なくなって寂しいもの

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2025年8月 トピックス】

◆「山口は盆地じゃけえ、夏はぶち暑いし、冬は底冷えじゃあ。」入学した時、先輩や同級生からよく聞いた言葉である。

故郷の福岡宗像からは直線距離では100キロくらいしか離れていないが、確かに住んでみると山口の気候は地元とは全然違った。

家庭教師先は、山口市から60キロ離れた徳佐。

車で1時間の距離であるが、3年間中学生の兄妹を教えに通った。冬は豪雪、スタッドレスタイヤを履いて、山道を毎週往復していた。

宮野の信号を超えたら、私の記憶が正しければ徳佐まで信号は2つしかなかった。車がほとんど走ってない帰り道に、ねずみ取りに捕まり、1発免停になった苦い記憶もある。

地元で三代続く歯医者さんで、家庭教師が終わると、おじいちゃん、おばあちゃん、曽祖母、生まれたばかり弟くん、家族10名で一緒に夕食。(朝ドラのワンカットの様な場面であった)

徳佐のコシヒカリや徳佐牛が毎回食卓に上がり、破格のバイト代もさることながら、お母さんが作る毎回のご飯が楽しみであった。

今ではこうした大家族での食卓はほぼなくなってしまった。

◆そんな学生生活から40年後、職場では、デジタルツールの目まぐるしい進歩とリモートワークの普及で、職場に行かなくても大半の仕事(特にデスクワーク)はできる様になった。

子育てや介護などがある人には、本当に良い時代になったと感じる。

ズームやTesmsといったオンライン会議ツールもあるが、業務上必要なコミュニケーションはメールかチャットで大半か行われている。

立場上、一日に100通を超えるメールやチャットを目にするが、辛辣な内容のものを見かけることも少なくない。これは、若い世代よりもむしろシニア(50歳以上)世代に多い様に感じる。

◆テキスト(文字)でのやり取りは時にして、送り手の意図とは裏腹に、受け手が勝手に拡大解釈したり、口頭では言えない様な強い文章になってしまったりと、受け取る相手がどう感じるかという、コミュニケーションの基本を忘れてしまっているものが多い。

そして何より、自分の権利や意見だけを発信する人が増えすぎた。恥じらいや躊躇というものがなくなった社会は本当に寂しい。

我々の世代の憧れであったアメリカのリーダーがそうであるから、これは40℃を超える猛暑と同じく、受け入れざるを得ない現実なのであろう。

猛暑のおり ご自愛ください

学37期 上野啓

徳佐の田園風景

少子化と「総体」大会運営

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2025年8月 トピックス】

岡山支部 岡山Bさんからの投稿

人口減少が我々に“変わる事“を求めている。
◆人口減少は様々な世界に影響を及ぼす。
スポーツの世界にもその影を残し始めている。そして、その運営には、経営の善し悪しが影響を及ぼし始めている。

「輝け 未来の扉 中国総体2025」高校総体が今、中国地区管内多県に分散して開催されている。
岡山ではソフトボールの大会が開催されている。

◆総体というと嘗ては“開催県“があったが、県単位から地区割になっている。
また、実績のある強豪校といえども、部員数を単独では集められないケースも出ている。そんな場合は近隣の学校との合同チームによるチーム編成を余儀なくされる。

◆ソフトボール小僧だった自分は、男子開会式に参加してみた。
開会式は先ず体育館の中で選手は着座して始まる。

行進はなしで、その代わりに起立してチーム紹介。

選手、チームへの応援の拍手も全体を一括して1回のみの拍手!
関係者、歓迎の挨拶は従来通りだったが、極めつけは、選手宣誓。
宣誓をするチームが合同チームに該当したので、旗手がそれぞれの校旗を掲げる。二人のキャプテンが壇上に登り、手をあげ、宣誓を前半、後半と分けての二人による宣誓!

選手宣誓をした2校のうち、1校は嘗て全国制覇をした名門。既に地域の2つの学校を統合して生徒数の確保、学校経営の維持を計ってはいる。その学校が今度は部員不足を合同チームによって、ある解を出している。

大会運営にも高校生が中心になって、企画進行されていた。(勿論、各運動組織、協会、行政、地元の協力、支援を戴きながら)
組織運営に関しての学問として、経営学があるとすると、大会運営に、チーム構成に、また勝利を勝ち取る過程において、本から学ぶ経営学でない、実体験に基づく経営学を既習しているのかも知れない。その姿が想像出来る。

◆「艱難 爾を玉とす」と古人は言う。

合同で選手宣誓をしたチームには、この厳しい環境下での全国大会出場に先ず感服し、あわよくば、是非全国制覇を願ってやまない。(高校野球界では爽やかイレブン等の事例もある)
合同チームの名は、新見高校+総社高校合同チーム

…判官贔屓はなしにしても、熱く応援したい。

偶々だが、「世界は経営で出来ている」と言う新書判の本が好評だと言う。

(岡山B)

高杉晋作のはなし その2

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2025年8月 トピックス】

奇兵隊を創った人物として知られる高杉晋作。
「聞いて恐ろし 見ていやらし 添うて嬉しい騎兵隊」

高杉の生き方は、松陰の教え通りの人生だったのではないか。

松陰曰く

死して不朽の見込みあらば、いつでも死ぬべし
生きて大業の見込みあらば、いつでも生くべし。
不朽の高杉晋作となったかにみえる・・・

奇兵隊は下関で生まれた。資金は廻船問屋で「勤王商人」の白石正一郎が出したのだ。

白石は勤王の志士と交わりがあり、西郷とも自宅で会っている。

しかし白石は西郷と会った時以上に、高杉と出会った時に衝撃を受けたという。

高杉の人生は不思議な人生。

不思議で奇跡的な功績が付いて回る。

◆功山寺挙兵

これも不思議な話だ。

よくできた話だ。

本当か?

いわゆる元治の内乱の話だ。

元治元年(1864年)、7月に禁門の変、8月に四か国連合艦隊下関襲撃事件で急進派(改革派・いわゆる正義派)が勢いを無くし、同時に幕府への保守派(幕府への恭順派・いわゆる俗論派)、椋梨藤太が勢いを増した。

保守派の下で、1965年5月、幕府の第1次長州征伐に際しては、四か国連合艦隊の攻撃、賠償請求もあり、長州藩は窮地に立たされており、幕府の申し出に従うほかはなかった。

また、今は国内の勢力同士が戦い合う場合ではないという西郷の判断もあり、長州藩主親子の詫状差し出し、3家老(益田右衛門介、国司信濃、福原越後)の切腹、5公卿の太宰府への移居となり、椋梨の政敵・周布政之助も失脚した。

急進派の一団・「甲子殉難十一烈士」は野山獄に投獄され、後に粛清された。

このように第1次長州征伐は戦わずして終結した。

この時急進派の高杉は一時潜伏し、福岡の野村望東尼のもとに身を寄せる。

◆しかし、高杉は長州藩を生き返らせ、輝きを取り戻すには、統治能力を失った幕府を倒すこと、またそのためには萩の保守派(俗論派)を倒すことを目指して挙兵する。

1864年、雪の舞う12月、高杉26の時。

この時には奇兵隊は立ち上がっていたが、奇兵隊総監(管)赤禰武人や軍監・山縣有朋も当初は同調しなかった。

結局高杉に賛意を示したのは伊藤俊介(博文)と彼が率いる力士隊30名だけというありさまだったという。

この時の高杉の心意気。

「たとえ自分一人でもやる」と。

肝が据わっている。

この時は、高杉の後を追う者があったとしても、勝算があったか否か定かではない。

(学23期kz)

功山寺(下関市長府)

西瓜の水遣り

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2025年8月 トピックス】

◆我が家には”こだま”と言う品種の西瓜、その小玉が大きくなりつつある。

それは苗を植える前の土作りから始まった。

猫の額への植付け…

西瓜の花が咲いたら、人手による授粉のお手伝い。

水遣りも過度にならない様に気を配って、やっと今日に辿り着きます。採取前になる頃には獣害に遭わぬ様、自家製の白衣(しらごろも)を纏わせて。

◆金子みすゞの「こだまでしょうか」は”こころと言う山”に対しての”こだま”であろう。
我が家の小さな玉になった“こだま“にも同様に声掛けしたい。


『こだまでしょうか』

「遊ぼう」っていうと
「遊ぼう」っていう。

「ばか」っていうと
「ばか」っていう。

「もう遊ばない」っていうと
「遊ばない」っていう。

そうして、あとで
さみしくなって、

「ごめんね」っていうと
「ごめんね」っていう。

こだまでしょうか、
いいえ、誰でも。


手間を掛けた分、愛情を掛けた分、素直に育つ“こだま“。
この途中には小さなジョロを持って、よちよち歩き、びしょ濡れになりながら…応援してくれたチビの存在、彼の遊びの中に生があります(嘗て、みんなが歩んだ“よちよち歩き“)

(岡山B)

高杉晋作のはなし その1

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2025年8月 トピックス】

◆高杉の刀

高杉の写真は座ったものしかないという。
高杉の背格好は推定では5尺3寸(160センチ)と小柄だったようだ。

丈が小さいことを気にかけていたようで、背丈が知れないように座った写真しか撮らなかったともいわれている。

二~三人で写真に納まる時は座って映り、独りで映る時も座った写真しか撮らせなかったようだ。

「動けば雷電の如く、発すれば風雨のごとし」という割には、結構ナイーブじゃないか!

◆長い刀

しかしその分、長い刀を持っていたという。

刀の丈は、通常、身の丈から3尺引いたものを差すものとされ、高杉の背丈が5尺3寸のため、2尺3寸程度の刀を差すべきところ、高杉の刀は2尺5寸あったという。

刀は本人の分身。

2尺5寸の高杉の刀は高杉の背格好が5尺5寸、約1メートル66~7センチと思わせる道具となる。

◆軍事の才能

絶対的な兵力差がある中で、奇襲攻撃を仕掛け、勝ちにつなげる才能があったようで、一部の識者からは高杉を「軍事の天才」と呼ぶ。


◆奇兵隊

馬関戦争にあたり、騎兵隊を立ち上げる。

1863年6月の話だ。

外国艦隊への攻撃がその前月で、1863年5月のこと。

長州・下関防衛の意味もあった。

筋書きは周布正之助が書いていた。

洋式兵制を取り入れたもので、銃隊が中心。

従来の鎧を纏った藩士、武士が中心の兵団から中間(ちゅうげん)や足軽などの軽卒が隊の中心となった。

中国の兵書に正兵と奇兵あり。わが国には正兵はいるが、奇兵はいない。

奇兵・・・松陰の草莽崛起を思い出させる。

各階層からの寄せ集めた集団で、正規兵ではないということだ。

これまで軍事は武士階級のものであったが、人民武装化ということになる。アメリカ独立戦争のミニットマン(民兵・農民兵)に類するものかもしれない。

高杉は人の心を掴むのが上手かったようだ。

土塁造りに女・子供まで加勢し、盲人はそれらの拍子をとるために櫓の上で太鼓を打ったという。

つづく

(学23期kz)

萩博物館 高杉晋作資料室(萩市観光協会)

定食屋「一粒」

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2025年8月 トピックス】

岡山支部 岡山Bさんからの投稿

◆山大通りから横に山口大内方面のバイパス沿いに確かあった定食屋“一粒“さん。この7月31日をもって、閉店された。
(ご飯“一粒一粒“を大切に食べて欲しいからと名付けられた屋号)
山口のニュースで放映された内容、YouTubeに投稿されたものを友人が案内してくれた。

◆80年代、ゼミが終わった後、プチ贅沢として、よく仲間と“唐揚げ定食“を戴いた記憶がある。
記憶が正しいとすると当時既に老夫婦がやっていた?かな…
すると2代目さんも学生さんの為に頑張ってくださったんだな!とも思う。
それも1977年開業から48年間!
ある意味、みんな長門館の中華丼で、一粒の定食で、弥生の定食で大きくして貰った。
勿論、当時学食の100円カレーはベースにある。

暖簾の“一粒“の文字がとても懐かし〜〜い!
そして、インタビューに答えている2代目さんの声には、正統山口弁がある。

弥生も長門館も既に無くなっている。 時代が流れていく…

(岡山B)

何で木は長生きなの?

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2025年8月 トピックス】

岡山支部 岡山Bさんからの投稿

◆7月11日「チコちゃんに叱られる」で取り上げられた命題。

何で木は長生きなの?  何で、 何で?  

テレビの番組の中では、しっかり答えが出来ないと”ぼ~~と生きてんじゃねぇい!”と叱られる。

その答えは、又「禅問答」の様で味わい深い。

「死にながら生きているから、長生きが出来る」・・・と解説をする回答!

(ここからはテレビで紹介された内容の要約である)

◆動植物が生きるという事は細胞分裂を繰り返し、常に新しい細胞を生み続けることが生きることに通じる。そのロジックの繰り返しが永遠に続くなら不老不死になるかもしれない。

が、そうは簡単に問屋が卸さない。

人間などの細胞は、細胞分裂を繰り返す中で、その細胞内のDNAなどに傷をつけるリスクが増大してくる。そうなると賢い細胞分裂(自然の摂理)は抑制的になり、細胞分裂をして新しい細胞を補うことをやめる。

古くなった細胞は老化する細胞となり、一つ一つの細胞が弱体化する。

そして、その総体の変化が生物として”生の終わり”へと導く。

◆一方、「木」は、心材、辺材、形成層、そして樹皮と木の円心から外へ外へと四層をもってその構成をなす。

心材は細胞から言うと”死んでしまった細胞”になる。辺材は水分、栄養を木全体に配る管となる。(ある意味、仮死状態でもあると言える)

成長して木が太っていく(大きくなっていく)のは形成層の太りとなる。

これも一年経つと年輪と言う形で層を作り、辺材の一部となり、成長を助ける。

心材は死んだ細胞と言いながら、これが木の軸となり、強度の基礎となる。

この心材が上下の縦方向の圧縮の圧に関しては、鉄の1.8倍もあるというから、木造建築の強度の源泉を知ることが出来る。

心材、辺材が木の幹となる。

樹齢千年の木は、その木を伐採した後も改めて千年の寿命があって、生き続けるという。法隆寺や正倉院の木造の建物を見てもその生命力には恐れおののく。(こちらは檜の建物)

スギと言う木材で言うと、心材は赤みを帯びた部分となる。この赤身は重宝され、「杉の木のトロ」マグロで言う一番高価なトロに値する。

”虎は死して皮を残す”、杉の木は細胞として死んでいる部位”杉は心材を残して、その価を高める”となる。

それはそうだ、あの赤身の美しさ、そして、心材で良いものになると、全く節のない無節、木目が揃った桝目の柱材なども取れる部位になる。壁材等の板材としての利用でもその赤目の材は人の目をうっとりさせる。

◆木全体の容積(材積)からすると、その90%は死んでいる。

死んでいることを逆手にとって、少ないエネルギーで生き続ける。木自身にこれと言った特別な急所がない。植物などは守りが強く、人間よりずっと長く細胞分裂の循環を維持できる。

倒れた木から木が復活することもある。そう、倒れて枯れた木を恰も土のように利用し、再び萌芽することがある。その逞しさや!

屋久杉と言われる屋久島自生の杉は1000年以上樹齢を持ったものをその名で呼ばれる。

高温多雨、垂直方向の高低差(気温差で言うと九州から東北までの気象条件がその限定された地に存在する)、花崗岩が主で、豊かな土壌とも言えない土地でも生きるために深く根を張る。

成長が遅く、木目(年輪)が詰まっている。降雨が多く湿度が高いため、自分自身を守るため、自ら抗菌作用のある樹脂分を多く生成し、腐りにくい特徴を持つ屋久杉となる。

縄文杉と言う大木が屋久島の山奥深くに雄々しくたっている。 大株歩道沿いにあり、1966年発見。幹周:16.4m、樹高:25.3m、樹齢:推定2,000年〜7,200年とも言われている。

何かこまごました事にある意味右往左往していたかもしれない若き日の自分

・・・もしそうだとすると、「まぁ~、そんなちっちゃなことでバタバタしんさんな」と諭されているような気持になる。

自分の足でしか、たどり着けない地ではある。しかし、その汗を流す価値は十二分にある。(雨に打たれながらも)

(岡山B)

「危険な暑さ」続く

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2025年7月 トピックス】

岡山支部 岡山Bさんからの投稿

◆7月29日、当地岡山でも、最高気温が39度!所謂、“危険な暑さ“と言う領域だ。

今年になって、何度も36度位の気温では何の体調の変化もなく、低山山登りを楽しんできた。

(山岳医療の世界では、月に2000m位の高さの山登りをすることが山登りを続けるには意味があると言われている。そして、それは200m×10回と言う分割手法もありと言う。低山山登りが、何やら”登山健康積立預金”のような話だ)

◆”危険な暑さ”という枕詞の今日は登り始めから少し様子が違っていた。

湿度はそんなに高くないのに、汗が額を流れる…

3時間半程歩き、ゴールまであと200M、最後の尾根つたいに登る時、突然異変が起きた。

吹き出す汗、そして20M毎に休憩をとらないと息が大きく乱れる。最後、20M位になると5M毎に休息…(立ち木に寄りかかりながら休息をとる)

やっと気付いた!

もしかして、世間で言われている『熱中症』?

(後になって反省すると少し“水分補給のタイミング“が遅れてしまった…)

自ら運転してきた車の冷房を入れ、着替えを済ませ、体力の回復を確認して、麓の食事処へ寄った。

あるメニューを頼み、割り箸を使って食事をする。不調が治まり、体調の回復を確認してきているはずなのに、箸を使う腕の前腕に”痙攣”が発生するではないか!  それも左右…

食事後、再び少し長めの休憩をとったら、ほぼ全快した。

軽い初期症状の判断からは、かなりかけ離れた、実はそれなりのダメージを受けていた自分を実感! 

侮るなかれ!“危険な暑さ“…

身体を持って体験した実録記だ。

◆同窓の皆様方へ 

教訓があるとすると、

・35度を超えてのほぼ数度の温度差は、”たかが”でなく、”されど!”である

・喉が渇く前の「補水」習慣の励行

・小さな予兆を見逃さない体感!の大切さ

(岡山B)

第99回鳳陽ゴルフ会のご案内 9/28(日)渡良瀬CC

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2025年7月 トピックス】

河川敷のフラットなコースで、カートでのコース乗り入れが可能。

初心者からシニアの方までのご参加をお待ちしています。

幹事37期 上野

開催要領は以下のとおり

●日時 9/28 日曜日 09:30から  (0915スタートホール前集合)
●会場  渡良瀬カントリークラブ

渡良瀬カントリークラブ (栃木市) 東武グループのゴルフ場

●プレーフィ ¥15,000 (昼食込み・セルフ乗用カート)

 ※ 65歳以上の方は上記から利用税300円引 70歳以上の方は600円引

●パーティ会費 ¥ 3,000 (パーティ. 賞品) アクセス)

●アクセス

車の方;東北道舘林IC(浦和から41KM)から10KM (15分)

電車の方;東武日光線 藤岡駅 0826のクラブバスで5分(予約制)にご乗車ください (東武線)北千住 0707 → 東武動物公園0743 ⇒南栗橋0757 ⇒藤岡0823 (JR)東京0651 ⇒栗橋0755 / 0801 (東武日光線)=>藤岡0823

●参加連絡は鳳陽会事務局まで

houyoukai-tokyo@bc.wakwak.com

●7/29現在の参加予定者(敬称略、カッコ内は卒業期)

平田(19)、鹿児島(23)、葛見(23)、七村(27)、浅川(30)、鎧坂(30)

板井川(32)、上野(37)、内田(37)、大加瀬女史(49)、篠田女史(58)

40年前の三経の交流

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2025年7月 トピックス】

岡山支部 岡山Bさんの投稿

◆三経戦!現役の時は勿論、卒業してからもその交流が盛んである話はよく聞く。

同窓会同士の交流も最近盛んである。

OB会での対戦、またゴルフの対抗戦、交流を図りながらの講演会等々。

1905年建学の長崎と山口は、第三高商はどちらかと言うような論争が一部にはあるにせよ、これらはその交流においては枝葉末節の事のようにも感じられる。

また、大分は1921年官立旧高商8番校として建学され、100年の風雪を超え、四極会は今年、その同窓会創立から100周年としている。

2025年は三経にとってはいずれも慶事の年である。

{長崎(瓊林会:けいりんかい)、大分(四極会:しはすかい)、山口(鳳陽会)それぞれの名には謂れがある。}

私自身の社会人時代のある先輩との交流を紹介しよう。

◆博多在勤時代、大分大学経済学部出身の先輩がいらっしゃった。職場の組合で、書記長をされていて、組合活動(春闘に関する説明会)として、二人で大分に出掛けた。

日常の職場では特に特別な繋がりを感じることはなかったように記憶している。しかし、二人の同じような系譜の出身のものには、何処か底流では繋がっていたのかもしれない。

職場の先輩が学生時代通っていた秘湯があるとおっしゃって、湯布院まで足を延ばした。

そして、ある露天風呂を紹介してくれた。茅葺風の建物の中にある秘湯。

その湯に入浴し、遠景に悠々とたっている由布岳を眺めながら、熱めの湯でしっかり汗を流してから夕方職場にオルグ入りをした。

組合のオルグが終わって、その職場の皆さんと一杯、一杯やって、宿泊地の別府のビジネスホテルに戻った。部屋に戻り部屋風呂に給湯すると「黒い黒い液体」・・・・・ 

これは、フロントに書いていた「ビジネスホテルで温泉が楽しめる」というお触書の事だろう。

温泉の源泉から引いている、蛇口から出る黒い湯の温泉である。

同窓会も温泉の源流と同じく、その源流から脈々を沸き続ける湯、つながり。交流するのには何ら”壁”がない。

ただ自分自身の限られた職場経験では、長崎大学経済学部の先輩、後輩とはたまたま席を同じくすることがなかった。惜しむらくは、その交流がなかったことだ。

(岡山B)