同窓会会員、日本語教師デビュー

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2024年4月 トピックス】

◆還暦を過ぎた新人日本語教師

先輩から良いニュースが届いた。

テニス部の後輩が本日(4月29日)日本経済新聞朝刊の2面に紹介されているとのことだ。

【文末に4/29日経新聞朝刊2面添付】

◆新人日本語教師として紹介されたのは鳳陽会東京支部会員で30期の牛尾敦史氏。

牛尾氏は山大在学中テニス部に所属したスポーツマンで、コマツ(旧小松製作所)に入社。同社では40年以上海外営業を担当したという。

この経歴を活かし、第2の人生として留学生向けの日本語教師の道を選び、教師養成講座に9か月通い、この4月から教壇に立ったと紹介されている。

留学生受け入れ拡大で、質の良い日本語教師は引き合いが強く、4月の法改正で国家資格も出来たという。

牛尾さんは「一人でも多くの日本ファンを増やすべく和の心で上質な授業を作り上げます」との決意のほどを述べている。

是非とも頑張ってほしいものだ。

(学23期kz)

日本経済新聞朝刊・第2面 令和6年4月29日(月)

教養課程の授業の思い出 物理

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2024年 4月トピックス】  

◆N岡先生

京都大学で学ばれた新進気鋭の若手学者であった。

私が入学一年生当時、先生は年の頃30を少し過ぎたくらいだろうか。理科系に多い細身で切れ長の眼、髪は横のさらりとさらした学生風の髪型だった。

「研究」の面では優れた業績のある先生だったようだが、「学生教育」という面では、かなり手を抜いたとも言われかねない授業であったように思う。

山大への赴任期間が浅い先生で、結婚されて間もないという。

このためか、先生が出題される物理の試験では、カレーライスの作り方を書けば単位がもらえるという噂が出回っていた。

なぜなのか。

察するに、先生はカレーが好物だが、若奥様が作るカレーの味はどうもお気に召さず、レシピを巡って喧嘩が絶えなかった・・・真実は分からない。

◆試験

先生の試験の出題は真面目なものであったように記憶している。当たり前の話だが。

ここで、試験の答案を書くにあたり、どうしたものかと迷った。

「真面目」で行くか「カレー」で行くか。

なまじっか一夜漬けの学習成果を見せる答案を出すと、先生から本気モードで激辛の採点をされるのではないかという恐れがあった。

結局カレーの作り方を出したような記憶がある。

カレーには自分なりの自信があったからだ。

◆夜食のカレーライス

受験勉強のさ中には夜が更けると腹が減る。この時に、我が家の夕食の時に余ったカレーのルーを鉄鍋に小分けし、火鉢にかけ、残ったご飯その他の使えそうな具材を鍋に入れ、気分に任せ、胡椒、マヨネーズ、ごま油などを用いたオリジナルの「焼きカレー」で腹を満たした。いわゆるオリジナルの創作料理だ。

こうした夜食は結構な回数に渡り、自分好みの味に調える技を磨き、旨い創作カレーには自信があった

奇をてらい、奇抜な材料、奇抜な調味料の組み合わせで、我ながらよくできたと頷きながら食したオリジナル・カレー。食欲をそそる「はず」の自信作を答案用紙に書いた。

試験の結果は・・・

・・・やはり控えておいた方が良いだろう。

(学23期kz)

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事業環境の急変と経営

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2024年 4月トピックス】

■突然の事業環境の変化 

山口発のFリテイリング(ユニクロ)は日経平均に占める指数ウェイトはソフトバンクやトヨタ自動車を超え、日本の株価の10%はユニクロ一社によって決まり、株価に最も大きな影響力を持っている。

このユニクロも、かつてウイグルの人権問題で引っかかることとなった。これまで何十年も問題にならなかったことが、何かのきっかけで世論や問題視され始め、事業に支障を来すような事態が生じることが多くなった。今後も世界の政治経済だけでなく環境問題から事業の変容を余儀なくされる事態が数多く予想される。

また、そこまで至らなくても、コロナの発生や、またはコロナ後に、事業の内容や従業員の働き方が変わった企業も多い。

また、最近では技術の進歩が加速化し、技術の普及も瞬く間にグローバル化する時代だ。こうした昨今、事業経営の見直しが頻繁に求められることが多くなった。

■環境の変化が激しい中で生き延びるには、「不易流行」が必要だ。「変えるところ」と「変えないところ」を見定め、変えるべきところは環境に合わせて素早く変えていかなければ生き残っていけない。ここの見定めが重要になってくる。

こうした業態の変更に時間が掛けられず、目指す新たな業態に関するノウハウがない場合、ノウハウを持つ企業を買収するM&Aが一番手っ取り早い手段の一つとなる。

今年3月の日立の米IT会社買収や、最近のニデック(旧日本電産)の技術的弱点を補うTAKIZAWA社の(同意なき)買収などにみられるM&Aの多用はこうしたことが背景になっているのだろう。M&Aは必要に迫られて決定したのだが、これが成功するか、失敗するか、これは誰にも分からない。

しかし、これをやらないと生き残っていけないのだ。

経営は難しい。

高度な判断を要する。

たとえ判断が正しくても、タイミングを過てば誤った判断ともなりかねない。

■経営者には盆も正月もない。

経営は厳しい。

経営は難しい。

多くの従業員を抱え、事業を潰さないで経営を継続している経営者には敬服するほかはない。

がんばれ経営者。

(学23期kz)

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「武士の娘ですから」③

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2024年4月 トピックス】  

             

【岡山支部からの投稿】

私が学生時代にお世話になった山口市平川の下宿のおばさんは、実は武士の家の出の娘だった。

今のように携帯電話を各人が個人持ちするような時代ではなかった。

下宿の大家さんの電話が企業からの連絡を受ける第一関門であった。

 きっと連絡事項を漏れることなく、また、丁寧に対応していただいたことだろう。

私は就職活動の取り組みとしては決して早い方ではなかったが、本格的に動き出してからは早めに決まった。

 同じ下宿の学生たちは鐘紡、大同生命、日立製作所、同和海上火災、日本電信電話会社などに就職していった。私も大手食品メーカーに就職できた。

 これは下宿のおばさんの対応の良さ、また、学生への面倒見の良さが大きく貢献しているのではないかとさえ思える。

 学生を信頼し、細かいことはいわない。少々騒いだ翌朝も「学生さんとして、しっかりした自覚を持って生活を送ってもらえればいいんですよ」といわれた。

 重い一言であった。

 今の学生さんのワンルームマンション生活には決してない。大家と学生店子の厚い信頼関係の中で学生は育てられた。

 山口高商の伝統を受け継ぐ山口大学経済学部の建学精神は士魂商才である。

私たちは、大学はもとより、下宿において、武士の娘より間違いなく、士魂を教えていただいたのだ。

 —完

 (岡山支部 B)

 

「武士の娘ですから」②

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2024年4月 トピックス】

【岡山支部からの投稿】

 私が学生時代、お世話になった山口市平川の下宿のおばさんの思い出である。

社会人となって久しぶりに平川の下宿を訪れた。

若いお嫁さんが玄関口で応対してくださった。今までになかったことだ。

彼女はこういった。

 「実は、義母は昨年、亡くなりました。よかったら、仏壇を拝んでもらったら・・・」

 せっかくの機会なので学生時代は出入りしたことない幅広の正面玄関から仏間に通していただいた。そこにはおばさんの遺影が飾ってあった。

 私がお世話になっていた当時、おばさんはいつも割烹着や野良着姿だった。ところが、その遺影は薄青色の着物を羽織られ、凛とした姿だった。

 お茶をいただきながら、お嫁さんと話をした。

私は下宿のおばさんの思い出を語った。

おばさんと朝、出会うと「おはようござ⤴いました」と独特の抑揚で挨拶をされた。昔の山口弁である。

 細面で、立ち姿も大変美しかったといった。

 そこでお嫁さんがいわれるには、義母は実は、武士の家の出の娘で、凛としていたのは生き方そのものであったと。

 「武士の娘ですから」とは決して口にされなかったが、凛とした立ち姿の下宿のおばさんの謎が氷解した瞬間であった。なるほど!

  ―続く

(岡山支部 B)

               

                

「武士の娘ですから」①

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2024年4月 トピックス】

【岡山支部からの投稿】

 私が山口大学経済学部の学生時代、お世話になった山口市平川の下宿のおばさんは「私は武士の娘ですから」とは、口にされなかった。

 NHKで朝ドラの再放送が行われている。

インスタントラーメンの発明者、安藤百福の物語「まんぷく」も放映された。

その中で主人公の福子の母親役を松坂慶子が務めている。

彼女の決め台詞は「私は武士の娘ですから」であった。

               

 下宿のおばさんと「武士の娘」とのつながりはいかに、と怪訝に思われる方もいるはずだ。これからその糸をほぐしていこう。

 私が下宿していたのは平川の農家である。3棟あった。

離れに2人。2階建てに4人。平屋に6人。計12人の学生が下宿していた。

これくらいの人数になると、面白い奴の巣窟となる(笑)

 各人の現在があるので仔細は省略するが、

 その下宿生の大家となると、かなりの苦労があったと推察される。

 年に数回、親元に帰省すると、日ごろのご迷惑を詫び、また、お世話に感謝する意味もあって菓子折りを持参しての帰山が恒例となっていた。

 卒業後も5年間は現役学生の就職リクルーターの関係もあり、毎年、山口に出張していた。その機会に、下宿を訪問していた。

その後も同期会などで山口を訪れたおりには下宿のおばさんに会っていた。

 しかしながら、社会人として多忙な時期は長期間、ご無沙汰することがあった。

 ―続く

(岡山支部 B)

  

そうだったのか、佐久間象山 ②

山口大学経済学部同窓会

 鳳陽会東京支部

【2024年 4月トピックス】

◆風貌

一見、異国人か異国人の血が入っているとしか思えない日本離れした風貌の持ち主だ。

身長は五尺七~八寸(175センチ前後)と、当時としては立派な体躯で、面相たるや彫りが深い。

ペリーは普通の人には挨拶などしないが、象山には会釈したという話が残る。昵懇だった幕臣・川路聖謨も「ペリルから会釈されしは、貴殿(象山)ばかりでござる」と言ったとされる。

しかし、佐久間の家系に外国人がいたわけではなく純粋の日本人、松代藩士である。

象山は優秀な知性の持ち主であることを自ら強く意識しており、この知性を次世代に残すべく、子を多く埋める女性を近くに置いておきたかったようだ。

妾との間に4人の息子がいたが、幼少時に死去。成人した者もいたが大成しなかった。

同時代人を超えた知性の持ち主で、女性にもてたのであろう。

勝海舟の妹・順子(じゅんこ)もその一人で、順子は当世第一の知識人へのあこがれが強く、17歳の時に、当時41歳だった象山と所帯を持った。

しかし、残念ながら順子との間で子には恵まれず、佐久間家は途絶えた。

◆風船爆弾

ペリーの艦隊を見て、日本刀を振るって立ち向かうとする吉田松陰に対し、象山はとても勝ち戦にはならぬと考えたようで、一戦交えるとするなら気球で米国本土を直撃するしか方法がないと「半ば冗談」で言ったらしい。

まさか第二次大戦で100年前の象山の冗談が実践されようとは・・・・

◆尊攘過激派の手に

享年54歳で尊王攘夷過激派の河上彦斎に暗殺される。

河上は長州過激派と親交があり、七卿落ちの際、三条実美の警護をしていた人物だ。

京で「西洋の鞍」を付けた佐久間を見て、衝動的に斬っている。

これまで、庭の茄子や胡瓜をもぐが如くいとも安易に人を斬っていた彦斎も、佐久間象山を斬る時には「絶大の豪傑を斬ることが意識され、髪の毛が逆立ち震えた」とし、これを機に彦斎は人斬りを、ぱたりと止めたという。

(学23期kz)

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そうだったのか、佐久間象山 ①

山口大学経済学部同窓会

 鳳陽会東京支部

【2024年 4月トピックス】

長野・松代藩士である。

3歳で漢字を覚えた神童で、和歌、漢詩、絵画、儒学、また和算にも優れた才能を発揮した。

23で藩の給費生に選ばれ、朱子学の第一人者・佐藤一斎に師事する。

蘭語をなんと2か月で取得し、蘭語を通じて医学、兵学を学び、自力で大砲の鋳造までをやってのけ、望遠鏡や電信機も作ったとされる。並々ならぬ知力の持ち主で、その才たるや長州の大村益次郎に通じるところがある。

では武道の方はどうか。

父が卜伝流の県の達人だったことから武芸にも優れており、文武両道の松代藩士であった。

◆象山の門下生

象山とは一回り年が違う勝海舟。嘉永3年(1850年)に象山の門下生となった。「海舟」の号は象山宅に掲げてあった書「海舟書屋」からとっている。

海舟が門下生となった翌年に吉田松陰が象山の門を叩く。

象山の「士は過ちなきを尊ばず、過ちを改めることを尊ぶ」。この言に感銘を受けたとされる。

1852年には河合継之助が、その翌年には坂本竜馬も象山の門下生となった。

◆象山と維新

ペリー来航に際し密航を企てた吉田松陰をかばい、松陰に連座して投獄の後、実家・松代に9年間蟄居されられている。

もともと象山は攘夷論者であったが、この蟄居期間中に諸外国の事情を学び、時流を見極めるうちに、開国・公武合体へと思想的変貌を遂げる。

西郷隆盛も象山に会っていなければ「維新は成せなかった」と回顧しているように、維新を支える思想的背景を授けた存在だったのだろう。

(学23期kz)

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「開運!なんでも鑑定団」に友人が出演

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2024年4月 トピックス】

◆先の4月5日の東京支部トピックスに「連合艦隊司令長官 山本五十六(過去日記から)」というタイトルで投稿しましたが、広島在住の友人O君が山本五十六の1926年3月12日の部下だった斎藤正久宛の赴任中のワシントンからの書簡を所持していて、鑑定依頼をすることになりました。

◆既に広島で、2度にわたりテレビ東京の取材を受けていて、4月20日(土)にテレビ東京の天王洲スタジオにて本番の収録があるそうで上京します。
果たして鑑定結果がどうなるか楽しみです。

◆O君の弟さんが、5歳年下で山口大学経済学部の出身で、子供時代に野球盤でお互いに架空のチームを作り、毎年1年間にわたり、試合結果の記録を克明に取り楽しんだとか。

◆O君は永年、旅行会社に勤務していて、添乗員として披露するモノマネや鏡文字(逆文字)を書ける特技があり、幼少期からピアノも弾けるとかで、冒頭の3分程度の依頼人紹介VTRで一部が紹介されるとか。

◆放映日はテレビ東京、5月14日(火)20時54分~21時54分です。
依頼人紹介を事前に広島で撮影しているので(VTR)トップバッターかと思います。
お時間がある方はご覧頂ければ幸いです。
(学22期 Y・Y)
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