水位高低差68mを繋ぐ運河 ~鳳陽会への投稿(7)~

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2025年3月 トピックス】

学23期 倉田一平

運河には標高差のない2点を結ぶ水平式運河(スエズ運河の例)と、標高差のある地点を結ぶ運河(パナマ運河の例)の2種類に大別されるようである。

閘門式のパナマ運河は、 太平洋側の平均水位が大西洋(カリブ海)のそれより24 cm高い程度だが、運河途中に26mの高低差があり、6つの閘門式のプールを設けている。

さて、水位高低差68mの運河を繋ぐ仕組みが存在するのをご存じだろうか。

筆者が1990年9月に訪問したブリュッセル(ベルギー)の西30㎞にあるロンキエール・インクライン(Ronquières inclined plane/ロンキエール傾斜面)がそれである。一言で言えば、水を張ったトロッコの中に船を浮かべて、ロープでトロッコを引っ張り上げる仕組み。ロンキエール傾斜面の長さは1,432m、高低差68m。船を載せるカゴ(ケーソン)の中に船を納め、ケーブルと貨車で引っ張り上げる。ケーソンの長さは91m、幅は12m、水深は3〜3.7m。

運河による内陸交通の発達した欧州ならではの知恵だと感心した次第で、その仕組みとスケールの大きさには驚いた。

その後、この運河は1998年に世界文化遺産に登録されたとの由。

 学23期 倉田一平

     

     

逆境下の文教施策 毛利の殿様 その1

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2025年3月 トピックス】

◆江戸後期、各藩では財政難に取り組み、各種藩政改革を行なった。

なぜ財政難が起きたのか。

5代将軍綱吉時代(1680~1709年)年の浪費が大きいようだ。

宝永5年(1708)年綱吉死去の前年、幕府の収入は60~70万両、歳出は140万両とされる。

これは綱吉特有「お犬様」への支出の他、広大な神社造営、気前の良い家臣への加増、「御成」(臣下の屋敷訪問)への土産代のほか各種催しなど、綱吉公の希薄な金銭感覚によってもたらされた財政逼迫だった。

また、綱吉公時代には特殊要因があったことも不運だった。

1707年の富士山噴火に伴う不作・災害復興資金の他、幕府直轄の鉱山の採掘量減少、長崎貿易による金銀の流出、貨幣経済の浸透による財政支出の増加なども財政悪化の要因に加わった。

この中で、財政改革に取り組むことができる優れた人材を供給すべく、教育改革が藩政改革の大きな柱の一つとなり、各藩では相次いで藩校が創設された。

長州藩はどうであったか。

ちょうどこの時代に明倫館が創設されている。

第5代・毛利吉元(1677~1731)の時だ。

このため、毛利吉元は「長州文教の祖」とされている。

つづく

(学23期kz)

徳川綱吉

随筆 横目で眺めた経済学 その③

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2025年3月 トピックス】

◆「疎外」

マルクスも疎外という言葉をよく使っている。ドイツ哲学の流れだという。

当時は・・・からの自由、・・・からの逃避、・・・からの逃走、などというフレーズが流行し、その並びで・・・からの疎外という言葉も流行った。

マルクスは「疎外」に、編み出した唯物史観に沿って独特の深い意味を含ませた。

疎外・・・Entfremudung    end(離れて)+ fremd(疎遠に)

自分が作った商品が自分を離れ、さらにはその商品が独立した力を持って作者に立ち向かう。

マルクスが使う「疎外」という言葉には、価値を生み出した「労働者」が重視されることなく、かえって資本の論理の下で人間性を否定されるというネガティブな響きがあった。

しかし大塚久雄先生の本で、マルクスは「疎外」というものを科学的な用語として使ったというくだりを見つけた。

情緒的・感情的な表現ではなく、経済なり歴史の「法則」、科学的な用語として使っていることを指摘したくだり。

「野球の試合が終わった途端、みんな一斉に出口から出ようとする。この時、出口の近くでは個人が自分の思う方向に身体を運びたくても、大きな強い流れに抗うことはできず、自分の意志とは無関係に出口から押し出される形になる」と。

なるほど。

妙に納得したことがもう一つあった。

資本論 Das Kapital・・・

定冠詞からわかるように資本(論)は中性名詞だ。

良いことにも使われ、また、とんでもない得体の知れない側面を持つ「資本」。

これが中性名詞・・・なるほどな。

◆ウェーバーと大塚久雄先生

ウェーバーの解説者となった感のある大塚史学の大塚久雄先生。

ウェーバーは資本主義の「精神」を解き明かした。

しかも宗教から。

キリスト教の中でも、カソリックではなく厳格なプロテスタントから解き明かしたことに意味がある。

両派はどう違うのか。

仏教、イスラム教でもそうだが、キリスト教でも労働、利子・利潤を得ることを、良しとしない。禁止している。

カソリックに比べ、プロテスタントは戒律に格段に厳しい。

しかし、このプロテスタントから資本主義の精神が生まれたとした。

何とも逆説的なストーリーではないか。

投機的な商行為で「暴利」を得ることは別として、隣人が真に必要とするものを生産し、商行為をなし、それによって、利潤を上げることは「隣人愛を実践する行為」すなわち自らの救済の手段となる。こうしたことは、むしろ「倫理的義務」であるとして、労働、利子・利潤を肯定した。

ちょっと待て。

日本でも似た話がある。商行為の倫理的意味付けは日本でも行われた。

しかもウェーバーが世に出る200年前に。

誰か 石田梅岩だ。

いやいや、さらにその100年前、すなわちウェーバーの300年前には鈴木正三がいたぞ。

両者については、稿を改める。

◆山大の中村貞二先生

ウェーバー研究といえば、山大経済にも中村貞二先生がおられた。

当時は中村先生に憧れた。

先生の著作は「みすず書房」から出ていた。

みすず書房は社会学系の分野に強い。

また、社会学といえば若い時代に水田洋先生が勉強されたように一橋大が強かった。

中村先生は山大経済を卒業され、一橋大の大学院社会学研究科博士課程へ。その後母校山大経済に戻り、助教授として教鞭をとられた。

もともとは神戸の生まれ、兵庫のご出身だ。

◆中村先生の講義を私が聴講したのは、先生が助教授時代だったのだろう。

当時、先生は頭髪にやや白髪の筋が見え始めたころだった。

物静かで禁欲的な風貌で潔癖そうなご性格に見受けられた。

先生はその後東京経済大学に移られ、同大学の名誉教授におなりになっている。

(学23期kz)

中村貞二先生ほか訳 みすず書房 1982年

随筆 横目で眺めた経済学 その②

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2025年3月 トピックス】

◆マルクス経済花盛り

学生時代は学内でも「マル経」が大いに流行っていた感があった。

入学した当時、学園紛争はピークを過ぎていたが、一部では乱闘が残っており、入学したての頃は学内で授業ができなかった時もあった。

学校では学食にお世話になったが、恥ずかしながら授業にはあまり熱心に出たことはないが、先生方もマル経(寄り)の先生方が多かったように思う。

経済原論系では見野先生、若手の中尾先生がおられた。

このほかにも、上妻先生、小嶋先生、大林先生など。

鈴木先生もそうだったかもしれない。著作に「社会主義貿易論」というのもあったからだ。

◆マル経に対して「近経」は、福島先生、油の乗り切った安部先生、山本英太郎先生、若い吉村先生がおられた。

このころは、「近経」が徐々に市民権を得始めた頃だった。

しかし、よくよく見渡すと、経済史を教えておられた秋草先生、銀行論の安田先生、金融論の貞木先生、また、若手では名畑先生が途上国経済論を教えておられた。

秋草先生は白髪頭の老博士然としておられた。秋草先生の指定図書、先生が書かれた経済史の本は購入したものの、ほとんど手つかずだった。今にしてみれば、読んでおけばよかったと思うが、もう遅いか。

秋草先生のご子息秋草史幸氏はメガバンク勤務。一度鳳陽会東京支部の総会で、はやりの「MMT(モダン・マネー・セオリー)」について講演していただいた。また、史幸さんは温厚なお人柄で、在京の山口市出身者が集う山口七夕会・東京の会長を務めておられる。

貞木先生は山大経済卒で神戸大でドクターを取られ、山大経済助教授、教授を務められ平成24年秋に叙勲を受けておられる。

「パティンキン、パティンキン」とよくおしゃっていた。ケインズの中心要素は価格の変化ではなく産出または所得の変化に収斂するという独創的なアイデアだったというのがパティンキンの主張のようだ。

貞木先生はおしゃれでストライプの高級スーツを着ておられたが、大変なヘビースモーカーでもあった。

◆しかし、高校を出たばかりの私にとって、近経よりもマルクスこそが、「大人の社会」の入り口を見せてくれ、刺激的で、新鮮であった。

何も知らない大学一年生。

マルクスは、経済学にとどまらず、大まかに世の中を読み解く一つの見方、すなわち歴史・思想・哲学の体系ワンセットを私に示してくれた。

これに比べると、近代経済学は精緻だ。

精緻なだけに、ミクロのこと、すなわち一個人のこと、一企業のことをチマチマしているという印象があり、大胆に歴史の秘密を教え、哲学を骨太に訴えかけマルクス経済学に比べ、あまり魅力を感じなかった。

その当時は、ある行動や選択の精緻な分析や研究は二の次、三の次で、「おぼこな」私は、何よりも「思想・哲学」を求めていた。

(学23期kz)

山口七夕会 秋草史幸会長(秋草教授のご子息)

ゴルフ、何でそうなるの!  ⑨ネジ1本

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2025年3月 トピックス】

◆ネジ一本の違い

調子が良い時には、何も考えないでクラブが振れる。

何度打っても同じ球筋で球が飛んでいく。

しかし、同じように打ったつもりでも、とんでもない球が出る時がある。

緊張していないはずの練習場でもこうした球がたまに出る。

自分なりの最善のスウィングをしているつもりだが、そうはなっていないのだ。

どこが違うのだろう。

どこかが違うはずだが、どこが違うか分からない。

練習場では打ち方を変えて微調整してみるが、本番ではそうはいかない。

◆シャンク

シャンクが止まらないことがあった。グリーンの近くまではいい感じで来たが、ここ一番のアプローチで球が右に飛び出すシャンクだ。

何度も。

事前のイメージではピンの手前まで柔らかい球を打ち出し、ピンに絡んでゆく筈のボール。

しかし、玉がピンに向かうのではなく、打った瞬間視線から消え、あらぬ方向に飛んでいく。

身体が開いているのだろうが、本人には意識できていない。

客観的に見ることができないのだ。

一緒に回るパートナーにも失態を晒し、恥ずかしいやら、申し訳ないやら。

◆バンカー地獄

 また、さほど難しくないバンカーから4度、5度打っても出ないときがあった。たいていは一度で出るし、バンカーは苦手にはしていないのだが、この時は初対面の方と回っており、緊張したのだろうか。今考えても、なぜだか分からない。

素振りと本番のスウィングが違うのだろう。しかし、どこがどう違うか分からない。

こうなった時の修正方法が分からないのは困ったものだ。

(学23期kz)

雪のはなし・・・

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2025年3月 トピックス】

岡山支部 岡山Bさんからの投稿

暦で啓蟄を過ぎたのに関東ではまた降雪が予想されている
東北津軽の様に七つの雪(こな雪 つぶ雪 わた雪 みづ雪 かた雪 ざらめ雪 こほり雪)がある訳ではないが、少量でも不慣れなものは扱い難い…

豪雪地帯の「雪」…厄介なもののイメージが先ず湧く

しかし、実は今はいろんな用途に利活用されている

昔「氷室」、「雪室」…は、春を越え、峠を越えて、京にもたらせる氷菓!氷柱が空調を  … 蒸し暑い夏に涼を取る
きっと格別のもの、そして至福のものだったと想像される

今の利活用法は
·雪室倉庫として活用され、一定の湿度、温度で保管された作物は熟成が進み、旨みが増し、ブランドがつく
·冬除雪で蓄えられた雪を保管し、ゆっくり利用し、データセンターの冷却に使用されてもいる

といった例がある

『厄介ものが価値を生む』

昔から各地で開催されている雪まつり、氷まつりは、冬の楽しみをもたらす!
除雪隊にも冬の事業として、富を分配する

そもそも豪雪地帯が日本の国土の51%を占めると言われるとそれに驚く!

岡山B

氷室

両国もち豚料理「わとん」で大相撲三月場所前夜祭に参加


山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2025年3月 トピックス】

(学22期Y・Y) (永倉ゼミ)


◆3月8日(土)の東京は雪予報が出る程寒かった。
冷たい雨に傘も差さずに突っ掛けを履いての昨年9月以来の参加となった。
仕事で右足に疲労が蓄積し、前日に靴擦れを起こし、腫れ上がり悪化。
よちよち歩きでの参加となりました。

◆世話役の萩原尚由さんの尽力で20数名が参加し満席での開催となった。
この会ではまだ6年位の新参者の私が乾杯の音頭を仰せつかった。

◆今場所は新横綱豊昇龍に注目が集まりそう。
その新横綱に初日の結びの一番で挑戦するのは錣山部屋の応援している阿炎である。
その阿炎は先場所まさかの負け越しであったが、何とか西小結に残り、大関挑戦と起点となる大事な場所である。
横綱争いでは一歩遅れた琴櫻、大の里の巻き返しがなるか。
はたまた幕内には若手で力をつけている力士も目白押しで、充実した場所となりそう。

◆恒例の三賞予想では私は阿炎、王鵬、金峰山に投票しました。
他の方は豪ノ山、安青錦、尊富士、伯桜鵬が多かったです。
参加されたメンバーの方も、各々熱烈な応援力士がおられ、年長の相撲観戦歴では負けない私も、皆さんの角界の精通ぶりにタジタジで、聞き役に回ることが多かった。
途中、席を変わって、若い方との交流も大満足。

◆今回はキムチちゃんこであったが、盛り沢山の料理に舌鼓を打ち、満喫し、普段小ジョッキ1杯位しか飲まないのに中ジョッキ2杯も飲んでしまいました。
ここに来て、角界の不祥事が次々と報道され、真偽の程は不明ですが、この辺りも議論したかったのですが、18時~22時の4時間では時間切れでした。
ついついネガティブ思考に陥りそうな私。若い皆さんに励まされて元気を貰い帰途に就きました。

追記)
①写真最後から2枚目は初場所初日に出待ちで撮ったツーショッ。

昨日、相撲通の人に聞き、立浪部屋十両力士の木竜皇(きりゅうこう)関と判明。
人柄も良さそうで、今場所から応援します。
元時津海の息子さんです。
最後は時津海関とツーショットです。

②山口市出身力士の若輝元、千代大宝を引き続き応援します。
初場所ご一緒したレノファ山口の小山文彦会長も山口市出身の両力士に加え、岩国市出身の錣山の寺尾松を応援されるとか。
下関出身の錣山親方、阿炎は従来から応援されていたとか。
(学22期Y・Y)(永倉ゼミ))

※コメントを宜しくお願いします。
①トピックス末尾の「コメントを残す」欄から。
あるいは
②私のメールアドレスへ
0rb6672r388367t@ezweb.ne.jp

あれから40年

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2025年3月 トピックス】

学37期 上野 啓

◆毎年この季節になると思い出すのが1985年(昭和60年)3月の日々。

福岡の県立高校の卒業式は3月1日、国公立大学の2次試験が3月5日だったと記憶している。

卒業式で交わされた会話は、「バイト何すると?」や「予備校どこにすると?」など女神が微笑んだ者とそうでない者の間で天国と地獄の様な差があった。

そして国公立の2次試験をこれから受ける者は、卒業よりも2次試験の事で頭がいっぱいであった。

(余談であるが、当時の福岡の予備校は、親不孝通りの名付け親、九州英数学館、水城学園の双璧に、黒崎の北予備、そして名古屋から 河合塾が九州進出して間もない頃であった。)

私は、東京の私大2校に不合格となり、浪人を免れる最後のチャンスは、国立山口大学のみ。丙午の影響で倍率が低いので、何としても現役合格したかった。それにも増して、どうしても山口大学に行きたかったのは、当時付き合っていた彼女が早々に山口の短大に推薦合格していたためで、学問とは全く関係のない不純な動機であった。

◆試験前日は、湯田温泉の 常盤に泊まり、大学通りを歩いて下見に行った。

湯田から平川までの道のりは長く、どんより曇って北風が強かった(いわゆる鳳翩下ろし)。

その日の夜は,緊張で一睡もできなかったが、朝風呂に入ったおかげで、頭が冴えて2次試験に臨めた。帰り道に合否電報を申し込んで、また大学通りを湯田温泉駅まで歩いた。

一両編成の山口線は乗り切れないほどの受験生で異常に混んでいた事を鮮明に覚えている。

合格発表までの10日間は、地元の同級生とほぼ毎日飲み会。当時タコハイ(酎ハイ)が流行しており、松田聖子「Sweet Memories」 のCMソングがTVで流れていた。

まだ、未成年ではあったが、この時代は地元の居酒屋でも友人宅でも誰からも咎められ事もなく、堂々とお酒が飲めた。

高校を卒業すれば、みなし成年という不文律があったのだろう。

合格してからの2週間は、下宿探し、1人暮らし準備、そして引越しと福岡と山口を数回往復。本当に目まぐるしい2週間であったと思う。

◆あれから40年、「もう一度戻れるとすればいつの時代に戻りたい?」と聞かれたら昭和60年3月と間違えなく答えるであろう。

そこには、受験からの解放感、親から離れ1人暮らしをする高揚感、ひとかけらの不安もなく期待に満ち溢れていた。そして少し生暖かい春の香がする3月の風が吹いていた。

ちなみに私を山口大学に導いてくれた当時の彼女とは入学して間もなく別れてしまった。

大人の階段を登る18歳の春の出来事を今年も思い出しながら、今宵はハイボールを飲んでいます。

学37期 上野 啓

(写真は今も現存する私の下宿、築50年越)

「ぬかるみ」 金子みすゞ

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2025年3月 トピックス】  

◆明日 3月10日は金子みすゞの命日。

作品をひとつ

「ぬかるみ」

この裏まちの

ぬかるみに

青いお空が

ありました

とおく、とおく

うつくしく

澄んだお空が

ありました

この裏まちの

ぬかるみは

深いお空で

ありました

金子みすゞの墓(長門市仙崎 遍照寺)

随筆 横目で眺めた経済学 その①

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2025年3月 トピックス】

◆「経済」は海の如し、「経済学」は森の如し

世の中、ほとんどがカネに関わっている。

民の世界も、官の世界も。

個人も企業も、国際機関もそうだ。

NPOもまた然り。

世の中、官民ともに、やりたいこと、しなければならないことは山ほどあるが、悲しいかな、カネがないと何もできない。

経済は海のごとし。

また、経済活動の中で化学や物理学のような自然科学とは異なり、また、その対極にある文学、思想・宗教などのいわゆる「人文」とのちょうど中間にあるのが「経済学」だ。

◆経済学部に在籍した縁で、これまで私が関わった「経済学」との繋がりらしきものを振り返ってみたい。

また、そこで出会った学者先生、研究者のみなさんとの触れ合うことができた。

もっとも、詳しい中身をつまびらかにすることには差し障りがある。

また、人との出会いについては、鬼籍に入られた方もおられるが、存命の方も多い。

このため、ここではこれまで経験したこと、触れ合ったことの表面をなぞるように語り、またそこで出会った方々との思い出話を素描したい。

◆学生のころ

私が経済学部に入ったのは、起業するとか、何か経済関係でコトを成そうと思ったからではない。

私の家族にも、また親戚を見渡しても、商売を生業にしている人は身近にいなかったため、企業や事業、カネに関してほとんど理解できておらず、恥ずかしいくらいウブだった。

そういう世界があることも良くは知らなかった。

中学・高校で勉強したのは、主に「国・数・社・理・英」だ。

今では、社会科の中で勉強するのかもしれないが、当時、社会科は地理と歴史が中心だった。

「経済」という言葉に「多少」興味があったのは、学校で習っていなかったためで、その未知の世界が新鮮に感じたからだ。

(学23期kz)