常盤会セミナーに参加して

山口大学経済学部同窓会 鳳陽会東京支部

【10月トピックス】

山口大学工学部卒業生・学生を対象に、港区の会議用ホールで開催された常盤会セミナー(2022/10/8)に参加した。

タイトル:「持続可能な社会を目指した脱炭素エネルギーへの展開」

講師:松永烈(いさお)氏(山大工学部・院・資源・昭和51年修了)

   産業技術総合研究所 地質資源環境 名誉リサーチャー

◆プレゼンテーション

地球温暖化を回避するため二酸化炭素の排出をゼロ/マイナスにする取り組みが急速に進んでいる。

地球温暖化は1970年代に深刻な問題として科学者の間でも注目され始め、1980年代に世界会議が開催され国際的な取り組みが始まる。

1992年には気候変動枠組み条約が結ばれ、リオの地球サミットで署名が開始された。

また1997年には先進6か国のみで、温室効果ガスの削減目標と目標達成期間に関する条約が締結されたが、これが発効するまでには紆余曲折があり、発効したのは8年後の2005年であった。

2015年には途上国も含めたパリ協定が採択され、翌2016年に発効している。

これまでも、人間が出した二酸化炭素が温暖化の原因になったか否かについて、学者間、また利害関係者間で、また学者間で、議論になってきた。

当初は二酸化炭素が温暖化の原因である可能性が「高い」から、「非常に高い」となり、さらに「極めて高い」と認識され、2021年に出されたIPPC(国連・気候変動に関する政府間パネル)第6次報告では、「疑う余地がない」とされた。

温暖化に伴い、異常気象が発生する確率が高まっており、温暖化回避への取り組みが急務となっている。対策としては太陽光、風力、バイオ燃料などへの転換、循環型経済への置き換えなど本腰を入れたグリーン成長戦略が策定されている。

これまで各種の取り決めが着実に実施されたとは言い難い。このままではダメだという意識は醸成されているが、効果的な取り組みがなされているとは言えないようだ。

◆質疑

質問と講師の見解は以下のとおり。

※原発の活用:原発の利用については安全管理が難しい。安易な稼働については疑問があるが、太陽光や風力発電などの再生エネルギーは信頼度が低く、ベースのエネルギー源にはなっておらず、原発の稼働は仕方のない選択かもしれない。

※CCS(二酸化炭素の地中封じこめ);どこに封じ込めるか。国外に封じ込める場合、どこかの国がスペースを提供してくれば良いのだが、期待できない。

米国ではシェールガス採掘跡のスペースを活用する案も出ているようだ

日本国内では、埋め込む地域の環境アセスメントをなかなかクリアーできず、実施は難しいのではないか。

最後に会場の参加者から、

・政府の取り組みとして、資源エネルギー「庁」を資源エネルギー「省」に格上げし、強力な取り組みを目指すべし。

・企業の経営者も中途半端な対応ではなく、危機意識を高め、断固たる決意で地球温暖化に対処すべき

との意見が出され、会場から拍手が起きた。

◆名刺交換

セミナーの司会役は常磐会の幹事をされているK氏であり、私もK氏の案内でこのセミナーに参加を申し込んだ。

K氏は昭和50年山大・工卒とのことで、私と卒業年次は同じで同期なる。メールでのやりとりをしていたものの、この日が初対面であった。

K氏の名刺を拝見したところ、数年前ノーベル賞受賞者を出した理工系の著名な大学であるT大・名誉教授 理学博士とあった。

卒業後、専門の分野で相当なご活躍をされたのだろう。

(学23期kz)

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35年ぶりのトップガン

前作から35年、トムクルーズ扮するマーベリックが帰ってきた。前作の封切りは、1987年私は20歳大学3年生、世の中は、バブルが始まる頃。
多くの学生がそうだった様に、当時付き合っていた彼女と鑑賞。その頃の山口の映画館はスカラ座と金龍館?(先日どなたかが山口の映画館の話をポストされていましたね)しかなく、そのどちらもドルビー音響対応ではなかったので、徳山までドライブして観に行ったと記憶しています。(その徳山も今はシャッター街)

1987年といえば、まだ冷戦最中、翌年に行われるソウルオリンピックを前にテロが横行していました。前作では、旧ソ連のミグ戦闘機と当時のアメリカの最新鋭戦闘機F14との交戦を想定し、その操縦技術に優れた精鋭が集められ、トップガンの名誉を争う物語。シナリオ的にはその数年前にヒットした愛と青春の旅立ち(オリジナルタイトルOfficer and Gentlemen)とほぼ一緒でした。

さて今回の最新作、仮想敵国の核保有施設を攻撃するのがミッション
(ネタバレするとまずいのでこれ以上はストーリーには触れず)。
IMAX シアターでみる最新作は映像、音響も35年前とは比べものにならないくらいの迫力。
還暦間近とは思えないトムクルーズがあまりにも、カッコよすぎました。満員の客席の大半は私と同世代(バブル世代)。当時と変わらぬトムクルーズに涙していました。

この35年の間、東西冷戦は終わり、誰もがもう大きな戦争は起きないと安堵したはずでしたが、未だロシアのウクラナ侵攻に代表される戦争の悲劇は耐える事がなく、悲しみの連鎖は止まりません。
映画はハリウッド映画お決まりのハッピーエンドで終わりますが、35年前の爽快感を感じなかったのは、理不尽と権威主義が闊歩する世の中のせいか? 20歳当時の純粋な心でストーリーを観れなくなったためか?
それとも隣にドキドキする💕当時のガールフレンドがいなかったからか?は定かではありません笑
(大学37期 上野啓)

流離の岸

(1956年日活映画)

愛情に裏切られつつも、宿命に生き抜く女の姿を描いた広島出身の太田洋子の原作。

脚色、監督は新藤兼人。

千穂役の若い北原三枝の熱演に圧倒される。

千穂の級友の聖子から兄の竜吉(三國連太郎)を紹介され、彼の愛情を受け入れ、新居を構えるが、竜吉に妻子がいることを知る…。

子役の三木てるみが、可愛い。

私が小学校1年の時の映画です。

学生時代を過ごした山口市がロケ地となっており、山口県庁やザビエル聖堂をバックにした山口大学教育学部の体育館や螢で有名な後河原地区、一の坂川が出て来て懐かしい。

昭和の古い映画を好んで観ますが、山口市がロケ地の映画は殆んどありません。

萩や岩国、下関がロケ地の映画はありますが…。

キャスト

北原三枝

乙羽信子

三國連太郎

金子信雄

殿山泰司

二木てるみ

写真3枚目は現在のザビエル記念聖堂

(宇野 輝彦氏提供)

(学22期 Y・Y)

使徒サビエル ①

Francisco de Xavier

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【10月 トピックス】

学生当時、我々は「ザビエル」と呼んでいたが、山口では「サビエル」と濁らない。記念聖堂の公式ホームページも「サビエル記念聖堂」となっている。

 (呼び慣れていないため、いまひとつしっくりこないが、本稿では「サビエル」と表記する)

◆サビエルの塔

亀山にはサビエルの塔があった。サビエルの山口での活動400年を記念して昭和27年(1952年)に建てられるが、平成3年(1991年)に失火により焼失、今ではモダンな建物に変わっている。

大学に入りたての頃、亀山の丘を見上げれば、欧州の古城を思わせるロマネスク風の本堂から伸びた2本の塔が青い空によく映えていた光景を思い出す。当時の印象があまりに強く、再建されたサビエルの塔には残念ながらなかなか馴染めない。

◆日本での布教

日本に初めてキリスト教を伝えたサビエル。

サビエルはスペイン生まれのバスク人だ。19歳でフランスに留学し、自由学芸、哲学を修める。この時、年長者イグナチウス・ロヨナの影響もあり聖職者を目指すことを決める。

しかし、ルターの宗教改革でカソリック派に対して抗議運動が起きたため仲間と共にイエズス会を立ちあげ、世界宣教に乗り出す。

サビエルは貿易交流促進を図りたいパトロンのポルトガル国王から東洋に派遣される。

サビエルがトーレス神父、フェルナンデス修道士と共に日本に入るのが1549年のこと。マレーシアで出会った薩摩の罪人アンジロウがサビエルに罪を告白し、あまりに熱な信者となったことで日本に興味を持ち、薩摩から入り、その後平戸で、山口、堺、そして布教と天皇への謁見のため京都へと北上する。

しかしサビエルが入った京都は応仁の乱の後、戦乱で荒れ果てて

おり、不況の拠点を変更し、西の京として栄えていた山口に焦点を定める。時の戦国大名は大内義隆公であったが、なかなか布教の許しは出なかった。

しかし、サビエルは日本人と接し、日本人に対して理解を深めていく。

サビエルは日本人を「親しみがあり、善意で悪意がない。名誉心が強く、とても賢く好奇心が強い。どうすれば魂が救われるかその方法を知りたがる。日本は世界で最もキリスト教徒として適応できそな民族である」(サビエル書簡)と見定めたのだ。

 ◆ロイス・フロイスのサビエル評

パウロより多くの人々をキリスト教信仰に導いたとされるサビエル。サビエルの活動は緻密で、日本をよく研究し、仏教徒とも幾度となく宗教問答をし、イエズス会本部や友人あてに日本に関することを書き記している。

室町時代に来日し、信長の庇護を受けた「日本史」の著者ロイス・フロイスはサビエルとは16歳年下。

サビエルから強い影響を受けており、サビエルを「完璧な男」と評している。

(学23期kz)

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毛利氏発祥の地、厚木市

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【10月 トピックス】

4月30日の東京は前日とは打って変わって晴れ間が広がりました。
こうした中、以前、「山口市ファンクラブ」のメンバーのTakahiro Fujii様が、毛利季光が毛利氏の初代であると紹介されていましたので、品川区の自宅を朝7時に出発し、片道1時間50分の厚木市まで行って来ました。

先ずは相鉄線経由で小田急本厚木駅からバスで35分のあつぎ郷土博物館に。
1時間余り鎌倉時代を中心に厚木市の歴史を見学しました。

その後、バスで神奈川工科大学前迄引き返したものの、その後2時間近く道に迷い歩いたものの、タクシーも走っておらず、目的地の下古沢の毛利氏発祥の地は不明でギブアップ状態。
コンビニで途方に暮れていると、タクシーが駐車場に入って来て救われました。
漸く三島神社にたどり着いたものの毛利季光屋敷跡の石碑を探すのに一苦労し、神社で作業をされていた方に聞く始末でした。
苦労の末の三島神社と石碑だけに忘れられない思い出となりそうです。

厚木市は30代半ばのサラリーマン時代に本厚木に拠点を設け、立ち上げる為に、半年横浜から毎日通いましたので、矢張り縁のあるところのようです。

(学22期Y・Y)

毛利氏発祥の地石碑(1枚目)

三島神社(2枚目)

あつぎ郷土博物館(3枚目)

本厚木駅前(4枚目)

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知り合いがサンデンバスの運転手さん

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【10月 トピックス】

二十歳の頃に山陽町(現在の山陽小野田市)の山陽オートで筆下ろしをし、爆音に魅了され、友人と何度か通いました。

高校生の頃にクラスメイトにパチンコ屋に出入りする大人顔の同級生がいて、童顔の私は羨ましく思っていましたが、山口市での学生生活が始まると道場門前の百万弗に駆け込みました。

その内に山陽オートの存在を知り、山陽本線の埴生駅で下車しました。
帰りはサンデンバスが近くを走っていて、ゆったりと山口迄利用していました。
ある時にサンデンバスに前乗りしたら、山口市石観音町や古熊に下宿していた頃に地域で顔見知りの年配のおじさんのAさんが運転手でした。
職業迄は知りませんでしたが、学生の身でギャンブル場に出入りしてと叱られそうで、咄嗟に知らぬ振りをしました。
Aさんご夫妻は飾らぬ人で卒業して、その後、息子さんのおられる兵庫県に引っ越されても年賀状の交換だけは長い間続けました。

高校生迄はバスに弱く、バスでの修学旅行に行けない程でしたが、バイトで山口県内を防長バス等で移動することが多く、克服しました。

(学22期 Y・Y)

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後継者難

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【9月 トピックス】

◆廃業する例も

個人企業では後継者難が続いているようだ。

後継者がおらずに廃業する例も増えているという。

全国各地で見られる街の中心部のアーケード街がシャッター街になっているのも事業主の子息が後を継がず、土地を離れる例が多い。

何とか彼らを土地に押しとどめ、親の会社を継がせることはできないのか。

日本では他国と比べて開業率が低い上に、従来の企業が廃業することになれば、さらに日本全体で活気がなくなっていくことになる。

このため最近では、企業の情報を蓄積している金融機関が後継者選びの支援に回っているようだ。

また、後継者選びが難しいのは大企業でも同様だ。特に個性の強い創業者が一代で築きあげた大物社長がいる有名大企業では、後継者と目された人物が実力のある創業者の目にかなわなかったために短期間でその企業を去り、後継者選びが振り出しに戻るような例が複数件報じられている。

◆難しい社長の後継者選び

後継者を選ぶことは難しいし、育てるのも難しい。

後継者として生え抜きを登用すべきか、それとも外部の人材を登用すべきか。

前者の場合、ナンバー2は側近として大物社長を支えてきた人物だ。この人物が、果たして次の社長にふさわしいと言えるのか。社長を傍で支える参謀としての能力と、経営トップとしての能力は異なる。若いころから異彩を発揮した大物もいるだろうが、そうした者は往々にして個性が強すぎて、個性の強い創業者の社長とはソリが合わない場合が多く、経営の中枢として社長ポスト獲得レースの最後まで生き残る例は少ないのではないか。

他方外部から人材を登用する場合、他企業で実績を上げたとしても、また国際経験は豊かだとしても、その業界なり、その企業の事情に精通している者は少ないだろう。また、彼らは所詮サラリーマンだ。有名大企業のナンバー2であったとしてもサラリーマンであり、経営者としての素質を備えているわけではない場合が多いのではないか。彼らに経営者の素質が十分にあるなら、早くに企業を立ち上げているはずだ。

右肩上がりで、業界も安定していた牧歌的な時代は良かった。

誰が社長になっても業績は上がる。

社長の椅子もスゴロクで言う「上がり」のポストとなっている例が多かった。短期間で後進に道を譲るのだ。というよりも、次の後輩が自分の後釜に控えており、社長ポストに長居(ながい)はできない。

ただ今の時代は違う。

この先ももっと大きな変化がありそうだ。

マーケットをたびたび混乱させる灰色のサイも厄介だが、100年に一度はずのブラックスワンも目立つようになってきた。

こうした中では、よほどの実力がある世界のトップ企業であっても、トップであり続けることは難しい。環境の変化、また技術の進歩と変化の速度も加速度的に早まっている。

大物社長のいる大企業の後継者選びは特に難しい。

N会長のN社のように。S会長のSグループのように。また山口発で衣料小売業界の大企業になったY氏のF社のように。

(学23期kz)

山口大学経済学部同窓会 鳳陽会東京支部

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ソユーズ/アポロの戦い

時は東西時代。ソユーズ(ソ連)とアポロ(米国)の宇宙進出の激しい火花が飛び交う時期の話。人類初の有人宇宙飛行士に成功したソ連は、以後も米国に大差をつけていた。

 さらに決定的な動きにソビエトは出た。

ソユーズが月に向かってロケットを発射したのである。

NASA :

「こちらNASA、ソビエトが月に向かってロケットを打ち上げました」

国防総省:

「心配するな」

NASA :

「こちらNASA、ソビエトのロケットが月の周回軌道に入ったよ

うです」

国防総省:「心配するな」

NASA :「こちらNASA、ソビエトが月面上空よりペナントをばら撒き始めました。自国の領土とのアピールに相違ありません」

国防総省:「心配するな」

NASA :「こちらNASA、今度はソビエトが月面を赤く塗り始めました。」

国防総省:「心配するな」

 NASA:「放っておけとおっしゃるのですが、これでは我が国は増々遅れをとります。」

国防総省:「心配するな。ソビエトが月面を赤く塗ったのか?

それじゃぁ、その赤く塗られた月面に、我が国が白いペンキで

『Coca Cola』と描けばいいだろ。」

学23期 倉田一平(ペンネーム)

ノーベル経済学賞 その2

山口大学経済学部同窓会 鳳陽会東京支部

【9月 トピックス】

昨年のノーベル経済学賞は「自然実験」の手法を開発した米・大学の3氏に決まり、またしても日本人の受賞はお預けとなった。

かつては宇沢弘文、森嶋通夫、青木昌彦などが受賞候補者として名前が挙がっていた時期もあったが、これまでに日本人が受賞したことはなかった。

なぜだろう。

解明すべきテーマは豊富にあるはずだ。21世紀に入りジャパナイゼーションという言葉も一般化した。

また問題解決に検討された手法で、同じ問題を抱える諸外国の参考となるものは日本に豊富にあるはずだ。

例えば戦後の廃墟からの高度成長、オイルショックからいち早く脱却することができた社会経済政策と官民協調、バブル崩壊と不良債権処理、最近では異常な国債発行の下での経済危機回避策、不況期でも上昇しない失業率、悪い例では30年デフレとG7最優等国から政府債務最劣等国への転落と採られた政策の検証。

しかし、日本人がノーベル経済学賞を受賞できない理由として、以下のような要因が指摘されており、そのどれもうなずけるものだ。

◆受賞要件

1.そもそも経済学賞はノーベル財団が授与するのではなく、決めるのはスウェーデン国立銀行(創設は1968年)。このため受賞者はマーケット寄りの学者シカゴ学派の受賞が多い。その点、歴史、哲学、社会学を中身とし、堅牢で壮大な体系ではあるが、マーケットから距離をとる、いわゆる「マルクス経済学者」が多い日本の経済学会は分が悪いといわれる。

2.イディオロギーバイアスがあること。すなわち日本の経済学者は権威に弱く、権威ある経済学者やその言説におもねる傾向があるとされる。

なお、こうした傾向は日本だけではないようで、アイルランド、オーストラリア、ノーベルの母国スウェーデンなど北欧諸国が含まれるという。

3.引用件数が少ないこと。これは発表される研究論文の使用言語の問題で、事実上共通の言語のなっている英語での論文発表本数が限られているからだろう。

4. 次にノーベル賞の選考過程の話だ。ノーベル委員会では、まず権威のある米国経済学会を中心に活躍し、評判となった者を候補者のリスト作り始まる。そのため、まずそうした有力な学会やサークルで顔を知られ、活躍して仲間での評価を上げ、名を上げる必要がある。

5.経済学のメッカである米国だけでなく、欧州などでも活躍するなど、いわゆる「世界」で活躍した実績が必要であることだ。アジアの中ではインドのアマルティア・センが1998年に初めて受賞したが、彼は米国と同時に欧州の英国でも評判を得ていた。

6.国際的な経済学会で活躍し、自らを推薦してもらえる多くの著名な友人を有し、自分の学説を広める優秀な弟子を多く抱える者が、自ずと有利になる。

◆立ちはだかる語学の問題

英語でのスムースな読み書き、特に「書く」作業ができなければ、英論文の本数も制限される。

また英語での会話に不自由すれば、海外の友人を巻き込んだ議論をする機会も限られ、有力な経済学会に入り込める余地も大きく狭められる。

日本で優秀と目される経済学教授の論文でも、英語を母国語とする学者に筆を入れてもらう、いわゆる“ネイティブ・チェック”を経た論文を見たことがあるが、無残なものだ。日本では新進気鋭で、英語も出来るとされる経済学者の論文でさえも、正体を留めないほど真っ赤に訂正されて戻ってくる。

ナッシュの受賞の陰に角谷静夫、またブラック=ショールズの陰には伊藤清が居たことはその筋では知られているとされる。

このことは日本人として嬉しく、また誇りに思う。

しかし、この時でさえ日本人に共同受賞という形で、受賞が回ってこなかったことは、誠に残念に思う。

今後の候補者としてマクロ経済学者で清滝=ムーアモデルの清滝信宏氏が挙げられている。調べてみると、マクロ経済のミクロ的な基礎付けのフィードで活躍している学者で、小さなショックが生産性の循環的な低下をもたらすとするモデルとある。

こうした理数系の処理を用いる経済分野においてはノーベル賞に近づく可能性が高い。

なぜか。

この分野では数学が言語になっているからだろう。

ディープ・ラーニング型のAI(人工知能)が囲碁の世界王者イ・セドル棋士に勝ったのが2016年。

この時に、瞬時に外国語と日本語の両方向の同時通訳、同時翻訳が使える機器がすぐにも開発され、世の中は言葉の壁を越えて格段に便利になり、日本人が世界で活躍ようになると思っていたのだが、使えるマシンがなかなか出てこないのは何とももどかしい。

目の黒いうちに日本人のノーベル経済学賞受賞の光景を見たい。

(学23期kz)

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ノーベル経済学賞 その1

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【9月 トピックス】

今年もノーベル賞の季節がそこまで来ている。

1901年にノーベル財団によって創設されたノーベル賞は①物理学、②化学、③生理学・医学、④文学、⑤平和および経済学となっており、「5分野プラス1分野」で顕著な功績があった者に与えられる。

ノーベル経済学賞はこの「プラス1分野」に当たり、スウェーデン国立銀行が設立300年の祝賀行事としてノーベル財団に働きかけて、1968に創設されており、他のノーベル賞に比べて歴史は浅い。

これまでに日本人が受賞したノーベル賞は平和賞を含む5分野で受賞しているが「+1分野」、すなわち経済学での受賞はない。

受賞した分野をよく眺めると、いわゆる理科系が多い。これは数式や化学式など、いわば“業界言語”が確立されており、和文を英文化する必要がないことも一つ挙げられる。

また、その多くが日本から警告を中心とした海外の大学で研究し、英語で論文を作成し、欧米で活躍した者が多い。

他方文系の受賞者では圧倒的に文学者が多く、日本的な美や精神を説く作風が世界で評価を得ている。

◆経済学の位置づけ

では、経済学はどうか。

自然科学と対象とする物理学、化学、生理学と文化的、情緒的な文学賞や政治的に決まる平和賞の、いわば中間に位置づけられるとする見方もできる。

経済学で解明される現象は、自然科学の場合とは異なる。

すなわち地域的、社会的、年代によっても変わり得るもので、いわば法則の「耐用年数」も長くはない。

これは思想や哲学、あるいは習慣に基づく人間の行動や社会構造と密接にかかわる学問分野だからだ。

独創性

ノーベル賞の受賞には独創性が要るという。日本の近代経済学は欧米の輸入物が多く、独創性に欠けているといわれてきた。

日本人には独創性が欠けているか。

独創性ということでは日本も負けていない。

実は1997年に経済学賞をとった例がある。イグ・ノーベル経済学賞だ。

茶目っ気を競う賞でもあり、「たまごっち」での受賞もあった。

1991年に創設されたイグノーベル賞。

日本のお家芸であり、今年(2022年)も千葉工大の研究チームが受賞し、16年連続での受賞となる。

日本人が独創的な発想と研究業績を残すことができることは、連続受賞で証明されているといっても過言ではない。

しかし、なぜこうした独創性がノーベル経済学の分野で発揮できず、ノーベル経済学賞を受賞できないのだろうか。

次号でその要因を探る。

(学23期kz)

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