上田鳳陽先生の句 ①

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2024年5月 トピックス】  

◆鳳陽先生の学風は荻生徂徠の古文辞学という説もあるが、国学や考証学にも造詣が深い。

また、故事にも詳しかったため、天保の改革に資するため、毛利敬親公が周防、長門の各村落に関する故事来歴や地理に関する調査を命じ、各行政区画の代官が取り纏め資料を差し出し、全37巻の「防長風土注進案」が作られたが、鳳陽翁は行政区分である山口宰判(4つの支藩を除いた萩藩を18に分けた行政区画のうちの山口の部)の編纂を担当した。鳳陽翁編纂の山口宰判定風土注進は、数ある風土注進案の中でも精緻さから高く評価されており、風土記の白眉とされている。

しかし、上田鳳陽先生が記した思想・哲学の単著はどうも残っていないようだ。

◆鳳陽先生の句

しかし山口の鳳陽会本部には鳳陽先生の句が残っている。

以下の句がそうだ。

花衣 八重九重に重ね着て つかへまつらせ 萬代までに

【写真参照】

中央に写っている肉太に書かれた句
 ・・・萬代までに纘明とあるが、「纘明」とは実名。鳳陽は雅号だ。 歳を花衣にたとえ、兄の長寿を寿ぐ綺麗な句だ。

句には注釈が記されており、

兄の君今年己酉(つちのととり)の春 高寿に・・・

となっている。

兄の高齢を寿ぐ句だ。

◆句を作った年

句を作ったのがのが干支の己酉(つちのととり)の年との注記がある。

これは嘉永2年(1849年)のことだろう。

鳳陽翁は明和6年・1769年に生まれ、嘉永6年12月8日=1854年1月6日)に没する。

翁の存命中に己酉を迎えたのは、鳳陽翁が80歳の時にあたる。

その前の己酉に当たるのは60年前の1789年。すなわち鳳陽翁が20歳の時ということになり、それはない。

句は鳳陽翁が齢80の時、翁が没する5年前の作品ということになる。

◆江戸時代の日本人の平均寿命は30代とされている中で、

当時80まで年を重ねることができたのは稀だろう。

この鳳陽翁より長寿の兄君、相当な高齢だったということだ。

兄の長寿を寿ぐ穏やかで心優しい句となっている。

解読協力

鳳陽会・学23期 岩田龍夫氏(防府市在住)

大田区立郷土博物館 築地氏

(学23期kz)

中央に写っている肉太に書かれた句
 「・・・萬代までに纘明」とあるが、「纘明」とは実名。鳳陽は号。 

三田の事務所で学ぶ同期会

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2024年5月 トピックス】

◆連休昼間のランチ会

連休の谷間、三田にある鳳陽会東京支部の事務所で23期の同期会を開催。

昼間の会合。飲食物は各自持ち込んで、同期の「学び」を学びながらのランチ会。集まったのは8名。

◆同期の「学び」について学ぶ

同期会開催に当たりリクエストがあり、退職後に地方の大学に2年間「学生」として日本史を学んだ同期に話を披露してもらうことになった。

学生生活をするとなると、試験もあり、金も時間もかかるが、「退職後の学び」の一つの在り方だ。

◆東京を離れての学生生活

この日、話を聞かせてくれたのはO村君。

中学・高校から歴史が好きで、退職後、四国・愛媛の国立大(法文学部・人文社会学科)に編入学をし、歴史を学んだ。

編入学をするにあたっては試験があり、英語、小論文の筆記、そして面接があったという。競争倍率もなかなか高かったそうだ。

授業料は年間50万円程度、2年で100万円強になる。

東京の自宅を離れ、奥様と二人、2年間マンションを借りての松山暮らし。その間東京の自宅はそのままにしておいたという。マンションの家賃が東京ほど高くないのが幸いしたようだ。

彼はもともと北九州出身だが、先祖が(ルーツ)が松山ということで、松山への思いがあったという。

◆学びのテーマ

高知・宿毛出身の土佐藩士で後に初代愛媛県令(県知事)となった岩村高俊をテーマに選んだという。

司馬遼太郎の原作で2022年に映画化された「峠 最後のサムライ」の主人公、役所広司画演じた越後長岡藩家老・河合継之助との小千谷談判で相対した新政府軍(官軍)代表といった方が分かりやすいかもしれない。

無事論文を書き終えて卒業した。

◆歴史学んだもう一人の同窓仲間

同期会に参加してくれた仲間、でやはり日本史、特に古代史に興味を持ち大学で学んだT君もいる。

T君は何年も前から東京の有名私大に通い、生涯学習向けの有料講座を受講している。

彼も歴史月好きなだけあって、歴史を学ぶにあたって、古代史はあの大学、近代史はこの大学と日本史の学びの場についての蘊蓄を披露してくれた。

◆鳳陽会事務所のロケーション

事務所は三田2-7—9 サニークレスト三田1004号室。

JR田町駅、都営浅草線三田駅からでも500メートル(徒歩6~7分)だが、最寄り駅は東京タワーに近い大江戸線・赤羽橋。

赤羽橋の改札から地上に出たところは「日本のシンボル」東京タワーのふもとにあたる。タワーが目の前に見え、内外の旅行客がタワーを収める撮影スポットになっている。

事務所は赤羽橋駅から桜田通り沿いに慶応大学(東門)に向かって200メートルほど歩いた三叉路にあるチョコレート色をしたマンションで10階にある一室。

部屋の窓からも東京タワーが大きく見える。

夕刻になればライトアップされた東京タワーを眺めることができる。

◆慶応大に近い事務所活用のススメ

三田の慶応大近くにある鳳陽会東京支部の事務所。

同期会やゼミ仲間、学生時代のクラブ活動仲間の各種会合にご活用ください。

利用される時には事前にご連絡ください。

メールアドレス

houyoukai‐tokyo@bc.wakwak.com

電話

 03-6435-0523

(鳳陽会東京支部事務局)

京大出身・N岡先生の風貌

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2024年5月 トピックス】

岡山支部からの投稿

◆鳳陽会東京支部のHPに山口大学教養課程のN岡先生(物理)について

kzさんの投稿があった。N岡先生は京都大学で学ばれた気鋭の学者だった。

 私は、若き日のN岡先生の思い出を興味深く読んだ。おそらく、それから10年くらいたった先生の姿はkzさんもご存知ではないかもしれないと、後輩の私が筆を執った。

 毎週日曜日に楽しみにしているNHKの「光る君へ」風にkzさんへの返歌として書こう。

◆N岡先生は若くして教授になられていた。そしてその当時の授業の不文律のひとつ、授業開始時間より少し遅れて来られ、少し早めに終わる。この鉄則を励行されていた。

その授業はかなり難しい内容をさらりとやさしく講義されていた。時折、長髪を左手でかきあげる姿がいかにも京大出の先生の風貌であった。

◆入学したての学生にはある意味カルチャーショック的な場面に遭遇した。

ある春の晴れた日、先生は教壇に立ってこういった。

「今日はとてもいい天気だし、みなさんもソフトボールでもしたいでしょ。じゃあー、今日は机の上での授業はやめにして、みなさん、外で過ごしてください」

 そして先生は“風と共に去りぬ”(笑)となった。

 いつもふらりとあらわれ、楚々として(本来は女性向けの表現だが)去っていく、究極の姿であった。

 今、還暦過ぎにして思えば、大学入試で疲弊していた姿に映ったであろう教養生に、大学の自由さ、ONとOFFの切り替え、よく遊び、そしてよく学ぶ!ことの大切さをN岡先生一流のウィットで伝えたのかもしれない。しなやかに教えてくださったのではなかろうか。 

◆N岡先生を始め、山口大学教養部の自然科学の教授陣は充実していた。特に地学の村上教授、生物学の岡嶋教授の講義は印象深い。老練な教授が40年たっても陳腐化しない教養を授けてくださった。

 教養部無用論さえあった当時であるが、“専門馬鹿”ではない、ほんの少し幅広い視野で物事を眺めることが身についたとすれば、その恩恵は大きい。

 (岡山支部 B)

同窓会会員、日本語教師デビュー

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2024年4月 トピックス】

◆還暦を過ぎた新人日本語教師

先輩から良いニュースが届いた。

テニス部の後輩が本日(4月29日)日本経済新聞朝刊の2面に紹介されているとのことだ。

【文末に4/29日経新聞朝刊2面添付】

◆新人日本語教師として紹介されたのは鳳陽会東京支部会員で30期の牛尾敦史氏。

牛尾氏は山大在学中テニス部に所属したスポーツマンで、コマツ(旧小松製作所)に入社。同社では40年以上海外営業を担当したという。

この経歴を活かし、第2の人生として留学生向けの日本語教師の道を選び、教師養成講座に9か月通い、この4月から教壇に立ったと紹介されている。

留学生受け入れ拡大で、質の良い日本語教師は引き合いが強く、4月の法改正で国家資格も出来たという。

牛尾さんは「一人でも多くの日本ファンを増やすべく和の心で上質な授業を作り上げます」との決意のほどを述べている。

是非とも頑張ってほしいものだ。

(学23期kz)

日本経済新聞朝刊・第2面 令和6年4月29日(月)

教養課程の授業の思い出 物理

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2024年 4月トピックス】  

◆N岡先生

京都大学で学ばれた新進気鋭の若手学者であった。

私が入学一年生当時、先生は年の頃30を少し過ぎたくらいだろうか。理科系に多い細身で切れ長の眼、髪は横のさらりとさらした学生風の髪型だった。

「研究」の面では優れた業績のある先生だったようだが、「学生教育」という面では、かなり手を抜いたとも言われかねない授業であったように思う。

山大への赴任期間が浅い先生で、結婚されて間もないという。

このためか、先生が出題される物理の試験では、カレーライスの作り方を書けば単位がもらえるという噂が出回っていた。

なぜなのか。

察するに、先生はカレーが好物だが、若奥様が作るカレーの味はどうもお気に召さず、レシピを巡って喧嘩が絶えなかった・・・真実は分からない。

◆試験

先生の試験の出題は真面目なものであったように記憶している。当たり前の話だが。

ここで、試験の答案を書くにあたり、どうしたものかと迷った。

「真面目」で行くか「カレー」で行くか。

なまじっか一夜漬けの学習成果を見せる答案を出すと、先生から本気モードで激辛の採点をされるのではないかという恐れがあった。

結局カレーの作り方を出したような記憶がある。

カレーには自分なりの自信があったからだ。

◆夜食のカレーライス

受験勉強のさ中には夜が更けると腹が減る。この時に、我が家の夕食の時に余ったカレーのルーを鉄鍋に小分けし、火鉢にかけ、残ったご飯その他の使えそうな具材を鍋に入れ、気分に任せ、胡椒、マヨネーズ、ごま油などを用いたオリジナルの「焼きカレー」で腹を満たした。いわゆるオリジナルの創作料理だ。

こうした夜食は結構な回数に渡り、自分好みの味に調える技を磨き、旨い創作カレーには自信があった

奇をてらい、奇抜な材料、奇抜な調味料の組み合わせで、我ながらよくできたと頷きながら食したオリジナル・カレー。食欲をそそる「はず」の自信作を答案用紙に書いた。

試験の結果は・・・

・・・やはり控えておいた方が良いだろう。

(学23期kz)

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事業環境の急変と経営

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2024年 4月トピックス】

■突然の事業環境の変化 

山口発のFリテイリング(ユニクロ)は日経平均に占める指数ウェイトはソフトバンクやトヨタ自動車を超え、日本の株価の10%はユニクロ一社によって決まり、株価に最も大きな影響力を持っている。

このユニクロも、かつてウイグルの人権問題で引っかかることとなった。これまで何十年も問題にならなかったことが、何かのきっかけで世論や問題視され始め、事業に支障を来すような事態が生じることが多くなった。今後も世界の政治経済だけでなく環境問題から事業の変容を余儀なくされる事態が数多く予想される。

また、そこまで至らなくても、コロナの発生や、またはコロナ後に、事業の内容や従業員の働き方が変わった企業も多い。

また、最近では技術の進歩が加速化し、技術の普及も瞬く間にグローバル化する時代だ。こうした昨今、事業経営の見直しが頻繁に求められることが多くなった。

■環境の変化が激しい中で生き延びるには、「不易流行」が必要だ。「変えるところ」と「変えないところ」を見定め、変えるべきところは環境に合わせて素早く変えていかなければ生き残っていけない。ここの見定めが重要になってくる。

こうした業態の変更に時間が掛けられず、目指す新たな業態に関するノウハウがない場合、ノウハウを持つ企業を買収するM&Aが一番手っ取り早い手段の一つとなる。

今年3月の日立の米IT会社買収や、最近のニデック(旧日本電産)の技術的弱点を補うTAKIZAWA社の(同意なき)買収などにみられるM&Aの多用はこうしたことが背景になっているのだろう。M&Aは必要に迫られて決定したのだが、これが成功するか、失敗するか、これは誰にも分からない。

しかし、これをやらないと生き残っていけないのだ。

経営は難しい。

高度な判断を要する。

たとえ判断が正しくても、タイミングを過てば誤った判断ともなりかねない。

■経営者には盆も正月もない。

経営は厳しい。

経営は難しい。

多くの従業員を抱え、事業を潰さないで経営を継続している経営者には敬服するほかはない。

がんばれ経営者。

(学23期kz)

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「武士の娘ですから」③

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2024年4月 トピックス】  

             

【岡山支部からの投稿】

私が学生時代にお世話になった山口市平川の下宿のおばさんは、実は武士の家の出の娘だった。

今のように携帯電話を各人が個人持ちするような時代ではなかった。

下宿の大家さんの電話が企業からの連絡を受ける第一関門であった。

 きっと連絡事項を漏れることなく、また、丁寧に対応していただいたことだろう。

私は就職活動の取り組みとしては決して早い方ではなかったが、本格的に動き出してからは早めに決まった。

 同じ下宿の学生たちは鐘紡、大同生命、日立製作所、同和海上火災、日本電信電話会社などに就職していった。私も大手食品メーカーに就職できた。

 これは下宿のおばさんの対応の良さ、また、学生への面倒見の良さが大きく貢献しているのではないかとさえ思える。

 学生を信頼し、細かいことはいわない。少々騒いだ翌朝も「学生さんとして、しっかりした自覚を持って生活を送ってもらえればいいんですよ」といわれた。

 重い一言であった。

 今の学生さんのワンルームマンション生活には決してない。大家と学生店子の厚い信頼関係の中で学生は育てられた。

 山口高商の伝統を受け継ぐ山口大学経済学部の建学精神は士魂商才である。

私たちは、大学はもとより、下宿において、武士の娘より間違いなく、士魂を教えていただいたのだ。

 —完

 (岡山支部 B)

 

「武士の娘ですから」②

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2024年4月 トピックス】

【岡山支部からの投稿】

 私が学生時代、お世話になった山口市平川の下宿のおばさんの思い出である。

社会人となって久しぶりに平川の下宿を訪れた。

若いお嫁さんが玄関口で応対してくださった。今までになかったことだ。

彼女はこういった。

 「実は、義母は昨年、亡くなりました。よかったら、仏壇を拝んでもらったら・・・」

 せっかくの機会なので学生時代は出入りしたことない幅広の正面玄関から仏間に通していただいた。そこにはおばさんの遺影が飾ってあった。

 私がお世話になっていた当時、おばさんはいつも割烹着や野良着姿だった。ところが、その遺影は薄青色の着物を羽織られ、凛とした姿だった。

 お茶をいただきながら、お嫁さんと話をした。

私は下宿のおばさんの思い出を語った。

おばさんと朝、出会うと「おはようござ⤴いました」と独特の抑揚で挨拶をされた。昔の山口弁である。

 細面で、立ち姿も大変美しかったといった。

 そこでお嫁さんがいわれるには、義母は実は、武士の家の出の娘で、凛としていたのは生き方そのものであったと。

 「武士の娘ですから」とは決して口にされなかったが、凛とした立ち姿の下宿のおばさんの謎が氷解した瞬間であった。なるほど!

  ―続く

(岡山支部 B)

               

                

「武士の娘ですから」①

山口大学経済学部同窓会

鳳陽会東京支部

【2024年4月 トピックス】

【岡山支部からの投稿】

 私が山口大学経済学部の学生時代、お世話になった山口市平川の下宿のおばさんは「私は武士の娘ですから」とは、口にされなかった。

 NHKで朝ドラの再放送が行われている。

インスタントラーメンの発明者、安藤百福の物語「まんぷく」も放映された。

その中で主人公の福子の母親役を松坂慶子が務めている。

彼女の決め台詞は「私は武士の娘ですから」であった。

               

 下宿のおばさんと「武士の娘」とのつながりはいかに、と怪訝に思われる方もいるはずだ。これからその糸をほぐしていこう。

 私が下宿していたのは平川の農家である。3棟あった。

離れに2人。2階建てに4人。平屋に6人。計12人の学生が下宿していた。

これくらいの人数になると、面白い奴の巣窟となる(笑)

 各人の現在があるので仔細は省略するが、

 その下宿生の大家となると、かなりの苦労があったと推察される。

 年に数回、親元に帰省すると、日ごろのご迷惑を詫び、また、お世話に感謝する意味もあって菓子折りを持参しての帰山が恒例となっていた。

 卒業後も5年間は現役学生の就職リクルーターの関係もあり、毎年、山口に出張していた。その機会に、下宿を訪問していた。

その後も同期会などで山口を訪れたおりには下宿のおばさんに会っていた。

 しかしながら、社会人として多忙な時期は長期間、ご無沙汰することがあった。

 ―続く

(岡山支部 B)