでいる。

地球温暖化は1970年代に深刻な問題として科学者の間でも注目され始め、1980年代に世界会議が開催され国際的な取り組みが始まる。

1992年には気候変動枠組み条約が結ばれ、リオの地球サミットで署名が開始された。

また1997年には先進6か国のみで、温室効果ガスの削減目標と目標達成期間に関する条約が締結されたが、これが発効するまでには紆余曲折があり、発効したのは8年後の2005年であった。

2015年には途上国も含めたパリ協定が採択され、翌2016年に発効している。

これまでも、人間が出した二酸化炭素が温暖化の原因になったか否かについて、学者間、また利害関係者間で、また学者間で、議論になってきた。

当初は二酸化炭素が温暖化の原因である可能性が「高い」から、「非常に高い」となり、さらに「極めて高い」と認識され、2021年に出されたIPPC(国連・気候変動に関する政府間パネル)第6次報告では、「疑う余地がない」とされた。

温暖化に伴い、異常気象が発生する確率が高まっており、温暖化回避への取り組みが急務となっている。対策としては太陽光、風力、バイオ燃料などへの転換、循環型経済への置き換えなど本腰を入れたグリーン成長戦略が策定されている。

これまで各種の取り決めが着実に実施されたとは言い難い。このままではダメだという意識は醸成されているが、効果的な取り組みがなされているとは言えないようだ。

◆質疑

質問と講師の見解は以下のとおり。

※原発の活用:原発の利用については安全管理が難しい。安易な稼働については疑問があるが、太陽光や風力発電などの再生エネルギーは信頼度が低く、ベースのエネルギー源にはなっておらず、原発の稼働は仕方のない選択かもしれない。

※CCS(二酸化炭素の地中封じこめ);どこに封じ込めるか。国外に封じ込める場合、どこかの国がスペースを提供してくれば良いのだが、期待できない。

米国ではシェールガス採掘跡のスペースを活用する案も出ているようだ

日本国内では、埋め込む地域の環境アセスメントをなかなかクリアーできず、実施は難しいのではないか。

最後に会場の参加者から、

・政府の取り組みとして、資源エネルギー「庁」を資源エネルギー「省」に格上げし、強力な取り組みを目指すべし。

・企業の経営者も中途半端な対応ではなく、危機意識を高め、断固たる決意で地球温暖化に対処すべき

との意見が出され、会場から拍手が起きた。

◆名刺交換

セミナーの司会役は常磐会の幹事をされているK氏であり、私もK氏の案内でこのセミナーに参加を申し込んだ。

K氏は昭和50年山大・工卒とのことで、私と卒業年次は同じで同期なる。メールでのやりとりをしていたものの、この日が初対面であった。

K氏の名刺を拝見したところ、数年前ノーベル賞受賞者を出した理工系の著名な大学であるT大・名誉教授 理学博士とあった。

卒業後、専門の分野で相当なご活躍をされたのだろう。

(学23期kz)

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35年ぶりのトップガン

前作から35年、トムクルーズ扮するマーベリックが帰ってきた。前作の封切りは、1987年私は20歳大学3年生、世の中は、バブルが始まる頃。
多くの学生がそうだった様に、当時付き合っていた彼女と鑑賞。その頃の山口の映画館はスカラ座と金龍館?(先日どなたかが山口の映画館の話をポストされていましたね)しかなく、そのどちらもドルビー音響対応ではなかったので、徳山までドライブして観に行ったと記憶しています。(その徳山も今はシャッター街)

1987年といえば、まだ冷戦最中、翌年に行われるソウルオリンピックを前にテロが横行していました。前作では、旧ソ連のミグ戦闘機と当時のアメリカの最新鋭戦闘機F14との交戦を想定し、その操縦技術に優れた精鋭が集められ、トップガンの名誉を争う物語。シナリオ的にはその数年前にヒットした愛と青春の旅立ち(オリジナルタイトルOfficer and Gentlemen)とほぼ一緒でした。

さて今回の最新作、仮想敵国の核保有施設を攻撃するのがミッション
(ネタバレするとまずいのでこれ以上はストーリーには触れず)。
IMAX シアターでみる最新作は映像、音響も35年前とは比べものにならないくらいの迫力。
還暦間近とは思えないトムクルーズがあまりにも、カッコよすぎました。満員の客席の大半は私と同世代(バブル世代)。当時と変わらぬトムクルーズに涙していました。

この35年の間、東西冷戦は終わり、誰もがもう大きな戦争は起きないと安堵したはずでしたが、未だロシアのウクラナ侵攻に代表される戦争の悲劇は耐える事がなく、悲しみの連鎖は止まりません。
映画はハリウッド映画お決まりのハッピーエンドで終わりますが、35年前の爽快感を感じなかったのは、理不尽と権威主義が闊歩する世の中のせいか? 20歳当時の純粋な心でストーリーを観れなくなったためか?
それとも隣にドキドキする💕当時のガールフレンドがいなかったからか?は定かではありません笑
(大学37期 上野啓)

My made 竪小路2022〜まちなみアートのご案内

〜まちなみアートのご案内

山口市の古い街並みが続く「竪小路」界隈は大内時代からの雰囲気を残し、明治維新の頃の名残りも感じさせる歴史的にも貴重な地域です。それよりも何よりも私達山口大学OBにとっては青春時代を過ごした想い出深い一帯で、数々の記憶がどんどん甦ってきます。一昨年から「この地域を見直し大切に次代に引き継ごう!」とOB数名と現地のNPOの方々、そして行政職員が集まり『my made』(=自分たちの手で自分たちの住む町を温かく彩りたい)をコンセプトに『まちなみアート』と銘打ったイベントを開催しました。イベントに合わせて「竪小路お香」や「軒先のれん 竪」等も商品開発して来ました。現地の住民の方々とも少しずつ仲良くなって、今年も継続してゆきたいイベントと位置づけています。

日程は2022年11月4日(金)〜6日(日)の3日間です。

『竪小路音楽祭』(八坂神社隣り・旧菜香亭跡地の公園)『生け花アート』(竪小路あちらこちら)そして「加藤照」さんの絵画展示(商店街〜竪小路)等を中心として、近隣の「大路ロビー」主催の『きものde おさんぽ』や「菜香亭」主催の『アートde おもてなし』とも連携して、のんびりとした心地よい催事を開催したいと考えました。

しかしながら3年目ともなると行政の助成金も期待出来ず、ならばと山口大学OBとりわけ経済学部のOBによる募金活動を期待しつつ実施を決行致します。(山口大学OBにはこだわりません)是非とも募金のご協力と同時にこの期間に『竪小路』にお越し頂き街並みの変化、同級生との再会等々をお楽しみ頂ければ幸いです。こんご「菜香亭で同窓会」や「平川キャンパスウォーク」等の企画も考案してみたいと考えます。(平川キャンパスも随分と変貌しています)「募金」もさる事ですが多くの皆様のお名前をパンフレットに掲載する事で縁遠くなっていた同級生の名前を発見する良い機会かと考えます。  ご協力お願い致します。

〖募金方法〗*郵便局よりお振込みをお願いします。

  @口座番号:01500-9-25730

    @加入者名:ラグタイム

  • 一口:5000円〜
  • プログラムにお名前を記載させて頂きます。
  • 一口の方は「山大特製ボールペン」
  • 2口の方は「竪小路お香」
  • 3口以上の方は「お香」+「山大特製扇子」

〖まちなみアート その先へ実行委員会〗

  会 長:香原詩彦(ラグタイム代表取締役・1971年入学)

  副会長:渋谷 龍(演出プロデューサー・1972年入学)

  会 員:塩塚 保(鳳陽会東京支部長・1970年入学)

      大島 脩(セントラル広告社長・1976年入学)

      武藤辰喜(ピクニック社長・1972年入学*人文学部)

      森重雅子(主婦・デザイナー)

      金増悦子(NPO法人平成DADA理事)

      内山栄子(YVE GROUPゼネラルマネージャー*近江屋)

  監 事:岡村万里雄:(山口市役所勤務)

 協力団体:大内文化街道まちなみ協議会

      山口ふるさと伝承総合センター

      大殿春秋会

      おおどのコミュニティ協議会

      NPO法人平成DADA

<事務局>

 〒753-0055  山口市今井町4-22スカイビル1F  (有)ラグタイム内

 ☎083-925-6843  FAX.083-925-6851  e-mall;machinami@basil.ocn.ne.jp

流離の岸

(1956年日活映画)

愛情に裏切られつつも、宿命に生き抜く女の姿を描いた広島出身の太田洋子の原作。

脚色、監督は新藤兼人。

千穂役の若い北原三枝の熱演に圧倒される。

千穂の級友の聖子から兄の竜吉(三國連太郎)を紹介され、彼の愛情を受け入れ、新居を構えるが、竜吉に妻子がいることを知る…。

子役の三木てるみが、可愛い。

私が小学校1年の時の映画です。

学生時代を過ごした山口市がロケ地となっており、山口県庁やザビエル聖堂をバックにした山口大学教育学部の体育館や螢で有名な後河原地区、一の坂川が出て来て懐かしい。

昭和の古い映画を好んで観ますが、山口市がロケ地の映画は殆んどありません。

萩や岩国、下関がロケ地の映画はありますが…。

キャスト

北原三枝

乙羽信子

三國連太郎

金子信雄

殿山泰司

二木てるみ

写真3枚目は現在のザビエル記念聖堂

(宇野 輝彦氏提供)

(学22期 Y・Y)